そういう条件
「三つの部屋が横並びになっていて、向かって一番左側の部屋。そこで私と何かしらの会話をすること。部屋の中には私と相手の二人だけであること。……そういう条件だろうと思うんです」
うちの探偵事務所にやって来た片岡と名乗った依頼人は、そう話を始めた。
小さな事務所で少人数なもので、今は俺以外は全員出払っている。本当はもう一人事務の女が来ているはずだったが用事で遅れるとさっき連絡があった。もともと誰か依頼人がくれば俺が対応する予定だったので支障はないが、先程からのこの片岡さんの話に多少ならず馬鹿馬鹿しさを感じている俺にしてみれば、共有できる奴がいれば気も紛れるだろうにと思うわけだ。
片岡さんの話をまとめると、彼女には人を行方不明にさせてしまう不思議な力があるかもしれないらしい。
彼女がポツリポツリと話すのを我慢強く聞いているわけだが、だいたいこうだ。
まず一人は、片岡さんが中学生だった頃に同じマンションで家族ぐるみで仲良くしていた大学生のお姉さん。それまでもお互いの家で何回か勉強を教えてもらう機会があったが、その日はお姉さんの家に行くと両親は出掛けていてお姉さんと二人だけだった。普段と変わりなく勉強を教えてもらい片岡さんは自分の家に帰ったが、その夜からお姉さんは忽然と消えてしまった。その後、片岡さんは親の都合で引っ越してその家族とは疎遠になったということだが、お姉さんは未だに見つかっていないそうだ。
次の一人は片岡さんが通っていた大学の講師。講義が終わってから教室に忘れ物をしたことに気付いて取りに戻ったところ、講師が一人で片付けをしていた。特に親しいわけではなかったが、どうしたのか、と聞かれて忘れ物を取りにきたことを答えたということだ。講師は次の講義を連絡もなく休み、それ以降姿が見えなくなったらしい。
他の学生達の噂で聞いただけで当時そんなに気にしてなかったそうだが、今になって思い返すと最初に言った条件に当てはまる。
マンションはひとフロアに三部屋以上はあるが、くの字型で途中で角を曲がって部屋が配置されているため、お姉さんの家はちょうど三部屋横並びになっているところの向かって左側だった。いつもは母親が家にいて、お姉さんと二人だけというのはその時がはじめてだったと思う、とのことだ。
大学の教室は、まさに三室並んだ一番左端にあった。数人以上の生徒や講師がいることがほとんどだったので誰かと二人きりになるのは、やはりそれがはじめてだというのだ。
そんな話をかれこれ数十分。
片岡さんはおそらく二十代後半くらいだろう。大学時代の話だって数年前のことだ。記憶だって曖昧な部分も多いように思えるが。
「私だってそんな馬鹿げたことがあるなんて本気で思ってるわけじゃないんですけど」、という言葉を連発しながら、片岡さんの話はまだ続いている。
今は数週間前に起きた、職場の女性の先輩の失踪についてだ。
だいぶ終盤に近づいてきたと思ってもいいいだろうか。
「あの……私、最近転職しまして」
「ほう」
「行方不明になったのは、新しい職場の先輩なんですけど。……場所はトイレなんです」
「はぁ」
今度はトイレか。
「トイレに入ると3つ個室があるんですけど、一番奥の、向かって左側の個室に入ったんですよね、私。そしたらトイレットペーパーが少なくなってることに気付きまして。新しいのを補充した方がいいかな、と思ったんです。でもほら、新しい職場だしペーパーのストックがどこにあるのか分からなくて。どうしようかなと思いながらも個室から出て手を洗ってる時にちょうど先輩が入ってきたんで、聞いたんです。面倒見のいい人で、ストックしてある場所を教えてくれたのはもちろん、そこから新しいトイレットペーパーを取ってきてくれて。さらにその個室のトイレットペーパーホルダーがなんか立て付けが悪くて、こうやってここを押さえないとうまくペーパーの交換が出来ないのよー、ってわざわざやって見せてくれて。私はその様子を後ろから覗きこんで、そうなんですかーって聞いてました」
「なるほど」
そのトイレの出来事の細かい状況説明はどうしても必要ですか、といつ口を挟もうか。
「そして、私はお礼を言って個室から出て、先輩は当然トイレに用を足しにきてたわけですからそのまま中から個室のドアを閉めました。それで、私は仕事に戻りました」
今までの話からすると、もしや……
「それから誰も先輩の姿を見ていません」
やっぱりか。
「つまり、あなたの先輩はあなたと話した時までは普段と違う素振りは全くなかったのに、突然失踪してしまったということですね。他の二件の時と同じように」
「はい……。忽然と姿が消えてしまったんです」
「そうですか」
「なかなか先輩がデスクに戻って来ないので、私はトイレに様子を見に行きました。そしたら、一番奥の、先輩が入っていたはずの個室が閉まったままになってたんです。別の人が入ってたら申し訳ないなと思いながらも外から何度も声をかけたんですが、全く応答はありませんでした。先輩じゃなかったとしても、中で誰か倒れたりしてるのかもしれないって思って。上司に言って、業者の人を呼んで外から無理矢理ドアを開けてもらいました」
「……そうですか」
なんとも返事のしようがなくて俺は同じ言葉を繰り返した。
「そしたら、中には誰もいなかったんです……」
……ん?
