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最終話
これは小さなお話。
誰にも知られる事なく始まり、そして誰にも知られないままに終わるべきお話。
過去という頸木に繋ぎ止められ、今を決定付けるだけの何一つ波風を立てぬためのお話。
ただ今に生きる者だけは、今に干渉する権利を有した。
それは神に許された事。
故に過去を背景にした者は己の魂の任じるままに今を生きた。
それだけのお話。
かつて訪れた『無敵』の概念魔族。
己に仇為す者全てに必然として敗北を突きつける魔王。
彼はその絶対の性質により全てを成功させ、そして消え去った。
魔王に生み出された『狂った精霊』。
世の理に捕らわれぬ無限の力の授与者。
それは神へ挑んで敗北し、檻に封じられて幾星霜。
ついには解き放たれる事も無く、対となる無限と共に消えた。
そして末姫は、己の愚かさに苦しみ、願望に狂い、愛を痛みに眠りに就く。
記憶を失い時を経て、今という時代に解き放たれた。
少女はやがて過去を得て、己の悔恨に己を蝕んだ。
理想を描く事を止められず、何もせずには居られず。
苦しみ足掻き夢へを歩む。
それが愚かな行為と指差されても。
そしてその果てに英雄と相対し、そして世界に破れ倒れる。
少女はただただ世界に破れた。
その願いを世界そのものが拒絶したために。
その波紋はどこまで世界に赦されるだろうか。
◇ ◇ ◇
男が汗まみれになりながら路地を走り抜ける。
「どうなってやがる!」
悪態を吐いて転がり込むように隠れ家に入った男は一息吐こうとして
「ご苦労さん」
息を呑み、むせた。
「ゲホっ……な、何でここが!?」
「何でってなぁ。
最近この空き家に不審人物が出入りしているって情報があったし。
それ以外の空き家は特に使用された形跡がなかったからな」
シンが何でもないように応じる。
その足元にはここで待機していた部下が転がっていた。
「まぁ、この地区を根城にしたのが失敗だな」
「っ!」
逃げようとするが、背に気配を感じて力を抜く。
背だけではない。この家はもう包囲されている。
「早すぎるだろ、幾らなんでも」
ずるずると力を失いながらの恨み言にシンは肩を竦める。
「よく言われるよ」
◇ ◇ ◇
あれから半年が過ぎた。
アイリンを襲った大恐慌は様々な爪あとを残しながらも、次第にその波を穏やかにしていった。
幸いなのは未だに銀行制度も証券取引も成立していない時代のため、被害が局地的であったことが挙げられる。
その際たる局地が王都アイリーンではあったが、市場の安定化と共に少しずつ元の平静を取り戻しつつあった。
特に北のスラム街の再開発を強行した事で大量の雇用を確保できた事が大きい。
労働を得たスラム街の住人も街もかつての姿を取り戻しつつある。
シーフギルドの問題は結局うやむやとされた。
続く金融問題で決定権を持つ者が出払った事で問題が先延ばしになっている間にシーフギルドの話題そのものをシェルロット自身が無かったように扱い始めたのだ。
そしてその裏でミルヴィアネス、ファフテンの肝いりで一つの企業が立ち上がる。
それは『警備会社』という名目の元に護衛や警備の派遣を基本業務とするもので、他にも屋敷のセキュリティチェックや護身術の教授、各種情報の取り扱いを行っている。
要するにシーフとしての技術を合法活用する形態に作り変えたのである。
この方法は当初からシェルロットの頭にはあった。
