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リンのてがみ  作者: 橘高 有紀
星をわたる列車
4/16

04

 一般的な「小説」とは立体映像の組み込まれたドラマを指したが、エドの持つものは、紙媒体の、正真正銘の『本』だった。内容データをスキャンし、コンピューターで文字を脳内へ流させることもできたが、エドは『本』という形体を好んだ。睡眠学習の要領で、ストーリーを頭に詰め込むのは手っ取り早いが味気ない。多少荷物がかさばっても、本を持ち歩いては、時間を作って広げた。こうすることで「本を読んでいる」実感を得られるのが好きなのだ。ちょうど今、物語は佳境に突入したところである。

 そのとき、遠くで絹を裂いたような悲鳴が上がった。なんだ、と訝るうちにそれがだんだん近づいて、ついに扉が開け放たれる。同時にすっ転んできたのは、一向に戻ってこなかったリンだ。驚きを決して表情には出さず、エドは読みふけっていた本から顔を上げる。

「どうしたの?」

 素っ裸を大きなバスタオルでくるんだリンは、あわあわと通路を指差し、

「え、ええええええ、えどおおおお!!」

 湯気を上げ、濡れた髪を振り乱してリンは叫ぶ。ぽたぽたと髪から滴がこぼれた。良く見ると、リンは身体もろくに拭いていないのだ。メガネもかけていない。

 ただ事ではないようだ。うるさそうにしかめ面を作ったエドは、しおりを挟んで本を閉じた。苛々していた。どうしてそう子どもっぽく取り乱せるのか、わからない。

「とりあえず中に入りなよ。なんて恰好してるの」

「あっあっあっ、おっ、追いかけてき……わあああ!!」

 半分泣いているリンが不自然に扉から姿を消した。まるで誰かに引っ張られたような消えかただ。エドは驚愕して通路へ飛び出す。リンがいない。一瞬エドは酷く焦って四方に視線を飛ばした。しかし、「エドぉぉ……」と情けない声が足元から聞こえ、凍りつく。

「な……何やってんのさキミ……」

「助けてぇぇ」

 ずりずりとリンは引きずられていたのだ。それに抵抗するため、必死に這いつくばっていた。片手は身体を巻いたタオルを、片手は赤いじゅうたんをつかみながら。その傍に屈んで、エドがリンを覗き込んだ。

「遊んでるの?」

 楽しいのか、と呆れまなこで尋ねると、リンの涙目とぶつかった。

「あ、遊んでるんじゃなくって! ひああああ」

 リンを引きずるのは、列車内にたくさんいる雑用ロボットだった。ロボから、いくつものコードが伸びてリンの上半身をぐるぐる巻きにしていたのだ。小柄なリンよりさらに小さなロボだったが、力は強いらしい。少年の抵抗もむなしく、ずんずん引っ張っていく。

「なんだなんだ」

「子どもが遊んでるのか? ヒト騒がせな」

 コンパートメントから何事か、と野次馬が顔を出し始めた。夕食時だ。くつろいでいる最中に、あの悲鳴は耳をつくだろう。何をやっているんだやかましい。ケンカか。子どもの遊びだ、子どもの。だれだ、あの子の親は何をしている。こんな時分に騒ぐなんて――

 自身のことではないのに、エドは顔を引きつらせた。まさか雑用ロボに引きずられているとは、思いつくまい。

(でもってあれが、僕の連れだなんて)

「エドぉぉぉ、助けてぇぇぇ」

 悲嘆に暮れた叫び声に、エドはため息をついた。尻尾が不機嫌に揺れる。いっそ見なかったことにしたかった。滑稽な叫びはもう遠くなってしまったが、きっと次の車両でも、奇異の視線に晒されているのだろう……。

「放っておく……わけにはいかないんだろうな」

 調子が狂っていくのを感じながら、エドは野次馬をかきわけた。




 機械に囲まれた生活をしてこなかったせいで、リンはひどい機械音痴だった。風呂に入る方法もわからなかったのだから、相当なものである。

「ちょっと待って。どうやってこれで、あんな騒動になるんだよ」

 エドが唖然となった。どうやらリンが難儀したバスルームの設備は、極々当たり前のもののようだ。リンは、雑用ロボに組み敷かれながら、蚊の鳴くような声をあげた。

「……ボタンを押したら……なんか大変なことになって、これが出てきて」

 エドがちらりとリンが押したボタンを一瞥し、肩を落とす。

「泡が出てきたり、その、勝手に身体をこすられたり、お風呂も熱くなったり冷たくなったり……」

「そんなに難しいものじゃないんだけどね」

 苦笑しながら、エドが雑用ロボを追い払った。涙目状態のリンを立たせ、改めてバスルームの説明をしてくれる。ぐずぐずと洟をすすりながら「ありがとう……」と礼を言った。そこへ車掌のエリックが現れた。リンの騒ぎを聞きつけ飛び込んできたのだ。

