棄権しても公平性が損なわれるだけなので、選挙投票には行きましょう
ある日、ネット上にこんなタイトルの記事が躍った。
『政治不信を主張する為に、選挙の投票は棄権するべきだ』
その内容は簡単に言ってしまえば、どの政治家も信用できないから、選挙になんか行くべきじゃないという、そんなものだった。どうやらそれが抗議行動になると考えているようだった。
確かに直感的には、そう思える。
どの政党も政治家も信用するに値しない。これだと思えるような人は一人もいない。少しはそれを政治家達に思い知らせてやりたくなる。
その主張は多くの人の共感を集め、少しばかり話題になってすらいた。
ところがだ、そのうちにその記事が話題になっているのは、ある政党の支持者達の工作ではないかという噂が立ち始めたのだった。
どういう事か?
その記事は、別に特定の政党や政治家を支持している訳でもないし、批判している訳でもない。公平(?)に全ての政党や政治家を批判している。ある特定の政党が、この記事を話題にするメリットはなさそうに思える。ところが、実際にはこの記事は組織票を持っている政党にはとても有利になるのだ。
何故なら、投票棄権が増えれば、組織票の割合が増える事になるからだ。組織票の割合が増えれば、当然、組織票を持っている政党にとって有利になる。
つまり、投票棄権は、実質的に組織票を持っている政党を応援している事になるのだ。
2000年、森元首相が無党派層について「そのまま関心がない、と言って寝てしまってくれれば、それでいいんですけれども、そうはいかんでしょうね」などと発言したのはだからだ。
2014年12月現在。
未だに一票の格差は是正されず、特定の政党にとって有利な体制が続く中、更に公平性を失わせるような行動を執ってはならないのは、当たり前に分かるはずだ。
もし、組織票の割合を高めてしまったなら、どうなるだろう?
政治家は自分へ投票してくれる層にとって有利な政策を実行するから、その組織が得をするような政策を執るだろう。つまり、組織票の重要性が増せば、その組織の発言力や権力が増す事になるのだ。
結果として、それがその組織以外の人達の負担になる可能性だって大いにある。最悪、ある特定の人達に権力が集中してしまう可能性だって。
アフリカで起業し、成功したある日本人が、日本の政治についてこのような事を言っていた。
「日本人は非常に恵まれている。選挙というトップの人間達へ抗議できるチャンスを与えられているのだから」
アフリカでは、まだまだ専制政治などが多く、どれだけ不満があろうと、国民は力で押さえつけられてしまうのだそうだ。その発言はそんな社会を見続けて来たその人だからこそ出たものだろう。
しかし、いくら選挙投票の権利が認められていても、国民の多くが自らそれを棄権したのであれば、同じ事だ。
似たような体制になってしまう。
どうか、棄権だけは避け、少しでもマシだと思える政党や政治家へ、ちゃんと投票を行って欲しい。
追記。
高齢社会になり、必然的にその負担が若い世代へ向かう社会体制になりつつあります。ところが、そうして若い世代への負担を増やしてしまうと、ますます出生率が下がり、高齢社会が更に酷くなるという悪循環に陥ってしまうのです。
これを回避する為には、余裕のある高齢者への年金の支払いなどを減らし、少しでも若い世代の負担を軽くするといった事が必要ですが、若い世代の人口割合も投票率も低いが為に、とても難しいのが現状です。
先にも述べましたが、政治家は投票してくれる人間達にとって有利な政策を実行します。つまり、ただただ投票するという、その行動にだって確り意味があるのです。それは意見を言うぞ、という主張でもあるのですから。
だから、意味がないなどと思わず、どうかできる限り投票をするようにしてください。