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翌朝、検診を受けて問題無しと判断され、昼に退院の許可が出た。朝霧さんの話によると、大事をとって三日後、つまり6月23日まで休みになるそうだ。
休みの間、小説の執筆もそうだが、連続変死事件の概要を自分なりにまとめてみようか、そんなことを考えていると、スーツ姿の二人の男が病室に入り、こちらに向かってきた。背が高く老けている方が「真田亮介さんで間違いありませんね?」と聞くので「はい、確かに自分は真田亮介ですが」と返した。
「兵庫県警刑事部捜査第一課の篠宮と申します」
続いて若い男のほうが「同じく捜査一課の九城です」と名乗り、黒の手帳を見せる。いわゆる警察手帳だ。
慌てることはない、単なる事情聴取のはずだ。そう言い聞かせるが、空気がピンと張り詰めるのを感じた。
「真田亮介さん、お聞かせ願いたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「……どうぞ」
「それでは。6月17日、舞子駅前のコンビニであなたと一緒に勤務に就いていた朝霧由紀江氏の話によりますと、25時35分頃、店に来た塩見昭仁氏の応対をした数分後、お釣りを渡し忘れたことに気付いて、舞子公園へ向かう塩見氏を追って行った。その話に間違いはありませんか」
あのサラリーマンのおっさんは塩見昭仁と言うらしい。
「はい、それで間違いありません」
朝霧さんの認識通りだ。お釣りを渡し忘れたという事実は無いが。
「ちなみに、塩見昭仁氏とはお知り合いですか?」
「いえ、顔に見覚えはありませんし名前も初めて聞きました」
「わかりました。では次に、気を失う直前に何か変わったことはありませんでしたか?」
おっさんが突然倒れ、俺は体に群がる奴らを夢中で振り払っていた。などと言ったところで信じてもらえるわけがない。
「ちょうどお釣りを手渡したくらいですかね……、その塩見という人が突然倒れて、声をかけたんですけどまともに返答してなくて」
「返答とは?」
「あー、とか、ううー、とか。言葉になってませんでした。それから、自分にも頭痛が起こり始めて、体が重くなってその場に倒れこんだんです」
あの時自分の身に起こったことを、周りから見てどうだったかを想像しながら話す。が、それが正しいのかどうかはわからない。そう考えると、警察官が俺に向ける視線が、疑惑の目に見えてきた。心なしか居心地が悪くなっていく。
「……えっと、まさか俺、警察のご厄介になるんですか?」
一瞬頭に思い浮かべたことが声に出てしまった。どうも冷静さを欠いているらしい。案の定彼らは「なんじゃこいつ」と言いたげな顔をしていた。
「あ、違うんですか」
「そんなわけないでしょう。塩見氏は発見時、すでに体内に水分がほとんど残ってない、骨と皮だけのような状態で発見されたんですよ。目立った外傷も無いし、真田さんが店を出てから、塩見氏を発見するまでの短時間であんな状態にすることが可能とは考えられません」
九城という男は険しい顔をしている。わけのわからんことを言われて気分を害しているようだ。
「そ、そりゃそうですよね……。あは、あははははは」
安堵した。と同時に恥ずかしさで顔が熱くなる。
「それより真田さん。突然ですがこいつに見覚えはありませんかね」
篠宮が、持っていた鞄に手を突っ込み、ポリエチレンの袋を取り出す。「H12.06.18 神戸市垂水区東舞子町 舞子公園内不審死事件」と記されたラベルが貼られていた。あの日、現場にあったものなのだろうか。
中に入っているのは、薄く、やや黄味がかった小指ほどの大きさの粒である。それが、あの時起きた出来事と関連性があるとはとても考えられなかった。
「なんですか、これ」
「豆です」
「いや、そりゃ見たらわかりますけど。こんな豆が何か関係あるんですか?」
「実はね、あの現場で倒れている真田さんと塩見氏の周りに、この豆が無数に散らばっていたんですよ」
「……見覚えは無いです。自分があの場にいた時、それらしいものは見当たりませんでしたし」
近くに街灯があったとは言え、あたりが暗かったので気付かなかったのだろうか。それにしたって不可解だ。
