13-参-出会いⅢ
フェイルは、王族リリィ・ルーズライフが乗る馬車へと足を踏み入れた。
本来なら、馬型ゴーレムに跨ったまま彼女らの後を追うつもりだった。
だが、「客人をもてなさないわけにはいきません」というリリィの言葉に、わざわざ反発する理由も見当たらない。
フェイルは、自ら創り出した馬型ゴーレムを空間魔術で遠く離れた土地へと転送すると、そのまま馬車へと乗り込んだ。
一連の動作を、リリィは王族らしく、どこか観察するようなまなざしでじっと見つめていた。
やがて馬車が動き出すと、彼女は静かに口を開いた。
「重ねて、先ほどは命をお助けいただきありがとうございました」
リリィは改めて、深く頭を下げる。
「そんなに大したことはしてない」
フェイルは、どこか形式的な謙遜を返した。
「そんなことはありませんよ。私の騎士たちが全滅しかけていた相手を、一瞬で打ち倒されたのですから」
その謙遜を、リリィは優しく、けれどはっきりと否定するように言葉を重ねた。
「そうか。そう言ってもらえるなら、助けた甲斐があった」
一度は謙遜を試みたものの、王族からの明確な礼を受けた以上、それ以上を繰り返す必要はないとフェイルは判断した。
「災難だったな。……世間知らずな質問かもしれないが、ルーズライフ王国では、王族も盗賊に襲われるのか?」
自分がこの世界の常識に疎いことを理解したうえで、フェイルは率直に問いを投げかけた。
「そう……ですね。本来は、有り得ない話、ではあるのですけど」
少しだけ言葉を詰まらせながら、リリィはそう答える。
「ふぅん」
その反応と、わずかに揺れる彼女の表情を見て、フェイルはそれ以上の質問をしなかった。
口にせずともわかる。
──本来、王族が盗賊に襲われるなど、あってはならない事態なのだと。
話題を切り替えるように、リリィは一度、静かに息を吸い込んでから口を開いた。
「フェイル様は……空間魔法がお使いになれるのですか?」
空間魔法など、彼女にとっては伝説の中に語られる力にすぎなかった。
けれど、目の前の青年はそれを当然のように使い、まるで呼吸をするかのように、自らの“馬”を消してみせたのだ。
「使えないな」
しかし、フェイルはあっさりと否定する。
なぜなら、彼が扱っているのは「空間に作用する魔術」だからだ。
“魔法”とは、人の手によって定義されていない現象を指す。
一方、“魔術”とは、人の手で体系化された現象操作を意味する。
似て非なるもの──それが、フェイルにとっての両者の違いだった。
その否定の言葉を受けて、リリィはしばらく黙り込んだ。
思い返してみても、彼が起こした現象が“空間魔法”以外の何かだとは、どうしても思えなかったからだ。
「……すみません。私の勉強不足でした。
もし差し支えなければ、どのような技術なのか、お聞かせいただけますか?」
素直な謝罪と、興味を隠さない問いかけ。
それは無遠慮でも押しつけでもなく、ただ純粋に知りたいという気持ちから発せられたものだった。
「魔術って、聞いたことはあるか?」
フェイルが視線を向けることなく、静かに問いかけた。
彼の旅の目的には、魔術という技術をこの世界に広めることも含まれている。
だからこそ、興味を示した相手を邪険に扱うつもりはなかった。
「……聞いたことはあります。ですが、魔法と比べると……」
リリィの声音が僅かに揺れる。
彼女の知識において、魔術とは魔法にすら届かない、劣った技術という印象だった。魔法の偽物という印象すらある。
「……と?」
フェイルは顔を向けず、続きだけを促す。
言葉を濁したところで、曖昧な意味が通じる相手ではないことを、リリィはなんとなく察していた。
「……“弱い”と言われています」
出来損ないとは言わなかった。
けれど、どこか申し訳なさそうな表情で、リリィは自分の中の認識を言葉にした。
