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夜の囁き

海辺に住む人々の生活は、常に海と共にあった。穏やかな日々の中、村人たちはその豊かな恵みを享受する一方で、海の持つ神秘と畏怖の念を抱き続けていた。夜になると、村人は決して海辺に近づかない。長年、村には「夜の声」に関する言い伝えが伝わっており、その囁きを聞いた者は二度と戻れないとされていたからだ。


しかし、一人の若者がその禁忌を破ることとなる。ある夏の夜、彼は何かに呼ばれるように海へと足を運び、そして…静かに囁く声に導かれるまま、彼の運命は夜の海に飲み込まれていく。


この物語は、古びた漁村に語り継がれる「夜の声」にまつわる恐ろしい伝承と、若者が海に引き寄せられるように運命をたどる姿を描いている。夜の海がもつ未知なる力と、そこに潜む哀しい囁き。その声を聞いた者は、二度と帰ってくることがない──。

海辺の村に住む人々は、何世代にもわたり、海が持つ特別な力を信じていた。海は生活の糧であり、守り神でもあるとされ、決して粗末に扱われることはなかった。だが、村にはひとつの禁忌があった。夜になると、村人は決して海に近づいてはならないという掟だ。どれだけ好奇心が強い者でも、夜の海には決して足を踏み入れない。それは村に古くから伝わる「夜の声」を聞いてしまうことを恐れているからだ。


一人の若者、名を涼太という青年がいた。彼は漁師として働きながら、毎日海と向き合って生きていた。生まれたときから海に親しんできた彼にとって、海は家族のような存在だった。しかし、そんな彼でも「夜の海」のことは祖父から何度も忠告されてきた。祖父はいつも険しい顔で、「夜の声を聞くと戻れなくなる」と語った。その言葉の真意を、涼太は理解できずにいたが、祖父の言うことを守り続けてきた。


ある夏の夜、涼太はふとした衝動に駆られた。波の音が異様に大きく聞こえ、まるで自分を呼ぶように感じたのだ。彼は寝つけずに家の中をうろうろし、最終的に家の外へと足を運んでしまった。月明かりが海を照らし、静かな波の音が響く夜の浜辺は、いつもと違う静けさに包まれていた。涼太の足は自然と海の方へ向かっていた。


浜辺にたどり着くと、涼太はぼんやりとした霧の中から、何かが彼を見つめているような感覚にとらわれた。ふと耳を澄ますと、かすかな囁き声が風に乗って聞こえてきた。誰もいないはずの浜辺で、確かに人の声がしたのだ。それは村人の声にも似ていたが、同時に遠い過去からの囁きのようでもあった。


「涼太……」


涼太は驚き、辺りを見回したが、誰もいない。だが声は続けざまに聞こえてきた。


「帰ってきて……待っているんだ……」


その声は、まるで親しい人からの懇願のように響いた。涼太は恐怖と好奇心が入り混じり、気がつけばその声の主を求めて海の中へと足を踏み入れていた。波が足首を包み、冷たい水が彼の体を引き寄せるように感じた。しかし、その瞬間、頭の中で祖父の言葉が蘇った。


「夜の声を聞くと戻れなくなる」


涼太は何とかしてその声を振り払おうとしたが、耳元で囁く声は消えるどころか、さらに近づいてくるようだった。次第に声は増え、まるで無数の人々が彼に話しかけているかのようだった。


「助けて……」「忘れないで……」「ここで待っている……」


声の正体が分からず、涼太は恐怖で震えながらも、もう一歩、また一歩と深く海に足を踏み入れた。その瞬間、波の中から手が伸び、彼の足を掴んだ。驚愕の表情で涼太は海を見下ろしたが、そこには何も見えない。だが、その「見えない何か」は確かに彼を掴み、引き寄せようとしていた。


恐怖に駆られた涼太は、全力で逃げ出そうとした。しかし、波の中から次々と腕が伸び、彼を離そうとはしない。それらの腕は冷たく、まるで氷のようで、彼の足をしっかりと捕まえて離さない。やがて涼太の意識が薄れ、囁き声が再び耳元でささやき始めた。


「おかえり……ずっと待っていたよ……」


涼太の視界は暗闇に包まれ、彼は最後の意識の中で、海底へと引きずり込まれる感覚に絶望した。


翌朝、村人たちは浜辺で涼太の靴だけを見つけた。それ以来、村では「夜の声」に耳を傾けた者は二度と戻らないという噂がさらに広まり、掟が厳しく守られるようになった。


村人たちはそれを知っていた。夜の海には、かつて海に飲まれた魂たちが眠っており、彼らは新たな仲間を常に求めているのだと。夜の海が呼ぶ声は、決して無視してはいけない。それは、帰ることのできない者たちの悲しい囁きだからだ。


こうして、涼太もまた「夜の声」のひとつとなり、夜な夜な海辺で誰かを呼び続けるのだった──「帰ってきて……待っているんだ……」

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