「すまんかった。ちゃんと説明してればよかったんだが、コロッと忘れててよ」

 情けない有様のリンを見つけ、「面目ない」と大きな身体を精一杯車掌は小さくする。

「もう、邪魔だからあなたはあっち行ってて。僕が請け負うから、ここは」

 エドが風呂場の面積を一人で半分占めてしまうエリックを、追い出しにかかる。車掌は「だが」や「しかしだな」とごねたが、ネコ族の少年に睨まれ、すごすごと退散した。リンへの気遣いが裏目に出たことに、責任を感じてくれているのだ。大丈夫ですから、と無理やり笑顔になったリンへ、出て行く間際「すまん」とうなだれていた。

「悪いヒトじゃないんだけどね。……とにかく、身体あっためておいでよ。そのままじゃ風邪引いちゃうでしょ」

「え、でも……」

「僕もいるから、困ったら呼んで。ここにいる限りお風呂は入るんだから、ちゃんとマスターしてくれなきゃ、こっちも困るんだよ」

 う、とリンは怯み……結局再チャレンジが実行された。今度はきっちり説明を受けた。それでも三回ほどエドを呼び出し、水の反乱を止めたり、泡の塊を吸い込んだり、身体を洗おうとする自動装置を止めたりしてようやく。時間にして一時間半が過ぎたころ、リンは魔境を乗り切ったのだ。

 あんなの、お風呂じゃない……。げっそりしてリンはバスルームを後にする。

 水の出をさまざまな種類(パターン)に変えられるシャワーや、勝手に泡が噴出したり自動(オート)でマッサージ機能が作動するバスタブ、身体を乾かしてくれる温風や、肌を潤してくれるミスト、サウナ装置……どうして無駄な装置がたくさんあるのか。普通のシャワーだけで充分なのに。

「つ、疲れたね……」

 リンがヨロヨロになって元いたコンパートメントに入り込む。

「ホントーだね」

 毛並みの濡れたエドも続いた。二人は同じように柔らかいシートへ腰をおろし、ずるずるともたれかかり、ぽてっと倒れこんだ。体力を消耗しきって、起き上がる気力もない。

「ほんっと、器用だよね。お風呂入るだけなのに、あんな騒ぎ起こすなんて」

「……ごめんなさい」

「結構あちこち行ったけど、あんなの初めてだよ。まさかシャワーも使えないなんて」

「……ごめんなさい」

「ああ、疲れた。なんか僕まで一緒くたにぬれたし」

「……ごめんなさ」

「それ聞いた。もう二四回くらい聞いた。だからぁ」

 身を起こしたエドが半眼になって唇を尖らせ、ぐったりしているリンへ手を差し出した。

「お礼に食事付き合ってよ。一人で食べるのつまらないし」

 リンはほかほかと湯気を昇らせ、ピンクに上気した顔をあげた。

「さっき食べたんじゃないの?」

「お腹空いたからいいの」

「え? あ、でもぼくお金あんまり持ってなくて」

 リンを引っ張って歩くエドは、ぐるりと振り返った。信じられない、という驚愕と、ああやっぱり、という妙な納得を混じらせた彼は、

「そういうのって乗車券(チケット)についてるんだけど、知らない? ちょっと乗車券見せて」

 リンはたじろぐ。乗車券をエドに見せるのが怖かった。さっきあんなことがあったのに。車掌のエリックとのやり取りが鮮明に浮かび上がった。また、なにか言われるのかもしれない。

「盗らないから安心しなよ。僕だってチケット持ってるんだから乗ってるんだし。行き先も一緒だって言ったよね?」

 ネコ族の少年が呆れた表情になる。リンはしぶしぶ乗車券を差し出した。不安がまた、霞みのように心を覆っていく。そしてエドは予想通り、盛大に息をついた。ずきんとリンの胸に痛みが走る。今度は何を言われるのだろう。やっぱり列車にそぐわないのだろうか。

 そんなリンの心境を知ってか知らずか、ひらひらとエドは乗車券を振った。「やっぱりね」と呟きながら。

「指定席だよこれ。一等席。ココにある機関全部タダで使える奴。キミ、どうして自由席なんかにいるの?」

 え、とリンが瞬く。頭の中が真っ白になった。エドと乗車券を、リンの視線が交互に移動する。

「だって、列車に乗れるってことだけしか教わってなくて……」

 そういえばエリックも同じようなことを言っていた。

 しどろもどろなリンへ、エドが乗車券をつき返す。

「そんな嘘、誰が言ったのさ。指定区間なら予約なしでも最優先で乗れるチケットだよ。特急・急行指定の、ほとんど最高ランク。わかって言ってるの? 騙されない?」

 エドが何を言っているのか、理解できなかった。最優先で優遇される乗車券? どういう意味だ。では、乗客の出入りを許可された場所なら、自由に行き来しても良いということなのか。この、リンに与えられた乗車券が? この列車の設備を、使い放題?

