木札の呪い
その村には「木札の呪い」という忌まわしい言い伝えがあった。木札とは、神社や寺院の参拝者が願いを書いて奉納する札のことで、この村の神社でも古くから行われてきた。しかし、一枚だけ存在する「黒い木札」に触れることを厳禁とされていた。
木札は神社の奥の蔵に保管されており、普段は誰も立ち入ることができない。その蔵に足を踏み入れた者は、7日以内に「呪われて死ぬ」と語られていた。
ある日、村に大学生のグループが訪れた。都会から来た彼らは、この神社の怪談を聞きつけ、肝試しのつもりで神社に忍び込むことにした。夜の闇に包まれた神社は不気味で、鳥居をくぐるたびに冷たい風が彼らの背中を押すように吹き抜けた。
「本当に呪いなんてあるのかよ?」
一人が笑いながら言った。他のメンバーも軽口を叩きながら、神社の奥にある蔵を目指した。そこに着いた彼らは、鍵のかかった扉を無理やりこじ開け、中に入り込んだ。
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蔵の中は古い木の香りと湿気に満ちていた。無数の木札が棚に並んでおり、それぞれに願い事が書かれている。恋愛成就や家内安全など、素朴な願いが大半だったが、棚の奥に一際異様な札が目に留まった。それは他の木札とは違い、黒々とした色をしていた。
「これが噂の木札か?」
一人が手を伸ばそうとしたとき、もう一人が止めた。
「やめろよ。本当に呪われたらどうすんだ?」
しかし、止めた声は届かなかった。黒い木札に触れた瞬間、部屋全体が不気味な冷気に包まれた。蝋燭の明かりが一瞬で消え、闇が彼らを飲み込んだ。誰かが叫び声をあげたが、その声もすぐに途絶えた。
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翌朝、地元の住民が神社で異変に気づいた。蔵の前に大学生の一人が倒れており、顔は恐怖に歪んでいた。彼の手には黒い木札が握られており、そこには血で書かれたような文字が浮かび上がっていた。
「7日間…」
その後、彼らの一人一人に次々と不幸が降りかかった。最初の犠牲者は、車の事故で即死。次は自宅で謎の病に倒れ、そしてまた一人は行方不明となった。残ったメンバーは怯え、村の住民に助けを求めたが、誰も黒い木札の話を聞こうとはしなかった。
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最後の生き残りである遥は、自分だけは助かろうと神社に戻り、木札を元の場所に戻そうとした。だが、彼女が蔵に入った瞬間、異形の影が現れた。それは人の形をしていたが、顔は真っ黒で目だけが赤く輝いていた。
「お前が…触れた…」
低い声が響き渡り、遥は恐怖で動けなくなった。影はゆっくりと彼女に近づき、その冷たい手を彼女の喉元に伸ばした。翌日、彼女の遺体が発見されたが、顔には恐怖の表情が張り付いていた。
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それ以来、神社の蔵はさらに厳重に封印された。村の者たちは、その場所を話題にすることすら避けるようになった。そして「黒い木札」の伝説だけが、静かに語り継がれることとなった。
しかし、蔵の扉の向こうから聞こえる囁き声に気づく者は、今でも後を絶たない。
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遥の死から数ヶ月後、村に新たな住人が越してきた。その家族の中には、大学生の頃、怪談研究サークルに所属していた男性・翔がいた。村の歴史や伝説に興味を持つ彼は、黒い木札の話を耳にすると、興味を抑えきれなくなった。
「黒い木札か…。本当に呪いなんてあるのか?」
翔は地元の古老たちから話を聞こうとしたが、誰も多くを語ろうとしなかった。ただ一人、村で最も古い神職の家系に生まれた八代という老人が、渋々とした表情で話し始めた。
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「黒い木札は元々、災いを封じるために作られたんだよ。今でこそ神社の宝物とされているが、その実態は…災いそのものを封じ込めた器だ。昔、この村で疫病が流行ったとき、村人たちはある異教の巫女を生け贄にしてその災いを止めようとした。巫女の怨念を封じ込めたのが、その木札だと言われている。」
「生け贄…?それで村は救われたんですか?」翔が尋ねた。
「いや、その後も災いは止まらなかった。巫女の呪いが強すぎたんだ。木札に触れる者は、巫女の怨念に飲み込まれる。だから決して近づくなと言われている。」
老人の話を聞き終えた翔だったが、逆に好奇心が高まった。「もし呪いが本当なら、それを解明すれば村の歴史を変えられるかもしれない」と考えたのだ。
