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リンのてがみ  作者: 橘高 有紀
星をわたる列車
1/16

01

『――駅。当列車は第三星海ボグランジャー星、クノイマル行きです。これよりしばらくの間、列車は点検の為停車いたします。繰り返します。ご乗車お疲れさまです、終点……』

 列車の止まった軽い衝撃と駅のアナウンスに、舟をこいでいた頭がかくんっと折れ曲がった。いつの間にか眠りこけていたようだ。リンは夢の中にもぐりこもうとする意識を押しのけて、瞼をうっすらと開いた。軽く背筋を伸ばして欠伸し、

「え……何駅?」

 寝ぼけまなこでずるずると、列車の窓から駅を覗いた。メガネの下から器用に目をこすって見た、色んな『ヒト』たちでごった返す駅の名前は。

「エンジャーグル……?」

 言いながら大きく欠伸をした。目じりに浮かんだ涙をこしこしと左手でこする。そうしながらボロボロの鞄を足元からよっこらせと持ち上げて、中に右手を突っ込んだ。出てくる欠伸をかみ殺し、がさがさと覗き込みつつリンは一つの紙切れを取り出す。ぼろぼろの紙切れに、ゆっくりと指を這わせた。

「エンジャーグル……エンジャーグル……。あっ、そうだ、乗り換えなきゃ。えーっと、乗り換え……乗り換えはどこでするんだっけ? あ、そうだ、聞きなさいってアニエスが言ってたんだっけ」

 とろんとしたまま、リンはコンパートメントの扉を引いた。子どもの手には少し重い扉は、ゆっくりとスライドしていく。たった一つの荷物であるリュックを背負って、通路に出た。茶色に塗りつぶされた扉が、背後で閉まっていく。

 頼りない足取りで歩いた列車の通路には、薄い古びたじゅうたんが敷き詰められてあった。赤い色のじゅうたんは、新しいものだったならふかふかしていたのだろう。今は何年も――もしかしたら何十年も――靴の下敷きになったせいで、中央部分は黒ずんでいる。赤色だと判別できたのは、壁際のみ、本来の姿を残してあったからだ。昔は、市松模様のきれいな通路だったのだろう。片側には大きく切り取られた窓が、片側にはコンパートメントの扉が、車両の終わりまで続いている。

 一直線に見渡せる車両には、ヒトがほぼいなかった。エンジャーグルは終着駅なので、すでに乗客は下車しているのだ。そこに、コンパートメントの扉が一つ、からりと開いた。派手な色彩の車掌が出てくる。三つ手前の駅から顔を合わせていた彼は、乗客が残っていないか、忘れ物はないか点検チェックしているのだ。

 何度か話したことがあった。リンみたいな子どもにも、丁寧でやさしいヒトだった。ようやく頭がさえ始めてきた。あのヒトに聞こう!

 ぱたぱたと走り寄る少年の姿を認め、車掌が微笑んだ。

「坊や、終点だよ。忘れ物はないかな」

「はい、だいじょうぶです。あのぉ……、クィダズ行きってどのホームかわかりますか?」

 そう尋ねなさいね、と家族から言い渡されていたのだ。忘れないように先ほどのメモに書きとめてあった。遠い故郷に残してきた家族は、リンを出発間際まで心配してくれたのを、思い出す。

 ゴクラクチョウを自称する車掌は、大きなくちばしを少し開いて首を傾けた。真っ黒でまん丸な瞳が数度瞬き、「エンジャーグルは六番ホームだね、たしか」と教えてくれる。

「クィダズなんて、ずいぶん遠くへ行くんだねぇ。あんな場所へ何の用があるんだい? 何にもないところだけど」

 帽子を被りなおした車掌の表情に、一抹の懸念が混じった。リンはきょとんとする。

「そうなのですか?」

「うん。観光地でもないし、行くヒトなんてそういない場所だよ。坊や……ひとりなのかい。一緒に男のヒトがいただろう?」

 誰もいない少年の背後を、ちらっと車掌が一瞥した。どうして子ども一人でこんなところに? と心配してくれているのだ。あ、とリンは慌てて口を開いた。この問いかけは、もう何度も受けてきたのだ。

