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目を開くと、見慣れない白い天井が見えた。ここは俺の家ではない。
一体どこなんだと、上半身を起こしてみると左手に何かが引っかかった。
「……点滴?」
左手に管が繋がれている。服装もいつものパジャマではなく病衣だ。部屋を見渡すと、俺のところを含めてベッドが4つある。窓からは離れており、カーテンがかかっているので外の様子は確認できない。
「……病院か、ここは」
なにゆえ俺が病院のベッドの上で目覚めなければならない。意識がはっきりしないのか、記憶が曖昧だ。確か、朝霧さんと一緒に夜勤に入っていた。問題はそこからだ。俺は一体何をしていた。
「何してたんだっけ……」
寝起きでは仕方がないか。そのうち思い出してくるだろう。
体が重だるい、もう一眠りさせてもらうかと上半身を布団に預けたところで、病室にナースがやってきた。
「お目覚めになられましたか」
その声を聞いて、再び上半身を起こす。
「……あ、はい。おはよう……ございます」
頭を下げると、彼女もつられて頭を下げた。
「お、おはようございます」
「……あの、ここは?自分はどうしてここに」
「ここは舞子台病院ですよ。脱水症状を引き起こして意識を失われていたんです」
「脱水症状……」
目の前にいるナース、首から下げられた名札には中里歩美と書かれていた。
「……覚えておいでではありませんか」
「すみません、まだちょっと……」
彼女はいやに神妙な面持ちをしていた。どの程度眠っていたかは知らんが、仮にも患者が目覚めたのだから、もう少し嬉しそうな顔をしたらどうなんだ。
「あ、えっと、先生呼んできますね」
そう言って、そそくさと退室していった。なんだか戸惑っている風にも見える。
「……俺、何か悪いことでもしたんだろうか」
必死に記憶を辿ってみるが、頭が上手く回らない。
やがて、先ほどのナースが慌ただしく白衣を着た初老の男を連れてやってくる。内科医の上岡誠という名前だそうだ。
「おはよう、調子は?」
「まあ、なんとか……」
「とりあえず体の様子診てみよか。それから少し、質問したいことがあんねんけどええか?難しいことは聞かへんから」
「はい、どうぞ」
上岡は口の中と目を調べ、聴診器を胸元に当てる。
異常無しとつぶやき、次はバインダーに挟んだ書類に視線を移した。
「じゃあ、ちょっと質問させてもらうで。まず、君の名前から教えてくれ」
「真田亮介です」
記憶のチェックだそうだ。
「年齢はいくつ?」
「24歳」
「生年月日は?」
「1976年の5月8日」
「血液型は?」
「O型です」
「今年は何年?」
「2000年です、平成12年」
「住所は?」
「兵庫県神戸市垂水区舞子台……」
「職業は?」
「しょう……いえ、フリーターです」
それだけ聞くと、上岡は何度か頷き「特に記憶の障害とかも無いみたいやな」と評した。
「しかし、えらい長う寝とったなあ」
「脱水症状でしたっけ」
「せや。昨日一日中寝とったで」
「え、一日中?」
朝霧さんと夜勤に入っていたのが6月17日の夜だ。
「ということは、今日は19日か……」
「びっくりしたで、夜中に搬送された言うからどういうことやって聞いたら、舞子公園で倒れとった言うからな」
「舞子公園……?」
「……あっこで、なんかあったんか?」
「えっと、……何だったかな」
思い出せそうで思い出せない。夜勤の最中、何かに気付いて、外に飛び出したような。
「まあ、もう少しゆっくりしときや。疲れとるんやろ。もうお昼や、中里ちゃん、ご飯用意するよう伝えといて」
昨日は眠りっぱなしだったこともあって何一つ口にしていない。飯の話を聞いた瞬間、強烈な空腹感に襲われた。
「はっはっは、めっちゃお腹鳴ってるで」
上岡にそれを指摘され、俺もつられて笑う。
「ふふふっ、すぐお持ちしますね」
中里というナースもようやく、俺が目覚めてからずっと硬くしていた表情を崩した。
ちょっと可愛い。
ほどなくして昼食が運ばれてきた。病院食というのはあまり美味いものでは無いと言うらしいが、米に味噌汁に鯖の煮付けと、ドレッシング付きのサラダ、デザートにヨーグルトがあり、食事と呼ぶには十分すぎる内容だった。
多少冷えはしていたものの、普段俺が口にしている物に比べれば味も栄養価も格段に違う。腹も減っていたので、およそ病人とは言えないような勢いで飯をかっこんだ。
