6 照陽陽葵の奮起・奮闘
「――あっちいって」
せっかく声を掛けてくれた少年を、私は無慈悲にも突き放してしまった。
怖かったんだ。人と関わることが。モデルの姉を持っていることが。失望されることが。虐められることが……。
ただひたすらに、怖かった。
だから、そんな思いをするくらいなら、いっそもう誰とも関わらず殻に閉じこもっていようと、私は少年の救けを断った。
「でも、辛そうだよ?」
なのに少年は、そんな私の気持ちなんて知らずに、自分勝手にそう返してきたのだ。
もうほっといてほしいのに。
どうせあなたも、私のことなんて嫌いになるんだから!
「辛くない。大丈夫だからあっちいってよ!!」
私はしっかりとそう反発したんだ。
だけど少年は、そんな私から離れることもせず、それどころか――、
「――キャッ、何するの!? やめて!」
俯いていた私の顔を両手で掴んで、無理やり眼を合わせてきたのだ。
「……ほら、やっぱり泣いてるじゃん。辛かったんだよね? 苦しかったんだよね? でももう大丈夫。我慢しないで全部僕に吐き出してみて。そしたら少しは楽になるから。僕にはそれぐらいしか出来ないから」
満面に笑っている少年の表情だが、ほのかに不安気な物も含まれていて、軽く眉を落としていた。
何で、何でそんなに優しくするの……?
どうせ……、
「どうせあなたも、私のことを嫌うのに!! 何で優しくするの!? ……もう嫌なの、傷つくのは……。大切な物が壊されるのは――っ!!」
少年の手を強引に退けて、私は激昂した。
涙が溢れて止まらなかった。
人の優しさに触れたこと。もしかしたら救けてくれるのかもしれない希望。それが打ち砕かれる不安。打ち砕かれた後の傷……。本当にぐちゃぐちゃだった。
全部が全部私を襲って、心臓が張り裂けそうになった。
どうせあなたも、私のことを虐める。
きっとそうなんだ。
だって、みんなそうだったから。
――止めどなく溢れてくる私の涙を、少年の指が拭って、頭を撫でた。
「大丈夫。僕は虐めない。何も壊さない。だからほら、辛いこと悲しいこと、全部僕に話してみて? それでスッキリしたらまた、いつもみたいに明るい笑顔を見せてよ」
やめてよ……。
そんな顔で私を見ないでよ……!
少年のその笑顔はどこまでも優しさに満ち溢れていて、安心で私を包み込んでくれる。
気付くと私はその少年の胸の中でわんわんと号泣していて、これまでの全てを迸らせていたのだった――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼は真田優人といった。
実の所私は、彼の存在自体は前から知っていたのだ。
それでも当時の認識は、『公園によくいる常連さん』程度にしか過ぎなくて、たまに目が合うこととかはあったけど、特別喋りたいとかは思わなかった。
いつも公園の椅子に座ってゲームをしたり本を読んだりしている、そんな物静かな感じだったから、こんな私が話し掛けるのも迷惑だろうと思っていたのだ。
だから驚いた。
そんな人が私を救けてくれたのだから。
同時に疑問にも思った。
何で私なんかを救けてくれたのかと。
こんなに醜い容姿をしているのに。
私なんかを救けても良いことなんて何一つないのに。
すると彼はこう言った。
「『みにくいアヒルの子』って知ってる?」
世界的に有名な童話のタイトルだ。
私も昔、お姉ちゃんに読んでもらったことがある。
「……白鳥になるやつ?」
「そう。見た目が違うってだけで虐められて、仲間外れにされた可哀想なアヒルさん。でも最後には美しい白鳥になって、幸せになりましたってお話」
「それがどうかしたの?」
「これってさ、君に似てると思わない?」
はにかんだ表情で、彼はそう問う。
「私……? 全然似てない!」
首をぶんぶんと振って全力で否定した。
そもそもあれは、白鳥の卵が紛れ込んでいたからああいうことが起こったのであって、決してアヒルから白鳥になったわけでは無いのだ。
人によって色んな解釈があるらしいけど、私はお姉ちゃんからそう聞いた。
私はアヒルだ。お姉ちゃんのような白鳥じゃない。
そんなアヒルはどこまでいってもアヒルに過ぎないんだ。
――私は、白鳥になんてなれない。
「まぁ自分ではそうだよね。白鳥だって水面に映る自分の姿を見て初めて白鳥だと気付いたんだし。でもね、僕は思うんだ。君ならきっと素敵な白鳥になれるって」
「……何で?」
「笑顔だよ! 君は笑顔が一番似合う。花を育てていた君を見て、僕はそう思ったんだ。だからほら笑って」