しかし本命の目的、つまり花木蘭の権威失墜のための一手としてあえてシーフギルドという形を押し通す事としたのだ。
しかし何者かとの戦闘により花木蘭が重篤となりその必要がなくなったと見るやすぐさまこちらの案へと推移させたのである。
もちろん古参のシーフはこのスタイルに良い顔をしないが、裏の仕事を止めたわけでもない。
彼らにはその部分を担ってもらい、両面で立場を強くするべく活動を続けている。
療養のために花木蘭が表立った動きを見せない間に、そのシステムは深くアイリーンに染み込んでいった。
シーフギルドを統括しても犯罪が無くなるわけではない。
人が集まれば賭場や色町が必然として生まれ、そこに落ちる者は必ず居る。
人生につまずき、犯罪に走る者もまた悲しいほどに居るのだ。
あるいは、そういう生き方しかできない人間も居る。
そんな彼らをも含んだ統括者にして、その反面に治安の守護者たる地位を持つジュダークは多忙な日々を送っていた。
◇ ◇ ◇
「隊長」
隊員の一人が執務室を訪れたの夕暮れ前の頃合だった。
「ウェンペンドさんところの旦那、やっぱり失踪したみたいです」
その言葉に彼は顔をあげ、
「……そうですか」
と苦々しく応じる。
「やはり昨日の遺体……あれは……」
報告者の隊員が言い淀むのも無理は無い。
昨日の未明に一人の男が全身を切り刻まれて発見された。
酷い有様で身元の確認を急いでいる状況だがジュダークはその予想が合っていることを知っている。
だが、赤の軍大佐としての彼はその立場としての言葉を口にする。
「まだ鑑定中です」
顔には痛ましい表情を浮かべて、書類を処理する手を止める。
「……もしそうだったらあの家は……」
「残酷ですが、僕たちに出来ることは真相を調べ、犯人を挙げる事だけです」
彼の言いたい事は充分にわかって居る。
その家の娘は奇病に犯されており、命が危ぶまれていた。
それを何とかしようと借金をし、既に火の車のはずだ。
「僕たちは神様ではありません」
「わかっています。
でも……」
ジュダークはゆっくりと首を横に振る。
ミルヴィアネスの資産の僅かでも使えばその家の借金を返す事など造作も無い。
しかしその家だけを助ける事は公な立場であるジュダークに許されない。
許されるとすれば全ての同じ境遇の者が助けられる場合だけだ。
「貸付を行っている商会は適正金利を敷いています。
詐欺師を捕まえられなかった────詐欺の被害を受けていると気付けなかった時点で僕たちに出来ることは失われました」
言葉にしながらジュダークは無表情を貫けているか不安になる。
そして選択肢が増えるという事の恐ろしさを実感していた。
彼はウェンペンドが誰に、どうして殺されたか知っている。
借金をなんとかするためにある強盗団の手引きをし、不要となって口封じのために殺されたのだ。
強盗団の討伐には成功したがそれより前の異変には対応が間に合わなかった。
「俺……」
思いつめたように言葉を詰まらせる隊員にジュダークは何度も口からこぼれそうな言葉を必死に押し留める。
選択肢が増える事。
その辛さがじわじわと心臓を蝕む。
あの人はどうして『出来る事』を迷う事無くやってしまえたのだろう。
一つの結果を為す事はあまりにも簡単だ。
自愛に満ち溢れた行為だと湛えられ、その家族からは感謝されるだろう。
でもその後は?
考えなければどれだけの人が救えるのだろうか。
十人? 百人? 千人?
しかし時間が経てば経つほど救いを求める人は増えるだろう。
救えなくなったら見捨てれば良いのだろうか?
