山上のお社にて。
「まだお祭りまでは日があるからさ。二人で行ってきなよ」
「だな。あそこは静かだし、雰囲気いいし、今だけだぜ」
勇太と郁己に言われて、龍は出かける決心をした。
玄帝流宗家にお邪魔して二日目のことである。
前日はバーベキューで大騒ぎ。
くたくたになった一同は、旅の疲れもあって泥のように眠り、やがて一番体力がある龍が目覚めた。
勇太と郁己は慣れたもので、既に庭先でラジオ体操などやっている。
「なんでラジオ体操……」
「なんかさ、これやってると小学生の頃を思い出してねー」
「街中で音を出すと、今は迷惑だろ? だけどここなら問題ないしな」
せっかくなので、二人に加わって体操をしていた龍である。
そこで言われたのがこの言葉だった。
「お社があるでしょ。結構階段を登るんだけど、今ならば誰も来てないし楽しめると思うよ」
二人は一昨年に登ったらしい。
昨年始めて里にやって来た龍は、遥がお祭りの巫女をやったこともあり、それなりに祭りの準備などに協力したものである。
その時に、このお社を有する小山には、何度も登った。
だが、考えてみれば何も無い時に登った事は無い。
「そうかあ……。いいかもしれないですね」
「そうだ、私お弁当作ってあげるよ」
そういうことになってしまった。
黒沼遥の朝は遅い。
いつもなら、昼に近いような時間帯で目が醒めるという休日を送っている。
というのも、彼女の創作意欲は夜間に発揮されるからだ。
そのため、遥が過ごす休日は、常人の半分くらいの長さしかない。
今日も目覚めた時、さては昼過ぎかと思った遥。
だが、どうも夏だというのに、まだ日差しが柔らかいではないか。
「くもりかな?」
のろのろと布団を押しのけて起き上がると、ふらふら歩いて障子戸を開けた。
なんと、朝であった。
「朝だ……」
そういえば、昨日はバーベキュー騒ぎの疲れで、すぐに寝てしまったのだった。
お風呂でお団子頭の小柄な先輩に、「同志よ!」とか言われて義姉妹の契りを結んだ気がするが、よく覚えていない。
すぐ隣で寝ているその先輩、板澤小鞠とは、確かに似ている気がする。
体型とかが特に。
「おう、起きたか遥」
「あっ、龍」
ひょいっと高いところから、彼の顔が登場した。
ぼんやりした頭でも、反射的にほんわか緩む遥の表情。
そして、ちょっと考えて、
「あ、だめだよ龍。女の子が寝てる部屋なんだから」
「おおっ、すまん」
龍が障子の裏に引っ込んだ。
遥はいそいそと着替えを取り出し、Tシャツ姿になった。
ブラシとタオルを手にして洗面所へ。
後から龍もついてくる。
「これから、ちょっと行きたいところがあるんだけどよ」
「ん、どこ?」
顔を拭いてサッパリした遥。お気に入りのメガネをかけて、くるくるの癖っ毛をブラッシングしている。
「山の上。金城先輩が弁当を作ってくれた」
「へえー! 山の上って、去年行った神社があるところでしょ。お祭りの準備とかしてるんじゃない?」
「まだらしいぜ。だから今が穴場なんだってよ。静かで雰囲気もいいとか」
「ふむふむ」
「ってことで……二人きりで行こう」
「! ふたりっきり!」
遥の背筋がピンと伸びた。
そんな訳で、そろそろ女性陣がぞろぞろ起き出して来た頃合。
二人は山の上にあるお社を目指し、出発したのである。
「ふう、ひい」
億劫そうに荒い息を継ぎながら、麦わら帽子が階段を登っていく。
お社に向かう段々は、そこまで急ではない。
だが、小山一つを登りきる石段なのだから、長さだけは立派なものであろう。
「ほら、頑張れ頑張れ遥。いざとなったら俺が抱っこして行ってやる」
「ううっ、そ、それはそれで悔しいなあ」
もう少し頑張ってみる、と気合を入れる遥だ。
勇太から借りた麦わらはいかにも大きくて、ちょっと上から眺めると、帽子が階段を登っているようだ。