自分の口角を指で引っ張って、にーっと笑顔を作る彼。
そんなこと初めて言われた。
そんなことを言ってくれる人に、初めて出会った。
私は恥ずかしくなって、耳を赤く染めた。
「そんなこと言われても……無理だよ……」
「そうだなぁ。――あっ、じゃあこうしよう! 君は今日から『お嬢様』だ! あーえっと、そういえばまだ聞いてなかったね。名前は?」
「……陽葵」
「陽葵お嬢様――陽葵様だ!」
「陽葵……様?」
「そう陽葵様! 陽葵様は今日も可愛いですね! だからほら、笑って笑って! お嬢様にそんな顔は似合わない! 一緒に遊びましょう! ゲームでもする?」
彼はそう言って私にゲームを勧めてきた。
こういうのには初めて触ったから難しくて分からない所もあったけど、彼と、優人と一緒なら何でも楽しく遊べた。
優人だけは私を嫌わなかった。
優人だけが私を救けてくれた。
次第に私は、笑顔が増えていった――。
ある時、私が花壇を眺めていると優人が言ってきた。
「陽葵様は優しいですね。まだお花のことを想っておられるのですか?」
「……うん。やっぱり辛いよ優人」
「じゃあ、一緒に新しい花を育てましょう!」
「えっ、そんなことできるの!?」
「えぇ。小学校ではプランターっていう物を使ってお花を育てる授業があるそうです。だからそれを買って一緒に育ててみませんか?」
「プランター……。もしかしたらお姉ちゃんが持ってるかも!!」
そうして二人でヒマワリを育てた。
公園の花壇で育てたお花が帰ってくるわけじゃなかったけど、それでも少し心が軽くなったような気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私はこれまで以上に笑うようになった。
それでも、虐めがなくなることはなかった。
相変わらず男の子たちは私に悪口をぶつけてくるし、砂も投げつけてくる。虫だって近付けてきて一向に止めてくれることはなかった。
やっぱり絡まれるのは鬱陶しいし疲れるけど、優人に救われてから、私はそれが些細なものとしか思えなくなった。
ある日、私はふと思った。
虐めから解放されたいと。
優人に助けを求めようかとも思ったけど、流石にそれはできなかった。
これは私の問題なんだ。
優人に怪我をさせてしまって嫌われでもしたら、私は本当の意味で立ち直れなくなってしまう。
私は決心した。
もう虐めなんかに屈しないと。
大丈夫だ。
私には味方が、優人がいてくれるのだから。
「――いっつもニコニコ笑って、気持ち悪いんだよ!」
許せなかった。
優人が褒めてくれた私の笑顔を、そいつは侮辱したのだ。
「――ッ!!」
気付くと私は、近くに転がっていた野球のボールを手に取って、彼らに投げ付けていた。
「痛ってぇ! 急に何すんだよ!!」
そう叫ぶ彼らの所まで走って、顔面にグーパンチをお見舞する。
衝撃だった。
自分がここまで出来てしまうことが。
脅威だと思っていた相手がこんなにも脆弱だったことが。
「もうこれ以上、私に絡んでこないで」
そう言うと彼らは無言で逃げていった。
――ああ、せっかく優人にお嬢様にしてもらったのに、これじゃ全然ダメだな。
こんな姿は見せられないな。
でも、私はもう大丈夫。
だって優人は、私を否定したりしないから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ある日、お姉ちゃんにこんなことを言われた。
「陽葵、変わったね」
「そう?」
「うん。前よりもずーっと明るくなったし、何よりも痩せた! 今までも可愛かったけど、今まで以上に可愛くなったよー!」
優人に救われてから、私は途端に自分の容姿が恥ずかしく思えてきたのだ。
彼の隣に並んでも、恥ずかしくないような女の子になろう。
そう決意を固めてからは、わりと一瞬だった。
不思議と優人の為ならば、何でも苦に思わなかったのだ。
私ならできる。
彼が日頃から私を褒めてくれるおかげで、何でもできると自信がついていた。
「まぁね! なんて言ったって私は、『お嬢様』なんだから――!!」
えっへんと胸を張って腰に手を当てながら、自慢気にそういった。
「えー、何それー?」
そうやって二人で笑い合った。
お姉ちゃんと心の底から笑えたのは、お姉ちゃんがモデルになって以来、初めてのことだった。
プランターのヒマワリも、陽を仰いで笑っていた。
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