「えーっと、あの人はひとつ前の駅まで一緒にいてくれたんです。ぼくは、その、お使いを頼まれちゃってて」

 少年が誇らしげにはにかむと、「そうなの」と車掌は大きな丸い目をさらに大きくした。目が零れ落ちそうだ。あまり突っ込んだことを聞かれる前に、と少年は早々に辞退を決める。ずり落ちた鞄を背負い直し、ぺこりとお辞儀した。

「六番ホームですね。ありがとうございました」

 その拍子にばらばらと鞄の中身が散らばった。あ、と言ったときには遅かった。先ほど鞄の口をちゃんと止めなかったのだろう。頭の片隅に残っていた眠気がすべて吹き飛んだ。わーっ、ばかばか、と仰天して拾い集めた。あわあわしながら、すみません、と情けなくリンが笑う。

 ふ、と車掌の顔に笑みがこぼれた。おやおやと一緒になって拾ってくれる。かぁぁ、と頬を朱色に染めたリンは、「ありがとうございます」と恐縮した。

「お礼は、しなくていいよ」

 小さくなったリンの頭を、笑いをこらえた車掌がぽんと撫でた。柔らかな羽毛がふんわりと触れる。極彩色の色をした車掌は手を振りながら、

「エンジャーグルは広いから、迷子にならないよう気をつけるんだよ。わからなければ、案内板をみて。……充分に注意してね」

 車掌の笑顔がわずかに曇った。子どもひとりなのを、案じてくれているのだ。リンは、はい、と大きくうなずいた。大丈夫です、という意をこめて元気良く列車を降りていく。

 そして思わず立ちすくんだ。目の前を、見たことのないヒトビトがよぎっていくからだ。車掌の鳥のような姿も不思議だったが、植物みたいなヒト、魚のようなヒト、岩のようなヒト、機械のようなヒト……たくさんの種族が溢れかえっていたのだ。大きさもそっくり返るほど大きかったり、リンの手のひらに乗るほど小さかったりさまざまだ。

 アナウンスと途絶えることのないざわめきに、少年は息を詰めた。ぱぁぁと表情が明るくなっていく。この駅がエンジャーグル(最果ての駅)。――こんなにもぼくは、遠いところまでやってきた。

 一歩足を踏み出したそこは、人の世界から隔離した異界の地。

 リンの故郷とはまったく違う場所!

 ヒトビトのみではなく、駅にも、圧倒されてしまう。あの巨大な星間列車が何台も停車しているのだ。数えてみれば、一、二、三、四……きっと目の届かない位置にも停車しているはずだ。ふと列車を振り返った。古くて大きくて傷だらけの列車は、他のどれよりも貫禄があった。どしん、とこの世界に馴染んでいる。列車の窓から、あのゴクラクチョウの車掌が、がらんどうのコンパートメントをチェックしている姿が見えた。

 もう、あの列車に乗った旅は終わったのだ。

 ここから、新しい旅が始まる!

 ドキドキが、おさまらない。リンは緊張しながら、多種多様なヒトビトの波をすり抜けた。案内板をホームのすぐ近くで発見したのは、幸運だった。こんなにも広く大きな駅なのだ。車掌が教えてくれた通り、リンはすぐ迷子になれたはずだ。

 六番ホームの位置を確認する。もっとも最初は戸惑った。ディスプレイに触れて下さい、とあるのだから。リンの理解できる言葉で書かれていてよかった。小さな指で恐る恐る触れれば、突如立体映像が飛び出てくる。「ひっ」と小さく悲鳴を上げたのはご愛嬌だ。

『ご利用いただきましてありがとうございます』

 中性的な音声が流れた。なに、これ!?