「やっぱりか……」と篠宮が呟く。
やや香ばしい色に染まった豆は、節分の日に、鬼は外福は内などとのたまいながら撒くそれを連想させた。今は六月だ、季節外れにもほどがある。
「倒れた体の上に降りかかるように散らばっていましたし、体に乗っていたものを調べても土などが付着した痕跡はありませんでした。第一発見者の朝霧氏も、見つけた時はすでにこの豆があったと証言しておられましたから、あなたが意識を失ってから発見されるまでの間に何者かがこれをばら撒いたと見て捜査しています。気を失う前に、近くに誰かを見かけたりしませんでしたか?」
続いて、九城が質問をする。
「さあ……。国道に出れば通行人がいたかもわかりませんけど、公園内に人がいたようには思いませんね」
「そうですか……」
「しかし、なんなんですかね、これ。最近似たような事件がよく起こってますけど、その現場でもこんなものが見つかってるんですか?」
「いえ、このようなものが見つかったのは今回が初めてです」
「ふーん……」
この豆は一体何を意味するのだろうか。
「お聞きしたいことは以上です。お手数をおかけしました」
「あ、いえ、お力になれたかどうか……」
はっきり言って、有益な情報を話せたかはわからない。警察も、状況確認が目的で俺の元を訪れたのだろう。
「それでは失礼します。何かあの日の事件について、気付いたことがあれば、どんな些細なことでもよろしいので、ご連絡ください」
九城と篠宮は一礼して病室から退散していった。緊張の糸がほどけて、息を長く吐き続ける。
とにかく、俺に疑いの目がかけられている心配は無いみたいで、心の底から安堵した。
現場にあったという豆、あれは気にならなくもないが、緊張状態にあった体が脱力した拍子に頭から抜け落ちてしまっていた。
昼食を終え、午後には無事退院することができた。勤務先のコンビニに自転車を置きっぱなしにしているので、自宅まで歩いて帰ることにする。
二日も寝っぱなしだったからか、視界が暗くなったりふらついたりするが、歩く分に支障は無かった。舞子台三丁目のバス通りに沿って進んで行く。空模様はあまりよろしくなく、太陽の光は届いていないものの、いやに暑い。俺が病院にいる間にまた気温が上がったみたいだ。
そう言えば今朝のニュースで、神戸市は30°Cを超えると予報されていた。この分だと俺の部屋にも相当熱気がこもっているに違いない。まだ六月だと言うのに、ここまで暑くなられてはたまったものではない。こんなしょぼくれたフリーターにエアコンを買う金など無いのだ。
信号を渡り、やがて東舞子小学校前に差し掛かる。授業中なのだろうか、時折聞こえる子供の声を聞きながら、今後の予定について考える。
今回の件もあって、バイトはしばらく休みだ。帰って小説の執筆と行きたいところだが、それよりも気になることがあった。垂水区内を中心に多発している連続変死事件についてだ。時間に余裕がある今のうちに調べておきたい。
触らぬ神に祟りなしという言葉がある。確かに、自らに何の関係も無ければこの事件に無闇に関わるべきではない。しかし、事件に巻き込まれたとあっては話は別だ。あのようなことがあって、再び変死事件が起きた時、何食わぬ顔で日々を過ごせる自信は、俺にはない。
それに俺は誰が、……と言うより何が事件を引き起こしているか知っている。撃退する方法を知っているわけでもないが、何か手がかりがあるかも知れないのだ。今度は、自分も巻き込まれるようなヘマはやらかさない。
とにかく、帰宅したらテレビと新聞で情報収集をしてみることに決めた。
案の定、俺の部屋は湿気と熱気がこもっており、鬱屈とした空気がのしかかってきた。
住み慣れている部屋なはずだが、二日も帰らなかっただけでここまで印象が変わるものか。「あっつ……」と思わず声に出る。
そんな中で情報を漁ってみるが、テレビのワイドショーを観ても連続変死事件について詳しく報道している番組は今のところ無い。新聞も取っていないし、パソコンなどという贅沢な物を買う金が無ければ、当然のことながらインターネットで調べることもできない。俺の家だけでは、とても必要な情報を得ることは不可能だと考えた。
であれば、情報のある場所へ赴くだけである。
「図書館行くか。エアコン効いてるし」