【7】異教の祈り(1)
ミーシャが剣を振るった瞬間、光輝く衝撃波が大型獣を切り裂いた。しかし絶命には至らない。その獣、鋼のような甲羅を有する熊型の魔物は、己の血肉をまき散らしながら野太い腕を振り回し、どっしりとした足取りでミーシャに近寄っていく。魔物の腕の軌道の先にたまたまあった岩が砕けた。魔物はその豪腕をミーシャに向かって振り下ろす。しかしグレンが先に動いた。老騎士の剣が魔物の甲羅の隙間を貫いた。魔物は暴れ、身をよじり、グレンを地面に叩きつけようとする。ミーシャが聖句を唱えると、光輝く槍が魔物の頭上に現れて、その暴虐にとどめを刺した。
「グレン、怪我はない?」
「この通り、無傷です。……先を急ぎましょう。街道まで行けば、魔物の出現頻度も減るでしょう」
「そうね。長居はしたくないわ。魔術を使わなければ勝てないような魔物が生息しているなんて……」
二人は剣を鞘に収め、耳をそばだてながら山道を下っていく。
ミーシャの修得している魔術は神聖魔法だった。神への信仰を拠り所に行使するもので、エリシス教独自の術となっている。つまりセリオン人の前で使えば、異教徒の証と見なされかねないということ。ミーシャは剣の達人だった。相手が人間であれば、魔術を使う必要はない。しかし危険度の高い魔物が相手となると、魔術を使わなければ無傷では済まないだろう。他の巡礼者や兵士に見咎められる前に、魔物の生息地を離れたかった。
セリオン国内の要所には、巡礼者に対する検問所がある。不法入国者を検挙するために騎士団が巡礼者の身元確認を行っている。正規の巡礼者は、推薦状を携えている。それを持たない者はその場で拘束されることになっているが、ミーシャとグレンは補給基地の兵士が用意した偽の推薦状を所持していた。二人はエルムリッジ山脈の古い要塞に設けられた関所を通過した。周囲は山と森に囲まれ、逃げ場などなかったが、二人を疑う兵士は一人もいなかった。
宿場町の検問も通過して、翌日の夕方にはエルンガルトに到着した。城壁を有する地方都市で、都市の外には森が広がり、その先には小規模な農村地帯が点在している。城壁に開いた門には検問所があり、茶髪の若い騎士が部下を取り仕切っていた。彼の甲冑はこれまで目にした兵士のものとは違っていた。白銀色の鎧に深紅のマント。セリオン・テンプラーズの聖騎士だった。西の空に沈む夕陽が彼の甲冑を赤く染める。検問待ちの巡礼者の列に並んでいたミーシャは、ふとした瞬間に彼と目が合った。他人を値踏みするような目。礼儀正しく気品があるが、酷薄そうな男だった。
突如、森の方から大きな物音が聞こえた。次いで、男の叫び声。そちらを見ると、二人の子供を連れた夫婦が障気を放つ巨大な四足獣に襲われていた。家族を守ろうとした父親が、魔獣の爪で吹き飛ばされる。母親は幼い子供を抱えて逃げようとするが、足がもつれて転倒する。しかし魔獣のターゲットはもう一人の子供だった。腰を抜かし、地を這うように逃げる子供に魔獣が前脚を振り上げる。今から兵士が駆けつけたところで、間に合いそうになかった。