板澤姉妹のおしゃべり
滞りもなく入学式は終了し、元中学生たちは新一年生として、高校生へのランクアップを果たしたのである。
「それでさ、聞いてよお姉」
「あによ」
何か忙しく、スマホをいじっている小さな影に向かい、板澤鈴音は言葉を発する。
「うちのクラスでさー。学校見学会の時は学ラン着ててさ、ちょっと生意気だけど可愛い顔した男子がいたんだけどさ」
「ふんふん」
「それがさ、なんと入学式ではボレロを着てるの! 信じられる!? 女子の制服だよ! ありえなーい!!」
「ふんふん」
「でさ、女装だと思って、私ったらそいつのさ、あ、そいつ一弥っていうんだけど、夜鳥一弥だって。名前超かっこいいんだけどー」
「ふんふん」
「ちょっとお姉!! 聞いてる!?」
「うっさいわねー」
ぎろり振り向く、さらさらロングヘアの女の子。
彼女こそ、鈴音の姉、小鞠である。
身長差で実に12センチメートル。体型だって全然違って、並んで歩くと鈴音が姉だと思われるような、そんなミニサイズの姉だ。
だが、ちっちゃくて可愛らしい外見とは違い、小鞠が内に秘めるのは肉食獣の獰猛さである。付き合いが長い妹の鈴音は知っている。
とりあえず怒らせると物凄く怖いので、すっかり背丈を追い抜いた今でも、姉に逆らう事ができない。
彼女の事を、対外的には「お姉ちゃん」、家の中では「お姉」と呼んでいる。
「……お姉、怒った?」
「怒ってないわよ。あたしを瞬間湯沸かし器かなんかだと思ってる?」
「……思ってる」
「鈴音あんたねー!」
「ひゃー!! ごめんなさーい!」
といういつも通りのやり取りがあった後でだ。
「ふん、あれでしょ。中学までは男だったけど、高校に入って女になったのよ。この学校じゃ珍しくもないじゃない」
「え、えええええええーっ!? そそそ、そうなのぉーっ!?」
数日前まではそんな非常識な、と切って捨てていたであろう小鞠。
彼女も既に、そんな非常識な世界の住人である。
何せ付き合いの長い友人が、そういうタイプの子だったのだ。
聞けば二年にもいるらしいとか。
毎年一人いるんじゃなかろうかと思う。
だが、鈴音にとっては驚きの一言である。
「私、そんなばかなって思って、一弥の股間を握っちゃった……。確かに無かった」
「……あんた大胆ねー。あたしでもそこまでしなかったわよ」
小鞠は胸を揉んだだけである。
その後巻き込まれて散々首筋や腕を触られた。
「それでさー、一弥とケンカしちゃって。入学早々気まずいんだけどー」
「ふんふん」
「あー、またスマホいじってる。なにやってるの? ショコラトークしてんの?」
ショコラトークはスマホで短文のやりとりができる、チャット形式のアプリである。インターネット回線を使って会話だってできる。
「まあね。情報収集ってやつよ」
「へえ、何の情報なん? なんかイベントあんの?」
「イベントって言えばイベントねえ」
ニヤリ、と小鞠が不適な笑みを浮かべた。
「うわ、悪そうな顔」
「うっさい。それより鈴音、あんたその一弥ってのに謝っておきなさいよ」
「ほえ、なんで?」
「例えばあんたが、いきなりその無駄にでかい乳を鷲づかみにされたらどうするよ」
「訴える!」
「おばか! まあ、でも怒るっしょ? あんたはそいつの大事なところ……まあ、無くなっちゃってるんだけど、そこんところ掴んだわけだから一方的に悪いわけよ」
「えー、だって中学の頃の男子は何も言わなかったよ?」
「泣き寝入りしてんのよ、おばか。ってか、あんた昔からそんなことばかりしてんの!? もう、図体ばかりでかくなって中身は小学生か!」
