06
奴は時間を稼ぎたかったのか。二人を列車に乗せるのも嫌がっていたようだった。リンには欲しがっていたランタンの他に、お金も渡している。数えてはいないが、ちょっとした額だった。ふと、エドはドロボウが星間列車に乗りたかったのではないか、と思いついた。狙いは列車の乗車券で、リンにランタンを与えたのはその礼か。
しかし、とエドは納得ができない。乗車券なら窓口で購えばいいのだ。そこまで考えてピンときた。……買えないのか。ドロボウは正規のルートで購入できないので、リンの乗車券を狙った?
しかし、街から出られないとなると、凶悪な犯罪者を連想してしまう。指名手配を受けるほど、あの盗人は大きな事件を起こしたのか。何千、何億と盗んだ額があるとかの? そんな大物なら、列車のセキュリティをかいくぐる技術屋とも連携を取ってそうなのに。
纏まらない思考に、エドがため息をつく。何にせよ、盗人の行動に不可解な部分があるのは否めない。
考えながら、エドは通行人を見つけるたび声をかけた。観光地でもヒト族は珍しいので、記憶に残りやすいと踏んだのだ。ましてやリンのようなおっちょこちょいの子どもなら。
そんなエドに声をかけてきたのがこの女、ヒト族のアベルだった。エドと聞き込み相手との会話を聞いていたらしい。かかとを鳴らしながら、彼女は現れた。
「同じヒト族として、あの子が困ってるのを見過ごせないわ。郵便局で会ったのよ。でも、ネコ族の坊やがあの子の言ってたお友だちだったなんて」
意外だったわ、と艶然と笑い、彼女が捜索を買って出てくれたのだ。先刻の郵便局での騒ぎや新聞の内容を覚えていたエドは、露骨に警戒しながらも承諾した。今はとにかく人手が欲しい。
(このヒトが怪盗フルムーンだって? 確定したわけじゃないけど)
エドと同じように誰かを見つければリンの行方を尋ね、四方に目を走らせる彼女。そのようすは手馴れていて、違和感があった。怪盗というより、探偵や警察といったほうがしっくりくるような……
ただの親切心だけでヒトは動かない。何らかの目論見や下心、見返りがあってこそ手を貸すものだ。同族だからと親切に動く奴がいるだろうか。見ず知らずの他人のために。
真っ白な善意ほど、裏がありそうで気持ち悪かった。相手の本音がわからないほど、疑いは深まるものだ。
アベルは郵便省でリンと接触した。迷子センターか警察へ、リンを連れて行こうとしたと聞いた。怪盗が自ら警察へ足を運ぶだろうか。一体、何の魂胆があったのだろう。そして今も、一緒に捜索する意味は。
腹の底に疑惑を隠して、隣のアベルを仰いだ。なにか起こったときの準備だってぬかりない。信頼されて、この旅に出たのだ。子どもじみた失敗はエド自身が許せない。万が一のときは、腹をくくる。
ふと、楽しげな声が風に乗って運ばれてきた。本来ならもっとランタン祭りを満喫していただろうに……とエドがため息をついたとき、横手から人影が飛び出した。勢いよく突き飛ばされ、エドがアベルもろとも倒れこむ。ききっと止まった影が、律儀にもエドへ手を差し出した。
「すいません! 急いでいたもので、お怪我などはありません、か……?」
妙な間が落ちた。
「あああ!!」
エドとアベル、そして飛び出してきた影と三人、指を突き出して叫ぶ。あのドロボウだったのだ。見覚えのあるバンダナに垂れた耳、顔、なによりリンの鞄がある。間違いない。
いち早く行動したのはエドだった。「そのバッグを、」と起き上がって手を伸ばす。そこへ「待ぁてえええええ」と声が響いた。マイクで怒鳴ったような大声は、聞き覚えがあった。しかも徐々に近づいてくる。ドロボウが舌打ちし、身を翻した。
「待っ――」
「危ない坊や!」
追いかけようとしたエドを、アベルが抱きかかえるようにして引き倒した。ドロボウはせり立った壁を身軽に乗り越えていく。エドの押さえ込まれた肩に、ぐっと力がこもった。
「何するんですか! せっかく捕まえられそうだったの、に……」
身をひねったエドの非難は、尻すぼみに消えた。すごい勢いで走る何かが、眼前を通過したのだ。トレンチコート、ぴょこんと立った耳、あの暴走。同じようなのをさっきも見た。エドの頬が引きつる。ドロボウの追跡者は見紛うはずもない、あのフーリー警部補だ。怪盗を追ってるはずの彼がなぜ――
「って、ちょっ、えっ?」
リンが、フーリーの小脇に抱えられていたのを思い出した。リンはあれと手を組んだのか。たしかに、盗人を捕まえるには最適だ。最適だが、何か間違ってる気がするのは気のせい?