 半ばパニックになりながらも、ただの案内表示であるとわかってリンは胸を撫で下ろす。カードやIDがどうと指示されたがわからない。案内板は、リンがどれも持ってないとわかると、ディスプレイにタッチしながら操作を進めて欲しい、と指示してくれた。

 読める文字を選択して、ドキドキしながらリンは指先で軽く触れていく。今いるのは一番ホームで、六番ホームとは正反対の位置だった。場所さえ確認できれば十分だ。

 感嘆の息をついて、改めて駅を見渡せば、エンジャーグルはとても大きかった。今までもいくつかの停車駅を越えてきたが、これほど大きく立派な駅は初めてだ。きょろきょろと四方を見渡しては笑みを浮かべた。首をそらすほどに高いホームの天井では、宙に浮いた機械がふよふよと通り過ぎていく。あちこちで明滅している光はどういう意味があるのだろう。地面はむき出しじゃないし、この場所じゃ空も見えない。あふれているのは見たこともないヒト、ヒト、ヒト……。

 胸の高鳴りを抑えきれなかった。故郷のみんなに教えてあげたい。こんなにもすごいところに来たんだよ、と。


 ねえアニエス、エンジャーグルってどんなところなの?


 出発前に、リンは親代わりのアニエスに尋ねた。アニエスは「想像もできない場所にちがいないわ」と微笑んでくれた。――アニエス、本当にその通りだった。とっても不思議で、ぜんぜん別の世界みたい。だって何が何なのか、全然わからないんだ。

「きゃっ」

「あ、ごめんなさい」

 不意に横手で上がった声に、リンは慌てて頭を下げた。その刹那、血相を変える。透明な貴婦人の腰辺りに、自分の身体が入り込んでいたのだ。

 お化け!?

 身体を強張らせたリンの頬に、ひやりとしたものが触れる。肘まで届く長い手袋をした手だった。ほっそりとした指がすっと頬をなでたのだ。

「いいのよ、ぼうや。それより早く通ってくれないかしら。わたくしは、まだ受け取らなきゃならない荷物があるの」

 美しいドレスに日傘をさしたご婦人は、艶やかに微笑む。キレイなヒトだったが背後が透けて見え、リンを驚かせた。言葉にならない悲鳴をあげ、少年はそそくさと急いだ。どくどくと心臓は、主張を続ける。顔は火照って、息が弾んだ。びっくりした。わからないことだらけなのは、駅だけではなかった。同種族ばかりの故郷とは全然違う。

「うわ!? 気を付けろよなー! ここは俺たち専用だぞ」

 小さな種族を踏みつけそうになって、リンはまたしても飛び上がった。え、と確認すれば、小人専用、と書かれた通路に踏み込みかけていたのだ。わらわらと小さな者たちに囲まれ、狼狽する。小人の基準は、だいたいリンの腰から下のようだった。リンは立派に「大きなヒト」だ。

「ご、ごめんなさい」

 泣きそうな面持ちでいると、「待って待って」と耳を引っ張られた。え、と戸惑うリンの眼前に、虫のような生き物がぶうん、と飛んでいる。図鑑で見たテントウムシに近い形だ。しかし、大きさが全然違い、リンの両掌ほどもある。ええ? と息を呑めば、それが小人の乗り物だと知れた。乗り物の脚が動いて、リンを引っ張っていたのだ。

「どこへ向かうの? ビッグサイズが来るんだから、飛び出しちゃダメだよ。アナウンスが流れてるでしょ」

 小さな脚が器用に指してくれた方向を見て、リンは仰天した。のそりのそりと大柄な種族が歩いてくる。リンを縦に三人足してもお釣りがもらえそうな、恐竜みたいなヒトだ。ゆっくりと脚を下ろすたび、微細な振動を伝えてくる。うろこに覆われた身体と、太い尻尾が誇らしげに揺れていた。あんな大きな『ヒト』も、列車に乗って旅をするのか。

