第五話
制服姿の高校生たちは、全員頭をぼうず刈りにしていて、バットがはみ出ている大きなスポーツバッグを足下においていた。近寄ると、秋の終わりだというのに汗の臭いがした。
相手は高校生だといっても、全員身長が高くて、制服の上からでも筋肉が発達しているのがわかった。米子は伺うように目をすがめた。
「うちに何か用なの?」
そう声をかけると、一人の少年が、あとの二人を従えるように前に出た。
「田中米子さんですか」
「田中マイコですけど」
つっけんどんに米子が答えると、少年たちは輪になってひそひそ話し始めた。
「田中マイコだってよ。間違えたかな」
「でも、住所はあってるよな」
「シゲばあちゃんの孫なんて、嘘じゃね? 顔はそこそこだけど、すっげえ感じわるいぞ」
少年たちの会話の中にシゲの名前が出てきたので米子の耳が立った。
「徳じいが書いてくれた住所のほうが間違ってるんじゃね?」
「だから翔さんにしとけっていったんだよ」
「だけど、田中は合ってるよな」
「どうする?」
「せっかく来たのにな」
「オレ、腹へったよ」
「昼めし、食ったばかりだろ」
「疲れたし」
「オレだって疲れてるよ。試合、負けたし」
「ただの負け方じゃないだろ。ボロ負けだぞ」
「やっぱ、東京の学校は強いよな。見たか、あの学校の設備」
「金持ちの私立校だから、授業料をふんだくったうえに寄付金がガッポガッポなんだよ、きっと」
「えげつねー」
ただのだべりになってきた少年たちの会話を無視してアパートのドアに鍵を入れた。
「あんたたち、徳じいになにを聞いてやってきたの」
米子が横目で睨むと、さっき口をきった少年が食いついてきた。
「あ、徳じいを知っているんですか」
「いいから、用件だけいいな」
高飛車な米子の態度におそれをなしたのか、少年が及び腰で話しだした。
「おれたち、坂田高校の生徒なんですけど、部員全員の委任を受けて、田中米子さんに会いに来ました」
「いったい、なにごとよ」
「田中米子さんのお宅はこちらでしょうか」
「わたしが田中米子よ」
「え、だって、さっき、マイコって」
なあ、マイコって言ったよなあ、と後ろの連れに大きな声を上げる。米子はそれも無視した。
「マイコも米子も一緒なのよ。で、なんなの」
「へんなの」
「いいからお言い」
少年たちもめんどうにおもったのか、用件をきりだした。
「ばあちゃんの店を閉めるって聞いたんですけど、ほんとうですか」
「そのつもりだけど」
「お願いがあります。おでん屋を続けてください」
「ばあちゃんのおでん屋がなくなったら困るんです」
「おれが話すから」
横から連れが口を挟んできたのでリーダー格らしい少年がそれを制して続けた。
「旧道は坂田高校の通学路になっていて、昔はそれなりに商店街もにぎやかだったらしいんですけど、住宅団地があちこちにできてからは旧道の商店街は寂れる一方で、ばあちゃんのおでん屋までなくなってしまったら、おれたち運動部の部員たちの、憩いの場がなくなってしまうんです」
「おでん屋が憩いの場って、仕事帰りのサラリーマンじゃあるまいし」
うっかり吹き出しそうになって、米子は口元を押さえた。笑ったら気を悪くしそうなくらい少年たちは真剣だった。
「ばあちゃんのところは、おでんだけじゃなくて、たのめば何でも食べさせてくれるんです。安いし、麦茶はただだし、何時間いても怒られないし、おれたち高校生だけじゃなくて、中学生も来るし、小学生だって学童代わりに利用してるんです」
「なにそれ。あんなおでん屋じゃなくても、町の中にはファミレスだってバーガーショップだってあるじゃない。それに、学童がわりにされたんじゃたまんないわね」
「ばあちゃんのおでん屋がなくなると困るんです」
「だからさ、ファミレスやバーガーショップに行けばいいじゃないといってるのよ」
少年たちは顔を見合わせて口ごもった。いままで黙っていたおとなしそうな少年が、リーダー格の少年の後ろから顔を出して口を尖らせた。