迷いを断つように隊員の顔を見上げる。
「赤の隊員としてやって良い事と悪い事があります。
そこに僕は貴族としての立場が加わります。
ですが、貴方はどうでしょうか?」
「……俺に、何かできるんでしょうか」
選択肢が広まる事は、その実選択肢を狭めているのではないかと考える。
英雄の行動はその裏にどれだけの悲しみを生み出していたのだろうと考えてしまう。
手段を持たない者は途方に暮れ、持つ者は悩み苦しむ。
なんと世界は苦しいのか。
「その病気、イェスデア症候群ですよね?」
新たな書類を持ってやってきた副官がおずおずと会話に割り込んでくる。
「え、いや、詳しい名前までは」
「ウェンペンドさんのお嬢さんですよね?」
「はい」
「でしたら、差し出がましいかもしれませんが魔術師ギルドのヨカレフト導師を尋ねるように言ってみてはどうでしょうか」
ジュダークが視線を向けると
「ヨカレフト導師は医学と薬学を専攻なさっていらっしゃいます。
悪い言い方をすれば被験体とも言えますが……そのまま何もしないよりは可能性が見出せるかもしれません」
魔術師を頼ると言われると一般人はやはりやや不安がある。
前時代の生贄を捧げる魔術師のイメージは未だ根底に息づいている。
隊員は暫く黙りこくった後、頷く。
「話してみます。
奥さん次第ですけど……」
「導師は自分のお子さんを助けるために医学を志した方ですから、きっと力になってくれると思います」
「はい。
副長ありがとうございます」
頭を下げて去っていく隊員を見送って、ジュダークは大きく息を吐く。
「助かりました」
「私に出来るのはこのくらいですから」
はにかんで手の書類を机に置く。
「隊長は気負いすぎなんです」
相談用に置いてある椅子に腰掛けて終わった資料を眺め見ながらやや咎めるような口ぶりをする。
「シェルロットさんの方がシーフギルドは向いてるんじゃないですか?」
「かも知れませんね」
シーフギルドに一枚噛んでいることを惜しげもなく利用する文官は確か今はルーンに飛んでいるはずだ。
2ヶ月前の会談で協力体制への移行を確認したバール、ルーンの両国は、領土問題でけん制しあいつつも共栄のための模索を始めている。
特にバール側としてはルーンに脱アイリンを目指してもらいたいようでアイリンを経由しない通商ルートなどを推し進める姿勢だ。
流石に放置しては置けないと出て行ったらしい。
「……そう言えばあの人って何処の所属なんですか?」
「……言われてみれば聞いた覚えがありませんね。
やってる事からすれば外務官でしょうが」
どうも文官の上の方が面白がって使っている節がある。
詰めの交渉はベテランが担うとして優秀な一番槍という具合だ。
閑話休題。
「シン大尉が戻ってきてますよ。
無事捕獲したそうです」
「そうですか」
裏から表からアイリーンの情報を見る男でもその全貌を把握し続ける事はできない。
網の目をすり抜けるように犯罪は発生し、彼は事後処理に追われている。
「それから伝言です。
事後処理はこちらで引き受けるから明日からの休暇はちゃんと取れ、だそうです」
苦笑を浮かべるジュダークにライサは「それから」と言葉を接いだ。
「シドニさんからも、いい加減顔を突き合せすぎだから暫く顔を出すな、と」
逃げ道を塞がれてジュダークは苦笑を漏らす。
「どちらも順調に進行しているんですから隊長は見てれば良いと思います」
「……そうかもしれないね」
ジュダークの配下でシーフギルドの件を完全に理解しているのはシンとライサの2人だ。
シンはインジブルの管理と副官としての業務に従事しているため、ライサが魔術師ギルドとの関係強化と裏表含めたジュダークのサポートに徹している。
ジュダークの内心から言えば少なくとも裏に関与させる積もりはなかったのだが、あの一件以来引っ込み思案な部分が鳴りを潜め、気が付けばそんなスタンスに居た。
ギルドの下っ端連中に童顔のライサが「姐さん」呼ばわりされているのはシュールを通り越して異様である。
不思議な事に西の猛虎もライサに対しては見下した様子も無く、円滑なコミュニケーションが成立しているので場合によってはジュダークよりも尊敬の念を抱かれているかもしれない。
「というわけで、明日は私に時間を下さい」
可愛らしい笑顔を見せる副官にジュダークは降参とばかりに苦笑を濃くして「わかりました」と応じる。
ジュダークとライサ。
二人の関係は他人から見れば恋人にも思えるが、実際はもっと曖昧な物だ。
『英雄としての死』の願望からは解き放たれたものの、表では貴族としての立場を未だに有し、更には裏の顔まで背負ったために女性に対する接し方は前とそう変わらない。
強く退ける事は無いが一定のライン以上には踏み込まないというスタンスだ。
ライサも多少は積極的になったとは言え、魔術師ギルドで培われたスタンスがそう簡単に変わるはずもなく、近付きはしたが交わらない、なんとも微妙な平行線を辿っている。
────もっとも、あと半年もしないうちにライサがジュダークを押し倒すという説がジュダーク隊の中では通説となっている。
それを聞いたライサが本気で怒ったら逆に納得する人が増えたというのは余談である。
英雄となれなかった英雄はそんな穏やかな空気の中で痛みを求める自分を思う。
それは他人のための痛みではなく、自己満足のための痛みと悟った今でも、彼の中で渦巻いて彼の手足を縛り付けている。
自分のために突き進んだ英雄を見て、壊れた願いのために足を止めなかった英傑を見て、なりそこないの彼は未だに迷いの中に居る。
ただ一人のための幸せのために。
ライサの姿を見ているとそれを素直に認められない自分が情けなく思う。
そう思っても思いに従えない事も含めて。
「約束ですよ?」
柔らかい笑みを見せる少女の姿にふと誰かの言葉が重なる。
誰の言葉だったか?
