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それは中学時代の放課後、校舎裏での事だった。
「――それで? こんなところに呼び出して、一体どういうつもり?」
これから起こる事が何なのかを理解していない表情。彼女はどこか忙しなく、しかし毅然と佇んでいる。俺はそんな茶髪に染めた少女を眼前にして、一抹の緊張に身体を強ばらせていた。
――今からこのギャルに告白する。
好きになったきっかけは、正直なところ分からない。この頃の世代ではよくある話だと思うが、いつの間にか、だ。とりわけ一目惚れというわけでもなければ、特別タイプな顔立ちをしているわけでもない。
元より俺の好みとする顔立ちといえば、黒髪ロングの聡明で強かなお姉さん然とした人だ。それこそ、人気女優として活躍している『照陽夏海』さんのような。
それに対して彼女の容貌は、良くも悪くも『子供』が目立つ。髪の色は勿論、早すぎるに相違ないメイクもそうだ。普段の態度だって決して良いとは言えないだろう。丸っきり悪い大人を真似た子供のソレで、好きになる要素なんてなかったのだ。
ただ毎日、携帯のメッセージアプリを通して連絡を取り合ったりして、たまに通話で駄弁ったりもして、そんでもってそんな時は、そのまま寝落ちなんかもしちゃったりして。それなりに良好な関係値を築けていた……と思う。少なくとも俺は。
困り事に直面した時は、俺を頼ってくれた。
その事実は、当時『変化』に苛まれていた俺にとって甚く優越感を与えるものになっていたのだ。
彼女がそのまんまの俺を肯定し、認めてくれているような。そんな安堵と快感に心が満たされていた。
だから、自然とそんな彼女に気が向いていたのだろうなと知覚して、今に至るというわけだ。
「――――」
そよ風が彼女の長い髪を揺らし、隠れていた耳が現われる。耳朶には中学生ながらにませたピアスホール。
俺もそんな彼女に、いや彼女らに影響されて、ピアスホールを作ってみた。
自身に装着されている透明ピアスを指で軽く摘んでみる。
空けたのは、今からちょうど一年前の、中学一年の夏季。痛みはとっくに引いており、ホールも大分安定している。
それは、今の己の心境を映しているかのようであった。
取り留めの無い自信が、あるいはこれまで確固として築き上げてきた信頼の経験値が、何となく俺に大丈夫だと囁いているようで。そんな漠然とした安定感が、背中を押していたのだ。
「――――」
瞑目しながら深呼吸を終え、目の前の少女の瞳をじっと射抜くように見据えた。
一瞬、彼女の表情が揺らいだ気がした。
「あー、急に呼び出して悪い。実は……俺、お前の事が好きなんだけど、よかったらその、俺と付き合ってくれないか?」
告白した恥ずかしさを、後頭部を掻き毟ることで誤魔化してしまうのは、思春期特有の青臭さとでもいっておこう。
特別初対面というわけでも、元々関係値が薄いわけでもなかったから、敢えて敬語は使わずにナチュラルを演じてみた。
……いや、結局のところ、これはただの恥隠にすぎなかったのだ。
大丈夫だ、などと自己暗示をかけてはいても、やはり告白とはそれなりに勇気がいるもので。妄想に耽っていたあの頃は、簡単だなどと高を括っていたものだが、思いのほか難関であったことは認めざるを得なかった。
「――――」
告白してしまってからすぐ、顔に熱が篭もり出す。
やっぱり使う口語を間違えてしまったかなと、言った直後に自省した。イマイチ真剣さが足りずに、はぐらかされたりしたらどうしようかと煩悶もしていた。
でも後悔はなかったのだ。
それは、俺が彼女のことを盲目的に優しい人間だと決めつけていた節があったからだと思う。
だからこそ、振られることがあっても悔いはないと思っていたし、もし振られたとしても、彼女とはこれまでと変わらず接し続けようと決心していたのだ。例え、関係が気まずくなったとしても、時間をかければ修復することが可能だと信じて。
少なくとも彼女は、俺の中に存在する彼女の像は、そんな関係の改善の余地を残してくれる、優しい断り方をする人間だった――はずだ。
「――え?」
だが、現実はどうやら違ったらしい。
初耳、彼女はそんな困惑を見せ自分の耳を疑っていた。
これ自体は予想通りであり、当然の反応だった。
それもそのはず、俺は誰かに対して自身の慕情を打ち明けたことはなかったのだ。だから俺の恋愛事情がクラス内で噂になることはなかったし、周囲にも悟られないように過ごしてきた。
……例外として、本人を除いて。
そう、本人にはそれとなくアピールはしていたのだ。
だからその予想通りの反応は、本音のところ悲しくもあったのだ。
だって、これまでの暗に示してきた好意に気付いてもらえてなかったわけだから。
でもそんな悲観ももう終わり。
告白を終えて俺の取れる手段は返事を待つこととなったわけだが、この時、返事を待たずして逃げるようなことだけは絶対にしたくなかった。
告白した以上は、成否関係なく返事を頂くのが告白という行為に対しての誠意であり、そして告白を果たした己の勇気に対する称賛だから。
「――――」
彼女はどこかバツが悪そうな顔をしていた。
それは困惑というよりは、本気で言っているのかというような疑いの眼差しだった。
そうして紡がれる、決断の声。
「……いや、いやいやいやいや、は? なんかの冗談……なわけないよね? ない、ないないない、絶対ない。優人だけはさすがに無理。え、てかあんた、アタシのことそういう目で見てたの? 正直ちょっとキモいんだけど――」