 信じられない思いで、まじまじとリンはチケットを凝視した。最高ランクだと言うなら、このチケットはどれほどの価値がある?

「自分で確認ししてないみたいだね、そのようすだと。言っておくけど、そのチケットはキミ以外使えないものだよ。星間列車は、三等以上はすべてそうだもの。覚えておくんだね」

 不意に、足元が定かでなくなった。ぐらぐらと身体が揺れる。まるで乗り物酔いのようだ。

「ちょっと、大丈夫? 顔色悪いけど」

 エドの無自覚な鋭い視線から、リンは顔をそらした。エドが怒っているのではないとわかっているのに、鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。まただ。リンは赤いじゅうたんを見つめながら思った。エリックのときもそうだった。両肩にずっしりと、何かが圧し掛かってくる。

 喘ぐような低い声は、拳を作ったリンが発したものだった。

「……したけど……文字が」

「何? 文字?」

「確認したよ。したけど、文字が難しくて、わからなかったんだ」

 何もかもが自分を責めているようで、情けなくなる。

「共通語、まだしゃべるので精一杯で、読むほう苦手で……」

 ともすれば、母国語だってあやふやなリンだ。難しい言葉や文字はたくさんある。当然だ、子どもなのだから。大人と同じ知識を求められても困るのだ。わかっていても、主張できなかった。異分子だと認めると、列車から追い出されそうで怖かったからだ。

 エドのため息が追い討ちをかける。リンは堪らずしゃがみ込んだ。

 風呂さえまともに入れない。トイレだってよくわからない機能がたくさんあった。輝くような内装に、みすぼらしい異分子じぶん。リンができるのは、かろうじて話せる共通語のみだ。

 お風呂の説明書だって本当はあった。しかし、読めなかったのだ。

 これを持つだけの価値が、自分にあると、思えない。

 このチケットは、自分には重過ぎる。

「わかった。わかったから……泣かなくてもいいでしょ。ゴメンね、キミが遠いところから来たんだって忘れてたんだ」

「こんな遠くまで来たの初めてで、言葉もよくわからなくてっ、ひとりで……」

 それまで胸の奥に沈めていた不安や恐怖が、せきを切って溢れだした。リンの目からぽたぽたと涙が零れていく。

「ほんとうは怖くて。でも行かなきゃならなくて、ぼくじゃないとダメって言われてて! だけどぼく、ここにいちゃいけないみたいで……」

 どうしてこんなことを口にしたのだろう。会って間もないのに、エドが困るはずだ。でも涙は止まらなかった。一度吐き出した感情の波は、次から次へとあふれる。

 怖かったのだ。なぜかリンひとりだけが選ばれてしまった。ひとりだけで旅をしなければならなかった。大人はついてきてくれなかった。それだけの持ち合わせがなかったからだ。育ててくれた親代わりのアニエスは「しっかりやってきなさい」、と背中を押してくれた。駅まで見送ってくれたリンの大切な家族。その期待を背負って、必死にがんばってきた。だけど!

 アニエス、とリンは泣きながら呼ぶ。アニエス、と何度も何度も呼んだ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ!

 見たこともない『ヒト』たちに囲まれて、何とか話せる共通語でここまで来た。たったひとりきりで、故郷から遠く離れて不安だった。最果てのエンジャーグルに着いてからはなお更だ。見たこともない場所にいるのは恐ろしかった。同じ人族さえ、視界にいないのだ。珍しいものが見られても、先は見えない。何が起こるかわからない。導いてくれるものは、手紙と切符と旅費の、紙だけだ!

 誰もいない孤独は、責任感で誤魔化してきた。ぼくは誇らしいんだ、と言い聞かせてきた。好奇心とスリルと、冒険心にすりかえて。けれど、本当は、怖くてしかたがなかった――

(誇りを持って行ってきなさい)

 アニエスの言葉が耳に蘇る。アニエス、とリンは呼ぶ。アニエス、と泣きじゃくる。

 もう嫌だ。理不尽に責められるのは嫌だ。どうしてこんなことしなきゃならないの。どうしてぼくだったの。ここまで来たのに。やっと着いたのに。もう、嫌だよ。アニエス、助けて。アニエスに会いたいよ。



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