 ぽかん、としていると「すげーよなぁ」と耳元で、同じく見とれていた虫もつぶやく。六番ホームの場所を改めて尋ね、行くべき方向を教えてもらって、リンは礼を言った。

「ありがとう!」

「どういたしまして。注意しないと危ないぜ。ここ、でっかすぎて迷子も多いらしいから! じゃーね」

 ぶうん、と羽音を鳴らしながら、小人は元の通路へ戻っていった。ああいう乗り物も、すごいと言えばすごい。先ほどから空中を飛び回っていたのは、彼らの乗り物だったのだろうか。

 呆然としていたリンは、ぺちりと頬を叩いた。しっかりしなくちゃ。ぼくは……ひとりなんだから。唇をきゅっと結び、リンは小走りで六番ホームを目指す。お気に入りのリュックサックがぽんぽんと背中ではずんだ。途中、さまざまなヒトビトに目を回した。ちょろちょろと走っているリンを、珍しそうに見るヒトが多い。好奇な目線が忌み嫌う類ではなかったので、怯えずにすんだけれど――。

 走りながら知ったのは、自分と同じ『人間』、もしくは『人族』と呼ばれる種族の少なさだった。最初に列車へ乗り込んだときは大勢いたのに、エンジャーグル(最果ての駅)ではまったく見ない。みんな、それまでの駅で降りてしまったのだ。たしかに、列車で知り合った人の中で、エンジャーグルまで旅をする人はいなかったが……

 ふるふるとリンはかぶりを振った。今は、それもどうでもいいことだ。

 迷子になりながら着いた六番ホームは閑散としていた。視界が一気に開け、リンは瞬く。他のホームに比べて、ここはかなり小さかった。その中央に、列車が停車している。先ほどまで乗っていた列車に比べ、一回りは小さく短い。だが、鈍く光る黒はぴかぴかと輝き、鮮やかな赤のアクセントが映えていた。新しく買ったばかりの玩具のようだ。

「あの、この列車はクィダズへ向かいますか」

 わからないことがあったら、できる限りそこで働いている人に尋ねなさい。そうだね、制服を着ている人がいい。誰に訊けばいいのかわからないときは、誠実そうな人を探しなさい。

 耳の奥で木霊する家族の声を聞きながら、駅員さんだと思ったヒトに尋ねた。ウサギのような『ヒト』はビックリしたのか、唖然とし、数度瞬いた後、リンをまじまじと見つめた。不思議そうにしたリンに気づき、彼がこほんと咳をする。

「ええ、行きますよ。ご乗車はこちらからどうぞ」

 リンの顔がぱっと輝く。興奮した面持ちで停まっている列車を眺めた。

 乗ってきた列車が、大きく傷だらけでどっしりしていただけに、ずいぶんスマートに見えた。使い込まれていない車体の窓から、煌びやかな明かりが覗く。こちらは若く勇ましい列車だ。お洒落で、かっこいい。

 この列車で、クィダズに向かうのだ。

「ありがとうございます!」

 ぺこりと頭を下げ、リンは頬を紅潮させて列車に足をかけた。ウサギ族の駅員が何か言っていたが、耳に入らない。列車の中で出くわしたゴリラのような車掌は、乗車券を確認するなりいかつい顔を明るくさせた。ホッと少年の顔に笑顔がともる。

 こぢんまりとした車内は、いくつものコンパートメントにわかれていた。はめ殺しの窓には全てカーテンがかかっていた。刺繍の入ったカーテンだ。床にもふかふかのじゅうたんが敷いてあった。くるぶしの辺りまで沈む赤いじゅうたんに、「わっ」と少年は息を呑んだものだ。間隔を置いて洒落たランプが中を照らしだしている。丸い眼鏡を押し上げて、リンは感嘆の声をあげた。小さな列車の内装は光り輝くようだ。

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