「だって、そういう店は、新興住宅地ができて、都会から越してきた住人が増えたからできた店で、ファミレスにしてもバーガーショップにしても、移民のやつらが占領してるんです」
「移民?」
「学校でも地元民の生徒と都会から移住してきた移民生徒と、うまく混じり合わなくて、対抗意識みたいなかんじで張り合ってるんです」
「へえ、驚いたね」
「だから、おれたち地元民は、ばあちゃんの店なんです。お願いします。おでん屋をつぶさないでください」
「だって、もう店は閉まってるでしょ。翔だっていなくなってるだろうし」
「いえ、翔さんはいますよ」
「翔はまだいるの」
「はい。翔さんが店をやってて、お孫さんの米子さんがオーナーだって聞きましたけど」
「だれから」
「あけのおばちゃんから」
「あけのがそういったの」
「直接談判してこいって。だから、試合の遠征の帰りなんですけど、先生に許可をもらってやってきたんです」
「ふうん」
米子は腰に手を当てて考え込んだ。話し終わって満足したのか、少年たちは重そうなスポーツバッグを持ち直した。
「おれたち帰ります。店のこと、よろしくお願いします」
黙ってしまった米子に少年たちは改めて一礼してから帰っていった。
翌日の日曜日、米子は朝早く起きて快速電車に乗った。日帰りするので荷物は持たずに秋物のジャケットとジーンズにスニーカーという軽装だった。東京駅の売店であけのと徳三、それに葬式代をまけてくれた悦夫と、老人会長と町内会長への手みやげを買った。葬式のときに台所の手伝いをしてくれた婦人会のぶんを忘れそうになって買い足したりしたら、けっこうな荷物になった。
山が見える郷里の駅に着いた。旧道を一時間も歩く気になれなくてタクシーに乗ろうとしたら、駅前のタクシー乗り場に車は一台もなく、駅前のラーメン屋にたずねたら、登山客がみんな乗って行ってしまって二時間ぐらい待たないと帰ってこない言われた。しかたなく歩くことにした。
電車で二時間ほど東京から西に下っただけなのに、山に囲まれた盆地は底冷えした。山並みの頂あたりは紅葉が始まっていて、山裾のほうは緑に黄色が混ざり始めていた。
十八歳までは毎日のように眺めていた山々を、米子は新鮮に感じた。晴れ渡った空の陽光は暖かいが、山から吹いてくる冷たい風が、都会で染まったすすけた色をみるみる晒していくようだった。
大きな紙袋を振り回すようにしながら、米子はぐんぐん歩いた。歩いているうちに、十代の頃の歩幅を取り戻していた。旧道が交差する道に沿って広がる町の佇まいは、昔からの見慣れた景色として、瞬く間に記憶に馴染んだ。道を行き来する車と歩道の距離感や、隣の家と家を仕切っている生け垣の根本を掘り返している飼い犬。看板の文字が消えかかっているのに直しもしない床屋など、なにも変わっていなかった。
目を遠くにやれば、田圃では稲刈りが終わっていて、刈り取られた田圃の地面をすずめの群がつついていた。何かの拍子に一斉に空にすずめの群が飛び立つと、枯れ葉が舞っているように見えた。小学校が見えてくると家はもうすぐで、自然に米子の足は速くなった。
二車線の車道を挟んで連なっている商店街は、店の戸を開けていても客の姿はなく、歩いている人もまばらだった。土、日は、会社が休みなので、家族で大型スーパーやホームセンターに出かけて、まとめて買い物をすませてしまうという家族が増えていた。小さな商店では、昨日まで商売していたと思ったら、今日は閉店の張り紙をしている、などというのもめずらしいことではなかった。
米子は、買ってきた手みやげを、順番に配って回った。婦人会の会長宅、老人会長宅、町内会長宅と配り終え、高橋葬儀社に顔を出したら、悦夫の嫁が事務机の前に座って帳簿を付けながら店番をしていた。米子が悦夫の嫁に挨拶する声が聞こえたようで、奥から悦夫の母親が出てきた。
「おばさん、そのせつはお世話になりました」
米子が頭を下げると悦夫の嫁が、大きなお腹をさすりながら事務机のイスを後ろに引いて立ち上がった。
「田中さんからおみやげをいただいたんです。お茶をいれてきますね」
化粧けのない健康的な肌をした悦夫の嫁が、気を利かせて奥に行った。
