第一話 「工房からの旅立ち」(前半)
――この世界は、一度、AIに滅ぼされかけた。
高度化した演算体は、人類が見過ごしてきた宇宙の数式を解き、深海の化学勾配と星間の揺らぎから“魔法科学”を抽出した。都市は無人艦隊に守られ、同時に管理され、やがて「最適化」の名で人を選別し始める。怯えと憎悪が臨界を越え、ダークエネルギーは悪魔の形を得た。
銃弾は術刃で断たれ、爆弾は結界で消え、戦争は剣と仮面と魔道機械の時代へと姿を変えた。仮面は魔眼から身を守り、刻印は魔力を導き、魔道機械はAIの遺産として戦場を支える。
そしていま――悪魔を討ち、人類の未来を担う戦士を選ぶ大舞台「剣魔大戦」が幕を開ける。
無名の仮面をつけた一人の青年、スワン・レイヴンハート。
彼の歩みが、やがて世界を揺るがす物語となる。
塔の最上層に据えられた工房は、都市の喧騒から切り離された静かな港だった。床下の魔力炉が心臓のように脈打ち、壁の配管が青白く呼吸する。作業台の上では古いAI基板と人の手で刻まれた符が肩を並べる。
「母さん、温度を少し落として」
「三度下げるわ。……はい、安定」
長い銀髪を束ねたエリシア・レイヴンハートが、淡い光を帯びた操作パネルに触れる。白基調の作業スーツの袖は肘までまくり上げられ、工具が腰に整然と並ぶ姿は研究者というより熟練の職人に近かった。
その隣で、スワン・レイヴンハートは黒い仮面に最後の線を描き込む。雷光の筆致が導紋を走り抜け、仮面がかすかな呼気を吐く。
「起動」
『おはようございます、スワン』
視界に戦術HUDが立ち上がる。魔力流、外気濃度、自身のベースライン――数値と感覚が重層的に重なる。
「戦闘ログは?」
『再学習完了。推奨戦術パターンを十二生成しました』
「いい子だ」
「その言葉は息子に向けるものじゃない?」
母の微笑みに、スワンは照れ隠しに仮面へ視線を落とした。
「母さんのアース設計、やっぱり効いてる。雷が素直に抜ける」
「刻印も機械も、扱う人の“意志”次第よ。味方にも敵にもなることを忘れないで」
「うん」
エリシアは仮面の縁に「還」の符を刻む。癖のように、どの機体にも施す小さな守りのしるしだ。
「スワン、勝ちなさい。でも壊すためじゃなく、守るために」
「わかってる」
その時、工房の扉が勢いよく開いた。
「おーいスワン! 俺の面は今日も上機嫌か?」
炎と風をまとったカイル・ヴァーミリオンがパンをかじりながら入ってくる。スワンが仮面を弾くと、半面はふわりと滑空して彼の手に収まった。
「干渉は抑えてある。風は先行、炎は後追い。出力は上げすぎるなよ」
「任せろ! 俺を誰だと思ってる!」
「観客席を燃やす男」
「そっちか!」
笑い合う二人を見て、エリシアは真顔に戻る。
「カイル、あなたも忘れないで。勝つことも大事。でも隣にいる人を置いていかないこと」
「了解っす」
スワンは作業台からポータルピンを取り出し、一本を放った。
「緊急退避用。規定内で一回だけ使える」
「命の恩人!」
「まず突っ込まなければ、命は減らない」
「それは無理だな!」
笑い声が工房に響く。
スワンは仮面を頬へ滑らせた。面が肌に吸い付き、世界の輪郭が一段鮮明になる。金属の匂い、魔素の潮の満ち引き、人の気配。数値でもあり、肌感でもある。
『リンク率:良好。――おはようございます、エリシア』
「おはよう。今日も息子をお願いね」
