03
「その画像の人物に間違いはないでしょうか? リン・ユイという人物で合っていますか? 全然別人の可能性があると、疑っているのですが……」
エドはくらくらした頭で開口一番そうまくしたてた。薄い受話器の向こうでは、悠然と肯定する声がする。映像のカットされた通信では相手の表情などわからないが、恐らくいつものようにこのヒトは落ち着いているのだと思う。エドは彼が慌てているところなど見たことがなかった。身内の死でさえ、彼の冷静さは失われないはずだ。
そう……。例えば両親や兄の死に直面しても。彼の娘さえ、このヒトにとっては道具なのかもしれない。
ネコ族の少年はせん無い考えを、ふるふると首を振って追い払った。眉間にしわを寄せて、「本当に?」と疑い深く尋ねる。
『本当だとも。このことで嘘を教える理由はないだろう』
揺るがない平坦な回答は、少年に質問の無意味さを教えてくれる。エドは一つ息を吐くと、ぐっと声のトーンを落とした。事実をしゃべってくれるとは思っていないが、聞きたいことはいくらでもある。
「リン・ユイは『フォーグル』の民でした。なぜ彼が選ばれたのですか。ヒト族は『フォーグル』以外にも大勢存在しています。なぜ、あの星の少年なのです。……我々『シーカー』の女王のためとはいえ……」
後半は尻すぼみに消えた。脳裏に屈託なく笑うリンの姿が思い起こされた。エドの表情に苦いものが走る。
「リン・ユイは、この旅の意味を知ってるのですか。この選定はどのように決められたのか、教えてくださいませんか」
あまりに酷ではないか、と続くはずだった台詞は遮られた。リンは敵国の女王が絡んでいることを知っているのだろうか。もしかしたら、身内を奪った原因たる存在を。ヒト族を圧倒的力でねじ伏せてきた、王のことを。
『気をつけたまえ』
やんわりした警告に、エドは口をつぐんだ。声には、否やを言わせない響きがあった。
『どこに聞き耳を立てられているのか、わからないのだよ、エトムント』
エドがハッとなり、慎重にあたりを見渡した。誰も少年に注目していない。ざわざわと熱気に包まれた、せわしない郵便局のカウンターだ。大勢のヒトがいる。リンのように手紙を出したり、小包を持っていたり、手ぶらだがイライラとカウンターの行列に並んでいるヒトがいる。ヴィーグエング(工芸の街)で一番大きな郵便局だからこそ、これほど賑わっているのだろうが――この中に敵対者も混ざっているのか。
不意にトントンと肩を叩かれ、エドは小さく飛び上がった。見れば「どうかしましたか」と、職員のクマ族が小声で尋ねてくる。「いいえ、何でも」という口と、首を軽く振った動きで、エドは職員を追い払った。
とりあえず大丈夫そうだ、と安堵したところに、通話相手が追い討ちをかける。
『傍受の可能性は低いが、ないとは言い切れないのだよ。わたしは確かに公共の機関を使えと言ったが、君から連絡を取る必要もないとも伝えただろう。その判断をするのはこちらだ。君ではないよ。……いいね』
やさしく諭され、エドが唇を軽く噛む。可能性を示唆されるまで、子どもを監視する者がいるとは思っていなかった。同世代の子どもと行動を共にし、気が緩んでいたのも否めない。この街が祭りだったことも一因か。浮かれていた感情や興奮が沈んでいく。
だがそれ以上に「子どもだから仕方ない」と認識されたことが面白くなかった。未熟者と一喝されたほうが、まだマシだ。仕事を任されて有頂天になっていたのか。一人前気取りだった己をエドは恥じた。
しかし、自分が落ち込むことは許せない。ここで凹んでいたら、それこそお子様である。自分のできるやり方で、名誉を挽回せねば。
「今後、注意いたします。――ですがリン・ユイについてもう一度調べていただけませんか。もしくは、彼の選ばれた理由を教えてください。この通信ではなくとも構いませんので」
諦めずに食い下がると、通話口でふ、と相手の笑う気配を感じた。予想外にあたたかなものだったので、戸惑ってしまう。
「あの?」
『いや、すまない。君をバカにしているわけではないんだ。そうだな……、わたしが聞いているのはリン・ユイが――』
がーびびびっぎゃぴぎゃぎゃぎゃ……、突然通信にノイズが入った。え、と思う間もなくブツッという断線音がする。同時に響いたのは、悲鳴と重い機械が落ちたような音だった。
「は? ちょっと待って、なんで急に……」
重要なところだったのに、何故切れる。連絡は取り直すな、と釘を刺されたばかりなのに。周囲を見渡すと、通話をしていた者たちは一様に顔をしかめている。局員に苦情を訴えている者もいた。僕のところだけじゃない?
