04
買わないよ、と八つ当たり交じりで怒鳴り、エドはリンの背中を追いかけた。どうして僕が怒られなきゃならないんだよ、と内心で毒づきながら懸命に手を伸ばす。幸いにもリンはエドが追いつくのを待っていたようで、すぐに立ち止まった。ぐい、と肩を引っ張ると、手を叩くようにしてはじかれる。
リンが怒っているのは一目瞭然だった。しばし二人は無言で歩く。やがて沈黙に耐えらず、エドから口を割った。
「どうして怒ってるのか、わからないんだけど。欲しかったんじゃないの」
「欲しかったけど。エドに買ってもらってまで欲しいなんて、思ってない」
「どうしてさ。プレゼントだって思ってくれたらいいよ」
リンの怒った眼差しが真っ直ぐにエドを刺した。
「そういう意味じゃないよ。うまく……、言えないけど。エドは友だちだよね。ぼくは何かが欲しくて、エドにそれを買ってもらいたくて一緒にいるんじゃないんだ。……ちがうの?」
すぐに言い返せなかったエドに、リンが失望を宿す。それがハッキリ伝わって、怯んだことをエドは後悔した。喜んでくれると思ったのだ。リンの家族へ何かを贈れたなら、それもいいと思ったのだ。しかし全く逆の形で伝わってしまった。無神経だったのか。施しだと取られてしまったのか。
確かに――傲慢だったかもしれない。
付かず離れずの距離を保ちながら、エドはリンの背中を見つめる。
リンの住んでいた『フォーグル』は豊かな星ではない。リンの服装や言動を見ていれば、中心である『ビザノール』の出身ではないと予想できた。家族と連絡を取るのに手紙を使うぐらいだ。
機械に触れず育ったなら、星間列車一つとっても異質だったに違いない。それがエドには当たり前のことであっても。
……ちがうの? というリンの問いかけが棘となって抜けない。真摯に向けられた眼差しを、受け止められなかった。それはエドに後ろめたいものがあるからだ。こうしてやったらいい、ああしてやればいい。そんな風に見下したことがないと、断言できない。
こんなとき、大人だったら円滑に関係を結べただろうか。
後悔と苛立ちが心中を占めた。謝罪のタイミングを逃してしまい、今はリンの傍らにいることさえ、苦痛だ。こんなことになったのは、僕が子どもだからか。どう接すれば正解だったのか。
リンから少し離れて歩く自分が情けなくて、エドは唇をかんだ。号外だよ、という掛け声が、祭りの熱気に乗って届く。それさえ煩わしくなったころ……
ジュース買って来るね、と露店へ向かったリンが、「あっ!」と突然往来を横切った。きょろきょろしたと思えば、しゃがんでしまう。何かを拾おうとしたのだ、歩行者でギッシリ埋まっている往来の只中で。ほとんどのヒトは、飾られたランタンや露店に気をとられている。
エドは仰天した。あれじゃ足を引っ掛けてくださいと言わんばかりだ。下手をすればドミノ倒しで、周囲のヒトまで巻き込まれてしまう! しかし、間に合わない。小柄なリンに足を取られ「号外だよ」と新聞を配っていた男の体が、悲鳴と共に傾いた。
「危ない!」
「――え……?」
ぱらぱらと、紙が舞った。一瞬音が消えたかと思った。男の下敷きになりかけたリンを間一髪で引っ張り戻し、エドは息をついた。今日で何度目のため息だ。
「もう、何やってんの!」
「わあ、ごめんなさい!」
「こんなとこでしゃがむなんて、バカな真似しないでよ!」
「だって、このサングラス、アベルさんのと似てたんだもの!」
強く主張したが、リンはしゅん、と小さくなってサングラスを両手に包む。あんなものを拾うために飛び出したのか、と思うと、エドは頭が痛くなった。だが、うめき声が聞こえたので追及は諦める。
「大丈夫ですか」
ふたりは石畳に正面から転がった男を見下ろした。新聞の箱を小脇に抱えていたため、咄嗟に両手をつけなかったのだ。いてててて、と起き上がったのは、頭にバンダナを巻いた小柄なイヌ族の男だった。太いしっぽと垂れ下がった耳がバンダナから見える。いきなりリンが飛び出すとは思いもしなかっただろう。新聞屋にとってはとんだアクシデントである。エドはなぜか違和感に眉をひそめた。横ではリンが同じように、あたふたと宙に舞った紙を拾っている。
