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白詰草の華妃  作者: 無色


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3/7

3.星華《シンファ》

 深夜。

 私は喉の渇きで目を覚ました。

 

「うぅ……」


 調子に乗って少し飲みすぎた。

 水差しを飲み干しても喉の奥に残る熱は引かない。

 酔いの余韻だろうか、身体の芯がぼうっと火照って、布団に戻ってもすぐに眠れる気がしなかった。

 少し散歩でもすれば眠気も生じるはずと、私は足音を殺して回廊へ出る。

 深夜の華の宮(はなのみや)は、昼の絢爛さが嘘のように静まり返り、灯籠の淡い光だけが石畳に長い影を落としている。

 香の匂いも人の気配も薄れ、代わりに夜露に濡れた花と土の匂いが、ひんやりとした空気に溶けていた。


「涼しくて気持ちいいわね」


 頬を撫でる夜風が心地よく、胸に溜まっていた酒の熱と一緒に、昼間の鬱屈まで洗い流してくれるようだった。

 喉を潤すために井戸端まで行くつもりが、気付けばそのまま庭園へと足が向いている。

 月は高く白く冴え、池の水面に映った光が揺らめきながら、まるで無数の白詰草の花が咲いているかのように瞬いていた。

 歩く度に衣の裾がさらりと音を立てる。


「少しだけ……ね」


 自分に言い訳するように呟き、私は池のほとりの石欄に腰を下ろした。

 水面に手を浸すと、冷たさが指先から腕へと伝わり、頭の奥の酔いの霞がすっと晴れていく。

 ここが後宮だということを除けば、まるで楽園のよう。

 その楽園に一人だけというのは、贅沢なような寂しいような。

 恋人……とまではいかずとも、せめて友人でも一人いれば、この空間の心地よさを共有出来るというのに。

 この華の宮(はなのみや)でそんな相手が出来るとは思えないけれど。

 ……ちょっと試してみようか。


華精招来(かせいしょうらい)


 小さな光が後方へ飛んでいく。

 その時、カサッと微かな衣擦れの音が背後の回廊から聞こえた。


「誰?」


 隠れる気は無いらしく、その人はすぐに姿を現した。

 私の華術(かじゅつ)の光を手の上で遊ばせて。


「すまない、驚かせるつもりはなかった。何やら気配がしたものでな。何かと来てみれば華妃(かひ)が散歩していたとは。邪魔をした。とはいえ、華妃(かひ)が夜分に一人で出歩くのは感心しないがな」


 何ともまあ顔の整った方だとは、その人に最初に抱いた印象だ。

 高い背に甘い声色。

 まるで絵画の中から出てきた月の精ような美人に、私は思わず息を呑んだ。

 それと同時に、私は光を消し即座に姿勢を正して礼を――――――――しようとして転んだ。


「へぶち!!」


 いけない慌てすぎた。

 いったいこの華の宮(はなのみや)に、華妃(かひ)を敬称無しに呼べる者がどれだけ居ようか。

 否、特段親しい仲を除き、無条件に華妃(かひ)華妃(かひ)と呼べる者は一人しかいない。


「大丈夫か?」


 心配の手を差し伸べられるけど、私は急いで取り繕い礼をした。


「た、大変なる無礼をお許しください! 白詰草の華妃(かひ)四叶(スーイェ)が、親愛なる皇帝陛下にご挨拶を申し上げますと共に、皇帝陛下のお目にかかる栄誉を賜われたこと、百花繚乱の華精(かせい)に感謝いたします!」


