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4.


 あの後、朝霧さんは泣き出した俺を静かになだめてから、夕食の買い出しをすると言って帰っていった。あの人には娘がいるらしい、確かに食事の時間が遅れては申し訳ない。

 俺はというと、泣き疲れて気が付けばぐったり眠っていた。体の調子がまだ戻っていないのだろう。



「おはよう、よく眠れた?」

「どうわぁああ!!」

 目が覚めると、一人の女性が俺の顔を食い入るように見ていた。その光景にあまりに驚いたものだから、咄嗟に体を起こすとゴツンと両者の額がぶつかる。俺はその場にうずくまりながら接触部位を押さえ、声にならない悲鳴を上げた。

 痛みが引いてきた所で相手を確認すると、当人は額をさすりながら「痛い」とあまり痛くなさそうに言っている。

「ゆうさん、なんでここに……」

 長い髪をシュシュで纏め、スラリと伸びた体にビジネススーツをまとう女性は、一度ため息をつくと来客用の椅子をベッドのそばに移動させてから腰掛けた。

「失礼な反応をするのね、何をそこまで驚く必要があるのかしら」

「そりゃ起きた瞬間目の前に人の顔があったらビビるって」

「そう。そういうものなのね」

「……何が、そういうものだよ。起き際にそれやるのやめてくれって昔っから言ってるだろ、ったく」

 感情の起伏を感じさせず、淡々と言葉を発する彼女は、大阪の大手出版社に勤務する25歳のOL。ゆうさんと呼ばれているが、本名は真田有希、俺の姉である。

「それより、よく俺が入院してるってわかったな」

「昨日、あなたの仕事先から電話があったのよ。緊急連絡先を私の携帯の番号にしたのはりょうくんでしょう」

「そうだったっけか」

「脱水症状と聞かされたわ。りょうくん、あなた一体どんな生活を送っているのかしら」

「どんなって……、普通の生活だよ」

「日常的に夜勤に入っていて、それでもって勤務中に外で倒れるような生活が果たして普通と言えるかどうか、一度考えるべきだと思うのだけれど」

 ゆうさんは表情を変えず無機質な口調で話をしているが、それでいて視線を鋭く俺に向けていた。適当に話をはぐらかせる空気ではない。だからと言って、連続変死事件に巻き込まれたことをそのまま話すわけにもいかない。話のわからない相手ではないが、残念ながらゆうさんに奴らの姿は見えないし、余計な心配をかけるのも気が引けた。

「すまん、やっぱり無理してたかもしれん。新しい小説で良いネタが思い付いて筆が止まらなくてさ、ちょっと食事と睡眠が疎かになってたかなー、なんて……」

 嘘だ、確かにそうあってほしいものではあるが。

「…………、そう。ずいぶんと調子が良いのね。それで、その新しいネタと言うのはお金になるのかしら」

 話を逸らしたら逸らしたで、容赦がない。

「……まあ、今回は大丈夫なはずだよ」

「そうね、そろそろ結果を出さないと小説家を続けるどころじゃなくなるものね」

 笑えないぞ。

「……りょうくん、今住んでるアパート、引き払ってはどうかしら」

「はあ?急になんだよ」

「今の時給はいくら?」

「1050円だけど」

「勤務時間は?」

「22時から5時」

「一週間に4回入ったとして、一ヶ月でおよそ12万円。そこから家賃と生活費を差し引いたらお金はいくら残る?毎月貯金を増やしているとは言え、取材のために遠出するならお金はかかるし、その間お仕事は休まなければならない。それで生活ができるの?」

 ゆうさんは頭の回転が早く、理詰めで責め立ててくる。

「金がヤバくなったら週5にするなり、他のバイトを入れるなりすれば良い」

「馬鹿なことを言わないで。今でさえ昼夜逆転した生活を日常的に送っているのに、無理をしてまた体を壊せば、医療費までかかることになるのよ。あなたも若いままではいられないの。こんな暮らしをいつまでも続けられるとは到底思えないわ」