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その夜、翔は誰にも告げず神社へ向かった。月明かりが薄く差し込む中、彼は神社の鳥居をくぐり、蔵の前に立った。扉には封印のような縄が巻かれていたが、翔はそれを慎重に解いた。そして、重い扉を押し開け、中に足を踏み入れた。
蔵の中は以前と同じように無数の木札が並んでいたが、翔の目はすぐに黒い木札を捉えた。その木札は他の木札とは異なり、どこか生き物のような気配を漂わせていた。
「これが黒い木札か…」
彼は手を伸ばし、木札を持ち上げた。その瞬間、激しい頭痛とともに耳元で囁くような声が聞こえた。
「助けて…私を…自由にして…」
翔は思わず木札を放り出しそうになったが、何とか踏みとどまった。その声にはただの恐怖だけでなく、どこか哀れみのような感情が込められているように思えた。
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木札を持ち帰った翔は、夜通しその秘密を探ろうとした。札に書かれた文字を読み解こうとするうち、あることに気づいた。黒い木札には、古い呪文のようなものが刻まれていたが、それを逆さまに読むことで「呪いを解く手がかり」が浮かび上がるのだ。
呪文を解読した翔は、驚愕の事実を知った。巫女の怨念を鎮めるには、黒い木札を村の外れにある「供犠の井戸」に投げ入れる必要があるというのだ。しかし、その儀式には代償が伴うとも記されていた。それは「木札に触れた者自身の命」だった。
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翌朝、翔は決意を固め、供犠の井戸へ向かった。井戸は村の外れの森の奥にあり、今では朽ち果ててほとんど人が訪れることはなかった。その場所に立った翔は、木札を握りしめて呪文を唱え始めた。
すると、周囲の空気が急に変わった。風が吹き荒れ、井戸の中から何かが這い出してくるような音が聞こえた。黒い霧が井戸を覆い、霧の中から一人の女性の姿が現れた。それは、かつて生け贄にされた巫女だった。
「私の呪いを解こうというのか…?」
彼女の声は冷たく、しかしどこか悲しげだった。翔は震えながらも答えた。
「この呪いを終わらせたいんだ。君を解放することで、村も救われる。」
巫女は静かに微笑み、翔の手から木札を受け取った。そして、井戸の中へと消えていった。
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翌日、村は奇妙な静けさに包まれた。翔の姿はどこにも見当たらず、彼の家には黒い木札が一枚だけ置かれていた。そこにはこう記されていた。
「全て終わった…ありがとう」
呪いは解かれたのだ。しかし、翔の姿を知る者はもう誰もいなかった。
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翔が姿を消してから数年が過ぎた。村は呪いから解放され、以前の平穏を取り戻していた。しかし、その平穏はどこか不気味な違和感を伴っていた。村人たちは表立って話さなかったが、神社の近くを通るたびに感じる冷たい視線や、夜な夜な聞こえる囁き声が消えたわけではなかった。
翔の妹、梓は兄の失踪以来、村を訪れることを避けていた。だがある日、翔が生前に残したノートを整理していると、一枚の手紙が見つかった。
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**「梓へ」**
もしこれを読んでいるなら、僕はもうこの世にいないだろう。
でも、信じてほしい。僕は村を救うために、自分の命を捧げた。
それでも、すべてが終わったとは言い切れない。呪いには残留する力があり、完全に浄化するには、木札そのものを破壊しなければならない。
だが、それを実行するには、僕の力では足りなかったんだ。
梓、もし君に力があるなら、最後の使命を果たしてほしい。木札を探し出し、それを再び井戸に封印する儀式を行ってくれ。
村の未来は君にかかっている。
翔より
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手紙を読んだ梓は迷った。兄が成し遂げられなかったことを、自分が果たすべきなのか。だが、手紙に記された兄の決意と、村の平穏を守りたいという想いに心を動かされ、彼女は村に向かう決心をした。
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梓が村に到着したとき、村人たちは驚きの表情を隠せなかった。翔の家には手をつけた形跡がほとんどなく、部屋の隅には兄が最後に残した黒い木札がそのまま置かれていた。梓はそれを手に取ると、かすかに耳元で声が聞こえた。
