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リンのてがみ  作者: 橘高 有紀
工芸と迷宮の街
11/16

05

 角を曲がると、二人の前にいたのは新聞屋ひとりだけだった。号外の箱を持ったまま、あたふたと走っている。あたりを見渡すと、それらしい影がない。荷物を持っていなくても、あの箱に入れてしまえば目立たないはずだ。だとしたら? ふたりはうなずきあって、新聞屋に飛びかかった。

「この、ドロボウ!」

「荷物返して!」

 が、ふたりがつかんだものは紙へ摩り替わった。ばらばらと空から舞い落ちる新聞紙に、黒い影が映る。男はまるで魔法のように姿を消したのだ。目を白黒させる二人の頭上から、笑い声が降ってくる。

「甘いよ。これしきで捕まる俺じゃあない」

 男は身軽な動きで壁をけり、器用に四階のベランダへ降り立った。花々の代わりにランタンで飾られたベランダだ。干された洗濯物と逆光で遮られて、顔が見えない。けれどもひょいと肩をすくめ笑ったのがわかる。そして言った。頭に巻いていたバンダナを取り、優雅なまでにお辞儀を一つして。

「ようこそヴィーグエング――工芸と迷宮の街へ!」

「迷宮……?」

「あ! かばん返して!」

 エドが呟き、リンが叫ぶ。にぃっと口を裂いた新聞屋――ドロボウが手にぶらぶらと持っているのは、リンの荷物だ。ベランダの柵に座ってドロボウは足を組んだ。

「ダメダメ、今は返せない。この鞄はしばらく預かっておくよ。そうだね、あと三時間ぐらい? よく気づいたねぇ、鞄盗ったって。こんなに早く追いつかれるとは思いもしなかった」

「ぼくの鞄、こんなに奇麗じゃないんだ。だってニコラも使ってたんだもの!」

 ごめんね、とドロボウが頭上でしゃあしゃあと謝る。その行為にエドが切れた。ふざけるな、と声を荒げ、アパートメントの壁を蹴る。その勢いを利用して、向かいの壁も蹴り、一気に壁をのぼっていく。狭い路地裏だからこその芸当だ。ネコ族の身軽さで、四階にいるドロボウへと飛び掛る。

 それをひょいとドロボウは避けた。ベランダの柵の上で、危なげなくバランスを取って、エドを軽く捌く。時に飛び上がり、時に身を翻し、エドは諦めずにチャレンジするが……相手が悪すぎた。リンは、その建物へと飛び込んだ。とりあえず屋上へ出れば、近づける。階段を駆け上がってたどり着いた最上階から身を乗り出すと、まだ二人は荷物の取り合いをしていた。

 ドロボウは息切れして接近するリンに気づくと、さすがに分が悪いと判断したらしい。ひょいひょいと、建物伝いに移動した。屋根の上でも抜群のバランス感覚で立つ彼が、こちらを振り返った。不思議なのは、そこに悪意を感じないことだ。

「待ってください。ぼくの荷物盗ったって、何も入ってないのに! 欲しいもの、あげますから鞄は!」

「ダメだよ。列車に乗らないでくれって頼んでも、聞けないのと同じさ。だからこうするしかない」

 それじゃあ困るんだ、とドロボウがこぼしてふっと姿が消える。

「待てぇ!」と飛び掛るタイミングを計っていたエドは、あっさり逃げられて舌打ちした。その視界の隅に、駆けていく影が映る。

 リンとエドはすぐさま追跡した。ヴィーグエング名物の工房通りすら見ることなく、年に一度しかないランタン祭りを楽しむことなく、始まったのはタイムリミットつきの鬼ごっこだ。エドじゃないが、まったくもって「ありえない!」

 時間を確認すると、出発まであと一時間しかなかった。まさか、祭り見物に来てこんなことになるなんて。

 今はヒトの少ない裏路地だが、ドロボウが大通りに出ればきっと見失ってしまう。早く、早く、つかまえなければ。

 リンが夢中になって追いかける内に、ふとエドがいなくなった。白い壁のせり立つ路地裏で、あの青い尻尾が見当たらない。表通りの喧騒と違って静かな住宅街は、見上げれば夕暮れ時の空に、洗濯物がつってあった。それを取り込むヒトが、ランタンを入れ替わりにぶら下げていく。リンの視線に気づいて訝しげだ。