病院食に満足してしまうあたり、俺がどれだけみすぼらしい生活を送っているかがよくわかる。
昼食を米粒一つ残らず平らげた。体の調子もだいぶ良くなり、意識もはっきりしている。
俺が一昨日夜勤に入ってから、いかにして気を失ったかも思い出した。ナースの中里が話してくれた内容と合わせてもう一度整理をしよう。
日付が変わって6月18日の午前1時30分頃、サラリーマンの男が奴らを引き連れて入店。会計を済ませ、男が店を出てからしばらくして、お釣りを渡し忘れたと言って後をつける。舞子駅とバスロータリーに挟まれた歩道を通り、舞子公園へ入ったところで男が倒れた。男に呼びかけている間に俺も巻き込まれ、そこで意識は途絶えた。
その後、舞子駅前交番に勤務していた警官と、俺がなかなか戻ってこないことを不審に思った朝霧さんが駆け付け、救急車を呼んだのだそうだ。その俺は脱水症状を引き起こしており、丸一日眠った末に今日の昼に目を覚ました。どの過程でそうなったのかはわからないが、気を失う前に溢れるほど群がっていた奴らの姿は、今はさっぱり見えなかった。
それにしても何故脱水症状なのか。水分補給を怠っていたわけではないし、店内は冷房も効いており、体調もいつもと変化は感じられなかった。
最近、垂水区周辺で起きている連続変死事件。被害者は皆、体の水分がほとんど残っておらず、干からびたような姿で発見されていると報道されていた。当然ながら、誰の手も加えられなければ一晩で人間の死体から水分がごっそり抜けることなど考えられない。
だとすれば奴らが人間の体に絡みつき、そこから水分を吸い取っていたのではないか。そもそも奴らは俺に見えて、他の人間には見えないのだ、端から常識が通用するものと考えるべきではない。あの日俺が脱水症状に陥っていたのも、そういうことなら合点が行く。奴らに何の目的があってのことなのか、見当も付かないが。
とにかく、あのままだと俺も連続変死事件の被害者になっていただろう。発見が早かったから助かったのだろうか、何にせよ交番が近くにあったことと、朝霧さんがすぐ駆け付けてくれたことに感謝すべきだ。
しかし、こうなると気掛かりなのはあのおっさんの安否である。俺が、体に群がる奴らを振り払っていた時にはすでに意識を失っていた、間違いなく無事では済むまい。
病院の人間にはどうにも聞きづらいので、点滴が外れたら新聞か何かで調べよう。と、考えていた矢先、一人の女性が慌ただしく病室に入ってきた。
「あ、朝霧さん!」
俺の姿を見るや「さ~な~だ~くぅ~~ん」と顔をぐしゃぐしゃにしながら抱き付く。
「あの、苦しいです、苦しい。締め潰される……」
「良かったねえ、生きててホントに良かった……」
「朝霧さん、……朝霧さん、朝霧さん!!」
三度名前を呼び、ようやく俺の声に反応した。
「静かにお願いします。……周りの人、見てますから」
爺さんやら少年がびっくらこいたようにこちらを見ている。
「あ、あらあら、ごめんなさい。真田くんが目を覚ましたから安心しちゃって……」
「良いんです。それより、ご心配おかけしてすみませんでした。あれからすぐ救急車を呼んでいただいたみたいで、本当にありがとうございます」
「大変だったのよ、なかなか帰って来ないから追いかけてみたら、真田くんが出る前にお店に来た人と一緒に倒れてるんだから。あなたまで死んじゃったら、どうしようかって気が気じゃなくて……」
そう言って朝霧さんはおいおいと泣き始める。同時に、朝霧さんの言葉が引っかかった。
「…………俺まで?」
朝霧さんは顔を上げず、鼻を啜り上げると一つ間を置いて言った。
「真田くんと一緒にいた男の人も病院に運ばれたんだけど……」
そこから先は泣き声が混じって言葉にならない。
あのおっさんは、助からなかったらしい。
「………………」
言葉が出なかった。
「あの人にも奥さんや娘さんがいたのに、あんな亡くなり方されて……もう本当に気の毒で…………」
俺自身、死に直面していたことはなんとなく理解していたつもりだ。だが、サラリーマンのおっさんが亡くなったと聞いたことや、俺が一命を取り留めて涙を流して安堵する朝霧さんを見たことで、その事実を改めて認識すると、言葉にしようの無い感情が溢れる。
いつまでも泣き続ける朝霧さんにつられたのか、俺も涙をこらえることができなくなった。