「戻れ…井戸に戻せ…」
その声に導かれるように、梓は供犠の井戸へ向かった。森の奥深く、兄が最後に訪れた場所。そこには今も薄暗い気配が漂っていた。梓は兄のノートに記されていた手順通り、呪文を唱えながら木札を井戸の上に掲げた。
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すると、井戸から再び黒い霧が噴き出し、巫女の姿が現れた。彼女はじっと梓を見つめ、その瞳には憎悪ではなく悲しみが宿っていた。
「あなたも私を縛るのですか?」巫女は静かに問いかけた。
梓は震える声で答えた。
「縛りたいわけじゃない。ただ、あなたの苦しみも、村の苦しみも終わらせたいの。」
巫女はしばらく沈黙していたが、やがて微笑んだ。
「その願い、受け入れましょう。ただし、最後にもう一つ試練があります。」
巫女の言葉と同時に、梓の目の前に翔の姿が現れた。彼は苦しそうに手を伸ばしながら、声にならない声で何かを訴えている。
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「兄さん…!」梓は叫びながら翔に近づこうとしたが、巫女の冷たい声が彼女を制した。
「彼を助けたいなら、木札を破壊しなさい。しかし、それには大きな代償が伴います。」
梓は木札を握りしめた。この選択がすべてを終わらせるかもしれないが、同時に自分の命や魂がどうなるのかは分からなかった。しかし、兄を救いたい、その一心で彼女は決断した。
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木札を井戸に投げ入れ、強く祈りの言葉を唱えた。その瞬間、井戸から激しい光が放たれ、巫女と翔の姿が溶けるように消えていった。辺りは静寂に包まれ、木札は完全にその存在を失った。
梓が目を開けると、森は穏やかな陽光に照らされていた。巫女の気配も、井戸の呪いも消え去り、全てが終わったのだと感じた。しかし、翔の姿も、もう二度と見ることはできなかった。
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梓は村を去り、再び訪れることはなかった。しかし、村人たちは呪いから完全に解放され、平和を取り戻した。井戸は封印され、二度と誰も近づくことはなかった。
そして、梓は時折、兄の声を夢で聞く。
「ありがとう、梓。君のおかげで僕は自由になれた。」
その言葉が、彼女の心を支え続けた。
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梓が井戸で木札を破壊してから十数年が経った。村は呪いから解放され、表向きは何事もなかったかのように静かで穏やかな日々を送っていた。しかし、一部の村人たちは気づいていた。呪いは確かに終わったものの、完全に消滅したわけではないことを。
黒い木札が破壊された直後、供犠の井戸の近くに奇妙な黒い花が咲き始めた。その花は、昼夜を問わず光を吸い込むように黒々と輝いていた。村の古老たちはそれを「怨念の残滓」だと囁き、再び不吉な出来事が起こるのではないかと恐れた。
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梓は村を離れた後も、心の奥底で何かが終わっていない感覚に悩まされ続けていた。兄の夢を見るたびに、翔はどこか悲しげな表情でこう告げた。
「まだ完全には解決していない…。木札は滅びたけど、呪いの根源は井戸の奥深くに眠っているんだ。」
梓はその言葉に耳を傾けるたび、自分がもう一度村に戻るべきなのではないかと考えた。しかし、何度も足を止める理由があった。それは恐怖、そして自分の命を懸けてまで再び呪いと向き合う覚悟がなかったからだ。
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**ある日の訪問者**
そんな彼女のもとに、ある日、見知らぬ訪問者が現れた。
訪問者は壮年の男性で、古びた神職の装束を身にまとっていた。彼の名は八代俊樹。梓の兄と同じく、呪いや怪異に興味を持つ者だった。
「梓さん、あなたが木札を破壊してくれたおかげで村は救われました。でも、まだ残る怨念が、井戸の中で力を蓄えているのを感じます。」
八代の言葉に梓は目を伏せた。自分の行動が不完全だったことを改めて思い知らされたのだ。
「私に何ができるというんですか…?もう、兄もいないんです。」
「でも、あなたには兄の遺志があります。そして、兄が命をかけて残したものを継ぐ力がある。私と一緒に井戸に向かいましょう。」
八代の目は真剣そのものだった。梓は自分の心にある恐怖を抑え込みながら、頷いた。
