12-弐-出会いⅡ
「お待ちくださいっ!」
その声に、フェイルは無言で振り返った。
戦場の余韻が漂う中、馬車の扉がきぃと音を立てて開く。
姿を現したのは、一人の少女だった。
淡い金髪を丁寧に編み込み、肩先で揺れる髪がかすかに光を反射している。
年の頃は十四、五。幼さの残る顔立ちには王族らしい気品が漂い、その瞳にはまっすぐな意志が宿っていた。
くすんだ緋色のドレスの裾を押さえながら馬車を降りようとした彼女を、傍にいた騎士たちが慌てて制止する。
だが彼女は、それを静かに振り切った。
倒れた騎士たちや破損した荷車の間をすり抜けるように進み、やがて馬型ゴーレムの前に立つ。
見上げた先には、黒衣をまとった青年が無言のまま鞍上からこちらを見下ろしていた。
「我が名は、ルーズライフ王国・第五王女、リリィ・ルーズライフです。
この度は、貴方のご助力により命を繋ぐことができました。
改めて、心より感謝を申し上げます。ありがとうございました」
そう言って、リリィはまっすぐに頭を下げた。
フェイルは馬型ゴーレムから静かに降りた。
相手が王族であると知ってしまった以上、高い位置から見下ろしたまま話すのは好ましくないと判断した。
「気にしないでくれ。たまたま近くを通っただけだ」
一瞬、相手が王族であることを意識し、言葉を選ぶべきかと迷いがよぎった。
だがフェイルは、いつも通りの調子で応じることにした。
必要以上にへりくだる理由も、義務もなかった。
その様子を見た周囲の騎士たちが、ざわめき始めた。
忠誠を誓う姫に対して、あろうことか無礼とも取れる態度をとった男に、戸惑いと反発が入り混じった空気が広がる。
ざわつきの中心で、ひとりの騎士が堪えきれずに声を荒げた。
「貴様、何様のつもりだ!」
肩口に血を滲ませたまま、剣を杖代わりに地面へ突き立てていた中年の騎士が、怒気を込めてフェイルを睨みつける。
鎧の表面にはいくつもの斬撃の痕が残り、戦いの激しさを物語っていたが、声音には痛みを押し殺す強さがあった。
「我らが守る姫君に対して、その物言い……あまりにも無礼が過ぎる!」
彼の声に呼応するように、周囲の騎士たちも一歩ずつ前に出る。
誰も剣を抜きはしない。だが、その視線は確かに“敵意”を孕んでいた。
「たとえ命を救われたとしても、王女殿下の尊厳を踏みにじる者を、我らが許すと思うな!」
その言葉には、忠誠と誇り、そして緊迫した場をなんとか保とうとする焦りが混ざっていた。
「やめてください、オルド」
凛とした声が、その場の空気を断ち切った。
激昂する騎士に向けて、リリィはわずかに身を乗り出し、静かに首を振る。
怒りの矛先を向けていた騎士──オルドは、目を見開いたまま動きを止めた。
「この方は、命のやり取りが続く中で、私たちを救ってくれました。
言葉の丁寧さ以上に、行動が物語っています。
私は、そう受け取りました」
若いながらも、毅然としたその口調には、場にいた誰もがはっとする力があった。
彼女はまだ十四歳の王女にすぎない。だがその瞬間、確かに“国の声”として、そこに立っていた。
「それに、この方は礼を求めて助けたわけではないでしょう。
ならば、私たちがすべきは、誠実に感謝を伝えること……無礼をなじることではありません」
オルドはしばらく黙っていたが、やがて、深く頭を垂れた。
「……姫様の仰るとおりです。無礼を働きました」
場が静まり返った。
騎士は頭を垂れ、王女はその背筋を崩さずに立ち続けている。
その様子を見て、フェイルは小さくため息をついた。
わざわざ降りたのも失敗だったかもしれない、とでも言いたげな表情で肩をわずかにすくめる。
(……これだから、他人と関わるのは気が進まない)
そんな空気が全身から滲み出ていた。
何も言わず、ただ目を逸らすでもなく、その場の空気に対する関心のなさだけが妙に際立っている。
彼にとっては、命を救ったことも、礼を受けることも、騎士の怒りも、すべてが等しく“どうでもいい”範囲の出来事だった。
その様子を見たリリィが、静かに口を開いた。
「不快な思いをさせてしまって、本当に申し訳ありません。
……もし差し支えなければ、お名前を教えていただけますか?」
フェイルはしばらく無言のままリリィを見下ろしていた。
そのまま無視して去ることもできたが、彼女の言葉には打算も取り繕いもなかった。
礼を述べ、問いかけたただけ──それだけのことに、敵意を返すほど狭量ではない。
「フェイル・グランドマギ」
名乗った後も、特に自己紹介らしい言葉を続けることはなかった。
彼にとっては、それだけで十分だった。
淡々とした声音に、誇りも謙遜もない。だが、不思議とその名には重みがあった。
「では、フェイル様とお呼びしますね」
リリィはそう言いながら、頭の中で彼の名について思考を巡らせていた。
この世界──エルヴァディアにおいて、名と姓を正式に持つ者は、それなりの身分や家系を保証された存在である。
にもかかわらず、“グランドマギ”という姓に、王族である彼女でさえ聞き覚えがなかった。
もちろん、それも無理はない。
その性は、別の世界のもの。
けれどその事実を知らぬ今の彼女にとっては、由来も素性も知れぬ強き術士に他ならなかった。
興味を抱くのは、ごく自然なことだった。
「王族として、今回のご助力に対して謝礼を差し上げねば、名折れとなってしまいます。
……もしよろしければ、私と共に街までお越しいただけませんか?」
静寂が落ちた。
騎士たちは緊張を保ち、リリィはまっすぐにフェイルを見上げていた。




