雨の日の通学路
六月に入った。
今年は雨が少ないなあ、なんて思っていたら、そういう時に限って降るものである。
しかも、気まぐれに歩いて登校しようなんて考えていた生徒には、これはちょっとした災難だ。
「ぐわーっ!!」
「ぎゃーっ!!」
二人の女子が、大変女の子らしからぬ悲鳴をあげて雨の下を駆け抜ける。
滑り込むように突き出した庇の下に飛び込むと、二人は溜め息をついた。
「板澤、勘弁してくれ……! なんでお前が歩いていこうなんて言うと、いきなり雨になるんだよ! 今日の予報は晴れだったじゃんっ……!!」
「むっふっふー、わ、私は結構雨女なんだよね」
今ここで明かされる衝撃の事実。
いや、まあ既にびしょ濡れになった二人には関係の無いことである。
夜鳥一弥と板澤鈴音。
二人は大きな雨粒が降り注ぐ、この災厄をここでやり過ごすつもりだった。
「ぬう」
何やら鈴音が鳴き声をあげた。
何事かと思ってちら見すると、夏の制服が水に濡れて透けている。
布地を押し上げるボリュームと下着の色が、露骨に分かってしまう。
アッー、と一弥は内心で叫んでいた。
なんということだろう。なんというラッキースケベだろう。これは凝視していていいんだろうか。いや、自分は今は女であるから凝視してもいいだろう。いやいや、ここで女であることに妥協してしまっては男に戻れなくなってしまうかもしれない。
だから、一弥は鈴音の目が自分の体に注がれている事にも気づかない。
「くっそう、なんであんたスタイルがいいのよう」
鈴音の唇から怨嗟の声が漏れた。
「は? 別に俺はスタイルとかいいわけじゃないし」
「はぁぁぁぁ!? あんた、昼ごはんあれだけ食べて、そのウエスト周りとかありえないんですけど! 私なんかすぐにお肉になるのに! 胸だけじゃないのよ! 胸からちょーっと下に下りてくるのよ! お姉なんか食べても食べても脂肪がつかないのに!」
姉の小鞠は彼女なりに、肉のつかない体を悩んでいるのだが。
ともかく、透けて見えた下着越しの一弥は、なるほど、鍛え上げられた精悍な肉体をしている。
元から玄帝流の練習には熱心な方である。
食べた分はその日の内に消費し、筋肉に変えている。
一弥としては、ふんわりと女性らしい脂肪が体についてきている現状を憂いているのではあるが。
それがまた、鈴音から見ると理想的なプロポーションの肉体に見えるらしい。
人は誰しも、自分が持っていないものを他人に見るのである。
「いや、その、板澤には胸が、あるじゃん」
ぼそぼそ言うと、鈴音はむがーっと声をあげて腕を振り回した。
「胸があったらあったで困るのよ! そりゃあみんなに自慢する時はいいけど、普段なんか重いし食べたら大きくなるし、可愛いデザインがないし! かといって食べないダイエットはお腹が減るからいや!!」
そして鈴音はおもむろに近づくと、一弥のお腹をペタペタ触った。
「ぐぬぬ、無駄なお肉の無い美しいウエスト周り……!! おのれ、おのれ……!」
「うひゃははは!? や、や、やめれーっ!!」
くすぐってしまう動きになって、一弥は爆笑しながら必死に鈴音の拘束から逃れようとした。
「おお、やっとるねー」
そうしたら、見知った人の声がするではないか。
ハッとなって振り返る二人。
すると、いつの間にか庇の下にはもう一組の男女がいる。
金城勇太と坂下郁己である。
郁己は横目で、女子たちがあられもない姿でじゃれる姿をじっと凝視している。むっつりスケベである。
勇太は勇太で、真っ向から二人のじゃれあいを眺めているではないか。
「若い女の子たちがきゃっきゃうふふする姿って、眼福だよね……」
「ゆ、勇太さんいつの間に!?」
「うん、鈴音ちゃんが『胸だけじゃないのよちょーっと下に下りてくるのよ』って言ってる辺りからいたよ」
「ひいー!!」
鈴音が真っ赤になってうずくまった。
心の叫びを聞かれてしまった!
あれはなんと言うか、正直な心情の吐露に他ならないのだが、上級生に聞かれているとこれはこれで大変恥ずかしい。
そしてまあ、勇太と郁己もびしょびしょなのである。
スッと先輩の肉体に目線が行く、下級生二人組みなのである。
「ば、ばかな」
鈴音がショックのあまり尻餅をつきかけたので、慌てて一弥が支えた。
「胸とウエスト周りを両立しているだと……!? ば、ばけものめえ」
「いや、さすがにそれは失礼だから!? 鈴音正気に戻れ!?」
わなわな震える鈴音の頬を、一弥はぺたぺた叩いた。
何故か郁己がドヤ顔になっている。
どうだい、俺の彼女は凄いだろうとでも言いたいのだろうか。ああ、確かに凄い。
「そりゃもう。毎日の稽古でしょ。ご飯はしっかり食べるでしょ。胸はきちんとケアしないと垂れちゃうかもだから、支える筋肉を鍛えてさ……。本当に女の子って大変だよね」
完璧な肉体には人知れぬ努力が秘められていた!
ハッとする鈴音。
目の前の先輩は、恵まれた肉体をしていたのではない。それを維持する為に日夜戦っていたのである。
「だけど私には無理だあ」
「諦めるなよ!?」
すぐに崩れ落ちる鈴音と、すかさず突っ込む一弥。
かなり呼吸が合うようになってきたようだ。
「夫婦漫才だな……」
「お似合いだねえ」
ニヤニヤする先輩カップル。
そんな彼ら二組をよそに、雨は通り過ぎるように上がってしまった。
どうやらにわか雨だったようだ。
勇太と郁己が庇の下から出て行く。
「ほらほら。急がないと遅刻するよ? 行こう行こう」
歩き出した先輩たちを見て、一弥と鈴音も気を取り直す。
「そ、そうだ。私たちには未来がある!」
「胸はともかく、腹周りは未来があっても変わらないんじゃないか。それに板澤だってそこまで太くないだろ? 俺は別にちょっとくらい肉がついているほうが……」
「く、くうう。いいわよいいわよ。クラスメイトには勝ってる! 勝ってるんだから。勝って……よ、夜鳥ぃぃぃ」
「ぐわーっ!? 歩きながらお腹を揉むなーっ!!」
雲間から、太陽が顔を出している。
降り注ぐ日差しで、学校に着くまでには多少なりとも制服は乾くだろう。
鈴音の下着が透けているのは嬉しいが、自分まで透けてこうやって絡まれると、体が持たない。
制服が早々に乾く事を願う一弥なのであった。