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**井戸の最深部へ**
供犠の井戸に再び足を踏み入れた梓は、周囲が以前とは異なる気配に包まれていることに気づいた。黒い花は枯れ果て、代わりに井戸の奥からかすかに人の呻き声が聞こえる。
八代が呪符を取り出し、井戸の周囲に張り巡らせると、霧が立ち込めるように井戸から黒い影が現れた。それは、かつて巫女として生け贄にされた怨霊の残り火だった。
「あなたたち…私を完全に消し去るつもりですか?」
巫女の声はどこか哀れで、それでも憎悪に満ちていた。梓は震える声で答えた。
「もう誰も苦しまなくていいようにしたい。それだけよ。」
巫女は冷たく笑った。
「ならば、私の苦しみを味わいなさい。」
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八代が呪文を唱え始めると、井戸の中から黒い手が伸び、梓と八代を引き込もうとした。しかし、梓は兄の残したノートの最後の一文を思い出した。
**「すべての呪いを終わらせるには、巫女に真実を伝えること。それが唯一の解決法だ。」**
「あなたは村に捨てられた。そして苦しんだ。だから呪った。でも、それはもう終わったのよ。あなたの呪いで村は変わった。もうあなたを必要とする人はいないわ。」
梓の言葉に巫女は一瞬動きを止めた。そして、静かに言った。
「私が…いらない…?」
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巫女の黒い影は次第に薄れ、代わりに美しい女性の姿が浮かび上がった。彼女の目には涙が浮かび、怨念に満ちていた顔は悲しみと安らぎの中間のような表情をしていた。
「ありがとう。私をここから解放してくれて。」
そう言い残すと、巫女の姿は光に包まれ、完全に消滅した。井戸の中からはもう何も聞こえず、呪いの痕跡も消え去っていた。
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**新たな平穏**
村に戻った梓と八代は、すべてが終わったことを確認した。村人たちも井戸の周囲に立ち入ることはなくなり、神社の蔵も封印されたままだった。
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呪いが完全に終わり、供犠の井戸も崩壊してからさらに数十年が経った。村はすっかり現代化し、外部からの観光客も訪れるようになった。古い伝承は忘れ去られ、神社も観光地の一部として扱われるようになったが、その奥にある「蔵」だけは、今でも鍵がかけられ、誰にも触れることは許されなかった。
梓は村を去った後、静かな生活を送り続けた。彼女の中には兄と八代、そして巫女の記憶が深く刻まれていたが、それを他人に語ることはなかった。ただ、一つの木箱を大切に保管していた。それは、兄が遺したノートと、八代が儀式で用いた小さな呪符が収められた箱だった。
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**奇妙な手紙**
ある日、梓の元に一通の手紙が届いた。差出人は不明だったが、封筒には「供犠の井戸」とだけ記されていた。中には短い文章が書かれていた。
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**「呪いは終わっていない。蔵の奥を調べよ。」**
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梓の手は震えた。呪いが完全に終わったはずなのに、再びその影が差し込んできたように感じられた。彼女は村に戻るべきか迷ったが、兄と八代の犠牲を無駄にしないためにも、再び立ち向かう決意を固めた。
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**神社の蔵**
久しぶりに訪れた村は、すっかり変わり果てていた。観光地化された神社には見慣れない人々が溢れていたが、梓が目的としている「蔵」の前は、誰も近づこうとしなかった。
梓は神社の管理人に話をし、特別に蔵の中を調べさせてもらう許可を得た。蔵の中に入ると、そこにはかつてと変わらない木札が無数に並んでいた。だが、奥へ進むにつれ、彼女は異変に気づいた。破壊されたはずの黒い木札の「欠片」が、いつの間にか棚に戻っていたのだ。
「これは…どういうこと…?」
その瞬間、背後で扉が閉まる音がした。振り返ると、そこには誰もいない。しかし、空気が一気に冷たくなり、かつて巫女の怨念を感じたときと同じ不気味な気配が漂ってきた。