「…………それはわかってるけど」

 余計な心配をかけまいと他の話題を混ぜてみたものの、結局心配されている。情けないことこの上ない。

「私は、お父さんやお母さんのように小説家をやめろと言うつもりはないわ。りょうくんに向いていると私は思ってる。けれどもね、お金のためだけに身を削るような生活をしていたら、その能力も腐るわよ」

「じゃあどうすれば良いんだよ、今の家を引き払っても行くあてがないぞ。実家になんか帰れるわけがないし」

 俺は勘当されている身だ。大学時代以来、実家には一度も顔を出していない。

「実家に帰れとは言ってないでしょう。私の家に来なさい。芦屋だからそう遠くはないし、あなた一人が生活するだけのスペースはあるわ」

「ゆうさんの家ね……」

「多少はアルバイトをしてもらうことになるけれど、私の稼ぎも足せば今の生活より負担は減るはずよ」

 姉の家に住み着いて養ってもらうのは釈然としないが、以前からその考えが無かったわけではない。ゆうさんは芦屋市にあるマンションの一室に住んでいる。部屋は3LDKで、確かに一人で住むには少々広い。交通面から考えても悪い話ではないだろう。ただ、問題が二つほどある。

 一つは不定期に親が出現する可能性があること。前述したとおり俺は勘当されており、しばらく親と顔を合わせていない。

 大学を卒業する直前に埼玉に帰省し、小説家になることを伝えると、激昂した親父が、給料が安定しないだの、先行きが見えないだの、そもそも賞を取ったことがまぐれだの、好き放題言ってくるので「ろくに話を書いたこともない奴が知ったふうなことを抜かすな」と突っぱねると「お前の顔など見たくもない、うちの敷居をまたぐな」と言うものだから、売り言葉に買い言葉で「二度と来るもんか、こんなタコ部屋。あんたのその禿げ面、これから先見なくて良いと思うとせいせいする」と言い返して家を出てやった。もし、何かの間違いであの親父と鉢合わせでもした日には、俺の命が無事では済むまい。


 それともう一つ、これもまた相当な問題だった。

「ゆうさんがもう少し掃除できるようになったら考える」

 そう言ってやると、彼女は無言で俺の頬をつねる。

「痛い、痛い。いや、本当に痛いからやめて」

 いつもは無表情のゆうさんだが、この時ばかりはあからさまにむくれていた。


 彼女は整理整頓と言うものを知らない。一人暮らしを始める前から、ゆうさんの周りはよく物が散らかっていた。それなのにろくに片付けもしない。京都の国立大に在学中、住んでいたアパートは訪れるたび足の踏み場も無いほど書籍やら日用雑貨やらが散乱しており、寝床とトイレ以外はまともに掃除していないという有様だった。