困惑交じりでエドが受話器を置いた瞬間、誰かの怒号がした。ざわめく波はエドのところまで一気に押し寄せた。
なんだ?
ただならぬ雰囲気に、金がまざったグリーンの瞳は連れ(リン)を探す。切れた通信は気にかかったが、仕方がない。騒然となったヒトビトをかき分けて、リンがいるはずの場所に向かう。だが、そこに連れの姿はなかった。
「どいてどいて!」
どこにいった、とリンを探すエドの傍らを、藤色が抜けていった。思わず振り返ると、黒に近い茶髪と、藤色スーツの女が踵を鳴らしている。特徴のなさからヒト族だと一目でわかった。女は「どいて」と言いながらヒトゴミをするりするりと抜けていく。
その姿が埋もれる前に、今度はウサギ族の男が群集から飛び出した。
「待て、止まらないか貴様! 卑怯だぞ、こんな場所へ逃げ込むなんて!」
トレンチコートを翻し、ウサギ族特有の耳をぴょこんと立て、先ほどの女性を追いかけていく。こちらは女性ほどうまく身を捌けず、ヒトの群れをかき分けながらの『疾走』だ。誰かを突き飛ばし、跳ね飛ばして進んでいる。そのたび悲鳴が上がった。
「ちょっとやだ、何なの!?」
「すみません、通してください!」
「並んでいるんだ、他所を通れよ!」
「いいから通して!」
ウサギ族は温厚な種なのに、男は無理やり走り倒す。最終的に天井近くまで飛び上がり、身をひねって人ごみをやり過ごすアクロバットまで披露して、ウサギ族は走る。途中、「ごふっ」という潰れた悲鳴が聞こえたのは愛嬌か。
捕り物?
郵便省の注目を一身に浴びて、ふたりはフロアを激走する。そのうち我に返った職員が、「フーリー警部補、あの、お客さまのご迷惑になりますので外で」と訴えたが後の祭りだった。
待て、しつこい、諦めろ、人違いです、この盗人、違うと言っている! なんて罵声とともに、あちらこちらで悲鳴が上がり、紙の束が舞い上がり、何かの倒れる音がした。台風が通ったような騒ぎだ。
視界の隅にぽかんとしているリンを捉え、エドはそそくさと近寄った。
「大丈夫だった?」
リンの手を引っ張ると、「……あ、エド」と間の抜けた返事があった。
「ぼうっとしないでよ、話しかけてるんだから。変なヒトがいたけど、大丈夫だった?」
すると、リンがエドに詰め寄った。
「ええええエド! 今、変なヒトがいて、紫のスーツで、サングラスで、ウォォッ~! って入ってきて……ええっとそれで」
「騒がないでよ、みっともない。キミも見てたの? 二人だったよね、ヒト族とウサギ族で。何やらかしたのか知らないけど。――とりあえず出よう。手紙出せたんでしょ」
電話は、とリンが尋ねてきたので、エドは肩をすくめて外へと促す。その途中、魂が抜けたように呆けていたヒトたちも、それぞれ動き出した。彼らは大してダメージを受けていないのか、口々に喋りだす。まぁ、今回はあの女性が怪盗フルムーンなのかしら。フーリー警部補も大変ね、と耳に入ってエドは不審に思った。するとそこここでひそひそと笑い声が立ちのぼる。
でもアレが噂の、ふふ、ご覧になりました? 初めて見ましたアレを。ああもう、はた迷惑だね。こんなとこでやらなくてもいいのに。面白かったじゃないですか? まさかアレが見れるなんて思ってなかったよ。驚いた。ヴィーグエング名物ですもんね。
どうやらヒトビトは、この騒ぎに『慣れている』らしい。喜んでいるヒトもいて、エドは判断に迷う。リンを促しながら郵便局を出たときには、ため息が零れた。その脇でリンがくすくす笑っている。
「あのヒトねぇ、見つけたぞって怒鳴って入ってきたのは良かったんだけど、いきなり何かにつまずいて、うわわわわ、ってなったんだよ」
「ああ、それのせいかな。通信がいきなり切れたんだ。話してる途中だったのに、ホンット迷惑」
「それはわかんないけど。一瞬シーンとしたの。アベルさんが、またねって行っちゃうと、真っ直ぐウサギ族のヒト、ぴょこんって起き上がって突っ込んで来るんだもん。ビックリしたよ!」
