抜け落ちた囁き
暗闇の中、痛みがじわじわと忍び寄ってきた。頭の中で鼓動が響き、痛みは歯から始まり、口全体に広がっていた。彼女は鏡の前で歯を見つめ、何かが違うことに気づいた。
「おかしい…」
歯が少しずつ変色し、黒くなっているように見えた。触れるとズキンと痛みが走り、指を引っ込める。痛みは次第に強まり、眠れない夜が続く。
歯医者に行くことを決心したが、奇妙なことに予約日が近づくたびに不思議な夢を見るようになった。夢の中で彼女は見知らぬ暗い診療室にいる。そこには白い歯が整然と並べられたトレーがあり、歯の一本一本からかすかな呻き声が聞こえるのだ。夢の中でその呻き声を聞くと、彼女の歯が一層痛むようだった。
ある晩、夢の中で見た診療室が現実のもののように感じられるほどリアルになり、痛みに耐えかねて飛び起きた。歯医者の予約日が翌日に迫っていることを思い出し、安堵する反面、何か不安な気持ちが心の中に渦巻いていた。
翌日、歯医者に到着すると、待合室には異様な空気が漂っていた。患者たちの顔は皆無表情で、何かを恐れているように見えた。診療室に呼ばれると、彼女は重い足取りで中へと入った。
担当の歯科医は、冷たい笑みを浮かべて彼女を迎えた。診療台に横たわり、緊張でこわばる体を少し落ち着けようとしたが、部屋に漂う不気味な雰囲気がそれを許さなかった。
「口を開けてください」と歯科医が言い、彼女は指示に従って口を開ける。歯科医が口の中をのぞき込んだ瞬間、その顔に満足げな笑みが浮かんだ。
「やはりね、これは珍しいケースだ。あなたの歯は、特別だ」
その言葉に、彼女は思わず震えた。歯科医の目が、何か異様な輝きを放っているように見えた。口の中で感じる冷たさが、単なる治療器具のせいではないように感じられた。
すると、歯科医が銀色の道具を手に取り、無慈悲に彼女の歯を引き抜き始めた。痛みが爆発し、声を上げようとしたが、声は出ない。まるで喉を何かに締め付けられているかのようだった。
彼女の視界がぼやける中、歯科医の姿が変わっていった。顔が歪み、真っ黒な瞳が彼女を貫くように見下ろしている。その目には、人間ではない何かの意志が宿っていた。
「あなたの歯は…私に従うのです」
彼女は必死に抵抗しようとしたが、体は重く、動かすことができなかった。歯科医は次々に彼女の歯を引き抜き、歯の一本一本を嬉々とした表情で観察していた。
最後の一本の歯が抜かれる瞬間、彼女の意識は闇に沈んだ。
***
彼女が目を覚ましたとき、そこは自宅の寝室だった。しかし、何かが違う。鏡の前に立つと、口を開けて確認する。そこには歯が一本もなかった。
その夜から彼女は再びあの夢を見るようになった。今度は彼女自身がトレーの上に並べられた一本の歯になっていた。そして、周りの歯たちの悲痛な呻き声が、彼女の心に響き続けた。