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リンのてがみ  作者: 橘高 有紀
工芸と迷宮の街
7/16

01

 エルザは一瞬を待っていた。物陰に潜み、その一瞬だけを。じくじくと痛みを訴える右肩を押さえ、いらいらと煙草を噛んだ。足元には踏み潰された煙草の吸殻が五本転がっている。

 遠くでアナウンスが聞こえ、歓声が上がった。出て行くものを見送る『ヒトビト』の姿、入国するものを歓迎する『ヒトビト』の姿、それらの花道を誇らしげに列車が空へと駆けのぼり、また駆け下りてくる場所――ここは星間列車ステーション『ラジィン』のプラットホームである。用務員が使用する通路の影からエルザはそれを睨みつけるように見ていた。

 平和なようすに苛立ちを隠せない。どうしてこの場所は、ここまで笑顔であふれているのだろう。

(ロイにハル、リィは何をしているの。もうじき列車が来るというのに)

 来るはずの連絡が来ない。集まるべき仲間が時間を過ぎても現れない。苛立ちの中に一抹の不安がよぎり、彼女はかぶりを振った。彼らがこないはずはない。昨日別れたときに約束をしたではないか。それに……と考えてエルザは心が研ぎ澄まされていくのを感じた。それに、彼らがこなくても、誰か一人が実行せねばならない――

 エルザの視線はぐるぐると民衆の中を移動する。祭りらしく、華やかに飾り付けられたホームは、色とりどりのランタンがそこここにあった。大きさも形も不揃いの、世界にたった一つしかない手作りの工芸品たちだ。夜になれば幻想的な風景を映し出してくれるだろう、灯りたち。

 笑顔にあふれたヒトの群れは、エルザの心まで届かない。彼女の求めるものと、彼らのぬくもりは同じであって同じではないのだ。家族連れや、恋人たちの姿が視界をよぎるたび、舌打ちしたい気分になった。いい気なものだ。ここは、なんだってこれほど平和なのだろう。妬ましい。

 ちょうどそのとき、また別の列車をむかえるアナウンスが響いた。ああ、来た。あの列車に、乗せられているのだ。この旅が何なのかを、知らされていない子が。

 エルザは真っ黒なコートの上から、右肩を押さえた。間断ない痛みをこらえるように、ぎゅっと。――私一人で、見つけられるだろうか。あの中に、入り込むことができるだろうか。

(ダイアン、あなたの届けてくれた情報、感謝しているから)

 祈るようにまぶたを下ろした彼女の背に、聞き覚えのない声が突き刺さった。冷淡な、男の声だ。もしかしたら声を意図的に変えているのかもしれないが。

「残念だったなエルザ・スコーピオ。お仲間はもうここにはこない」

 息を飲んだが、エルザは振り返ることなく駆けだした。前方ばかりを見ていたせいで、背後まで気の回らなかったことが、悔やまれる。いつも仲間といっしょに行動していたからなおさらだ。すると、眼前でなにかが弾けた。光線銃レーザーガンだ。殺傷能力は低いが、身体を撃たれれば行動不能へ容易に陥る。……油断した。

「動くな。止まらないと撃つ」

 鋭い制止の声に緊張感が一気に高まる。後一歩、とエルザは歯噛みした。後一歩で群集のいるホームへ出られたのに! エルザはこくん、と喉を上下させる。厄介な相手に捕まった。相手はだれだ? 連邦警察? 政府の犬? 賞金稼ぎ? それとも――

 かつんかつん、と靴音を響かせ、何者かが近づいてくる。エルザは渇いた唇を舐め、目を猫のように細くした。大丈夫、私は逃げきることができる。ここからホームへ出ないよう銃口がポイントされているのは、いい例だ。しかも光線銃である。相手はエルザを殺すわけじゃないらしい。ならば――逃げられる。

 そのとき、一際大きな歓声がホームを支配した。追跡者の気がわずかにそれる。エルザはヒトごみにまぎれようと、ホームへ飛び出した。ヒトの多い場所を狙って、突っ込んだのだ。

「待てっ、止まれ!」

 だれが待つの、とエルザがするするとヒトの波に潜っていく。

「わあ!?」

 うまくヒトごみをかきわけていたつもりが、バッグがなにかに当たった。右肩の激痛をこらえて振り返れば、列車の前でまん丸眼鏡のヒト族の少年が、うずくまっている。こんなところで屈めば車線に落とされる――と、彼女が手を伸ばす前に、列車から降りた猫族の少年がその子を立ち上がらせた。

(あの子)

 ネコ族の少年に、エルザの目は釘付けになった。一瞬呼吸を忘れそうになる。間違いない。あの子は『シーカー』で見たことがある。そのときはもっと幼くて小さな子どもだったけれど……印象的な青い髪、異種族でもわかる整った顔立ち……間違いない。あのヒトにそっくりだ。彼ほどの子が護衛もつけず、ひとりでいるだろうか。こんな辺境の地に?