ウサギ族なのに、なんで猪突猛進……とエドが内心でツッコミを入れる。リンはけらけらと笑った。
郵便局も並ぶメインストリートは、歩行者がひしめいていた。ヒトが流れていく先は、中央広場だ。二人は一度会話を区切って顔を見合わせる。に、と笑いあってその中に混ざりこんだ。
見上げればアパートメントの扉や窓、ベランダに、さまざまで色とりどりのランタンが飾られている。大きさも種類もたくさんあった。広場へ向かうにつれて数が多くなっているようだ。その一つ一つに同じものがない。ぴかぴかに磨かれたランタンは、冷たい空気の中で、キラキラと陽光を反射させた。まるで、宝石のようだ。
やがてたどり着いた広場の中央では、噴水ではなく巨大なランタンが鎮座していた。小さな家ぐらいある、大きく巨大な明かりだ。おそらく夜になればこの広場を中心に柔らかな光が街を包むのだろう。電燈がすべて消され、この数日間はランタンの明かりのみでヒトビトは過ごすのだ。そうエドが説明すれば、リンの目はますます大きくなった。
「夜になったら、もっときれいなのかな」
巨大な明かりに少年たちは魅入っていた。この街にいられるのがたった五時間しかなくて、残念でならない。昼間でこれほど美しいなら、夜はどれだけ幻想的なのだろう。
広場の脇へ寄ったリンに、エドが飲み物を差し出した。祭りなので露店があちらこちらにあった。食べ物やちょっとしたゲーム店もあるが、多いのは工芸品を売る店だった。陶器やグラス細工、銀細工、人形、飾り箱、アクセサリー、掛け時計や、楽器も売っていた。変わったものでは加工前の鉱石が売られていて、エドがなかなか離れない。アンティークな雑貨や家具、食器類でも度々立ち止まるので、リンが苦笑を浮かべる始末だ。そのリンも細工箱や人形を手にとって、家族へのお土産になるかと唸っている。
「でもやっぱ、アレだよね」
「うん、アレがいい」
二人が気に入ったアレとは、ランタンだった。とくに目を見張るのは、工芸の街自慢の工房通りで作られたランタンだ。それぞれ工房名(ブランド名)をかかげ、大きなランタンから小さなランタンまで並べている。どれも見事だったが、小さなランタンは指ぐらいの大きさなのに細工が凝っていて面白かった。
「ちっさくても手が込んでいるんだよね。おもちゃっぽくないのがいいな」
「うんうん、こういうの、みんな喜ぶかも。ええっと、アニエスとローラおばあちゃん、テレサ、ニコラ、エイダの分で五個。ぼくも入れて六個あれば……」
だが、値札を見て二人は仰天した。予想していたより桁が一つ違う。それまで気軽に眺めていたリンが、かちんこちんに固まった。さすが『工芸の街』だ。露店なのに値段は一級品で、ため息が落ちた。
少年が買うには、あまりに高級過ぎる。一つでさえ大幅に予算オーバーだ。道行くヒトが気軽にバッグや手にぶら下げていたので、もっと安いのかと勘違いしていた。
リンが情けない顔で「仕方ないよね」と笑う。それにカチンときたエドは、店主へ「これください」と申し出た。数を尋ねられ、迷わず「六個」と答える。隣でリンが息を呑んだ。
「お支払いは」
「こっちで」
エドが少し厚めのカードをポケットから差し出した。カードブックと呼ばれるコンピュータである。操作しだいでデンワや≪ザ・ネット≫ができる情報末端だ。店主が「ほう」と感心し、リーダー(読み取り機器)を取り出す。支払いを済ませようとしたエドの腕を、リンがゆすった。
「これ、もしかしてぼくに、なんて言わないよね」
「そうだけど、なに? 欲しいんでしょ」
するとリンが気色ばんでエドをにらみつけた。
「ぼくは、エドに買ってくれなんて言ってないよ」
予期せぬ反発にエドは面食らう。欲しいって言ってたじゃない、とエドが言い返す前に、リンが身を翻してずんずんと歩いていく。冗談じゃない。このヒトゴミではぐれたら、探すのが大変になる。追いかけようとしたエドへ、「待った」がかかった。
「それでこのランタン、買うの、買わないの」