「奥さん、すぐ行きますから、お構いなく」
米子が声をかけると悦夫の母親は米子の背中に手を添えて外に出た。
「万里子っていうのよ。悦夫の嫁」
「よさそうな人じゃない」
「小学校の校長の娘なの。教育者の娘といっても大したことないね。なんにもできなくて、口ばかり達者でさ」
「嫁に来てくれただけでもいいじゃない。親と同居なんて、拝んでも断られる時代だよ」
「そんなことないよ」
「嫁さんをいびったりしたら、夫婦そろって出て行っちゃうよ」
「嫌なこという子だね。相変わらずだよ、米子ちゃんは」
「もうすぐ孫が生まれるっていうのにさ、やさしくしなきゃ、嫁さんには。じゃ、悦夫によろしくね。おじさんにもありがとうって、言っておいて」
「わかったよ」
孫の話が出たとたんににこにこしだした悦夫の母親と別れて徳三の家に向かった。
徳三の家は、米子の家の左隣りにあったから、子供の頃はあけのと二人でよく遊びに行っていた。徳三には久美という一人娘がいて、そのころ久美は高校を卒業して店で厚揚げや油揚げを作っていた。九歳年上の久美を、米子とあけのは、久美姉ちゃんと呼んで慕っていた。行くといつも揚げたての厚揚げをサイコロに切ったものに、砂糖をたっぷり入れた醤油だれにスリ胡麻を入れたたれをまぶして食べさせてくれた。豆腐屋は繁盛していたし、徳三は働き盛りで、徳三の妻も元気だった。腕のいい豆腐作りの徳三一家に影が差してきたのは、妻が病で入院したあたりからだった。国産大豆が値上がりし始め、国は緊急に大豆の輸入を増やした。高値の大豆で豆腐作りを続けているうちに、遺伝子組み替えの安価な大豆が出回りだした。それを嫌った消費者向けに、遺伝子組み替えをしていない大豆の豆腐が資本力のある食品会社から安い値段で出回りだすと、徳三のように自分の店で夜中の二時から起きて豆腐を作っているところは売り上げがどんどん落ちていった。久美が嫁に行ったのを見届けるようにして徳三の妻が他界してからの徳三は、急激に気力を失っていった。
昔ながらのガラス戸に、剥げかけた金文字で『杉田豆腐店』と書かれた木製の玄関引き戸を開けて中にはいれば、商売用の道具や冷蔵庫を処分して空っぽになった空間が目に入った。コンクリートの床はうっすらと埃で白くなっていた。店の奥は茶の間になっていて、昔はそこで久美に遊んでもらった。徳三の妻の仏壇もそこにあった。
「徳じい、いるの?」
米子は奥に声をかけた。
「誰だ」
二階から徳三の声がかすかに聞こえた。
「ヨネ子だよ」
米子はぬぎ散らかした徳三のじゃまなサンダルを足でどかして靴を脱ぎ、ずかずか階段を上っていった。徳三の部屋は三つ並んでいるいちばん左側だった。襖を開けたら、徳三は布団の中にいた。
「徳じい、また二日酔いか。だらしないなあ、おきなよ」
「立ったまま人を見降ろして大きな声を出すんじゃねえよ。うるさいな」
「かわいげのない年寄りだねえ。手みやげ持って挨拶に来たのにさ」
「いらねえよ、そんなもん」
「そんなもんとはなんだよ」
無精してないで起きなよ、と布団をめくると、徳三は邪険に米子の手をはたいた。肌に触れた徳三の手が熱かったので、不審に思って徳三の額に手を乗せた。
「やだ。熱があるじゃない」
「ちっとばかし、だるいだけだ」
機嫌の悪い徳三をそのままにして階下に戻り、居間の茶箪笥をあけて薬箱を取り出し、体温計を持って再び二階に上った。
「昔と同じところに薬箱があったよ。なにも変わってないんだね」
そう言いながら体温計を手渡すと、徳三は面倒そうではあったがおとなしく懐にそれを差し込んだ。
「年寄りの暮らしなんて、なんにも変わらねえさ」
「久美姉ちゃんは来ないの?」
「めったに来ないよ。いたずら盛りの子供が二人だから忙しいんだ。代わりに電話はよこすよ」
「ふうん」
体温計の電子音がしたので脇の下から抜き取ると、熱は三十七度九分あった。
「熱があるよ。咳とか悪寒はする?」
「寒気がするな。体の節々も痛むよ」
「風邪かな。お医者さんに行っておいでよ」
「いやなこった」