その答えは遠くないうちに理解するだろう。
そして言われるのだ。
「だから、アンタはあの人にそっくりなんだって」
◇ ◇ ◇
少女は世界と世界の狭間で目を覚ます。
転移術の知識がある彼女にはこの場所をすぐに理解し、そして自分を保護する結界を見て誰の仕業かを悟った。
淡々と、知識が理解を進めていく。
しかし感情はピクリとも動こうとしなかった。
事実として、自分は失敗した。
失敗させられた。
数字にもできない小さな可能性をゼロではないからというただそれだけの傲慢さで100%に書き換えられ、ここに居る。
時間の流れすらあるかわからない狭間の中で知識は誤りとされた計算式を再度やり直す。
数字の世界に感情は無い。
99.99999999999%の成功率は100%で無いが故に失敗の可能性を秘めている。
つまりは100%でないから敗北した。
数字の世界は結論する。
人はこれを理不尽と言うだろう。
違う。
そこには一つ大きな計算違いがあった。
ガラス玉のように生命の輝きを失せた瞳がまるで星の海のような狭間の空間を見る。
それは主観かそれとも光も闇も定義されていない世界で脳が都合よく作り出した空想か。
数多の星は即ち世界なのだろう。
その世界は何か。
世界とは、何も考えずただ在るモノではない。
その一つ一つが意志を持つのではないか。
────それを本当の意味でカミと称するのではないか。
それは世界の法則であり、原理だ。
だから例え100%であってもそれを0%にするという意志を持てるのではないか。
ならば。
脳裏に描く試算の全てが露と消えた。
この式に何の意味があるというのか。
世界が認めるか認めないか。
結局全ての事象がそれで決まるのであるならば─────
思考が消える。
何もかもを投げ捨てて心を無にして少女は星の海を見る。
その全ての世界は同じなのだろうか。
選ばれた英雄を愛し、愛さなかった者に無慈悲な結末を与えるのだろうか。
だったら。
何も願わない事が幸せではないか。
少女は目を閉じる。
いずれどこかの世界に引き込まれるのだろうか。
それはその世界に求められたからだろうか。
そしてそれは、愛されるべき存在としてか。
それとも、愛されるべき存在の前に屍を曝す者として、だろうか。
深い、夢さえ見ぬ眠りに落ちるように。
少女は意識を閉じた。
Late,Late,Late
親離れできなかった子供は親を失って迷走する。
周囲の悪意に抗う術も持たず、ただ搾取されるだけの餌と成り果てる。
Late,Late,Late
たった一人の英雄に率いられた国は、それを失う事を恐れ過ぎた。
依存すればするほど失った時に立ち直れないと知っていながら、その安住から離れるという選択をできなかった。
故に英雄が死んでもその思想は毒のように残り、全ての未来を狂わせて行く。
誰も英雄の毒を取り除けない。
Late,Late,Late
時に捨てられた子は届かぬ過去に悔恨の腕を伸ばす。
掬っても掬っても湖の月は掬えない。
それでも月を欲したために壊れた理想の再現を求める。
それは結局はニセモノで、かつての理想は今の理想にはなりえない。
Late,Late,Late
それでも全ては失われる。
永遠は時間という概念に否定され、全ての幻想は当然のように打ち砕かれる。
安住を失えば悲劇のみが舞台の支配者を名乗り、抗う術を持たないエキストラはただただ何故と問う。
それでも先は生み出される。
遅すぎた後始末。
その代償を払った後に未来は当たり前のように続いていく。
Late,Late,Late
Late,Late,Late
或いは────
世界はそんな事実すらも─────