しかし、引き止めようにも、彼らの姿は跡形もない。おそらく路地に入ったのだ。あのようすなら、エドに気づけたかも怪しい。
「ほら、ぼさっとしないで」
「わっ、押さなくても」
自分で立てます。そう言おうとしたエドは、身をよじったときの妙な感触に眉根を寄せた。手のひらを見つめ「今何か……」、動くはずのないものが、ずるりと滑った。アベルが小さく悪態をついて、乱れた胸元を整える。
「早く、追いましょう。見失ってしまうわ」
何事もなかったようにアベルに手を引かれ、エドは走り出す。引きずられる形になりながら、
「あの、あなたはさっきのヒトに追いかけられてませんでした?」
怪盗フルムーンだと疑われているなら、接触するのはまずいはずだ。このまま追っても平気なのか。すると『彼女』は薄っすらと微笑んだ。
「私の心配をしてくれてるの? 多分問題はないわ。向こうの勘違いだもの」
急ぎましょう。そう言うアベルは、エトムントのほうをさっきから見ない。やっぱりさっきのは勘違いじゃないのか。斜め前を走る『彼女』へ、エドは恐る恐る尋ねた。
「あの、あなたって……そういう趣味のヒト?」
アベルは肩を震わせて立ち止まった。ざっと髪をかきあげ、軽くエドを睨む。
「べ、別に僕は、あなたがそうであっても、何も言いませんけど! ただちょっとビックリしたと言うか、驚いただけで……」
しどろもどろの言い訳も、アベルには通じないのか。その表情は先ほどまでとは何かが違う。ネコ族の少年は「やっぱり聞いちゃいけなかったか」とビクついた。ため息を零すアベルの指から、髪がぱらりと落ちた。猫のようなしなやかさから、刹那、狼のような獰猛さが覗いた。
「まったく、人聞きの悪いことは言わないで欲しいな。いいから坊やは黙ってついてくればいい。こっちだ」
がしっとアベルはエドを捕まえ、一気に駆け出す。
「え、わ!? ちょっ」
いきなり何をするんですか、と出かかったエドの抗議は消えた。アベルの目は仇敵を見たかのように燃えていたのだ。エドを連れて、迷うことなく路地を越えていく。まるで進むべき道がみえているように。
「本当、何の因果かなァ? あのとき邪魔さえ入らなければ、こんなことにはならなかったけど、この状況! 急ごう、友だちを助けたいんだろう。こうなってしまったら、内密に捜査なんて進められない。彼らを止めるんだ!」
その科白に眉をひそめる間もなく、エドはアベルの後を追いかけた。ピンヒールなのに、なかなかのスピードで駆けていく後姿を見失わないように。
そういえば、同じような違和を、もう一つ自分は感じたのだと思い出しながら。
「怪盗フルムーンというのはね、あだ名なんだよ」
唐突に出てきたその話題に、リンはフーリーを仰いだ。
「奴らは宇宙警察に指名手配中の『アパリション』のメンバーだと噂されているんだ。エルザ・スコーピオを筆頭にした、ね。聞いたことがあるんじゃないかな」
ふるふるとリンが首を振れば、そうか、とフーリーは苦笑した。すでに三十分は追いかけっこをしているが、ドロボウは捕まえられなかった。巧みに逃げられ、隠れられてしまう。そのたび足を止めて捜しまわるが、見つけたら見つけたで追いかけっこの再開だ。
五時まであとどれぐらいあるだろう、とリンに不安が過ぎったころ、フーリーが話し出したのだ。疲れを紛らわすためか、リンを気遣ってくれているのか。
「そのヒトたちは、あちこちでドロボウをしていたのですか?」
うん、とフーリーがうなずく。大通りを挟んだ先へもウサギ族のジャンプ力と俊敏さで、どんどん乗り越えていく。さしもの迷宮と称されるヴィーグエングも、フーリーのようにぴょんぴょん飛び越えられれば、その威力は半減だ。ドロボウは何度か見失ったが、そのたびフーリーの仲間から報せが入った。フーリーが言ったように、今日が祭りなのは幸いだ。街のあちこちに増員された警官が散らばっている。
その中を逃げ切るドロボウは只者ではない。これまでに挟み撃ちもチャレンジしたが、するりと魔法のようにかわされてしまった。だからだろうか、フーリーが怪盗フルムーンを思い出したのは。