「そういうだろうと思った。解熱剤でも飲んでおこうか」
「やけに親切じゃねえか」
「ありがたがってよね。なんなら、拝んでもいいよ」
「びっくりして、あの世から迎えがくらあ」
徳三の減らず口をそのままにしてもう一度下に降りて薬箱を覗く。売薬の解熱剤はあったが、一年前に使用期限が切れていた。二階に向かって、家に薬を取りに行ってくると声を張り上げて徳三の家を出た。
「おでん たなか」の文字が染め抜かれた年代ものの暖簾をくぐって店に入ったら、座敷で小学生の男の子たちが数人、おでんを食べながら宿題をしていた。その中に進と乃絵留も混じっていて、店に入ってきた米子に黄色い声を上げた。
「あ、ヨネ子おばちゃんだ」
「ママ、ヨネ子おばちゃんがきたよ」
乃絵留が調理場に走っていくと、勇もあとを追った。
「お姉さんとお呼び。サルとエル」
猿だってよ、と宿題をしていた小学生の男の子たちが笑った。
「ヨネ子、進のことをサルだなんていわないでよ。よその子たちがまねをしたら困るでしょ。これだから大人の常識がないのは困るのよね」
店と調理場を仕切っているカウンターから顔を出したあけのが、米子に文句をいうついでに、座敷の子供たちに向かって「サルなんていったら、おばちゃんが承知しないからね」と怒鳴った。
翔は相変わらず勇のお下がりの体操着を着ていて、豆絞りのてぬぐいで頭をしばって、酒屋がしているような長い前掛けをつけ、配膳台に並べた皿小鉢にお作りを盛りつけていた。
「わりと早くつきましたね。もう少し遅くなるかと思っていましたよ」
手を動かしながら翔がそういったので、米子はおやと思った。
「わたしが来るのがわかっていたみたいなことをいうのね」
「米子さんなら、きっと来るとおもってね」
翔の言葉だけでは不十分だと思ったらしく、あけのが言葉を足した。
「きのう、高校生の男の子たちがヨネ子のところに行ったでしょ。あれ、翔くんがそそのかしたのよ」
「あけのさん、そそのかしたなんて人聞きの悪いことをいわないでくださいよ」
「だってそうじゃない。おでん屋がなくなったら、君たちの空きっ腹の面倒をみてくれる安い食堂がなくなるんだから、直接オーナーに談判に行ってこいってけしかけたのは、翔くんじゃない」
「はああ?」
米子はあきれて目を剥いた。
「話はあとにしましょう。まずはばあちゃんにお線香をあげてきてください。それから手を洗って、ここを手伝ってください。夕方から宴会の予約が入っているんで、手が足りないんです。あけのさんばかり当てにしては悪いですからね」
「ちょっと待ってよ。じゃ、宴会の予約の手伝いをさせるために高校生に手を回したってわけ?」
すまし顔で調理場を動き回っている翔に文句をいおうとしたが、思い出したようにあけのほうを振り向いた。
「そうだ、あけの。徳じいが熱をだして寝てるんだけど、病院に行くのは嫌だっていうから、とりあえず解熱剤でも飲まそうと思って」
「わたしがみてくるわ。ヨネ子はここを手伝ってて」
「ねえ、久美姉ちゃんは徳じいの面倒をみるきはないの?」
「徳じいが嫌がってるのよ。この土地を離れたくないって」
「そうなんだ」
翔があけのに盆をさしだしてきた。盆の上には、梅干しをのせた白粥と、トリのササミと大根の炊き合わせと三つ葉を乗せた豆腐の卵とじが乗っていた。
「食べられるようだったら食べさせてください」
「ありがとう、翔くん」
あけのが盆を持って出ていくと、勇と乃絵留もあけののあとを追っていった。
「で、宴会ってなによ」
「きょうは勇さんの青年野球チームの試合があって、終わってからチームのみなさんが来るんです。なんでも、一人のかたが転勤になるそうで、その送別会だそうです」
「ふーん、勇はまだ野球をやっているんだ。あいつは身長が足りないからプロになれなかったんだって、ずっと負け惜しみをいっていたんだよね」
くすっと翔が笑った。
「勇さんのチームはけっこう強いんですよ。勇さんは四番バッターです」
四番バッターといわれても米子にはわからない。野球だけでなく、スポーツは全般的に興味がなかった。ふうーん、と生返事をかえした。