「悪いな。えっと、どっちかわからないけど、ケガないか」
「いえ、こちらは何も」
言いながら目配せすると、リンはだいじょうぶだ、とうんうん頷いている。新聞屋はホッとしたようだ。
「そりゃよかった。こっちは肩ケガしてて、バランスうまく取れなくってさあ?」
イヌ族は右肩を押さえながら、周囲の有様に「あちゃあ」と苦笑した。エドが拾った紙を手渡しながら、「すみません、飛び出してしまって」と謝罪する。大したことないよ、と男は笑う。しかし、肩が痛むのか少し顔をしかめていた。リンも、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。
「あの、ごめんなさい」
「いい、いい。こっちも余所見しながら配ってたからな。ふらふらしてたし気にすんな。ケガがなくて何よりだ」
パタパタと手を振って笑った男は、箱から一枚ずつ回収した新聞をリンとエドに配る。
「拾ってくれた礼にこれやるよ。最新の号外! 今一番のニュースだ」
受け取りながら、エドは違和感に戸惑いを隠せずにいた。何かが引っかかる。だけど、それが何なのか、ピンと来ない――
すっきりしないままエドは紙面を覗き込んだ。リンも同じようにして顔をしかめる。
「号外! 号外だよ、さあ、皆さん買ってけよ!」
男の声が朗々と響きわたった。自信で満たされた声に、エドとリンはびっくりして男を顧みる。まるで舞台に上がった俳優だ。滑舌のよいハッキリした口調は、自然と注目を集めた。男はぽかんとなった少年たちへ片目を瞑り、さらに声を張り上げる。
「怪盗フルムーンの正体や明らかに? さあさあ早いもん勝ちだよ。怪盗、はじめての失敗だ! フーリー警部補のお手柄だよ!」
わっとあちこちからヒトが集まってくる。二階の窓も開かれ、子どもたちが顔を出した。見る間にできたヒトだかりを避けて、リンがエドの上着を軽く引っ張る。
「ねえ、なんて書いてあるの。わっ」
誰かの腕があたってリンがよろめくのを「気をつけて」と支えてから、エドは合点がいって頷く。
「あ。そっかキミ、読めないんだっけ。ええっとね」
エドが紙面に落とした目を眇めた。
「……『怪盗一味捕まる。お手柄フーリー警部補。これでフルムーンもお終いか』。何これ」
「怪盗フルムーン?」
「だっさい名前でしょ。聞いたことない? この怪盗、毎回予告状を出すんだけど。盗むっていうのも汚職の証拠だとか、不正に入手された物品だとか……色々あるわけ。あ。これ、肝心の怪盗は取り逃がしたって書いてある。何やってんだろ」
「有名なの?」
「らしいけど、僕はそれぐらいしか知らない。興味なくて」
先ほどのギクシャクしたものが消えて、少しエドはホッとする。この雰囲気を壊したくなくて新聞を音読した。先日のガディスバーグ美術館に予告状を突きつけていた怪盗フルムーンが、初めて盗みに失敗した。それだけでもセンセーショナルだが、今朝方、警察は怪盗一味の捕縛に成功する。大半は変装したヒト族で構成されたメンバーで、怪盗は女性であるとの証言も……
「あ、エド、ねえ、このヒト」
リンが新聞の写真を指して、エドの肩をゆすった。ヒトが読んであげているのにと憤ったエドも、思わず息を呑んだ。
「さっきのヒトだよね。ほら、ウサギ族の」
先ほど郵便省で暴走していた片割れだった。紙面に載っているのは穏やかに微笑む青年だったが、あのときの男に間違いない。ついさっきの殺気立った形相が嘘のような微笑だ。困ったヒトがいれば放っておけない街のお巡りさん、といった雰囲気が画像からにじみ出ている。エドが眉間にしわを寄せた。
「じゃ、追いかけられてたヒトが怪盗フルムーン? 記事にもそんなこと書かれてたけど」
ヒールを鳴らして、するするヒトごみを抜けていった、あの派手な女が?
