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…… 続いてのニュースです。今日未明、神戸市垂水区、霞ヶ丘駅前の路上で中年男性の変死体が発見されました。被害者は市内に住む会社員の清水恵一さん45歳です。清水さんの遺体に目立った外傷は見られませんでしたが、体内の水分がほとんど残っておらず、干からびたような状態で発見されたことから、兵庫県警は近頃県内で多発している連続変死事件と何らかの関係があると見て捜査を進めています。続いて、明日の気象情報です ……
テレビの電源を切り、一度舌打ちする。部屋にはぐしゃぐしゃに丸めた原稿用紙が散らばっていた。出来は良かったはずだ。多少なりとも自信を持って出版社に、三ヶ月かけて作り上げた原稿を持って行ったのだが、担当の人間には良い顔をされなかった。要するにお前の話はつまらん、わざわざ本にしてやるほどの物でもない、ということらしい。
だったら、次はてめえに文句など言えないような小説を書いて持ってきてやると、毎度嫌味を言われるたびに意気込んでいたのだが、それもこれで六度目である。いよいよ精神が参ってくる頃合いだ。
「こんなはずじゃ無いんだがな」
そう呟くと、自然とため息がこぼれ、衝動のまま無造作に伸びた髪を掻きむしった。一頻りそうやった後置き時計に目を向け、そろそろコンビニの夜勤に行く時間だと気付いて重だるい体を起こし、外出の準備をする。そう言えばニュース番組でも報じられていたが、近頃では俺の住む近所でわけのわからん事件が多発しているそうだ。防犯のために夜道を出歩くことを控える声が彼方此方で上がっているが、そんなことより俺が明日の飯を食う金を稼ぐことの方が重要である。
一度賞を取って本が売れたからと言って、一生安泰という訳ではない。その後も本が売れなければ、小説ばかり書いて生活するわけにも行かないのだ。
ガスの元栓を締め、部屋の電気を消し、戸締りをして、玄関のすぐそばに置いてある自転車を引っ張り出す。空気が妙に湿っぽい、これは一雨来そうな匂いだ、そろそろ梅雨時に入る頃か。と考えると、より一層気が滅入り、自転車を漕ぎ出す前にもう一度舌打ちをした。
「真田くん、今日なんだけど小川さんが突然入院したらしくてさ、他に代わりがいないから悪いけど今日一人で入ってくれる?」などと抜かした店長が、俺に有無を言わせずそそくさと帰りやがってから三時間ほど経った。商品の補充や店の掃除を済ませ、時計を見たら1時を回った頃だ。駅前に位置するだけあって、俺がレジに入ってしばらくは結構な数の客を捌いていたが、終電の時間になると店内に俺以外の人間はほとんどいない。時折、脳みその緩そうな若者と幸薄そうなオヤジが入店するが、別段説明するほどのことでもないだろう。
「いらっしゃいませー」
若い女がカゴを持ってレジにやってきた。目に悪そうな金色に髪を染め上げ、ケバケバしい化粧をして、露出の多い派手な服を纏っている。それでこんな夜中に外を出歩いているのだから、こいつはどうしようもない奴に違いない。
「お会計は780円になります」
と、商品を袋詰めしている最中に妙なものを見つけた。手のひらくらいの大きさの小人のようなものが4、5体、女の身体を這い回っている。
「……何じろじろ見てんの?」
「え、あ、いえ。申し訳ございません。こちら商品でございます」
女は訝しむように俺を見、やがて商品の入った袋を俺から取り上げて退店していった。
この分だとあの女には自覚が無いみたいだ。だとすれば、例のアレである。
昔から得体の知れない小型のヒトのような形をしたものが周りをうろちょろしていることが時折あった。黒い褌を身に纏い、まん丸な顔にウサギの口のようなものが付いている他は目も鼻も耳も見当たらず、つんつるてんである。