「お昼はまだでしょ。ぼくもまだですから、今のうちに食べちゃいましょう。夕方の四時頃には皆さん来るでしょうから」
壁の時計をみると正午もだいぶ回っていた。今日の座敷の長机は、宴会用に枡形に並べられていて、宿題をしていた小学生たちは、ひとかたまりになってプリントを放り出してゲームに夢中になっていた。
「子供たち、お昼だから帰りなさい」
米子が声をかけてもゲーム機から顔をあげようともしない。そこに翔が簡単などんぶりものを二つ盆にのせてやってきたら、子供たちはゲーム機をおいてプリントを引き寄せた。
「ここ、わかんない」
「オレは、ここだ」
「ここもだよ」
どんぶりの一つを米子のほうに置いて、箸立てから割り箸を一膳とって割りながら、翔は「どれどれ」と子供たちの宿題をのぞき込んだ。小学校の高学年ともなるとけっこうむずかしくなってきて、算数などは中学で出てくる問題とかわらないものもある。だから米子などは目がちかちかするだけだ。国語となるとさらにわからない。
翔はどんぶり飯をかきこみながら、丁寧に順番を追って教えていく。問題文を読み上げている翔の柔らかな声を、聞くともなく聞いていると、首の付け根の凝り固まった筋肉がほぐれていくようだった。
頭を寄せ合って問題を考えている子供たちの真剣な表情や、ときどき子供の顔をのぞき込んで答えに導くように質問する翔のやさしげな表情に引き込まれていた。歳がいくつだか知らないが、塾の講師の経験でもあるのか、翔の教えかたは無駄がなく、わかりやすくて上手だった。いくらも時間がかからないうちに子供たちは宿題を終えて、腹を空かせて家に帰っていった。
「子供の扱いがうまいじゃない」
米子が言うと翔は肩をすくめただけだった。
「で、仕事はなにをしていたのよ」
先に食べ終わってお茶を飲みながら、翔がどんぶりめしをかきこむ様子を眺めながらきいてみる。翔はろくにかまずに飲み込んでいく。
「ちゃんとかみなさい。消化に悪いでしょ」
「学生」
湯呑みに手を伸ばしながら翔が答えた。
「大学生なの?」
頷いただけの翔に質問を続けた。
「学校はどうしたのよ。休学してるとか?」
やはり、頷く。
「何年生なの」
「院生です」
「大学院……」
思いがけなくて、思わず目を見張った。
「で、どこから来たの」
「東京」
「家族は」
「健在」
「何人家族」
「四人」
「あのさ」
米子はドンと音をたてて湯呑みを置いた。翔が顔をあげた。
「警察の取り調べじゃないんだから、ふつうに話しなさいよ」
「ふつうですけど」
「質問に単語で返すなんて、ケンカ売ってるわけ」
「尋問みたいなききかたするからでしょ」
「尋問じゃなくて、世間話でしょ。わたしはあんたのこと、何にも知らないからきいただけでしょ」
「だから答えたでしょ。あとはなにをききたいんですか」
「あんたがどこの馬の骨で、今までなにをしていたのか、なんでまだここにいて、しかも宴会の仕事なんか受けちゃったりして、このままずるずるここに居座るつもりでいるのか、知りたいわけよ。家の中に身元のわからない他人が寝起きしているんだから、気持ち悪いでしょ」
「履歴書を書けばいいんですか」
「なにその反抗的な態度」
「家の後始末もしないで、あけのさんや徳じいやそのほかにも世話になった人たちに葬式から家のことから全部押しつけて帰っちゃって、ほんと、みなさんが言うように勝手ですよね、米子さんて。それと、相続や銀行の名義変更や、手続きがいっぱいありますから、それ、やってくださいね。あなた、ほんと無責任ですよ。だいぶ年上だから、これでも我慢して丁寧語を使ってるけど、まじ、半切れです」
「う、ぐ」
奇妙な声が米子の喉から漏れた。言い返したくても本当のことだから言葉が喉につかえて出てこない。
食事を終えた翔が、米子の空のどんぶりと自分のどんぶりを重ねて台所に持っていった。行儀悪く歩きながらお茶を飲んでいる。座敷の壁の時計に目を走らせると、翔の動きはさらに早くなった。
「米子さん、働いてください」
米子は思わず腰を浮かせていた。