benedicat mihi solem 我が太陽に祝福を
「あ~ぁ、なんでこんなことになっちまったんだろ」
宇宙連邦の、とある銀河の中心からやや外れた辺境の、これまた、とある惑星の宇宙港の街の、さらに場末の酒場にて、男は腫れた頬に氷嚢をあてがいながら呟いた。
「チッチチチーチッチッチチィチィ」
その男の隣にいる巨大な蜘蛛が耳障りな摩擦音を立てた。
『まあ自業自得だろう』と摩擦音に対してワンテンポ遅れて合成音声がカウンターに置かれた自動翻訳機から聞こえてた。
自業自得と言われた男は横目で蜘蛛を睨みつけた。
男の名前がジェイク。
生まれは連邦登録名称バルテス宙域X-13管区第23星系地球人。
蜘蛛はカウンターに備え付けられた椅子に座るというか、乗っかるような感じでその空間に陣取っていた。
蜘蛛の名前はチィチッチチチッチ。
連邦登録名称セルファンド宙域B-39管区、第41星系ホルファンド星人である。
二人はともにしがない長距離航宙運搬船のオーナーパイロットだ。
『お前が浮気をしたのが発端だろう』
チィチッチチチッチ(……めんどくさいので今後は、チィチと略すことにする)は顔を動かすことなく(なにせ八つも目があるのでいちいち顔を動かさなくてもほぼ360度全周を見渡すことができるのだ)言う。
言いながら前脚で抱いている白猫の頭を器用に撫でた。白猫はゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「ありゃ誤解だ……いや、誤解って言うか不可抗力的ななにかだよ。俺はただ救難信号を出していた難破船を助けただけだ。そしえ、その救助した相手がキュッポンバンの女で、それから最寄りの星まで超空間航行で1週間もかかるとなれば良い雰囲気になってもしかたないだろ。2人きりで小型航宙船の狭い空間だぞ?! お前だってそうなるよ」
『俺がお前と同じ立場だったら、だと?』
やや甲高い合成音声のキーがさらに半音ほど上がったように聞こえた。
『俺が女と同じところに押し込められたら? そんなことになったら、俺は喰われてここにはいないだろうな』
続く言葉に、ジェイクは改めて隣の空間を陣取る旧知の親友をじっと見つめた。
「まあ、クモってそういうところあるよな……。
いや、じゃなくって。俺が言いたいのはそういう話じゃないんだよ。男ならお前だって分かるはずだ!」
『……いや、分からん。女に会いたいなんて思うのは人生を終わらせたい男だけだ。という諺が我々にはある。実際、道端で女に不意に鉢合わせして心臓麻痺を起こした奴を俺は知っている』
「ちっ! 意味わかんねぇ。
これだから宇宙人とは話になんねぇ。意思の疎通ができやしねぇよ」
ジェイクはショットグラスを手に取ると一気に飲み干した。
『宇宙人とは言いがかりだ。俺からすればお前こそが宇宙人だ。どうせお前は自分は地球人、他は宇宙人みたいに思って税に入っているんだろうかな。そうやって、なんでもかんでも自己と他者を分けるのが地球人の習性だ。
ま、それはそれでもよいのだが、地球人の困ったところは自己が正しいと無意識に思い込むところだな』
「俺はそんなに傲慢じゃないよ。ただ、正しいことをやろうといつも考えているだけだ」
『それが間違いのもとなのだ。どんな存在だって正しいこと、これが正解ってことをやっているんだ。
すくなくとも間違ったことをやろうなんて奴はいない。これは思想の問題でも、哲学の問題でもない。純粋に論理学の問題だ。
今、二つの宙域への仕事があったとする。
仮にAとBとする。Aの方が距離が短い上、荷の単価が高いとしよう。
さてどちらを選ぶのが正解だ?