怪盗をするには目立ちすぎるような……
「アベルさんが怪盗?」
リンが瞬いた。きょとん、としている。
「アベルさん、そんなヒトじゃないと思うよ。このサングラスかけてた人なんだけど、ぼくが迷子じゃないかって心配してくれたんだ。迷子センターか警察へ行きましょうって」
だから騒ぎがあったとき、待ち合わせ場所にいなかったのか。エドが尋ねると、リンは「ごめんね」と再び小さくなった。リン自身も何とか踏ん張ろうと努力はしたらしい。善意の申し出を断りきれず、ずるずると引っ張られたそうだ。結果的にフーリー警部補とやらのお陰で、リンは連れて行かれなかったが。
「知らないヒトについてっちゃイケマセンって言われなかった?」
エドが呆れると、リンはますます縮こまる。まぁ、これ以上責める必要はないか。過ぎたことだし。
「で、そのサングラスをさっき拾ったんだね」
「うん、アベルさんを見たような気がして。そうしたら落ちてたんだ」
もし彼女のだったら困るだろう、とリンが話す。あのヒト族は目が光に弱いらしい。もし彼女が見つからなければ、警察へ届け出ればいいよね、とリンが言う。
「キミは慎重さが足りないよ。危うく怪我するところだったってわかってる?」
サングラスなど捨てておけばいいのに、リンは困ったように笑うばかりだった。エドはそんなところが、理解不能だ。たった数分しゃべっただけの相手を、なぜそうも気遣える。
「じゃ、そのアベルさんってヒト、探しながら回ろ? 四時半過ぎても見つからなかったら、諦めて警察行くってことで」
うん、と頷いたリンが鞄を背負いなおしたとき、「あれ?」と変な顔をした。しきりに跳ねてリュックを触り、また下ろしてしまった。
「どうかしたの」
ごそごそと鞄をあさったリンが、泣きそうな面持ちで、エドを仰いだ。
「これ……、ぼくのじゃない」
「何言ってるの、キミの鞄じゃない」
「ううん、ちがう。だってここに名前が入ってるもの。リン・ユイって。でもないんだ。これ、ぼくのじゃない。それにほら」
鞄の口を開いてリンが何やら荷物を取り出す。そこには何故かお金と、先ほど買い損ねた小さなランタンが六つ。リンの荷物は入っていない。
「じゃあどこに――」
言いかけたエドの視界に、紛失したリュックとそっくりなものが一瞬だけ過ぎった。わかんない、なんで全然違うものになってるの、とつぶやくリンをエドが引っ張って立ち上がらせる。エド? と現状を理解していない連れに、ネコ族の少年は怒鳴り返した。
「まだわからないの? 盗まれたんだよ、リュック! ほらあそこ!」
エドが指差した先で、リュックが角を曲がって消えるところだった。誰かの手につかまれていた。
「バカ、とんま、ドジ! 大バカ!」
きれいに飾られた街並みを見る余裕もなかった。迫るようにせり立つアパートメントの間を、小柄な陰が二つ駆けていく。遠くで祭り拍子が聞こえるのに、ふたりは住宅街を全力疾走だ。
「僕言ったよね。ああ言ったさ、荷物の管理ぐらいちゃんとしろって。一体いつ盗まれたの。リュックサック、どうしてちゃんと背負ってないわけ」
「だって飲み物買いに行こうとしてたんだもの! それに、ぶつかって慌てて、」
「だってじゃない! どうするんだよ。乗車券や旅費に着替え、全部持ち歩いてるくせに盗まれるなんて、ありえないよこのっバカ! 間抜け、うすのろ! しっかりしてよね、僕だって面倒見切れないんだから!」
列車が出発する時刻まであと二時間もない。すでに太陽は赤く熟れつつあった。リンが涙ぐむ。どうしよう。荷物がないと列車に乗れない。このままじゃ、一人置き去りにされてしまう。アニエスやみんなとも会えなくなる。頼まれた約束も果たせない。
夕日に引き伸ばされた影を踏んで、二人は走った。しかし、追いつけない。ドロボウのスピードも大したものだ。障害物を難なく乗り越えていく影を、ともすれば見失いそうになる。
しかし何故か走りながら、ドロボウは二人が追いつくのを待っているのでは、と考えた。わざと追跡させているような気がしたのだ。その証拠に、
「行き止まり? あいつ、どっち行った」
「エド、あそこ!」
突如現れた壁があって姿を見失っても、誘うように影は通り過ぎた。リンの指差した方向で、伸び上がった影が角を曲がっていく。その手にあるのは、子どもサイズのリュックサックだ。エドが尻尾を揺らして飛び出した。エドの足は、恐らくリンの兄であるニコラより速い。しかしドロボウはさらにその上を行っている。
「捕まえるよ、絶対」
力強い言葉に、リンは大きくうなずいた。