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**新たな影**
蔵の奥から低いうめき声が聞こえた。棚の隙間から黒い影が現れ、それは次第に人の形を取っていった。だが、かつての巫女とは異なり、それは混沌とした無数の顔を持つような存在だった。
「終わったと思ったか…我らは終わらない…」
その声は複数の人間が同時に話しているようで、耳を刺すような響きだった。梓は木札の欠片を握りしめ、兄がノートに記した最後の言葉を思い出した。
**「真実の呪いは、人々の心に潜む恐れが生み出す。」**
この言葉の意味を、梓はようやく理解した。呪いは黒い木札そのものではなく、それに触れた者が抱く恐れや憎悪、悲しみが新たな呪いの源となるのだ。
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**最後の選択**
梓は木札の欠片を床に叩きつけ、強く叫んだ。
「もう誰も呪いに支配されない!あなたたちの力は、私たちの心が生んだもの。だから私たちが終わらせる!」
その瞬間、蔵全体が激しく揺れ、棚に並んでいた木札が次々と崩れ落ちた。黒い影が梓に襲いかかろうとしたが、その中に兄・翔と八代の姿が一瞬だけ浮かび上がった。
「梓、よくやった。これで本当に終わる。」
兄の声が届いた瞬間、蔵全体が光に包まれ、黒い影は跡形もなく消え去った。
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**本当の終わり**
梓が目を開けると、蔵はもぬけの殻だった。黒い木札の欠片も、怨念の気配も、すべて消えていた。神社の管理人が駆けつけ、梓が蔵から出てきたのを見て驚いた。
「何があったんですか?」
梓は微笑んで答えた。
「すべて終わりました。もう呪いは戻ってきません。」
その後、蔵は完全に封印され、二度と開かれることはなかった。村も再び静けさを取り戻し、呪いの話は永遠に歴史の中に埋もれることとなった。
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梓は村を去り、新しい人生を歩み始めた。兄や八代の記憶を胸に刻みながら、彼女は静かに、そして力強く生き続けた。
時折、風の音に兄の声が混じる気がした。
「ありがとう、梓。君がいてくれてよかった。」
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それでも、梓は兄の声を時折夢で聞くことがあった。
「ありがとう、梓。君のおかげで、巫女も僕も自由になれたよ。」
その言葉を最後に、翔の声はもう二度と聞こえなくなった。
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梓が「再生の地」で見た泉の扉を通り抜けると、目の前には見知らぬ景色が広がっていた。それは、数百年前の村そのものだった。鳥居は今よりも古びておらず、人々が神社に集まり、何か大きな儀式の準備をしている様子が見えた。
「これが…呪いの始まり?」
梓は驚きながらも、誰かに気づかれないよう静かに様子を見守った。目の前で繰り広げられているのは、かつて村を救うために行われたとされる「巫女の生け贄」の儀式だった。しかし、彼女が伝えられてきた話とは異なる何かがあるように思えた。
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**儀式の裏**
村人たちは神妙な面持ちで、若い女性を中央に立たせていた。彼女が「巫女」と呼ばれていた存在だろう。その顔には涙が浮かんでいたが、同時に何かを諦めたような静けさがあった。
巫女の周りでは、村の長老たちが古代の言葉を唱えながら、木札を並べていく。その中に、一際黒く異様な木札があった。それは明らかに、後に呪いの象徴となる「黒い木札」そのものだった。
「災いを封じるため、我々はこの者を捧げる。」
長老の言葉に合わせて、巫女は目を閉じ、静かに頭を垂れた。しかし、梓はその光景を見て不自然さを感じた。
巫女の後ろに立つ数人の男たち――その目に宿るのは、恐れや哀しみではなく、欲望のような冷たい輝きだった。
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**巫女の怨念の真実**
梓はその男たちの動きをじっと見守った。そして、驚愕の事実に気づく。巫女は生け贄にされるのではなく、村の中で権力を握るための策略として「犠牲者」に仕立て上げられていたのだ。
「これで災いが収まらなければ、全ては巫女の怨念のせいだ。」
男たちの声が耳に届いた。
それは、村を守るための儀式ではなく、巫女を罪の象徴に仕立て上げ、自分たちの失政を隠すための残酷な計画だった。
