妙な残暑と模擬試験
年が明ければ、センター試験。
試験的なものが必要な推薦であれば、来月には開始されるという頃合いだ。
城聖学園高等学校では、受験対策の模擬試験が行われる。
一学期にやったものとは段違いに難易度の高い、より本格的なものだ。
このために、学園側では一流学習塾の講師を雇い、問題作成を依頼しているという。
今、三年二組の教室では、今回行なわれる最後の模試に挑むべく、意気軒昂な生徒たちが……。
「あづいー」
とろりととろけて、机の上に突っ伏すのは勇太である。
文学系の短大を受ける予定の彼女にとって、本日の試験は大変重要なイベント。
だが、そんなことは分かっていても、今年は残暑が厳しく、比較的暑がりな彼女を苛むのである。
上着はすでに椅子の背に掛けられ、夏服よりやや厚手のシャツとジャンパースカート姿。
幾重もの布を通しても分かる、豊かなふくらみが、テーブルに突っ伏すと実に柔らかく豪快に形を変え、我知らず男たちの視線を集めてしまうのである。
「なんてでかさだ」
「水泳の授業で見たが形もすごいぞ」
「金城さんは歩く凶器だぜ……! 俺たちの心を煩悩で満たしてくる」
「これが、こんなけしからん素晴らしいものが、あの男のものになると思うだけで」
「ギギギギギ」
クラスの男どもの多くが、勇太の斜め後ろに腰掛けたメガネの青年に向く。
何故か男たちから嫉妬に溢れる目を向けられたのは、坂下郁己。
彼はフッと勝ち誇ったように笑うと、その手を持ち上げ、いやらしく揉むような仕草をして見せた。
「あああああああ!!」
「坂下ァ! 坂下ァ!」
「許さないッ! 僕はお前を許さないぞォォォ!!」
「グァハハハハ! 何を悔しがっているのかは概ね想像がつくが、これは俺が一歩一歩築き上げてきた人生の帰結なのだよ! 周回遅れどもは地に這うがいい!」
「邪悪……!! なんという吐き気を催すほどの邪悪!!」
立ち上がった男たちが猛烈に盛り上がっていく。
あわや、残暑厳しい中、くんずほぐれつ、ドキッ男だらけで汗まみれの大乱戦となるかと思われたその時だ。
「はーいそこー。うちが後始末しなきゃなんだから、大人しくするー」
扉側前列から立ち上がった女性との言葉で、ピタリと止まった。
「麻耶、その格好で言うのはちょっと」
後ろの席に腰掛けた、彼女……学級委員長・彦根麻耶の友人たる柔道少女、大盛栄が注意する。
案の定、男たちの視線が麻耶に集まった。
麻耶はと言うと、胸元のボタンを開いてシャツを寛げ、下敷きでその中に風を送り込んでいる。
最近、サイズアップしたのではないか疑惑がある谷間が見え、汗で濡れているさまが実に艶やかである。
「おお……聖女だ」
「女神がいる。まさに聖処女……!!」
「委員長は誰とも付き合ってないはずだ! フリーだからな!」
「ありがたやありがたや」
「こぉらぁー!? 拝むな! あと処女って言うなーっ!!」
麻耶が机を飛び越えながら、丸めた下敷きで手近な男の頭をスパーンとはたく。
「グワーッ! 衝撃と目の前に谷間がァーッ!?」
「塩田ーっ!!」
「我が人生に……一片の悔い……」
「うわっち!」
「あっ、委員長がつまずいたぞ!!」
「胸元が塩田の顔面に!!」
「グワワーッ!!」
「うわーっ!! 塩田が鼻血を吹いたー!!」
血の雨である。
「ひえー、うちのワイシャツがー! ブラがー!」
「塩田め……!」
「なんて役得だ。男として最高の死に方ではないか」
「許して置けようか。いや、許せまい」
またもあちこちで湧きあがる嫉妬の炎。
模試前であるというのに、教室を席巻するカオス。
つまり、三年二組は平常運転であった。
「みんな気が立ってるねえ。やっぱり暑いのはだめだよ」
「あの……今の、勇ちゃんが原因、だと思うの」
「そうだねえ。勇はそれ、狙ってやってる? ってくらいあざといからねえ」
楓と夏芽の寸評を受け、えへへと笑う勇太。
「これ、勇ちゃん絶対意識してないよ」
「天然は一番たちが悪いわね」
「なんかひどいこと言われてる!?」
「そうじゃないわ。試験前だって言うのに余裕だって言ってるの」
そんな事を口にする夏芽だって、体育大への推薦入学が決まっている。
楓は内申点がずば抜けて高いため、やはり推薦入学は間違いないだろうという話だ。
勇太はそもそも狙いが短大なので、基礎学力さえきちんと上げる事ができれば、入試は難しくない。その点に関しては、彼氏たる郁己のスパルタで実力をつけてきているのだ。
つまり、三人とも割りと余裕がある状態なのだ。
いや、勇太はかなり血を吐くような努力をして余裕になったのだが。
「うんうん……色々遊びに行った気はするけど、毎晩郁己とマンツーマンで勉強だったよ……。朝起きても、郁己から朝一で復習のチェックがあってね……」
「坂下くんと、マンツーマン……! 夜も、朝も……?」
「へ、へえ」
どうやら楓と夏芽が別の意味で捉えたようだ。
二人とも彼氏持ちで、ともにちょっと先のステップに進もうかと言う段階である。
付き合い初めは楓が一番早くても、勇太と郁己の人間関係はそれこそ幼い頃から続いていて、男女関係と言う意味ではこの三人で抜きん出ていると言える。
ということで、二人ともちょっと悶々と妄想してしまったようだ。
これに関しては、勇太は真面目な顔をしてきっぱりと、
「いや、子供はちゃんと短大入ってから作る」
普通に爆弾発言である。
一瞬クラスがしんと静まり返り、直後、シングルである男たちが「あああああああ」「うううううう」「おおおおおおお」とか叫びながら仰け反り、飛び跳ね、のた打ち回った。
「憎い憎い憎いリア充が憎い」
「ううおおああううああおお!!」
「試験勉強! リア充が乳繰り合ってる中で俺たちは試験勉強!? ノー! ノー!!」
ちなみに、女子たちは表向き平然としているようで、内心は荒れ狂う海の如き心地である。
(バカな……! 早過ぎる!? そんな、昔のヤンキーとかじゃないんだから……! 落ち着け、落ち着け私!!)
(坂下くんにそこまでの覚悟が……!? なんという思い切り!! くそ、優良物件だったか……!!)
(戦いは大学に入ってからと思ってたのに、すでに始まっていた……!? 私が遅い……!? 私がスロウリィ……!?)
大変な有様であった。
そこに入ってきた和田部教諭、模試の用紙を小脇に抱えながら、じっと教室内を見た。
「……なんで地獄絵図なんだお前ら」
かくして、誰一人として平常心ではない三年二組は模擬試験に突入するのである。