09
わあああ、という歓声に、気を失っていたリンの意識が戻ってくる。な、に? とつぶやいた少年は、がばりと起き上がると、傍らにあった自分の荷物を抱きしめた。そうしてホッと息をつく。
もうずいぶん辺りが暗くなっていた。少し前までは赤い光が世界を彩っていたはずなのに。
「目が覚めたかな」
フーリー警部補が街の中心部に向けていた目を、ゆっくりと少年に移した。リンは、戸惑いがちに「あの?」と問いかける。この歓声は何だろう。そしてドロボウは。
「エルザ・スコーピオは捕まった。もう、追いかけっこは終わったんだよ。それより――あっちをごらん」
指された方角を見て、リンは声を詰まらせた。街の中央広場にあった、あの巨大なランタンに灯りがともっている。そして、リンたちの見ている間にも、ぽつぽつと小さな灯りが徐々に広がっていくのだ。街全体をおおうように、オレンジの光があちらこちらであふれていく。
ランタン祭りがいよいよ始まった。太陽はもう地平線のかなたへと姿を消したのだ。世界をおおった闇が、かざされた光によって削り取られていく。冷たい風に身体を震わせながら、リンはこの静かで荘厳な祭りに魅入られた。なんて、なんてきれいなのだろう。
家々に飾られたランタンは形も色合いもさまざまで、ヴィーグエングの職人が丹精こめて作ったものだった。一つ一つをこの日のためだけに一年間作り上げ、街の住民が丁寧に磨き上げてきた。
「これはね、平和を祈る灯火なんだ。あの広場から分け与えられた火が、次の灯りになっていくんだよ」
傍らのフーリー警部補が誇りに満ちた声で、説明してくれた。戦争の終わりを願う人々の祈りなのだ、と。一番夜の長いこの時期だけは、こうしてヒトビトは過ごすのだ、と。
丘の頂上付近から眺めた街のようすに、リンは立ちすくんだ。幻想的で心にしみこんできて、言葉が出なかったのだ。あの一つ一つがだれかの願いなんだ――そう思うと切ない気持ちでいっぱいになる。リンは故郷を思い出していた。この街のあたたかさが、家族と少しだけ似ていたから。
だがそんな感傷も、エドの非難が横殴りに吹くまでだ。
「ちょっと。なにのん気に祭りを楽しんでんのさ!?」
きょとん、としたリンが疑問を口にするより早く、走ってきたエドが自分の時計を突き出した。五時十分前を、針は示している。
「この星に置いてけぼりになっちゃうよ! 荷物持ったよね!?」
仰天したリンをつかんでエドは走り出す。星間列車のステーションは、残念なことに街のはずれに建てられていた。遠すぎる! この騒ぎを聞きとめたアベル・ヨークが「フーリー警部補!」と、何かをフーリーに向かって投げた。銀色に弧を描いて飛ぶそれを、片手でキャッチしてフーリーは驚いた。この街では禁止されているエアバイクのキーだったのだ。にやり、と男が笑う。ワルイコトを企む目で。
「今から走ったんじゃ間に合わない。教会へ走れ。空を使ったほうが断然速い! バイクは、動かせるだろう?」
はい、と女装中の刑事に礼をしたフーリーが、わたわたしている子どもたちへ猛然と走りよった。屋根からどう降りようと混乱しているちびっ子は、抱きかかえられてぎょっとする。
「いくよ。近道をしよう!」
「ちょっと、駅と反対方向――」
「いいから! 特別だ」
フーリーに抱えられ、二人は街の頂上にある教会にたどり着いた。まだ、ここまで灯りは届いていない。小さな教会が三人を出迎える中、フーリーはどでかいバイクを発見し、エンジンをふかせた。少年たちを乗せると一気に勾配を駆け下りる。
「捕まって、空を行くよ!」
宣言するが早いか、ふわりとエアバイクは宙に浮いた。そのまま一気に街を下っていく。ひゃあああああ、とかうわあああああ、という悲鳴もまるで無視だった。
きらめく街の夜空を彩るには多少不恰好だっただろう。
ヴンっという音と共に、三人は駅前に降り立った。目を回す余裕もなく、フーリーに少年は抱えられる。駅員が駆け寄ってなにか文句を言ったが「はい、すみません!」とフーリーが生返事をして押し切った。来たときはあれほど混んでいたホームは閑散としていた。だれもが祭りへ行っているのだ。夜が本番なのだから当然か。
リンが身をひねってホームの時計を確認すると、五時まで残り五分もない。
「おいおいおい、どうしたってんだよ急げ急げ! 発車すんぞ!」
車掌のエリックがハラハラしたようすで、ぶんぶん手を招く。
「すみません!」
「間に合ってよかったなぁ。列車は刻限になったら行くしかないから、気をつけろよ。それほど楽しかったかい、この街は」
後半はやさしげに尋ねられて、エドとリンは顔を見合わせた。空笑いと、困った笑顔で。エリックは訝しげにしたが「まぁ急げや」と列車に乗り込んだ。フーリーが続いて足をかける二人に話しかける。