 以前芦屋のマンションを訪れた時も、なんら変わってはいなかった。普段は凛とした佇まいで仕事ぶりも優秀だが、日常生活はとても人に見せられない惨状である。

 ゆうさんと同じ空間で生活するというのは、思っているよりも覚悟と労力が必要だ。


「あなたに、私が掃除するかどうかということをとやかく言われると本当に腹が立つ」

 声色が先程より一段階低くなっている。

「だったらせめて、出した物を片付ける習慣くらい付けろよ」

「私の部屋のどこに何があるかなんて、私がわかりさえすればどう見えても構わないのよ」

「自分の住んでる空間を、他人に見られても恥ずかしくない状態に保つのは社会人として必要なことだと思うけどな」

「あなたに社会人を語る資格があるのか聞きたいところね」

 お互いがお互いをじっと睨みつけていると「真田さーん……、夕食のお時間ですよー……」と職員が気まずそうに声をかけてきた。

 はっとしてあたりを見回すと、病室にいる患者とその付き添いの人間が何とも言えない表情でこちらを見ている。どうやら会話が丸聞こえだったらしい。

 途端にやっていることが馬鹿らしくなり、二人声を揃えて「ごめんなさい」と謝った。


 飯にありついていると、あれから黙っていたゆうさんが不意に「考えて欲しい」と声をかけた。

「私の家に来ること。無理にとは言わないけれど、考えておいて。心配なのはりょうくんの体や家計のことだけじゃないから」

「………………」

「最近、この辺りで物騒な事件が起こっていると聞いたわ。あなたもこの町に住んでいる以上、無関係とは言えないでしょう」

「……まあ、確かに怖い事件だな」

 連続変死事件のことだ。無関係でないどころか、すでに巻き込まれているとは言えない。

「私のところでなくても、近いうちに垂水区から離れた方が良いと思う」

 俺の身の安全のためにも、離れるべきなのだろう。ゆうさんにこれ以上心配をかけるのもまずい。

「ああ、……考えておく」

 ゆうさんは俺の返答を聞き取ると、「帰るわ」と呟いて立ち上がる。

「これ、あげる」

 カバンから取り出してサイドテーブルの上に置いたのは、綺麗な形の折り鶴だった。

「……ありがとな」

 昔からゆうさんは、俺が怪我をしたり虐めに遭った時に折り鶴を折って渡してきた。本人はその意図を一切言わないが、励ましの意味を込めているのだと考えている。

「退院はいつできるのかしら」

「多分、明日の昼には」

「そう。あまり無理をしてはだめよ、約束してちょうだい」

「わかったよ」

「それじゃ。今度の休みに、また一緒にご飯でも食べましょう」


 俺が夕食を平らげて、食器を回収しに来た職員が「まあ、可愛らしい鶴」と、ゆうさんがくれた折り鶴に反応した。

「姉がくれたんです」

「へえ、あのお姉さんが。大人しそうだけど、優しい人よねえ。お仕事してる中で、二日続けてお見舞いに来てくれるなんて」

「え、二日続けて?」

「あら、聞いてなかったの?昨日はあなたずっと眠ってたけど、今日と同じくらいの時間に来て、面会時間が終わるまでずっとそばに付いてたのよ」

「………………」

 それを言わないのがいかにもゆうさんらしい。

「あんまり心配かけたらだめよ。あんなに気にかけてくれる人、なかなかいるもんじゃないから」

「……はい」



「……垂水区から離れたほうがいい……か」

 今住んでいるアパートは、神戸の大学に入学した時に入居したところだ。決して綺麗な建物ではないが、安い家賃と、瀬戸内海と淡路島の景色に惹かれて選んだ。垂水区が、入学直前に起きた兵庫県南部地震の影響をあまり受けていなかったことも一つの理由である。最近では明石海峡大橋が開通したことで、淡路島や四国方面へのアクセスも手軽になっている。

 その景色は見飽きるほど堪能したし、今では別段ここに住むのが良いとも考えていないが、引っ越しの費用を考えると、あまり現実的とは言えなかった。ゆうさんを頼る手もあるが、20代半ばのOLの家に、その弟が転がり込んでくるというのは、お互いにとって良いものとは言えない。

 何より、あの事件に実際に直面したことがきっかけなのか、まだ俺がこの町から去るには早いと感じていた。奴らの存在を認識できる奴は極めて少ないだろう。それどころか、俺だけかもしれない。奴らが連続変死事件に結びついていることを確信して、その俺が何も出来ずに去るということは、これから先高い確率で人が死ぬことを知っていながら逃げ出すことになる。

 確かに俺の身の安全を考えたらさっさと垂水区を離れるべきだし、どこの誰とも知らない奴を気遣っている場合でもない。しかし、ゆうさんに心配をかけるのは悪いが、連続変死事件に関与している奴らの姿を視認できる者として、何かできることはないのか。この町に住む住民を守るなどと大層なことを言えたものではないが、解決の糸口があるかないか、せめてそれを確かめてから、引っ越すかどうか決めたいと思った。

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