 あまりに美しいので月の精と見間違えたのは仕方ない。

 けれど目の前に居るのは、たしかにこの国の皇帝であられる星華(シンファ)様その人。

 たしかに皇帝陛下をお目にしたのは数度、直接お目通りしたのは後宮入りの際に一度だけだった。

 とはいえ気付くのが遅れるなんて、とんでもない失態だ。

 廃妃願望があるとはいえ、この無礼はいけない。

 せめて鞭打ちで済めばいいけれど……ああやっぱり痛いのは嫌だ。


「よい。今は他に誰もおらぬ。それよりも顔を拭うといい」

「は、はい。恐れ入ります」


 た、助かった……

 寛大な方でよかった……

 それにしても……呆けてしまうほど美しい方。

 少し線が細い気もするけれど、それを補って余りある色気はなんだろう。


「寝付けないのか」

「はい……夕餉に少々飲みすぎてしまったようで」

「ほう。白詰草の華妃(かひ)は酒を嗜むのか」

「いつもというわけでは……今日はたまたまにございます」

「そうか。園遊会で見かけたときは、おとなしい華妃(かひ)だと記憶していたが、存外お転婆なようだ」

「それほどでも……あ、あの、陛下はこんな時間に何を……」

「ところで先程の華術(かじゅつ)だが」


 や、やっぱり見られてた……

 というか露骨に話を逸らされた。

 陛下も寝付けずに密かに散歩でもしてたのだろうか。


「白詰草の華妃(かひ)には、失せ物探しの才があると聞いていたが。我はそなたの失せ物であったかな?」

「と、とんでもございません! これはその、たまたま……」

「たまたまそなたの華術(かじゅつ)が我に止まった、と。そんな偶然があるものだな」


 この悪戯めいた笑み……まるで風妹(フォンメイ)を彷彿とさせる。

 まるで、隠し事をすればこのまま不敬に問うことも厭わぬぞ?とでも言わんばかり。

 美の暴力を突きつけられた私は、観念してため息をついた。





 陛下が横に座ったのを機に、私は開口した。


「皇帝陛下に申し上げます。私の華術(かじゅつ)は、ただ失せ物を探すだけのものではございません。言うなれば、対象の幸福の在り処を示すというものです」

「幸福の在り処?」

「そうですね……陛下は今、何か小物を身に着けていらっしゃいますか?」

「髪を結う組紐なら持っているぞ」

「僭越ながら拝借しても?」


 構わぬ、と紺の紐で編まれたそれを受け取る。


「これは陛下にとって大切な品ですか?」

「大切とまでは言わぬが、よく使っているものではある」

「これが無くなったとしたら?」

「代わりのものを用意するが、それが出来なければ困ることもあろう」

「つまりそれは、陛下にとってこの組紐が手元にあった方が幸福である、という状態を指します」


 ふむ……と唸るが、あまりピンときてはいない様子。

 無理もない。

 私でさえ、自分の力を上手く言語化は出来ないのだから。


「そうすると、陛下と組紐の間に幸運という繋がりが生まれます。この繋がりは当然目には見えませんが、私の華術(かじゅつ)はその幸運を辿ることが出来ます」

「幸運の先にあるものが幸福の在り処ということか。ふむ、何ともおもしろい。その華術(かじゅつ)ならば、どんなものでも探し当てられるのか? 失せ物に限らず迷い人も?」

「求めるものの度合い次第と言ったところでしょうか」


 求める人物と品物の持ち主が違えば、上手く術が機能しないこともある。

 対象が品物でなく迷い人の場合も同様。

 その場合は求める側の人物の必死さや懸命さが重要になるけれど。

 ここまで話して、陛下は一言。


「おもしろいな」


 興味深そうに呟いた。


華術(かじゅつ)華精(かせい)の数だけ存在するが、白詰草のそれは初めて見た。他にはどんな事が出来る?」


 なんだかやけに楽しそうな顔をしている。

 そんなに物珍しいのだろうか。

 そういえば陛下の前で華術(かじゅつ)を披露する機会は無かったっけ。

 華の宮(はなのみや)入りしたときも華術(かじゅつ)の披露を命じられた覚えはないし、園遊会でも術を披露するのは主に上級妃だけだったし。


「そうですね……簡単な占いくらいなら」

「そなた占術をやるのか?」

呪い師(まじないし)ほど大それたことはとても。何々すれば吉、どの方角に難有り、という風なことが感覚でわかります。あとは目に見える範囲でなら吉兆凶兆を予感出来ますが、具体的に何があるかは私にもわかりません」

「的中率は?」

「十割ほどでございます」


 数字が立派なだけ。

 とてもじゃないけれど人に誇れるものではない。

 なのに陛下は神妙な面持ちで私を見た。

 にわかには信じ難いという表れだ。

 数拍置いて、陛下は懐から巾着を一つ取り出した。


「この中には飴玉が二つ入っている。片方は普通の飴玉。もう一つには毒が仕込まれている」

「毒?!」

「ここに手を入れどちらか一つをつまみ上げる。それが毒かどうかを占ってくれ」


 ……?

 何かの冗句だろうか?


「お戯れは程々に願います陛下。中身はただの飴玉でございましょう? そちらの袂には、何やらよからぬものを仕込んでいるようですが」


 毒や短刀の類らしい。

 どちらも護身用に忍ばせているようだ。

 陛下は目を丸くした。

 容易く言い当ててしまったけれど、もしかして機嫌を損ねたのではないかと焦った。


「も、申し訳ありませんでした! 余計なことまで……」

「クク、ハハハ! なるほど大した華術(かじゅつ)だ。いや、大した華妃(かひ)だと言うべきであろうな」


 夜の静寂を破るように、陛下はまるで少年のように声を上げて笑った。


「勿体ないお言葉でございます」

「愉しい思いをさせてもらった」


 こっちはいつ無礼を咎められるかとヒヤヒヤしていましたが。

 すると陛下は、私の頬に手を伸ばした。


「月下に咲く華も美しいが、次は日の光の下で咲くそなたとまみえたいものだ」

「ほぇっ?!」


 な、なんという色気……

 免疫が無い私では卒倒してしまいそう。

 また呆けていると、陛下の指に押し込まれ口に何かが入ってきた。


「はむっ?!」


 甘い……飴玉?


「また逢おう四叶(スーイェ)


 気を失わなかった自分を褒めてあげたい。

 酔いは覚めたけれど、これはいけない。

 また別の意味で眠れなくなってしまったと、私は口の中のものとは別の甘さに頬を赤くした。

挿絵(By みてみん)

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