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最高の魔術師、世界を謳歌する。  作者: 遥
第一章-プロローグ
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01-壱-プロローグ

 魔術師、フェイル・グランドマギは目を覚ました。

 ゆっくりとまぶたを持ち上げると、見慣れた天蓋付きのベッドの天井が目に入る。朝の光が、薄いカーテン越しに静かに差し込んでいた。


 今日も、穏やかな朝だ。


 起き上がり、肩にかかったシーツを払いのける。裸足のまま絨毯に足を下ろすと、心地よい柔らかさが足裏を包んだ。

 指先を軽く弾くだけで、部屋の隅にある小さなストーブに火が灯る。熱の波がじんわりと広がり、石造りの床から立ち上がる冷気を和らげていった。


 ここは交界国。交界神ミレイを主神とする、神を祀る国だ。

 端から端まで石畳で整備されたこの都市の一角に、フェイルは居を構えている。神の眷属として与えられた住居であり、同時に魔術研究所でもあった。


 白を基調にした建材と、光をよく通す大きな窓。

 ここは、異世界から連れてこられた“元・最高の魔術師”にとって、ようやく手に入れた静かな日常の舞台だ。


「……さて、今日も一日、研究日和だな」


 彼はそう呟き、窓の向こうに広がる石畳の街並みへと、静かに視線を送った。

 神を祀るこの交界国では、朝の時間帯は特に静かだ。街路を行き交う人もまだ少なく、遠くの礼拝堂から微かに鐘の音が聞こえる。


 この静けさこそが、フェイルにとって最も集中できる時間だった。


 彼は立ち上がり、隣室の書斎へと足を運ぶ。

 棚には羊皮紙が積み重ねられ、天板の広い机には昨夜の研究の続きを示す紙束が無造作に広がっていた。


 椅子に腰を下ろすと、フェイル・グランドマギは、机に広げた羊皮紙をじっと見つめた。

 細かい数式と魔術文字がびっしりと書き込まれているが、どれも途中で止まっている。完成を目指しているのではない。新しい可能性を探っているのだ。


 彼の周囲には、魔力を感知するための簡易装置と、試験用の触媒がいくつか並べられていた。

 指先で軽く空をなぞると、淡い光が浮かび上がる。複雑な術式の一部を描きながら、フェイルは眉をひそめた。


「……やっぱりこの条件式じゃ、末端で詰まるか」


 魔力の流れが不自然に止まり、術式全体が崩れた。

 彼はすぐさま構築を解除し、別の紙を取り出して書き直す。

 精密な制御が必要だ。魔術は、感覚で組むものではない。


 フェイルのスタイルは、いつも通りだった。

 “使える”では足りない。“説明できる”がなければ、魔術とは呼べない。

 直感で魔法を扱う者は多い。だが彼にとって、それは未完成品にすぎなかった。


 実験と記述を繰り返す中、部屋にはただ紙をめくる音と、術式の光が消える音だけが静かに響いていた。


 ひとつの式を完成まで導いたところで、フェイルは手を止めた。

 羊皮紙の端に日時と一言だけを走り書きし、インクの乾き具合を確かめてから、静かに椅子から立ち上がる。


「まあまあの進捗だな。……誰に報告するわけでもないが」


 机の上を片付けるわけでもなく、道具の配置もそのままにして、彼は窓際に掛けてあった黒いコートを手に取る。

 軽く埃を払ってから肩に羽織ると、布地が自然に彼の動きに馴染んだ。交界国で支給された、機能性の高い防護装衣だ。見た目は地味だが、霊的な干渉にもある程度は耐える。


 棚の上に置いてあった杖に一瞥をくれたが、手を伸ばすことはなかった。

 必要があれば、その都度取り出せば済む話だ。

 彼にとって武器とは「持ち歩くもの」ではなく、「必要なときに取り寄せるもの」だった。


「ま、散歩程度に物騒なものは要らんだろ」


 ぼやきつつ、黒のコートを軽く整え、室内の空気を振り返るように一歩下がる。研究の続きを再開するのは、また静かな夜になってからでも遅くはない。


 そうしてフェイルは、石畳の街へと静かに足を踏み出した。

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