 視線をそらして向き直れば、工芸の街、自慢の細工を思わせるきれいなガラスが、リンの姿を映した。そこに見慣れた姿がない。

「エド……?」

 はふはふと肩で呼吸をしながら、四方八方へ目を向ける。エドが、いない。石畳のどこにもいない。それどころかヒト影もない。みんな表通りに出ているのだ。一つ目の十字路を曲がっても、最前と変わらぬ景色が続いていた。

「え……、え、え?」

 きょろきょろと視線を飛ばすが、青い尻尾が見当たらない。ちょっと気取った姿がない。あるのは見慣れぬ街並みのみだ。

「エドおおおおおお?」

 リンの途方にくれた声が、ヴィーグエングの街に木霊した。

 合図したように、ばさばさっと白い鳥が空を飛んでいく。




 リンがショックから立ち直ったのは意外と早かった。荷物を取り戻さねばならないからだ。幸か不幸か、ドロボウの姿を見てしまったからには走らなければ。行かなければ!

 なんの脈絡なく壁が現れる。路地は突然広くなり、細くなる。トンネルがあり、水路がある。上り坂が来たと思えば、たちまち下り坂に変わる。そんな障害に負けずリンは夢中でドロボウを追いかけた。ドロボウは身軽にひょいひょいと移動する。今度こそ見失っちゃいけない――ただその一心で。

 だけど、大人と子どもでは足の速さも体力も違う。ましてや相手はイヌ族だ。

(だめ。見失っちゃう)

 もうどれぐらい走っただろう。付かず離れずの間隔をあけて、ドロボウを追いかけている。足取りがおぼつかない。息が切れる。どくどくと跳ね回る心臓も、限界を告げている。ただ追いかけているだけじゃ、絶対に捕まえられない。作戦を立てないと無理だ。

 リンが汗を拭って角を曲がった。すると思わぬ壁にぶつかって、悲鳴をあげる。

「わっ!」「おお!?」

 上ばかり見て走っていたせいで、誰かがいることに気づけなかったのだ。だが転がる直前に、身体を支えられた。今日はぶつかってばかりだ、と息を切らして上空を見上げれば、ドロボウの姿は見当たらない。涙が思わず出てくる。なんてドジなんだろう。

「え、どこかけがしたかい。ごめんね、不注意だったもんだから」

 やさしい言葉が意外で、リンはぶつかった相手を見た。やわらかい眼差しに、きゅっと詰められた襟元にはネクタイ、羽織っているのはトレンチコート、なにより目に付くぴょこんとたった茶色の耳は。

「あ……?」

 新聞に載っていた写真。そして郵便省でのあの強烈なできごと――

「フーリー警部?」

 フーリーは丸い目をまん丸にした後、照れ笑いをした。あの記事を見たんだね、と控えめに笑いかけられる。かがんでリンの埃を払い、しっかり立たせてくれると、目線を合わせてくれた。だいじょうぶかな、と案じられ、リンが涙をうかべる。

「えっ、どうしたんだい。やっぱりどこかケガでも、」

「ど、ドロボウが、かばんを持っていっちゃったんです。ぼく、ドジで間抜けだから」

 言う間に先ほどのできごとが脳裏で再生され、リンはうつむいた。

「オマケにエドとはぐれるし、街の中わからないし……ケガはないですけどよくわからないけどなんか」

 なんか。その先が言葉にならず、はらはらと涙を流して訴える子どもに、フーリーは「まいったな」とぼやいた。苦笑を向けられ、頭を撫でる大きな手のひらを感じ、リンは急に自分が不安だったのだと気づいた。追いかけることに夢中になって、そんな余裕すらなかったのだ。

「観光客かな? お祭りだもんねぇ」

 フーリーがゆっくりと口を開く。

「それで荷物を盗られたんだね? お友だちとはぐれたんだね? 迷子なんだね?」

 こくこくとリンがうなずく。

「スリや引ったくりの報告は聞いたけど、子どもにまで手を出す奴がいるなんて」

 今持っているバッグは、と尋ねられて、リンは「たぶんドロボウさんの」と自信なくつぶやいた。盗まれたバッグと同じものだと伝えるとフーリーが不思議そうにする。中身を見せると、さらに訝しげになった。

「これはノクターン工房のランタンじゃないか。それが六つ?」

 六つも買うと、リンの手持ちのお金がほとんど飛んでしまう額になる。それをぽん、と払おうとしたエドもエドだが、なぜドロボウがこれを鞄に詰めたのかわからない。ましてやリンが欲しがったとなぜ知っているのか。そのことを話すと、フーリーは難しい顔で唸った。

「坊やを知っているヒトなのかもしれないね。この鞄は前もって準備してあったのだと思うし、三時間と言った部分も気にかかる。もしかしてこのランタンはその侘びなのか? そんなことをするぐらいなら、ちゃんと坊やと話し合えばいいだろうに」