きっと白いワンピースなんかが似合うのではないかと、龍は思う。
しかし、残念ながらTシャツに短パン姿の遥なのであった。
まあ、これはこれでむき出しの手足が真っ白で大変目の保養になる。
お出かけ前に、念入りに日焼け止めを塗っていたから、この夏の日差しの下でも、そこまで焼けないであろう。これは友人である猪崎万梨阿からの入れ知恵だとか。
「ふひー、ちょ、ちょっと休憩」
大きく木の枝が張り出した、階段の半ばほど。
ここで遥が音を上げた。
それでもギブアップとは行かない辺りは頑張っている方である。
並んで龍も腰を下ろす。
隣で遥がちょこんと石段に腰掛け、水筒に入れてきた麦茶を飲んでいる。
「おお、なかなかのもんだなあ……」
龍は、自分たちが登ってきた道のりを見下ろしていた。
視界いっぱいの緑の海である。
遠くに望める山々の緑。
まだ実る前の、水田の緑。
家々を覆い隠しそうな、木々の緑。
そして石段を左右から押し包む、草花の緑。
「うん……。これは絵になるかも……って、あ、持ってこなかった」
ただいまの遥、水筒とお弁当しかもって来ていない。
スケッチセットが無いわけで、しまったという顔をした。
「たまにはいいんじゃないか? こうやって、記憶に残してから後になって書いてみると、意外といい感じで描けるかもしれないし」
「そうかな。……そうかもね」
休憩の時間は十分ほど。
玄帝流宗家から、わらわらと仲間たちが出てきた頃合を見て、また登りを再開である。
今度は体が慣れてきたのか、すいすいと足は前に進む。
龍が歩調を合わせてくれて、遥は楽しく石段を上がっていった。
登りきったところで、ちょうど日差しは中天に差し掛かり、燦々と光を降り注がせる。
「うう、汗が……」
どっと噴き出してくる汗の珠を拭き拭き、遥は境内に入っていった。
昨年は見慣れていたはずの鳥居が、全く別のもののように見える。
山の上のお社は、蝉時雨に包まれながら静かに鎮座していた。
周囲に人気はない。
静かな社はこれほどまでに、雰囲気を変えるのか。
ざざっと木々を揺らしながら、風が一陣通り抜ける。
「日陰で弁当にしよう」
龍の提案に、一も二も無く賛成した。
座り込んだ大きな木の根元。
小山の高さもあってか、ほどよく風が吹き抜けていい塩梅。
お弁当は、塩気の効いた梅おにぎりだった。
「なんて渋いチョイスなんだ……。おっ、うまい」
「金城先輩って、こういうところ結構古風なのかもね」
遥もおにぎりにかぶりついた。
汗をかいたせいか、おにぎりの塩気が美味しい。
しばらく言葉を交わさず、食事に集中する。
人の声が聞こえない境内で、二人きり。
日差しは強くて明るいのに、大きな木々が生い茂る境内は、あちこちに日陰がある。
不思議な雰囲気だった。
二人で木によりかかりながら、ぼーっとする。
時間がゆっくり、ゆっくりと流れていく。
「ああ……なんか……こんな風に龍と過ごすって、考えてなかったなあ」
呟くと、龍の手が遥の頭を、帽子越しに撫でた。
少しして、彼が立ち上がる。
「……? どうしたの?」
「いや、どうやら静かな時間もここまでみたいだ。ほら」
龍が耳を澄ませるように言う。
倣って、耳をそばだててみた。
すると……。
「ひぃー、きっつい! きついわこれ! 昼にこんな階段登るなんて自殺行為よ!」
「ひええ、お姉ったらあたしを日除けにしないでー!?」
「うおー!! 石段で暴れるなよ! 危ないから!! 淳平手伝え!」
「ま、巻き込まないでくれ……!」
賑やかな声が近づいてくるではないか。
二人きりで静かなのもいいが、
「みんなで賑やかなのも、悪くないよね」
遥はそう言うと立ち上がった。
「だな」
龍は彼女の隣に並び、お弁当の容器を拾い上げた。
「それじゃ、お出迎えに行こう!」
かくして、静かなお社は一気に賑やかになっていくのである。