「今度はゆっくり遊びにおいで。また来年、ランタン祭りはあるからね。名物の工房通りは行ったかい?」
「そんな暇なかったですよ。でも祭りは奇麗でした」
「もっと見たかったです」
「だろう? この街の自慢なんだ。ヴィーグエング(工芸の街)は客人をいつでも歓迎するよ。次回は自慢のファクトリーを見て欲しい。あ、それと」
「おら、もたもたすんじゃない、急げっつったろ! ドア閉めるから頭引っ込めろ!」
エリックが巨体を現した。フーリーが慌てて二人を押し込め、「これ、おみやげ。エルザが用意したものには及ばないけど」と、ウインクする。お礼を言う間も与えられず、目の前で扉は閉ざされた。二人は窓を探してかじりつく。
「あの、フーリーさん、これ――アベルさんに。それから、ありがとうございました」
窓から身を乗り出してリンがサングラスを手渡す。
「いっぱい、いっぱいありがとうございました! ぼく――忘れません」
「送ってくれてありがとう、助かったよ警部補さん。警部に早く昇進できるよう頑張ってね」
「ありがとう! キミたちの旅の無事を祈っているよ」
「お元気で――」
窓も封鎖され、列車発進のアナウンスが響きわたる。星間列車が星を渡る時刻になったようだ。もうもうと噴出す蒸気に軽い振動、ゆっくりと黒いフォルムが動き出す。フーリーは帽子を飛ばされないよう押さえつけた。子どもたち二人に向かって大きく手を振ってやる。
出会って数時間もないけれど、偶然に出会うことができた小さな戦友たちへ。
「またいつか、遊びにおいで」
列車が空へと続くレールの上を駆け出した。
「……で、なにもらったの?」
自分たちのコンパートメントに戻って早々、エドはリンに尋ねた。リンはもらったものを見て笑顔をこぼす。そこにあったのは小さな小さなランタンだった。キーホルダーサイズでちろちろと灯りをともしている、ミニチュアである。――平和の灯火を、分けて貰えたのだ。
「安物だなぁ。僕らが目を付けた方くれたらよかったのに」
ぽん、とエドはランタンを投げてはキャッチする。エドの言ったように、二人が揉めたランタンに比べれば作りが荒い。細部へのこだわりが見当たらない、大量生産品だ。工房名も記されない、お手軽な土産物である。
だが、こんなものもあったのか、とエドは意外に思った。もしかしたら道行くヒトが気軽に付けていたランタンは、これだったのか。
「役に立たないね、これ。明かりが欲しければライトを照らせばいいんだし。点けても大して明るくないもの」
両手で暗がりを作って覗いていたリンは、嬉しそうにランタンをつついた。
「そう? ぼくは、これがいい。これでいいよ」
にこにこしてランタンを眺めるのを見て、エドが決まり悪そうに離れていく。顔を背けたまま、ネコ族の少年は指定席代わりのシートに身を沈ませた。行儀のいい彼にしては珍しく、一人掛けのソファで丸くなっている。
しばらくランタンを二人は無言で眺めていたが、
「悪かったよ」
エドがぽつ、と誰にともなくつぶやいた。え、とリンが聞き返すと、
「悪かったって言ってるの。ほら、ランタンのこと……はぐれる前に……」
言いにくそうに喋るエドは、これでも謝っているのか。ソファの肘掛に頭を乗せ、手の中でミニランタンを転がして。しゅん、としていた。
リンは笑顔になった。
「いいよ、あれはもう。エドに悪気がなかったってわかっているから。プレゼントだって思ってくれたんでしょう? ぼくのほうこそ……変にこだわったと言うか」
お金に無頓着なエドと違って、リンはあっさり大金を手放せない。差を見せ付けられたようで僻んでしまった面も、少なからずあったのだ。また、それが目的でエドと友だちになったのだと思われたら、悲しかった。対等の存在でいたかったのだ。
「ねぇ、どうして怒ったのか教えてくれる?」
エドがおずおずと問いかけてきた。もしよければ、なんて前置きが付きそうなぐらい、彼にしては弱気な態度だ。リンはしばらく言葉を探して沈黙した。
「強いて言うなら……、気持ち、かも」
気持ち、とエドが繰り返す。うん、と頷いてリンは続ける。
「上手く言えないんだけどね。誰かにどうしてあげたいって気持ちじゃないかなって。ぼくの場合は、いつもありがとうって気持ちと、みんなを喜ばせてあげたいって気持ち。それは、エドが買ったんじゃ意味がないんだ。そういうの、ないかなぁ」
自分でやらなきゃ意味がない、真心というもの。お金でその価値は測れない。それがエドには欠けていたのだ、とリンは指摘するのだ。ぽんと買って、ぽんと手渡そうとした。そのとき込められた気持ちの重さが、その人に対する思いの重さになる。エドがリンに込めた思いは、どれほどのものだっただろう?