 訳がわからない、とフーリーが立ち上がる。リンの不安に気づいたのか、彼は力強く笑いかけてくれた。それが、先ほどのエドやアベルと重なる。安心しなさい、と励ましてくれる笑顔と。

「一緒に追いかけよう。こっちへドロボウは消えたんだね?」

 リンは大きく首を縦に振ってから、指差した。あの建物の端に垂れ下がった耳とリュックを見たように思う。おっしゃあ! と気合一発、ウサギ族の男はリンを小脇に抱えた。え、とリンが瞬きする間もなく、勢いよく走り始める。速い。フーリーはジャンプ一回で一気に三階まで飛び上がった。

「この街はね、入り組んでいるし丘の斜面にそって建てられたから、乗り物には頼れないんだ。今の時期、観光客も多いしね。悪目立ちは避けるだろうから、盗人は自分の足で逃げるはずだ」

「もう、逃げちゃったかも……」

「ねぐらに帰ってはいないんじゃないかな。だってドロボウは坊やたちが追ってくるのを待っていたようだし。きっとゲーム感覚なんだ」

 フーリーは前方を睨み、危なげない足取りでオレンジの瓦の上を走る。

「僕なら追いつけるよ。足の速さは自慢だ。それに仲間もいる。今日が祭りで助かった、かな?」

 必ず捕まえよう。力強くつぶやく彼の顔を見上げれば、リンの心にも希望がわいた。そうだ、まだ諦めちゃいけない。フーリーの走りは軽快で、屋根と屋根の切れ目もジャンプ一発で飛び越えていく。すごい!

 走りながら、フーリーは小さなマイクを口元に当てた。ウサギ耳の付け根にセットされた輪から伸びたマイクは、どうやら通信機のようだ。リンの持つバッグに入っていたランタンについて、盗品ではないか確認を取っている。ドロボウのことも、「怪盗の関係者である可能性がある」と同僚を言いくるめてくれた。まさかの展開だ。

 リンは涙をぬぐった。ぼくはいつだって運がいい。まだ赤ちゃんのころ、ひとりになったときもアニエスが傍にいてくれた。星間列車ではいつも誰かのお世話になった。エンジャーグルに着いてからは、エドが友達になってくれた。かばんを盗られても、こうして助けてくれるヒトがいる。ほんとうに、ありがたかった。

 鞄は取り戻す。絶対に、諦めない。

「うわあ!?」

 オレンジの瓦につまづいて、フーリーが派手にすっころんだ。リンも巻き添えを食って転がる羽目になる。フーリーの下から這い出したリンは、ふと動く影に息を呑んだ。なんとドロボウがそこにいる。こちらを窺っていたのか、リンに気づいて慌てて逃げ出した。

「警部さん、警部さん、あれ! ドロボウが」

 リンが目を回しているフーリーをゆすった。ドロボウが、の一言にがばりと彼は起き上がる。目をらんらんと輝かせ、先ほどよりスピードを上げて、フーリーはドロボウに追いすがった。

「見つけたぞドロボウめ! 大人しくお縄に付けぃ!」




 リンが奇妙なウサギ警部補と一緒に路地を暴走しているころ、エドはこれまた奇妙な女とリンを探していた。女はド派手な格好をしていて、カツカツとヒールを鳴らして走る。なんでこんなことになったのだろう、とエドはげんなりしつつリンの名前を呼んだ。

 あの後エドもリンがいないことに気づき、慌てて駆け戻ったが手遅れだった。やられた、と思った。あのドロボウが言ったとおりこの街は迷宮だったのだ。毛細血管のような路地が、街のてっぺんにある大きな教会を中心に広がっている。真っ直ぐ進んでいたはずが曲がっていたり、すぐ近くに見える建物が大幅に迂回しないと近づけなかったりするのだ。迂闊だった、とエドが悔やんでもすでに遅い。

 彼は冷静に残り時間を確認した。エドの懐中時計はじきに四時になることを教えてくれる。

(五時まであと一時間を切ってる。それまでにあのバカを見つけて、荷物取り戻して、列車に乗らないと)

 間に合うだろうか。そんな不安と頭痛が襲ってきても、リンの捜索は開始せねば。今日は連続で失敗している。通信デンワのこと、ランタンのこと、はぐれたこと。注意していたのにリンは鞄を盗まれた。腑に落ちないのは、何故ドロボウは鞄を「すり替えた」のかという一点だ。三時間、というのも気にかかる。

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