お暇ごいもそこそこに
空は快晴。
本来ならそろそろ浜辺に行きいつもの任務をこなす時間である。
しかし今日の私はまだお布団の中にいた。
「ユキ、大丈夫か?」
「ほら、これお見舞いにって。ばあちゃん特製のおはぎだぞ」
「ユキぃ、ごめんな。ごめんな。俺のせいで……」
「大丈夫だから。あと、おはぎありがとう」
先日の川溺れ事件のせいで私はすっかり風邪をひいてしまったのだ。
溺れた張本人は風邪などひかなかったようなのに……。情けない。
あの後は結構な騒ぎとなって村人からこっぴどく叱られた。
あのお説教の嵐は思い出したくもない。
しかし、溺れた子供の親からはとても感謝された。
泣きながら子供を抱きしめるその姿を見ると助けてよかったなと思えたわけだ。
「ユキからだ辛い?」
「ちょっと怠いだけ。もうだいぶ良くなったよ」
私が風邪をひいたことにかなり責任を感じているらしい子供はこうして毎日のようにお見舞いにきてくれている。
なんだかんだで仲良くなってしまったわけだ。
だけど悪くないと思う。
太郎の言葉にしたがってよかった。
「あ、そうだ。亀を虐めたりしてない?」
「ユキは毎日それだな」
「別に、なんだっていいでしょ。それで? 虐めてない?」
「虐めてないよ。大丈夫」
「そっか」
私が動けない間に、太郎が亀を助けたりしたら大変だ。
しかし、私に恩義を感じているらしい子供は私が風邪の間私の言葉に従ってくれている。
とりあえず、大丈夫そうだ。
「てか、なんで亀だけは虐めちゃダメなんだ?」
「なんでって……不幸になるから」
「え? 不幸になんの!」
「そう、亀を虐めたら不幸になるの! だから虐めちゃ駄目だからね」
「へぇ、初めて知った。ユキは物知りなんだな」
感心したように頷く子供たちに少しだけ良心が疼く。
まぁ、不幸になるのは太郎だけなんだけどね。
「んじゃ、そろそろ帰るな。また明日来る」
「別に毎日来なくてもいいのに」
「来るからな!」
「じゃーな、ユキ」
帰っていく子供たちに手を振った後ため息をついた。
今回のをきっかけに子供たちが亀虐めを止めてくれればいい。
そうすれば、御伽話は成立しない。
太郎が不幸になることもない。
川での出来事は怖かったけれど、これがいい方向に向かう追い風となるならよかったんだと思う。
どうか太郎に幸せな未来が待っていますように……。
私はそう願いながら瞳を閉じた。
***
次の日。
いつものようにお見舞いに来てくれた子供たちがなぜかいつもより楽しげだったのだ。
「何かあったの?」
聞いてくれと言わんばかりのその態度に私は尋ねてみる。
すると、子供はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張った。
「俺たち昨日亀が虐められているところを助けたんだぜ!」
「……え?」
一瞬言葉を失った。
「亀を虐めるって……誰が?」
この村で亀を虐めることを楽しんでいた子供はこの子たちだけだったはずだ。
他の子達はわりと普通の遊びをしている。
それなら誰が?
「俺の兄ちゃん! 浜辺にすげぇでっかい亀がいてさ。それで珍しくて面白いからって虐めてたんだ! でも亀を虐めたら不幸になるんだろ? だから俺たちが助けてやったんだぜ」
「……そう」
この子達以外にも亀を虐める要素はあったのか。やはり気が抜けないな。
まぁでもこの子達が助けたのなら御伽話は成立しない。
あくまで太郎が亀を助けなければ……。
「でもさ、兄ちゃん達全然相手にしてくれなくてさ。だから太郎兄ちゃんに手伝ってもらったんだ! そしたら一発だったぜ。さすがは太郎兄ちゃんだな」
「太郎兄ちゃんカッコよかったよなー」
「うん、すげーカッコよかった。ビシッと叱ってさ」
瞬間、私の思考が止まる。
今、なんて言った?
太郎?
太郎が、何をしたって?
「太郎が……亀を助けたの?」
私は茫然としたまま呟いた。
「うん、そーだぜ!」
嬉々としてその時の状況を話す子供たちの会話が耳をすり抜けていく。
太郎が亀を助けた。
浦島太郎が悪い子に虐められている亀を助けた。
物語が、始まる。
「太郎は!? 太郎は今どこにいるの!!」
私は布団から起き上がると捲し立てるように尋ねた。
私の様子に子供は不審そうな目を向けるが気にしていられない。
「太郎なら、今日は漁に出るって言ってたぜ?」
「そんな……」
頭が真っ白になった。
物語は既に始まってる。亀を助けた浦島太郎。その後は……。
「おい! ユキどこに行くんだよ」
後ろから聞こえてくる声を無視して私は走り出した。
お願いだからどうか、まだ浜辺にいて。
今ならまだ止められる。
忠告できる。
もし亀に出会ってお礼に竜宮城へと言われても絶対に行ってはいけないと。そう言えばいい。
太郎は優しいから、私が一生懸命訴えればきっと従ってくれる。
竜宮城に行かなければまだ間に合う。
太郎は不幸にならない。
太郎は私が守らなくちゃ。
優しくて温かい太郎。絶対に不幸になんてさせない!
まだ少しフラフラとする足取りで私は浜辺に急いだ。
途中、何人もの村人に心配されたがそれらはすべて無視する。
とにかく一刻も早く浜辺にたどり着きたかった。
早く、早く!
いつもならもっと近く感じるのに。
今日はいつにもまして浜辺への距離が遠い。
もっと早く走りたい。もっともっともっと!
「太郎!!!」
やっとの思いで浜辺にたどり着いた私はその名を叫んだ。
しかし、太郎の姿は見当たらない。
慌てて船着き場に向かい太郎の船を探す。
「ない」
そんな……。うんん、まだ諦めるには早い。
最後の望みを託して今度は海へと目を凝らした。
「い、た! いた! 太郎!!!」
海の先、確かにそこに太郎の船が見えた。
「太郎! 太郎!」
私は声の限りその名を叫ぶ。
行ってはいけない。行かせてはいけない。
考えている暇などなかった。私は海の中に飛び込む。
「太郎! 待って太郎!!」
自分でも馬鹿だなって思う。
ただ同姓同名ってだけだ。これで彼が私の知る御伽話の浦島太郎じゃなかったらものすごく恥ずかしいことをしてると思う。
でも、それでも……。もし少しでも彼が御伽話の浦島太郎だという可能性があるのなら私は叫び続ける。
私は彼に救われたのだ。
「ねぇ、よかったら僕とお話ししない?」
前世の記憶のせいで、上手く馴染めていなかった私に声をかけてくれた人。
優しい人。温かい人。
太郎と過ごした時間、私は幸せだった。
だから今度は私が太郎を幸せにしてあげたいと本気で思っていたんだ!
「太郎!」
でも、やっぱり私の願いなんてちっぽけなものでしかないのかもしれない。
体の力が抜けていく。
もう、泳げない。叫ぶ力もない。
「た……ろう」
ごめんなさい。ごめんなさい。
私は貴方を守れなかった。
貴方を幸せにできなかった。
ねぇ、神様。
結局こうなるのなら、物語を変えることが出来ないのならどうして私は前世の記憶を持って生まれてきたの?
何のための記憶なの?
「ごめんね、太郎」
次の瞬間。私の意識は途絶えた。