答えはどちらも、だ。
効率的に稼ぎたいと考えればAを選ぶ。
だが、Bの特産物が喰いたかったとか、景色が見たかった、でBを選ぶことだって立派に正解だ。
言いたいのは、Aを選ぼうがBを選ぼうが選んだ時点で正解になってしまうってことだ。
サイコロで決めたって変わらないぞ。
選択をサイコロの出目に従うと決めてしまった時点でとんな目が出ても正解にしかならないのだよ。
例えるなら金太郎飴みたいにどこをどう切っても金太郎の顔がでてくるようなものだ。
つまり、俺たちはなにをどうあがいたって正しい道しか選べないんだよ。選んだ時点でそれが正しかったってなっちまうからな。
さっきの浮気の話だって、その時は正しいとおもってたんだろ』
「いや、それは悪いかなと思っていなくもなかった……」
『でも、やったんだろう。なぜだ?』
「なんとなく、その場の雰囲気? ってやつかな。ちょっとぐらいいいだろう、とその時は思った」
『つまり、その時はそれが正解だと思ったんだろう。
こんな状況なら事情を話せば自分なら許してもらえると思った』
チィチは糸を猫じゃらしのようにフリフリと猫の前で動かしながらまるでジェイクに無関心なように言葉を続けた。
猫もフリフリと動く糸に夢中だった。何度も何度も糸目掛けて猫パンチを繰り出す。幾度かの空振りの後、ようやく糸に猫パンチがヒットした。糸は猫の前足に引っ付いて離れなくなった。猫は慌てて前足を動かすが離れるどころが糸はかえって猫の足や肩に纏わりついてしまった。
「なーご」
猫は困惑した様子でチィチへ向かって鳴き声を上げる。その猫をチィチは瞬きをしない八つの目で見つめていた。
再び抑揚のない合成音声が発せられる。
『で、結局、浮気がバレてアリアにこっぴどく振られたんだろう
平手打ちのお土産をもらって。
お前は地球育ちだが、彼女は同じ地球人でも違う星育ちだったよな。確か、同じ宙域のF-16管区第9星系じゃなかったか。あそこは地球の2倍の重力だから純正地球人のお前にはさぞかし強烈な一発じゃなかったのか』
「ああ、奥歯が二つ折れちまった。首の骨も折れるかと思ったぜ」
『当然の報いだ。いや、喰われなかっただけ僥倖というやつか』
チィチは器用な脚さばきで猫に絡みついた糸をくるくると猫の体に巻き付けていく。
「なんでだよ。こっちはちゃんと謝ったんだぜ。あれは気の迷いだ。君のことが一番大切なんだ。
君は俺の太陽なんだ、ってなそう言ってやったんだ」
『太陽だって? アリアにそんなことを言ったのか?』
「そうとも! 君は俺にとって唯一無二の真っ赤に燃える太陽なんだ、ってな。そしたらいきなり平手打ちさ! 意味が分からないぜ」
『なあそれって、結局のところ、生まれや育った環境、食うものや見聞きしたことで全く違う考え方や感じ方をする存在になるっていういい見本じゃないのか』
「なんでいきなりの平手打ちが、そんな話になるんだよ」
『既に同じ起源を持つ地球人同士でも分かり合えなくなっているじゃないか。
間違いなく、お前とアリアは宇宙人同士ぐらいに分かりあえなくなっているぞ』
チィチは更に猫に糸を巻き付けててとうとうミイラ男、もとい、ミイラ猫のような感じにしてしまった。猫がみぃみぃと苦し気な鳴き声をあげる。
「どういう意味だ? 俺とアリアが宇宙人同士ってのはどういうことだ。幾らなんでもそんなにかけ離れちゃいないだろう」
『この宇宙には恒星を中心した星系はたくさんある。それでな、それら星系の恒星、その星系で言うところの太陽は普通二連星なんだよ。2つの太陽が互いを引き合いながらぐるぐると回っているんだ。
お前たち純正地球人たちのX-13管区23星系、お前たちのなじみのある名称で言うところ太陽系みたいな一つの太陽で構成された星系の方はレアなんだ』
「……? まあ、確かに数えたことはないけれど、二連星の星系の方が多いな。だけどそれがなんだっていうんだ」
『F-16管区第9星系ってのはやっぱり二連星でな、青と赤の太陽があるんだが、それは知ってたか?』
「そ、そうか。それは知らなかった」
『それでだ。赤い太陽ってのが青い太陽の10分の1ぐらいの大きさでな。青い太陽の周りを赤い太陽が衛星みたいに回っているんだ。つまりな、お前さんはアリアに向かって、お前は2番手だって宣言したようなものなんだよ』
「いや、俺はそんなつもりで言っちゃいない!
アリアがでかい太陽のように唯一の存在って!
俺の星では太陽は一つなんだって!!」
『向こうは、本命の周りをグルグル回っている小さくて取るに足りない控えと言われた、と思っていることだろうな。
な、宇宙人同士って言うのは根本的なところの考えがずれているんだよ。
まあ、なんでもかんでも自分の考えが正しいなんて思わないこと。そう言うことだ』
チィチはそう言うと牙をグルグル巻きにした猫に突き刺すと消化液を流し込んだ。
猫はニィと小さく鳴き、少しもがいたがすぐに動かなくなった。
やがて、ずるりずるりと中身を消化された猫を啜る音だけが聞こえてきた。
2024/5/10 誤記訂正