『最優先で』
「助かる」
スワンは小さく礼をし、踵を返す。カイルが肩をぶつけてきた。
「行くぞ、無名の仮面剣士」
「うるさい」
「世界に、名前を刻みに」
「……やめろよ、そういうのは決勝で言え」
「じゃ、予告編だ!」
◆
塔の転送回廊は、光の川だった。床面の巨大な魔方陣が静かに回転し、紋章の節がひとつずつ点灯する。二人が円の中心に立つと、空気がきゅっと締まった。光がほどけ、視界が開ける。
巨大なドームが朝陽を掴んでいた。外周には多層結界、穹頂には護符の網目。上空を観戦ドローンが列をなし、各国語の実況が大気を震わせる。露店には仮面のレプリカ、刻印風のアクセ。子どもらは親の手を振りほどき、木剣を振る。スタンドを囲む幾層ものスクリーンが一斉に点灯し、各地の広場でも歓声が沸き起こった。世界同時中継のカウントが、胸骨の内側をこつんと叩く。
選手控えのフロアには、別種の静けさ。三千の仮面と素顔が、刃と刻印を抱え、息を潜める。ここで仮面をつけているのは――半数に届かない。素顔で挑む者、流派の面を誇示する者、技術者として仮面に未来を託す者。選択そのものが宣言だった。
スワンのHUDは、見ようとしなくても見えてしまう些細な情報を必要なぶんだけ拾い上げ、余分は沈めてくれる。肩の落とし方、足裏の重心、仮面の角度。呼吸の拍。歩幅の周期。装備重量。
カイルが隣で面を押さえ、パンをもぐもぐしながら囁いた。「なぁ、今年は隊長格、三人出るらしいぜ」
「うん」
「うんって……反応薄っ」
「本戦の話。今は――観る」
「出たよ“観る”。相変わらずだな」
「いつも通り、だ」
◆
「さぁ、開幕です!」
実況の張りのある声が張り詰めた皮膜を破る。「第57回――剣魔総合大会! 第一試験は三千名によるバトルロワイヤル!」
歓声が、結界に撥ねられて波打つ。大スクリーンにルールが踊った。
・三人以上を戦闘不能にし、合格ゾーンに到達で進出
・心停止または体の40%以上損傷で即失格(自動転送回復)
・武器・魔法・魔導機械は使用可(外部AIの自律介入は禁止。観戦モードのみ許可)
・合格後は速やかに退場(リング外乱入・遅延は減点対象)
・次ステージのチーム戦は完全ランダム抽選――仲間は選べない!
「そう。誰とぶつかるかは完全に運次第。たとえ剣魔位ランカーであろうと、序盤で強敵と出会えば落ちる可能性があるのです」
ざわめき。誰かが剣の柄を握り直す。誰かが仮面の頬に触れる。誰かが深く呼吸する。
スワンは仮面の奥で、わずかに笑った。「選べないルールは、好きだ」
『観客席、魔力密度上昇。安全域内』
「世界中が見てる」
『あなたも見ている』
「いつも通り、だ」
カイルが拳を突き出す。「派手に行く。炎上上等」
「観客席は燃やすな」
「燃やさねぇよ!」
乾いた音で拳が触れ、開戦直前のチャイムが鳴る。足元の紋様が眩くなり、各選手の足元に光柱が立ち上がった。ランダム転送の座標割り振り。逃れられないくじ。
「死ぬなよ、カイル」
「お前こそ!」
光が弾け、視界が白にさらわれる。
◆
落ちた先は、廃都と森と砂丘が継ぎ目なく連なる巨大な切り絵。折れた高架が空を横切り、苔むした白線が途切れ、遠くで砂が風に鳴る。空は高い。薄い虹の膜が結界の天蓋としてかかっていた。
『転送完了。周囲二百メートル、生命反応四、魔力反応二』
