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最高の魔術師、世界を謳歌する。  作者: 遥
第一章-プロローグ
8/15

08-捌-森を歩いて

 馬型のゴーレムにまたがり、フェイルは森の中を進んでいた。

 自らが暮らす交界国の外に、これほどまでに鬱蒼とした森が広がっているとは、彼は知らなかった。


 身近であるはずの世界を、何ひとつ知らずにいた。

 それこそが、彼がどれだけ魔術の研究に没頭していたかを示す、何よりの証だった。


(この世界に来てから、もう二年経ってるんだけどな……)


 ここまで周囲に無関心だったことに、今さら気づかされて、フェイルは驚いていた。


(これは酷い。……追い出されても仕方ない、か)


 フェイルは空を仰いだ。

 神に追い出された理由が、ようやく腑に落ちた気がする。


 目の前には、果てしなく青々とした森が広がっていた。

 木々は天を覆うように高く、幾重にも重なる枝葉が空の色を遮っている。

 葉の隙間から射し込むわずかな光が、霧を含んだような空気を柔らかく照らしていた。


 どこまでも続く木の列。地面は苔に覆われ、落ち葉の絨毯が音を吸い込んでいく。

 鳥のさえずりも、虫の羽音も、風に揺れる枝の擦れる音もない。

 静寂があまりに深く、耳鳴りすら幻のように思えた。


 人の営みなど、ほんのひと欠片にも感じられない。

 圧倒的で、静かで、美しい──それでいて、ひどく遠い。

 これほど壮大な世界がすぐ近くにあったというのに、

 何も知らずに生きてきた自分が、ただただ滑稽に思えた。


 そんなフェイルの感傷など気にも留めず、彼の手で造られた馬型のゴーレムは、無言で森を進み続けていた。

 ふと、かつての自分を思い出す。

 周囲を省みることなく、ただ魔術の技術だけを追い求めていた自分も、このゴーレムのように無感情で、ただ前へ進むことだけに徹していたのだと思う。


 いま、森の広がりに心を動かされていることが、その変化を物語っていた。


 そのときだった。


 微かに揺れた草の葉に、フェイルの目が引き寄せられる。

 風は吹いていない。森は静寂に包まれている。

 それなのに──何かが動いた。


 次の瞬間、草陰から黒い影が飛び出した。

 獣だった。

 四肢の筋肉が盛り上がり、全身に刺のような毛をまとった異形の生き物。

 牙をむき、まるで風を切り裂くような速さで、真っ直ぐフェイルに向かって跳躍してくる。


「来るか──!」


 フェイルは瞬時に指を鳴らした。

 ゴーレムが反応し、機械的な足音を重ねながらその身体を盾に割り込ませる。

 しかし獣は止まらない。

 並の獣ではない。魔力を帯びている。殺気すら研ぎ澄まされ、空気を震わせていた。


 フェイルは馬型ゴーレムから飛び降り、素早く距離を取る。

 足元の苔が静かに鳴った。

 次の手を打つ準備をしながら、目の前の獣を睨む。


 ──森は静かだった。

 だが、もう安全ではなかった。


 呪文を唱え、フェイルは自らと獣との間に、身を守るための魔術障壁を展開した。


 その瞬間、頭の奥で何かが弾けるような感覚が走る。


(……なんだ?)


 思考が割り込まれるように、半ば強制的に脳内に“それ”が浮かび上がった。


────

 名前:なし

 種族:グラーヴァル

 種別:魔物

────


 簡潔な、しかし明確な情報だった。

 目の前の獣──その存在が、まるで“誰か”に識別されているかのように、脳裏へと書き込まれていく。


 なるほど、そういう存在なのか──と目の前の獣を見て思う。

 だが同時に、それはあまり意味のある情報ではないとも感じた。


 名前も弱点も示されず、どう対処すべきかも書かれていない。

 ただ“そういう種族ですよ”と伝えられただけでは、状況は何も変わらない。


「死んだら、ごめんってことで」


 魔術を誰かに向けて放つなんて、本来ならやるべきことじゃない。

 ましてや殺すつもりなんて、さらさらない。

 襲われたから迎撃した──それだけだ。


 威力の加減はできない。元々、そういう設計にはしていない。

 せめて周囲に被害が及ばないよう、術式の向きと展開角だけは慎重に調整した。


 魔力を収束し、空間の一点を起点に氷の槍を形成する。

 数は十数本。命中精度を優先し、余計な演出を削ぎ落とす。獣めがけて、迷いなく放った。


 氷の槍が放たれた刹那、空気が震えた。

 無音だった森に、氷が風を裂く鋭い音が走る。


 槍は一瞬で獣を包囲し、四方から叩きつけるように突き刺さった。

 鋭い氷が肉を裂き、骨を砕き、獣の体が大きくのけ反る。

 呻き声も上げず、ただその巨体が重力に従って崩れ落ちた。


 ……終わった。


 フェイルはわずかに肩を落とし、魔力の流れを切る。

 辺りには再び静寂が戻っていた。


 倒れた獣はぴくりとも動かない。

 その姿を見下ろしながら、フェイルは思わず一つ、息を吐く。


「生きてるなら、それで良かったけど。……死んでたら、それもまた、ひとつの結果だろうな」


 皮肉のような、独り言のような言葉を零しつつも、足を止めることはしない。

 再びゴーレムへと歩を向けながら、視線だけを一度、倒れた獣に戻す。


(グラーヴァル、か……)


 名前のない種。

 魔力を帯び、森の奥に潜む獣。


 脳裏に浮かんだ情報の出所は気にかかるが、今は放っておいていいだろう。少なくとも、敵意は感じなかったから。


 フェイルはゴーレムの背に再びまたがると、無言で前を見据えた。


 森はまだ、静かに、深く続いていた。


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