「なるほどな……」
フェイルは、呆れを隠そうともしないまま、小さくため息をついた。
その認識こそが、この世界における魔術水準の低さを如実に物語っていた。
「ま、知ってるなら話は早い。
俺が使ったのは、空間に作用する魔術だ」
認識を正そうともしなければ、魔術の可能性を強調するでもない。
フェイルはただ淡々と、現象の説明へと話を戻した。
「魔術って……そんなことまでできるんですね……!」
リリィは驚きの眼差しをフェイルに向けた。
思わず身を乗り出すようにして、その言葉の続きを待つ。
もし彼の説明が事実であるなら、彼女がこれまで常識としてきた知識とは、根本から覆ることになる。
フェイルは一度だけ、リリィの瞳に視線を向けた。
だが、語り口に感情が乗ることはない。彼はいつものように、淡々と口を開く。
「魔術ってのは、“現象を理解し、再現する技術”のことだ。
炎を生む、風を操る、空間に穴を開ける──それらを感覚ではなく、論理で制御する。
定義して、分解して、構築する。それが魔術だ」
リリィは瞬きを一つし、神妙に頷く。
その様子を確認することもなく、フェイルは言葉を続けた。
「魔法ってのは、現象だけが残ってる状態だ。理屈がない。偶然に頼るか、才能に依存する。
再現性がない分、強力ではあるが……それじゃ技術にはならない。誰にも教えられないからな」
そこで一度、言葉を切る。
馬車の揺れが、二人の間にわずかな間を生んだ。
リリィはフェイルの言葉を、真剣な面持ちで噛みしめていた。
教えられる魔術。理に従って誰にでも扱える力。
それは彼女にとって、魔法とはまったく異なる未知の概念だった。
「……それでは、魔術というのは、私のような者でも習得できるのですか?」
躊躇いがちな声音だったが、その目には確かな光が宿っていた。
才能や血筋ではなく、理解によって力を得られるのなら──それは、王族という立場に縛られた彼女にとって、新しい希望にも思えた。
「努力すれば、という前提ならな」
フェイルは目を伏せることもなく、淡々と答えた。
特別扱いをする気もなければ、否定する理由もない。
理屈を学び、式を読み解き、構築する。その過程を踏む覚悟さえあれば、魔術は誰にでも届くものだ。
リリィは思わず小さく息を呑んだ。
それは、王族である自分が初めて耳にする、誰にも等しく開かれた「学び」という形の力だった。
「誰でも……ですか?」
リリィが確認するように問い返すと、フェイルは少しだけ間を置いてから答えた。
「……いや、それは違うな。
体内に魔力を保有している者には、大きなアドバンテージがある」
あくまで淡々と。
希望を与えるための返答ではない。ただ、事実を述べるだけだった。
「……魔力がない人なんて、いるんですか?」
リリィの問いには、驚きと戸惑いが混ざっていた。
この世界に生きる限り、誰もが当たり前に魔力を持っていると思っていたのだ。
「いるよ。珍しいが、完全にゼロという例もごく稀にある」
フェイルは視線を外さず、淡々と返す。
声に熱はなかったが、断言するその調子には、確かな知識の裏付けがあった。
短い沈黙のあと、リリィはわずかに顔を上げ、フェイルを見つめた。
躊躇するように唇が動き、それでも思い直すように、しっかりとした声で言葉を紡ぐ。
「……その、“少なすぎて気づかれない”程度の魔力でも、使えるようになるのでしょうか?」
フェイルは即答しなかった。
だが否定する気配もなく、ただリリィの瞳を静かに見返していた。
「私……学んでみたいのです。
誰かに依存する力ではなく、自分の手で扱える術を、身につけてみたい」
その声音には、年相応の不安と、それでも向き合おうとする決意があった。
「……教えては、いただけませんか?」
その申し出に、彼は思わず目を細めた。