「えへへ」
「自覚ありかー!」
「でもま、なんか分かった。いちお、謝っとくね」
「よろしい……っと。よしよし、これでうちの方は終ね」
どうやら小鞠の作業が終わったらしい。
「なんかさ、お姉、ちょっと大人っぽくなったよね」
「そ?」
「うんうん、そこまで人の気持ちとか考える人だと思ってなかった」
「おい!」
小鞠の頭突きが決まり、鈴音はソファから転げ落ちる。
「あだだだだだだだ!? おおお、お姉のヘッドバットは凶器なんだからダメー!! 私の脳細胞が死んじゃう!! おばかになるー!!」
「元からおばかじゃない」
小鞠はスマホでやり取りした内容を、簡単にまとめつつフンスと鼻息を吹かせた。
彼女が行っていた情報収集は、先日の勇太の正体暴露事件に関することである。
クラスの仲間たちの目撃証言などをあたり、あの日早く来ていたクラスメイトがいなかったかどうかを確認している。
学園の生徒がやったとは思いたくないが、内部犯の可能性が高いと考えざるを得ない状況。
なぜなら、学園入り口には守衛さんが常にいて、外部から入ってこようとする人間に目を光らせている。
学園は山一つを切り崩して作っているから、入り口以外から登ってくるのも大変に難しい。山を越え、雑木林を抜けて、川を渡ってくるほどの根性がある人間が、あのようなせせこましいいやがらせをするだろうか。
ちなみに情報収集の成果はあり。
何名かの生徒が早朝に登校してきていたらしい。
小鞠のクラス、三年三組には該当者一名。真面目な印象の男子生徒だ。生徒会に所属しているわけでもなく、二年次のクラス委員であったわけでもない。
そもそも始業式で、早めに登校する理由が無い。
「こいつをまずは調べないとだわね」
利理と洋子と連絡を取り合い、明日の動きを決定する。
あれ以降、怪文書が再び現れることは無くなっている。
勇太に関する写真もコラージュだと言う話になり、表向き騒ぎは沈静化していた。
だが、金城勇太を知る者たちの中に、小さからぬしこりを作った事は間違いない。
小鞠はそれがムカつくのだ。
「絶対これって、やった奴の根性が腐ってるわよね。ぶっ飛ばさないと気が済まないわ」
しかし、である。
相手は男子だ。こちらのクラスで小鞠の仲間は、竹松利理と張井洋子。
二人とも腕っ節に自信があるタイプではない。むしろ肉弾戦なら小鞠の圧勝だ。
「ここは……奴を詰めるのに男手が必要よね。辰馬を使うか」
張井辰馬は洋子の弟。
一見して小柄でなよっとした中学生男子だが、ちょっと異常なくらい打たれ強い。
外見的威圧感は無いが、そもそも小鞠が縁がある男子は辰馬くらいしかいないので、そいつで妥協する事にする。
いや、縁があると言えばまあ坂下郁己とかいるが……。あれは当事者でもあるのでなんとなく腹が立って勘定には入れないでおく。
あとは洋子が上手くやれば、ひょっとすると生徒会長の和泉が動いてくれるかもしれない。
「ふむ、ふむ……」
小鞠の脳内で事件解決に向けたストーリーが組みあがっていく。
まずは取り囲んでボコボコに……いやいや。問いただし、しらばっくれたらボコボコに……いやいや。証拠をつきつけて、真実を語ってもらう事にしよう。
もしかすると無関係なのかもしれないが、そうだったらその時のこと。
挑戦する前から失敗の事を考える奴がどこにいるのだ。
「よし、ミッション完成! 一斉送信!」
ポチッと文章を流すと、小鞠コミュニティへとミッション案が投稿された。
「目に物見せてやるわ! 震えて待っていなさいよ!」
「こわあ! お姉がなんか悪巧みしてる! こわあ!!」