夜の街灯
霧が立ち込める秋の夜、人気のない路地裏に街灯がぽつりと灯っていた。その明かりは薄暗く、不気味な雰囲気を醸し出していた。石畳の道には湿気が染みついており、足音が反響している。誰もが通りたがらないその道を、一人の男が歩いていた。
男の名は佐藤悠太、30代半ばの会社員だった。仕事のストレスで不眠が続き、いつも夜遅くに一人で歩き回ることが習慣になっていた。今日は特に疲れていたが、どうしても眠れない。そこで、気晴らしに近所を散歩していたのだ。
「なんだ、この街灯…」
ふと立ち止まった。見慣れたはずの路地裏だが、その街灯だけが異様に目立っていた。奇妙なことに、まわりの建物や道の形すら、いつもとは違うように感じる。辺りを見回しても、目印になるようなものはなく、いつの間にか見知らぬ場所に迷い込んだような錯覚に陥っていた。
「まあ、どうせ一本道だ。迷うわけがない」
そう自分に言い聞かせて、佐藤は再び歩き出す。だが、歩いても歩いても街灯が消えないどころか、距離が縮まらない。不安が胸をよぎる。
やがて、彼は急に立ち止まり、背後を振り返った。何かが後ろからついてきている気配を感じたのだ。しかし、そこには何もない。静けさだけが広がっている。再び歩き出すが、足音に不自然な違和感がある。自分の足音の後に、もう一つの音が重なっている。
「誰かいるのか…?」
佐藤は声を上げたが、返事はない。再度足を止め、背後を確認するが、やはり何も見えない。ただ、確かに何かがいる気配がする。冷たい汗が背筋を伝う。
もう一度、ゆっくりと歩き始めた。だが今度ははっきりと分かる。自分の足音に続いて、もう一つの足音が響く。自分よりも重い、鈍い音だ。
恐怖が急激に膨れ上がる。何かがいる。目には見えないが、確実に何かが自分を追っている。走りたい衝動に駆られるが、足がすくんで動かない。
その時、ふいに街灯の明かりが強くなり、彼の影が石畳にくっきりと浮かび上がった。だが、影は一つではなかった。
「え…?」
佐藤の影の隣に、もう一つの影が現れている。それは人間の形をしていたが、明らかに異常だった。異様に長い手足、ねじれた体、そして顔には目も鼻もなく、ただ口だけが大きく裂けている。その口が笑っているように見えた。
「嘘だ…」
佐藤は恐怖で凍りついた。次の瞬間、街灯がバチバチと音を立てて点滅し始め、視界が揺らぐ。影は徐々に近づいてきていた。
「やめてくれ!頼む!」
彼は叫んだが、その声は虚しく響くだけだった。影は確実に彼の背後に迫っている。逃げ出そうとしたが、足が動かない。まるで見えない何かに掴まれているかのようだ。
そして、耳元で声が聞こえた。
「見つけたよ…」
その声は低く、囁くようだったが、はっきりと聞こえた。佐藤は恐怖に駆られて振り返った。
だが、そこには何もなかった。影も、足音も、全てが消えていた。
「夢…か?」
佐藤は膝をつき、荒い息を吐き出した。辺りは静寂に包まれていた。街灯は変わらず点いており、ただの路地裏が広がっている。しかし、彼の心にはまだ不安が残っていた。
ふと、ポケットの中で携帯電話が鳴った。慌てて取り出し、画面を見ると、見覚えのない番号からの着信だった。嫌な予感がしながらも、彼は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
返事はない。ただ、かすかな息遣いが聞こえる。
「誰だ?」
再び、低い声が耳に届いた。
「見つけたよ…」
その瞬間、電話が切れた。佐藤は凍りついたまま、携帯を見つめていた。心臓の鼓動が速くなる。
「何だ、これは…」
次の瞬間、彼の携帯にメッセージが届いた。震える手でそれを開くと、そこには短い言葉が一つだけ表示されていた。
「振り返るな」
佐藤は恐怖で息が詰まりそうになった。しかし、振り返らずにはいられなかった。ゆっくりと首を回し、背後を見る。
そこには、あの影が立っていた。今度ははっきりと、現実のものとして。
---
翌朝、佐藤悠太は行方不明となった。彼が最後に目撃されたのは、あの街灯の下だったという。警察は捜索を続けているが、未だに彼の行方は分からない。路地裏の街灯は、今も変わらず灯り続けている。
だが、あの街灯を見つめる者は誰もいない。誰もがその場所を避け、夜には決して近づかないからだ。それが、この町で語り継がれる「消えた街灯の男」の話である。