彼女の言葉は一旦そこで中断された。
露骨に肩を竦ませて、その悪感を隠す配慮すらしない。
「――ぁ?」
「それにさ、考えてみたんだけど、優人って優しいだけじゃん。それもアタシだけとかじゃなく誰に対しても。偽善者かってくらいキモいし、何よりつまらないんだよね。中身がないっていうかさ」
顎に手を置き、考え込むような仕草を取りながら、言い返す余地すらも与えずに続けて言った。
「ま、賢太達とはそれなりに楽しくやってるみたいだけど、少なくともアタシはアンタを異性として見るとか、マジで無理だから」
俺は理解が追いつかなかった。
否、振られたという自覚はあったのだが、好きだと言った相手に何でここまで言われなくちゃいけないのかという疑問、怒気、悲痛が一気に押し寄せてきて、咀嚼するのに時間が必要だったのだ。
「――は?」
『優しいだけ』、『偽善者』、『つまらない』、『中身がない』――繰り返し脳裏を周回する言葉の数々。俺の弱点を的確に突いてきたそれらが全て図星だっただけに、そんな情けない声が漏れてしまった。
「なに? 言いたいことがあるなら早く言ってよ。愛茉たち待たせてるんだから」
いや、言いたいことって……てか、は? 愛茉? あぁ何だ、それが理由かよ。さっきからやけにそわそわしていたのは。
自分の告白が、彼女にとっては待ち合わせ以下でしかなかったという事実は、生傷を無理やり爪で抉られたような感覚だった。
「んだよそれ……」
膝から崩れ落ちる錯覚に見舞われ、これまでの行動が全て無意味だったことを悟ったのだ。生傷はどんどん大きさを増していき、血液は器から零れ落ちる。
自分の勇気も、誠意も想いも全て投げ打った結果が、この仕打ちなのか。
数多の感情が蠢く心中だったが、次第に怒りで満たされていき、怒髪天を衝く。
言い返してこいと、彼女は言ったのだ。
あぁ、だったら望み通り言い返してやるよ。
「――――」
今まで、毎日毎日飽きるくらい連絡を送ってきてたのは、何だったんだよ……。
助けを求めに来たのは何だったんだよ!!
優しいだけとか偽善者とか、人に散々言っておきながら、結局お前も俺のその優しさに甘えてたじゃねぇか!! そのくせに恩を仇で返すような真似しやがって。いや別に、付き合うことを強制するわけでもなければ、受けた恩は返せとか厚かましくするつもりも無いけどさぁ!!
少なくとも、お前は! 俺に!! 偽善者だの何だのを言える資格なんてないはずだろうが!!
感謝こそされれど、暴言を吐かれるような事なんて、俺は……。
それに何だよ中身がないって。
こっちは必死にその中身を作ることでいっぱいで――!!
……ぁ。
これまでの自分の行動が、グループ内での立ち位置が、走馬灯のように想起され、胸を強く強く締め付けた。
自分から意見や提案をすることは殆どなく、グループ内では優しく穏やかな人間で通していた。基本的には否定することもなく、聞き役に徹する。結果的にグループではそこそこの信頼を得ていたし、他の人よりも一歩退いた俯瞰して物事を見れる大人な見解を持てる人間として、地位を確立していたと思っていた。
でも、違ったのだ。
意見や提案、否定をしなかったんじゃない、できなかったのだ。居場所が無くなってしまうことを恐れていたから。
他人よりも一歩退いた大人な見解を持てる人間? 嫌われることが怖かっただけだ。
結局のところ俺は、同調圧力に負けてピアスを空けてしまうような、そんな怯者だったのだ。
あれ、おかしいな。
もうとっくに引いていたはずなのに、耳朶に痛みを感じてしまう。
結局、全て彼女に見透かされていたのだ。
だから、声に出して言い返すことができなかったのだ。
……クソ。
くっそ――ぉ!!
「何も無いならもう行くから。じゃあね」
「――――」
硬直する俺に背を向けると、彼女は手を振って快い様子で去っていく。
つい先程まで恋慕していた彼女の背中は酷く冷たいもので、抱いていた理想像は灰燼と化していた。
去り行く彼女を引き止めることすらできず、彼女が見えなくなって俺はその場でへたり込んだ。
――くだらねぇ。
何が『返事を貰うことが告白に対する誠意』だよ。こんなことなら逃げれば良かったんだ。
……あぁそうか、やっと分かったよ。
告白をした人間が返事を不要とする理由。怖かったんだな、関係が崩れてしまうことが。
甘くみていた。修復なんて不可能だったんだ。
逃げれば傷つくことも無かったし、自分だけがスッキリとした気持ちでいられたんだ。
それでも――。
「クソ――っ!!」
過去がそれを許さなかった。
入学当初に変わろうと決意したあの時の気持ちが、逃げることを許さなかったのだ。
あれ、おかしいな、視界が潤んでよく見えない。
何故だろうか、木っ端微塵に玉砕したというのに何処か清々しいと思ってる自分がいるのは。
「――ハハ。アッハハハハ」
およそ自分の喉から出たとは思えないほどの乾いた笑い声が、校舎裏に響き渡った。
もういいや、変わろうとするのは。
もうやめよう、そのままでいよう。
優しいだけ?
上等だ。優しいだけの人間で生涯を生き抜いてやるよ。
優しいだけの人間はモテないってよく言われているけど、別にモテなくてもいい。楽になろう。
もう、疲れた。
ピアスのついた耳に指をかけ、
「――ッ!!」
透明ピアスを取り外し、天空目掛けて投げ捨てる。
俺の人生初の告白は、こうして惨敗に終わったのだった。
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