「誰もいないのに中から鍵がかかってたんですか?」
「そうなんです。トイレの上下に隙間があるわけでもないですし……。ホントに煙のように中の人が消えてしまったような状況でした。ドアを開けてくれた業者の人や、私も含め様子を見にきていた他の社員も狐につままれたような感じで……」
その時のことを思い出してか、片岡さんは眉根にシワを寄せて考え込むような顔で少しうつむいた。
それは確かに不思議な話だ。
まだ話は続きそうなのでしばらく待って問いかけた。
「それで、どうなったんです?」
片岡さんはハッとしたように顔をあげて、続きを話し始めた。
「ああ、えっと。結局、誰かがイタズラで何かしらの方法で外から鍵をかけたんだろうってことでその場は終わって。もちろんそんなことしそうな人なんて思い付かないし、皆が釈然としない感じだったんですけど、他に考えようもなくて……。まぁ、そんなこんなでバタバタしたんですけど、結局先輩は見つからなくて。それから家族の方は捜索願いを出したり、色々心当たりを探したりはしているようなんですが見つからず……。会社のデスクに携帯も財布も置いたままになってましたし、何か事情があって姿を消すにしてもかなり不自然な状況だと思うんです」
話を聞く限り、まだ転職したてで付き合いの浅かっただろう片岡さんに、先輩が姿をくらます理由を伝えるとは思えない。一人でなんか溜め込んでもう嫌になって心機一転どこかで暮らしてる可能性もあるだろう。携帯とかを置いて行ったのだって探されないようにわざとそうした可能性もあると思うけどな。
他の二件だってそうだ。
仲が良かったとしても、大学生のお姉さんがまだ中学生だった片岡さんに深刻な悩みを打ち明けたりはしないだろう。
大学の講師は言うまでもない。
その後もしばらく片岡さんの話は続き、俺は辛抱強く相づちをうちながら聞いていた。
その三件以外にも私のせいで人がいなくなってしまっていたらどうしよう、考えれば考えるほど何か不思議な力が働いて三人が姿を消さざるをえない状況になってしまったように思える、とひとしきり話が続いた。
俺はなんとか話をまとめ、その三人の行方を探すことを依頼として受けることになった。
依頼書の記入と必要事項の聴取を終えて、ようやく一段落つく。
「すいません。私だってそんな馬鹿げたことがあるなんて本気で思ってるわけじゃないんですけど、どうしても気になってしまって。三人のうち一人でも無事に暮らしてる現況が確認できれば、私のせいでいなくなったなんて思わなくて済むと思うんです」
片岡さんは帰り際にそんな風に言った。
心配性なだけでオカルト好きな変人というわけではないようだ。探偵事務所に来るのだってかなり迷っていた様子だし。
俺は帰ろうとしている彼女に向かって声をかけた。
「人が失踪するなんて、世の中では、まぁそれなりの件数起こってることですからねぇ。まわりで続けて起こると心配にもなるかもしれませんが、あまり気にしない方がいいですよ。それに三部屋並んだ左端って条件なら、この探偵事務所もそれに当てはまりますからね。私は失踪なんてしないので安心してください」
「……え? ここ、隣の別の会社の事務所と二部屋だけしかありませんよね?」
「ああ。いえ。ここに来る時、階段上ってきましたよね? 上った突き当たりはなんにもない壁で、左に進むと二つ部屋があってその奥側がうちなんですが、階段上がって右手の方にも一つ部屋があるんですよ。なんで、三部屋が横並びになった向かって一番左端の部屋ってことになりますね」
確かに右端の部屋は今は使われていないため、廊下に段ボールなどの荷物がおいてあって分かりにくくなっているからな。
俺がそう言うと、片岡さんの顔色が変わった。
「そうなんですか!? すいません。気づかなくて。失礼します」
早口にまくし立てるように言って、そそくさと帰っていってしまった。
安心してもらおうと思ったのだが、逆効果だったようだ。
片岡さんの記入した書類などを片付ける。変わった依頼かと思ったが、結局は人探しということで落ち着いたのだから良かった。
自分の意志で姿を消したのか、何かトラブルに巻き込まれたのか。
思いながらテーブルの上にまとめた書類を手に持つ。
……が、急に手応えがなくなって書類が床に落ちた。
あれ?
不思議な感覚に襲われたが、とりあえず書類を拾わなければと思い手を伸ばした。
そしてようやく異変に気付く。
なんだ!? 手の先が段々透明になっていく!?
慌てて自分の体を見渡すと、手だけではなく足の先や、……いや、体全体が徐々に消えている。
なんだこれは!? 助けてくれ!
叫んだつもりの声も、声になったかわからない。何かにしがみつこうと椅子の背に手をかけたつもりが、何の手応えもなくすり抜けた。
ああ。意識もなくなってきた。
……最後に思ったのは、片岡さんの言ってることは本当だったのだなという恨めしい思いと、俺が消えたら彼女の不安がまた増えるのだろうなという奇妙な同情心だった。