パッション・オブ・ジ・トイレット
「……ってことがあってさあ……。もうきついよ特別講習ー」
「大変、だった、ね」
しんなりと伸びている勇太の髪を撫で撫でするのは、親友の水森楓。
昨日出題された宿題は、インターネットや資料で調べても良い、と言うものだ。
調べてきたものを手書きで提出する事が唯一のルール。
ちなみにこの問題、特別講習担当教諭のアレンジが入っているので、一昨年度の過去問回答を丸写ししても不正解になるようになっている。
大変意地が悪い。
昨夜の勇太は、心葉まで巻き込み、ああでもない、こうでもないと宿題達成に大騒ぎだったのである。
心葉はさらっと読んで答えが分かったようで、あの教諭のように、
「むっふっふ」
といやらしい笑いを浮かべていた。
なんという頼りがいの無い妹であろう。
兄……いや、姉がこんなに危機に陥っているというのに。
そもそも心葉にわかって自分に分からないのはおかしい。
双子の姉妹でどうしてこうも頭の構造が違うのか!
勇太が吐き出した弁舌に、心葉はぼそりと呟いたのである。
「頭の中身が胸に行っているんですよ」
げに恐ろしきは乳の恨みである。
「と言う感じでね、心葉も全然教えてくれなくて!!」
「んー、私、も、胸はちっちゃいからなあ」
「えーっ、楓ちゃんまでこだわるの!? わ、私の逃げ場所があああ」
「うふふ、冗談、だよ。心葉ちゃん、すぐに、教えたらためにならないって。そういう風に思ったんだよ、きっと」
「そうかなあ……」
だが、こうやって楓が甘やかしてくれるなら、まあ厳しい宿題を出されるのもたまにはいいかな、なんて思ってしまう勇太であった。
「ねえ、覚えてる? 私たち、一昨年の今頃、だよね。友達になったの」
「あ、そういえば、そうだねえ」
「勇ちゃんと友達になれた、から、悠介くんとも、会えて、みんなとも仲良く、なれたの」
勇太と楓が出会ったのは、五月の調理実習。
そして次なる六月と言えば、楓と上田の二人が出会い、何やらトイレ絡みの話題で学年の注目を浴びた時期だ。
二人の間を取り持った形になったのが勇太。
あの時は、楓と上田のカップルはいかにも凸凹で、共通点なんて何も無いように思えていたけれど。
「こういっちゃ悪いけど、最初は上田くんとはどうかなーって思ってたんだよね。だけど、今じゃ多分、ベストカップルだよね」
「うふふ、ありがとう。お陰さまで、うまくやってます」
「うんうん」
ちらりと視線を投げると、教室の窓際では、上田と下山、国後の三人が盛り上がっている。
ああやってみていると、ちょっとおバカな年相応の男子と言う感じなのだけれど。
「悠介くん、ね。推薦とれそうなんだよ」
「えっ!?」
何やら聞き捨てならぬ言葉が飛び込んできた。
驚愕して跳ね起きる勇太。
「きゃっ」
「あ、びっくりさせちゃった!? ごめん! でもでも、すっごく私もびっくりして……! へえ、上田くん、推薦……!? す、すごい」
「うん、工業系の大学なんだけれど、ね。何度も、メーカーさんに見学、行って、会社の人とも、仲良くなったみたいで。その人の口利きも、あるんだって」
メーカー。
上田とメーカーと言えば、もうどこのメーカーであるかは決まっているだろう。
トイレである。
トイレと言う場所、トイレに使われている技術、トイレにおける哲学を誰よりも愛し、探求する男、上田悠介。
一年生の頃からぶれる事が無かったあの男は、ついに宿願をかなえようとしているのである。
「上田くーん」
あまりに気になったので本人を呼んだ。
「ほいほいー」
下山と国後を引き連れて上田がやってくる。
どこにいたのか、郁己まで増えている。
「上田くん、推薦決まったんだね……! 凄い……!」
「なにっ」
「なん……だと……!?」
下山と国後がざわめいた。
まだ知らなかったらしい。
「おう、まあまだ本決定じゃないけど、大体間違いないだろうってところ。まーコネ入学だけどね」
「コネだと!? ずるいぞ! 俺にも口利きをしてくれ!!」
下山があんまりと言えばあんまりな事を口走る。
「いや、口を利いてやってもいいが、あれだぞ。トイレ工学専門だぞ? いいのか?」
「あ、それはいい。嫉妬してすまんかった」
スッと下山が引き下がる。
「しかし、なんだ、坂下は驚いてないな。知ってたのか?」
「おう、まあ大体予想はついてたぜ」
何やら余裕ありげに言う郁己。
勇太はそんな郁己が妙にかっこよく見えたので、腕組みしながらうんうんと満足気に頷いた。
「さすが郁己。もうね、惚れ直しちゃうね」
「なにい!! 坂下め! このリア充め! ばっ、ばっ、ばくはつしろお!!」
「ぐおお、落ち着くのだ下山。お前は正気ではない!」
トラウマに触れられてしまった観のある下山を、国後が押さえ込む。
あれだろうか。
GWにやってきた倫子さんに告白したけど振られたとかそういうのだろうか。
多分そうだ。
勇太は結論付けておく。
「まあ俺がモテモテであることは仕方が無いとしてだ」
「桐子とか、小鞠ちゃんとか……」
ぼそっと勇太が言うと、スーッと郁己の顔から血の気が引いた。
激しく咳払いする郁己。
「上田が推薦を受けると言うのは、正直意外でもなんでもないよ。こいつ、一年の頃から全くぶれてなかっただろ?」
「いや、俺は二年からの付き合いだけど、そうなのか?」
「ふむ……厠の話しかせぬ男だと思っていたが……」
「そう。上田はな、一年の頃からトイレをこよなく愛する男であり続けたんだよ」
「ぐぬぬ、解せん! な、なんでそんな男にこんな可愛い彼女がずっと……!」
「悠介くんは、いい人だよ?」
「グワーッ!!」
「下山! 下山ーっ!! いかん、これは致命傷だな。ああ、坂下、続けてくれ」
「お、おう」
国後が下山を床に除けた。
気を取り直して、郁己。
「二年間、あるいはそれ以上の時間をひとつのことに費やし続けてきたんだ。そりゃ、他の連中と比べれば大きな差がついててもおかしくないだろ? 上田はもう、プロとも交友を持ってるからな。遠からず本格的にその道に進む事はわかっていたことだ」
「なんだなんだ。今日は俺を褒める大会か何かか……!? す、すごく居心地が悪いぞ!!」
「上田くん褒められ慣れてないからねえ」
「これから、もっと、もっと褒められる、よ」
「一番は楓ちゃんが褒めてくれるもんね」
勇太の言葉に、楓は頬をちょっと赤らめて頷いた。
「うわ、上田、今凄い顔してるぞお前」
「いやー、男の子ってここまで顔が緩むんだねえ」
「勇ちゃん、も、郁己くんと一緒の時、とか、私や夏芽ちゃんにくっついてると、こういう顔、してる?」
「え!? ほ、ほんと!?」
慌てて自分の顔をペタペタやる勇太。
「うふふ、冗談、だよ」
「ええええ」
変な汗をかいた勇太である。
楓もこんなジョークを言うようになったとは、と、親友の変化が喜ばしい勇太。
そんな彼らの横で、下山はひたすらダメージを受け続けるのであった。
「くっ、くそおっ、お、お、俺は負けんぞぉぉっ……!!」