エドが、「そっか……」と小さくつぶやいた。
欲しいと思ったものはほぼ手に入れてきたエドには、よくわからない答えだった。誰かからのプレゼントは、当然のように受け取ってきた。欲しいものはほとんど何でも手に入れた。軽々しく与えられ続けてきたせいで、誰かにプレゼントする行為自体が軽くなっていたのか。
「だからぼくは、フーリーさんが選んでくれたこのランタンでよかったなぁって思うの」
短時間のうちに、二人のために手配してくれたのか。それともたまたまランタンを持っていただけなのか、それはわからないけれど。
偶然出会った観光客に過ぎない子どもに、フーリーはやさしかった。またおいで、と再会を願って、平和のともし火を分けてくれた。お祭りをじっくり見れなかったことは残念だったし、荷物を盗まれて散々だったけど、この街を嫌わないで欲しい、とフーリーが言ってくれたように思えた。
そこに込められた気持ちが、あたたかいか。
小さな灯りたちが集まって、大きな光になっていくようすをリンは思い返した。空を飛びながら後ろを振り返れば、教会へと明かりが伸びていた。そして、古びた教会がランタンの明かりによって照らされた瞬間を。やわらかくて、あたたかな光に包まれた街を。同時にフーリーの誇らしげな表情も。
また絶対、この街を訪れたいと。
「本当、乗り遅れなくてよかったよね。大変だったけど、お土産までもらっちゃったし」
リンのとぼけた発言に、エドが顔をしかめる。
「能天気に言わないで、ちょっとは懲りてくれる? かなり探したんだから」
再びずるずるとエドはソファに沈んでいく。その尻尾がぱたぱたと揺れるのを、リンは見つめて話しかけた。
「ねえ、エド」
「なに」
「今日は、ありがとう。とっても、とっても、うれしかった。ありがとう」
一緒にかばんを取り返してくれて。
勢いよくエドが身を起こした。
「お礼を言われるほどのことじゃないけど」
「ううん、エドがいなかったらダメだった!」
エドは「僕は……」とつぶやいたっきり、膨れ面を作って、リンから顔をそらした。ソファに寝そべったまま、ランタンを指でいじっている。
あのとき、エドが「取り戻すよ、絶対」と言ってくれなければ、リンは諦めていたかもしれない。一緒に追いかけてくれなければ、途方にくれて終わっていたかもしれない。この街に、置き去りにされていたのかも。
フーリーやアベルの助けもあったが、「やれることをする。――諦めないで」と庇ってくれた背中がなければ、泣きじゃくるだけだった。エドの不屈な精神に触れていれば、自分も何かできるかもしれない、と勇気をもらえたのだ。
素っ気なくエドが「どういたしまして」と言った。不機嫌さを装う態度は、照れ隠しだったのだろうか。
「ねぇエド、次はどこだっけ。どんな駅なの?」
「オーウェイン。白と黒の王国だよ。トリビトのいる、ね」
トリビト、とリンが驚きに軽く目を見開き、複雑そうな顔をした。
「そっかぁ。トリビトに、会えるんだね……」
小さな小さなランタンがふたりを照らし出した。