「最初はね、エンジャーグルだったんだ。あの商業惑星で、奴らは次々に汚職や不正を暴いていった。その証拠も添えてね。大暴れしていたけど、ぱたりとあるときを境に静まった。そしてその半年後、うちで活動を再開したんだ」
ヴィーグエングに奴らが来るとは予想もしなかった、とフーリーは苦笑した。ましてや追いかけっこをするなどと。当事は寝耳に水状態で、上から下まで大騒ぎだったらしい。特に『上』は大慌てだった、とフーリーが苦笑する。
「怪盗たちはヒト族の世界で活動をしていた、なんて噂がある。そのせいかエルザをはじめとするメンバーは、ヒト族ではないかと言われているね。ヒト族は特徴が少ないから、他種族へ変装するのも我々に比べて容易だし。それに昨晩、偶然奴の姿を捉えることができたんだ。あれは、ヒト族だった」
リンは身を固くした。同じヒト族がそんなことをしているなんて、信じられなかった。リンを気遣ってくれたアベルの姿が、眼裏にちらつく。
見失った姿を求めて、よ、とフーリーが屋根から屋根へジャンプした。
「リンくんを責めているわけじゃないよ。我々に個性があるように、ヒト族だって様々なヒトがいることを僕らも知っている。同族が疑われるのは悲しいかもしれないけど」
フーリーのフォローを聞いても、リンはしゅんと萎れたままだ。
「怪盗たちは、正義を気取りたいんだろうね。病院や擁護院へ多額の寄付が、先だって匿名で送られたよ。誰もが怪盗だと疑わなかった。予告状と完璧な証拠と、マジックじみたパフォーマンス。おまけに悪を憎む者ときた。たしかに物語のヒーローみたいだ」
でも犯罪は犯罪なんだ、とフーリーが断じた。誰かを救うためだなんて大義名分を掲げても、ルールを無視したら、守るべきヒトビトが守れなくなってしまう、と。正々堂々と、汚職を糾弾できないのは悔しいが、やり方を彼らは間違った。法が崩れたら、弱者は強者に食われるだけだ。そんなことになったら戦時中より酷くなってしまう。
鼻息荒く力説し、リンを抱えていない方の腕でフーリーは拳を作った。
「警部さんと怪盗さんが、手を組めたらいいのに」
怪盗を名乗っていても、悪い人たちには思えない。エルザの一味は悪を暴いているのだ。でも、フーリーはかぶりを振った。今の彼らじゃ無理だろうね、と苦い笑みだ。
「しかし、ドロボウの逃げっぷりを見ていると、怪盗を思い出して仕方がないよ。怪盗もあれぐらいひょいひょい逃げるんだ。まるでこの街を知り尽くしているようにね。誰かの手助けでもあるかな?」
「だけど新聞で、警部さんお手柄だって、」
フーリーが顔をしかめた。
「肝心の本人を取り逃がしたのにお手柄だなんて。お手柄と言うなら、匿名のタレコミだ。まさに一網打尽だったよ」
大暴れしている「怪盗一味」は、莫大な賞金がかけられている。それもそのはずだ、怪盗たちが盗み出すのは名誉なのだから。権力者たちが血眼になって探しているのだ。
それを聞いて、え、とリンが息を呑んだ。もたらされた情報は的確で、ろくな抵抗もできず、怪盗の仲間たちはいっせいに逮捕されたのだ。だからこその『号外』だ。しかしその中に怪盗と噂される「エルザ・スコーピオ」はいなかったと言う。
「エルザ、イコール、怪盗説は前々から囁かれていたことだった。あのタレコミもそんなことを示唆していたと聞くよ」
だが、匿名って部分が腑に落ちない、とフーリーがぶつぶつぼやく。
「警部さんは怪盗を見たのでしょう? アベルさんが……、そうだったのですか?」
言いにくそうにリンが尋ねると、フーリーはきょとんとした。そして「あ、昼間のアレだね」とうなずく。
「変装した姿かもしれないが、昨晩、確かに見たよ。だが奴は自分は怪盗ではないと言っていた。それも引っかかるが、昼間の女性がその不審人物によく似ていたんだよ。怪盗じゃないにしても、何らかの手がかりを持っている可能性があるから」
リンは生返事を返す。あのアベルが怪盗だなんて思えなかった。釈然としない。だってアベルはリンに対してとても親切だったのだ。迷子なの、と聞いてきたアベルは、純粋にリンを心配してくれていた……そうリンには映った。だからこそ申し出を強く断ることができなかったのだ。
彼女が怪盗なら、あの善意は、嘘だったのだろうか。
いや、怪盗だからこその善意になるのか……。
そんなヒトがなぜ追われなければならないのか。