 どくん、どくん、と心臓の脈打つ音が聞こえた。

(なら……あの子が)

 助け起こされたヒト族の少年へ、エルザはゆっくりと視線をずらした。そしてたった今到着したばかりの列車を改めて確認する。星間列車『クィダズ』行きから降りてきたなら。

(ああ、見つけた)

 一人では見つけられるはずがないと、思い込んだ矢先だった。考えてみたら、早々ヒト族に出会うはずがない。ここは人外の領域なのだ。

「なにやってんのさ、どんくさいね。落ちるよ」

 刺々しい口調のわりに、きちんとメガネの少年を助けている彼の名前は、エトムント。エトムント・エスツェット。ああ、知っている。大きくなった……。まだ子どもだけどしっかりしている。そして一方のメガネの少年は、はふはふと息をして、おっとりした笑顔をしていた。どん臭そうな子どもだった。自分と同じヒト族の子ども。

 こんな子がひとり、このような異界へ送り出されてきたのか。

「だってこんなにヒトがいるんだもの」

 前がよく見えなくて大変だね、とメガネの少年が笑う。

 エルザは刹那、小さな旅人へ手を伸ばし――逡巡の後、歩を進めることにした。追跡者らしい姿は視界になかったが、油断できない。今、あえて危険を犯す必要はないのだ。まずはヒトビトの流れにそってホームを出る。それから今後について考えなければ。今日が、ランタン祭なのは幸いした。多くの観光客が溢れかえっている。これを逆手に取ればいい。

 追跡者の声が脳裏に再生される。

『お仲間はもうここにはこない』

 帽子の下でエルザは表情を険しくさせた。ロイにハル、リィたち……仲間の顔が浮かぶ。『アパリション』は堕ちたのか。『ビリグロム』は、やはり当てにはできなかった。その予感はあったのに。

 足元が瓦解していくのを、エルザはずっと感じていた。組織が大きくなればなるほど、不安は募った。見知らぬ仲間たちは多すぎて、把握できない。彼らすべてが自分の意思に賛同してくれているのだと、思えない。立ち上がった当初は少数だったが、あれほど意気投合できていたのに。

 築くまでの時間と労力は、一瞬にして消えてしまう。ヒトというものは、集まれば争いあう生き物だ。同じ志を持っていても、主張がそれぞれ違ってくる。なんて醜いのだろう。その一端をエルザ自身も担っている事実が、歯がゆい。

 落ち込みかけた自分を叱咤して、エリザは気を取り直した。

(ダイアン、あの子ね。あの子が、リン・ユイ)

 エルザへ『くれぐれも気をつけて』と警告してくれた友人を脳裏に描き、深呼吸を繰り返す。この警告が届く前から気づいていた。察してはいたのだ。しかし、反逆を防ぎきれなかった。

 エルザ自身も、さっさと逃走しなければ。こんなところまで追っ手がきたなら、アジトはとっくに押さえられているだろう。信頼できる仲間のところへ向かう手はずを、整えねばならない。しかし、脱出と同時にあの子たちを保護できるだろうか。

 後ろ盾と親しい仲間をなくした状態で、なにができるか。エルザは考えに耽りながら列車のホームを後にする。だいじょうぶ。ひとりでも動いてみせる。最初は、私ひとりだった。そのころに戻ったと思えばいい。そのために全てを捨てたのだから。

「思ったより寒いね。マフラーと手袋、どこにやったかな。エドは平気?」

「うん、コート着るから。あったかそうだね、それ」

「ローラおばあちゃんが、編んでくれた奴なんだ。だけど、ヒト多いねぇ」

「お祭りだって言ったでしょ。年に一度行われるランタン祭りは、一年で一番夜の長い一週間だけ行われるんだって。さ、行くよ。五時間たっぷりあるんだし、まずは手紙を出してそのあと街を回ろうね」

 子どもたちの会話も遠くへ消えた。エルザはふうと息を吐きだし、表情を引き締める。

「必ず、ここから逃げ切ってみせる」

 そして、守り通してみせる。私たちの未来を。

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