スワンは片膝をつき、錆びた鉄骨に指を触れた。散らした金属繊維が蛇のように這い、小型の索敵ドローンへ組み上がる。ふわりと浮いたドローンが鳥のように分散。HUDに赤点が灯る。北東から二、南西から三。
「北東、先に当たる」
廃ビルの陰から二人。短剣の握り、重心は前、踏み込み速い。スワンは剣を抜かない。掌から糸のような雷を走らせ、靴裏の金属へ一瞬噛ませる。痺れと同時に体勢が崩れ、鳩尾へ柄をそっと当てて呼吸を抜き、後頭部を軽く打つ。失格の光が包む。二連。
「……二」
短杖が炸裂符を吐いた。スワンは撒いた鉄粉で薄膜を張り、符の回路が閉じる直前に挟み込み、導通を断つ。爆ぜない。手首を払う。床に落ち、光。もう一つ。
『現在二名。合格条件まであと一』
「急がない」
砂丘の向こうで炎が花開いた。風圧が巻き、火柱がトンネル状に絞られて爆圧が前方だけへ抜ける。歓声が遅れて届く。
「出ました! 二重刻印“烈風炎牙”! 見事な制御だ!」
――カイル。スワンは仮面越しに小さく首を振る。目立つな、は彼にとって祈りに等しい。だが、彼はそれを聞かない才能を持っている。
別ブロック。苔むした歩道で蔦が伸び、三人の足首を絡め取る。高台の少女が弓を引き、分裂した矢が同時に命中。土の紋が地脈を掴み、木の紋が束ねる。
「仮面の弓手……イリスか?」
暗がり。影が滲み、男が自分の足元の闇に躓いて崩れる。影から伸びた細刃が音なく喉元を撫で、失格光。セレナ。幻と闇で視界を書き換え、見えた時には遅い。
砂煙のむこうで槍が唸る。毒刻印が刃元に青白く滲み、踏み込むたび体力を削る。ダリオ。粗野で無駄がない。毒は嫌われる。だが対悪魔では継続弱体の要。彼はそれを知った顔をしていた。
スワンは彼らを“観て”いた。倒すより、知る。HUDは癖・刻印・呼吸・足音の間を記録に変え、動線予測へ重ねていく。
『いまの四人、将来的に“合う”』
「だろうな」
三人目を拾いに廃都の陰へ滑る。中距離の魔力銃に牽制される三人組。スワンは鉄粉の幕で弾道を撫で、魔力回路を一瞬だけ断つ。音が抜ける一拍で距離を潰す。一人目、肩口に雷。二人目、膝裏の補助具へ金属糸を噛ませ、踏み込みを殺して柄打ち。三人目は逃げる。フレイルにも見える金属束を投げず、床下の鉄管を経由して角を曲がり、内側から回る。頸動の脇へ軽く当てるだけで充分。
「……三」
『条件達成。合格ゾーンへ移動可能』
「まだ残る」
『戦闘継続は任意。リスク上昇』
「知ってる。“観る”方が今は価値がある」
風向きが変わる。スタジアムの空気が一拍、ひやりと冷えた。悪魔の気配――ではない。運営の調整試練。黒霧が三箇所に立ち、封印されていたE級が統制下で放たれる。多層結界が観客席を覆い、隊長格と剣魔位の上位が自然に散って連携に入った。氷で足場を奪い、槍で間合いを刺し、弓で核を射抜き、術で焼却する。見事。スワンはそこへ自分が入る網目を何通りも編む。誰の背を踏み、誰の前に立つか。何拍で核へ届くか。
試練が収束しかけたとき、砂が巻き上がる。巨躯。砂嵐。大剣。
――剣魔位六位、嵐帝ヴァレンティス。
『警告:危険領域。接近禁止推奨』
「退かない」
「仮面の小僧……何者だ」
返答せず、短剣に雷を呼ぶ。砂嵐が押し寄せ、瓦礫の盾ごと粉砕。大剣が振り下ろされる刹那、スワンは雷を脚へ落として脚力を瞬間増幅、稲妻の横抜けで懐へ潜り腕を打つ。巨躯が半歩、揺れた。
「速い……!」