奴らは俺の元に不定期に現れ、何も知らない幼少期の俺はその存在に対して素直に反応し、周囲から気味悪がられた。そんな経験を繰り返すうちに、こいつを視認できるのはどうやら俺だけらしいと考えるようになっていた。霊感とか言った類の物なのだろうか。
何故奴らが今、あの場で現れたのか。あれが一体何を示しているのか俺にはよくわからないが、経験上あいつらの姿を見た後、俺の周りでろくなことが起こったためしが無いのは確かだ。
物を失くしたり怪我をしたり、災いをもたらす何かなのではないかと考えている。できれば見たくもない。
「……景気悪いなあ。こりゃ俺の書いた本が売れるのも当分先かも知れねえ」
ただでさえ下り坂な俺の気分をさらに落としながら、退屈な業務へと戻る。
「おはようございます」
あれから4時間が経ち、朝勤務の男が眠い目をこすりながらやってきた。確か、平沢という名前だったか。
もうすぐ5時になる、交代の時間だ。客は多くなかったとは言え、夜中に七時間一人でレジに立つものではない。無茶なことを言いやがった店長の野郎には後日ガツンと言って、ついでにボーナスと休みをふんだくってやらねばなるまい。
「そうだ、真田さん。西舞子2丁目のバス停のところの交差点でパトカーとか救急車が来てましたよ」
平沢は控え室の扉に手をかけたところで口を開く。
「えっと、焼き鳥屋があるところ?」
「そうです、線路沿いの。人が死んだらしいです」
「死んだ?もしかして、例の連続変死事件ですかね」
「さあ……、わからないけどその可能性は高いと思います。昨日も霞ヶ丘でありましたよね。物騒だなあ……」
さも他人事のように言う。
「ええ……、早く犯人捕まって欲しいですね」
かく言う俺も他人事と捉えることしかできなかった。身近に降りかかることが無ければ、事故が起きようが人が死のうが、自分に無関係ではないと考えきれないのが人間の悲しい性なのだろう。
タイムカードを押し、レジの鍵を平沢に渡して、俺はコンビニから退散した。
「じゃ、後よろしくお願いします」
「あ、はい。お疲れ様です。夜、雨降ったから滑らないように気を付けて」
雨に濡れた道を走り、帰宅したのが5時30分。そこからシャワーを浴びて一寝入りし、7時頃になって一度目を覚ます。決して目覚めは良くなかったが珍しい話でもない。
コッペパンと牛乳を引っ張り出してテレビを点けると、今日も垂水区内で変死事件が起きたと報道されていた。遺体の発見場所は、舞子台5丁目と6丁目。それに西舞子2丁目の境目にある交差点。JR神戸線と山陽電鉄が並走する線路の北側。今朝、平沢が話していた場所と同じだ。
被害者は市内に住む20歳の女性、名前は橘祥子。
「この女って確か昨日店に来たよな……」
顔写真が映し出された。金髪に濃い目のメイクをした、あまり頭の良さそうとは言えない風貌である。バイト先で見る顔など様々であるし、一々覚えてもいられないが、この顔にはピンと来た。のっぺらぼうの小人が彼女の身体を這っていたからだ。
「……まさか」
まさかアレがこの事件と関係があるのではなかろうか。
「いや、そんなはず無いだろう」
一瞬そんな考えが浮かんだが、即座に否定する。
連続変死事件が起こり始めたのは今年に入ってからだ。一方で、俺の目にしか見えないアレは幼少期、それに関東に住んでいた頃から目にしている。確かに奴らが現れると良くないことが起こる傾向にあるが、だからと言って、最近発生し始めた事件と結び付けるのはいささか安直ではないか。
奴らに憑かれていた女が死んだのは偶然に過ぎないだろう。大体、関係があったとして、普通の人間には見えないものをどう説明すれば良いのだ。対処方法がわからなければ、解決のしようも無い。下手に介入してしまえば、俺は間違いなく頭のおかしい人間として見られる。否、それだけで済めばまだマシと考えるべきだ。
「……とにかく、これ以上俺の近くでこんな気味の悪い事件が起こらないように祈るだけだな」
ところが、俺のそんな祈りは無残にも打ち砕かれることとなった。