巫女が木札に触れる瞬間、その体は震え、怨念が彼女の中に宿る光景が見えた。村人たちは歓声を上げるが、梓には巫女の絶望に満ちた表情が焼き付いて離れなかった。
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**未来への帰還**
その光景が消えると、梓は再び泉の前に立っていた。目の前に現れた巫女の霊が語りかける。
「私の怨念の正体、それは村人たちが私に押し付けた罪の記憶。それが木札を通して、永遠に呪いとなったのです。」
「では…あなたの呪いを終わらせるにはどうすればいいの?」
巫女は静かに微笑み、白い木札を梓に手渡した。
「この木札に、私を憎む者たちの罪を記しなさい。そして、それを村人に伝えなさい。そうすることで、私の記憶は清められるでしょう。」
梓は頷き、木札を握りしめた。
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**村の真実を伝える**
村に戻った梓は、長老たちに巫女の記憶を語り始めた。最初は誰も耳を貸そうとしなかったが、彼女が木札を掲げ、巫女の言葉を繰り返すと、少しずつ村人たちはその真実を受け入れ始めた。
やがて、神社で大規模な浄化の儀式が行われ、白い木札が供犠の井戸に捧げられた。その瞬間、村を覆っていた重苦しい気配が完全に消え去り、空には清らかな光が差し込んだ。
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**永遠の平穏**
すべてが終わった後、梓は再び村を離れる決意をした。彼女が村を去る日、神社の鳥居をくぐる際に、風が静かに彼女の髪を揺らした。その風の中には、兄と巫女、そして八代の温かな声が混ざっていた。
「ありがとう、梓。君が私たちを救ってくれた。」
その声を胸に、梓は新たな人生の一歩を踏み出した。
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### エピローグ
呪いが完全に解かれ、村に平穏が戻ってから数十年が経った。村の古い神社は、もはや観光地としての役割を終え、静かに自然へと溶け込んでいった。供犠の井戸も、今では森の一部として朽ち果て、誰もその存在を気に留めることはなくなった。
しかし、村人たちの間では、「木札の呪い」の話が伝説として語り継がれていた。それは恐怖の物語ではなく、かつて起きた悲劇と、それを乗り越えた人々の勇気を象徴する教訓となっていた。
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**梓のその後**
梓は村を離れた後も、兄・翔や八代、そして巫女の霊が教えてくれたことを胸に生き続けた。彼女は村の伝説を元にした書物を執筆し、多くの読者にその物語を伝えた。本の最後にはこう記されている。
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**「真実を知ることは、痛みを伴う。それでも、その痛みを受け入れることで、私たちは未来を切り開くことができる。」**
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梓はその本を出版した後も、静かに人生を送り続けた。彼女の家には、兄のノートと白い木札の模造品が飾られており、それを見るたびに彼女はかつての出来事を思い返していた。
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**村の未来**
村はやがて再び活気を取り戻し、昔ながらの風習や祭りが復活した。若い世代は、「木札の伝説」を通じて、過去の過ちを繰り返さないことの大切さを学んでいた。
ある夏の日、村の子どもたちが神社の跡地で遊んでいると、風に乗って柔らかな囁き声が聞こえた。
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**「ありがとう…すべてが終わり、私は自由になった…」**
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それが誰の声か、子どもたちには分からなかった。しかし、その場にいた全員が、不思議と安心感に包まれたのを覚えているという。
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**終わりなき物語**
木札の呪いは、完全に終焉を迎えた。だが、それは決して忘れ去られるべきではない過去だった。梓が遺した物語は、真実と向き合うことの大切さ、そして希望を信じる心を多くの人々に伝え続けた。