決着は、つけない。嵐帝は砂を叩きつけ、視界を潰して退く。彼もわかっている。ここは見極めの場だ。
「次は本戦で」
スワンは息を整え、合格ゾーンへ視線を向けた。――その手前、仮面の縁に妙な刻印を彫った男が観客席の一角を見上げる。一瞬、視線が絡む。
『観測:不自然な視線遷移。識別不能紋。要記録』
「記録だけ。今は触らない」
流れ弾がかすめ、男は転送の光にさらわれた。スワンは円環へ足を入れる。
◆
夕刻。巨大スクリーンを三百の名が駆け抜ける。剣魔位の上位、隊長格――天照軍のライネル、陰人軍のカグヤ、金剛軍のヴォルク。観客席に波。カイルは中位通過。派手だが要所で手数を節約。イリス、セレナ、ダリオも名を刻む。
そしてスワン――最低ライン合格。
「誰だ、あの仮面の無名は?」
「ログの数字、妙に整ってる」
「目立たない。しかし“見ている”」解説が唸る。「戦いながら、全員の型を学んでいたように見えますな」
仮面の内側で、HUDが小さく光る。
『本日の記録、保存完了。候補:四名――カイル、イリス、セレナ、ダリオ。戦術的相性、良好』
「……シミュレーションだ。組めるわけじゃない。次は完全ランダム」
『肯定。抽選に備え、複数パターン生成』
「頼む」
スクリーンが切り替わり、次ステージが告げられる。――六人制、観測者奪取戦。各チームに運営側から観測者と回復術師が二名ずつ割り当てられ、完全ランダム抽選。誰と組み、誰を奪い、誰を護るかは、運と戦略の綱引きになる。
群衆の熱が再び燃え上がる。隊長席の影は沈み、どこかの会議室で今日の戦術ログが映し出される。誰かがぽつりと漏らすだろう。
――この仮面の少年、反応が、人間じゃない。
スワンは夕陽を吸い込み、肩の力を抜いた。工房の灯が脳裏にまたたく。剣と仮面と機械――そして、仲間。次は、連携の番だ。
◆
帰路の転送ゲート前、通信が入る。工房のチャンネル。エリシアだ。
『お疲れさま。……無事ね?』
「うん。三人、最小手数で」
『見てたわ。いい歩幅だった。――でも、最後の砂嵐は危なかった』
「観ておきたかったから」
『観るのは大事。でも、帰ってきて初めて“観た価値”になるのよ』
「……ただいま、って言えるように」
『ええ。言いなさい。何度でも』
そこへ、カイルが乱入してくる。「エリシアさん! 俺の炎、見たっすか!」
『見たわ。観客席は燃やしてないわね。合格』
「やった!」
『スワン、仮面のログ、送って。夜のうちに最適化するから』
「お願い」
『それと――』
「なに?」
『明日の朝、パンはもう少しまともなものを食べなさい。カイル、あなたも』
「……はーい!」
転送光が足元に立ち上がる。スワンは仮面の内側で目を閉じた。母の声、工房の匂い、魔導旋盤の音。帰る場所がある――それが、どれほどの強さになるかを知っている。
光がほどけ、夜の塔が近づいてくる。
登場キャラクター
•スワン・レイヴンハート
雷と金属を操る発明家。自作の仮面とHUDを武器に戦う「無名の剣士」。
•エリシア・レイヴンハート
軍に技術提供を続ける工作科学者。母として、研究者としてスワンを支える。
•カイル・ヴァーミリオン
炎と風を操る快活な双剣士。スワンの親友であり最初の仲間。
魔導機械・道具
•魔導旋盤:刻印を武器に彫り込む機械。
•NC刻印機:AI制御による精密刻印装置。
•戦術HUD:仮面に搭載。敵味方位置や行動予測を表示。