中継
ホラー企画2022の参加作品です。
ご意見ご感想お待ちしておりますmm
7月某日、夜9時過ぎ。とある地方のラジオ局にて。
高橋涼子は、この後読む原稿の下読みを行なっていた。
来月行われる特別放送に向けて、CMの声録りをするのだ。
「8月15日、はちがつ……、じゅうご、じゅうご。8月15日……」
アナウンサーとして働き始めて間もない彼女は、数詞の読み方に苦戦していた。
先輩からも、「お前は数詞が弱いな。出身が見える」とまで言われていた。
「あんまり意識しない方が、自然に読めるかな……?」
自分でも、ちょっと力が入りすぎている気がした。
だが、今回の『読み』は、いつも出ている昼間の楽しい番組でやるテンションで向き合ってはいけないのだと、高橋は強く感じていた。
「……皆様からの声を募集します。ぼしゅう、募集します。皆様からの声を募集します」
一字一句、噛まずに読むようにする。滑舌の良さには自信があった。あとは、聴いている人に正しく言葉を伝えることができるか。伝わってほしい人に伝えることができるか。
高橋は新人なりに、自分の仕事に誇りを持っている。原稿の中にあるそれぞれの言葉が持つ意味を考えながら、ひたすら読み込みを行なっていると、背後から声がかけられた。
「りょうこちゃん! そろそろ大丈夫ー?」
高橋よりもずっと上の先輩である、音響担当の三好樹だった。
三好の呼びかけに、高橋は原稿から顔を上げる。気合の入ったその表情を見て、「じゃ、よろしく!」と一声かけ、彼はミキサー卓のある部屋へ入った。
高橋は一度大きく深呼吸をして、原稿を手にマイクのある部屋へ入る。
席について、置いてあるヘッドフォンを装着する。慣れたはずの動作だが、少しばかり緊張する。こういう真面目な原稿を読むのは、まだ幾分表情が硬くなってしまう。
「りょうこちゃん、リラックス!」
防音ガラスの向こうにいる三好が、手元のスイッチを押して呼びかけてくれた。
ヘッドフォン越しに聞こえてくる彼の声と、ガラス越しにこちらへ向けてきた変顔に思わず笑ってしまった。
少し、肩の力が抜けた気がする。
高橋も、手元にあるミキサー卓との連携用スイッチを押して、「お願いします」と元気よく伝える。
三好も満足そうな顔をして、席に着く。
少し手元の機械をいじった後、ガラスの向こうで大きな丸を作る。
それを受けて、高橋は原稿を読み始めた。
===============
時間にして30分ほどではあったが、スタジオから出てきた高橋はぐったりしていた。
たった1分の告知文を読むのにこれだけの時間を使ってしまった自分の不甲斐なさに若干凹んでいたし、とりあえずOKをもらえたことに安堵し、緊張の糸が切れたのもある。
「……あ、お礼、言わなきゃ」
ミキサー室へと入ると、三好が機材の整理をしているところだった。
「三好さん、ありがとうございました」
「全然! いい感じだったよー」
「でも、結構時間かかっちゃいましたね」
「うーん。今回読んだのは結構特殊な案件だし、仕方ないんじゃないかなぁ。他の先輩アナウンサーだって、これくらい時間使って読むと思うよ」
デリケートな案件だからね、と三好は手を動かしながら言った。
「でもさー、りょうこちゃん、読み上手くなったよねぇ」
「本当ですか!」
「うん。特に今日は、日付のところも全然違和感なかった……?」
不意に三好の言葉が止まり、スタジオの一点を見つめている。
高橋も同様である。二人して、同じ場所を見つめている。そこにあるのは、1台の電話機だった。
別に電話機自体に不自然なところはない。二人の意識がそこに向けられたのは、突然電話が鳴り出したからである。
ピピピピと控えめな音を立て、早く受話器を取ってくれと二人にサインを送っている。
「……今日、誰か外出てましたっけ」
「いや、そもそもこの時間にリポーターが出てるわけないって」
問題の電話は、スタジオの外から中継を行うときに使うものだ。
中継先に到着したリポーターが、社用携帯からこの電話へかけてくる。音響側で一度この電話を受け、通信状況や声の聞き取りやすさなどを事前にチェックしてから、放送に乗せるようにする。
そうした用途のため、社内の人間にしかこの電話の番号は知らされていない。
「誰かのいたずらとか……?」
「可能性はあるね。あと、前にもあったけど、酔って社員の誰かが電話をかけ間違えたとかもあり得るね」
そんなことを言いながら、三好は鳴り続ける電話の受話器を取った。
「もしもし?」
「……はぁ、はぁ」
「あの、どちら様? 田上さん? また酔っ払ってる?」
「……」
三好が呼びかけるが、聞こえてくるのは何者かの息遣いと、遠くに聞こえる何かの騒音。
「いたずらなら切りますよ」
「……」
「もしもーし?」
数秒の沈黙、そして、受話器の向こうから一言だけ聞こえてきた。
「……嘘つき」
そして、切れた。
「三好さん……?」
「多分、いたずら電話かな」
眉間に皺を寄せつつも、三好は受話器を元の位置に戻した。
「こんな時間からですか。やっぱり、社員の誰かですかね」
高橋がそう言った瞬間、再び電話が鳴った。
また二人の視線が電話に向く。そして、再び三好が受話器を取った。
「もしもし? 申し訳ありませんが、いたずら電話にかまっている暇はないんですが」
「……はぁ」
深いため息。そして、電話が切れた。
受話器を戻す。そして、また鳴る。
「もう無視だ。これ以上付き合ってたら帰れないよ」
三好は鬱陶しそうに手を振りながら、スタジオを出た。
後に残されたのは、なり続ける電話と高橋のみ。
「……」
なんとなく、高橋は電話に出てみたくなった。別に理由があったわけではない。
声が変われば、相手の反応にも変化があるのではないかと、そう思ったのだ。少し怖かったが、受話器を手に取り、耳に当てた。
「もし……もし?」
「あぁ……こちらは、……です」
相手が喋り始めた。何か言っていたが、相手側の環境音が強くて一部聞き取れない。
「あの、どちら様でしょうか」
「今……熱い……です。水が……ば……たすか……も」
「熱い……?」
「はい……」
三好の時とは違う。会話ができている。声の低さからおそらく男性だろう。女の声に変わったから、話す気になったのかと高橋は思った。やはり、いたずらなのだろう。
「あの、お困りごとであれば、こちらの番号ではなく、警察やご家族にされた方が良いのではないかと思うのですが」
「……」
「聞こえてますか……?」
「君が……だろう」
「へ?」
「き゛み゛か゛よ゛ん゛た゛ん゛た゛ろ゛う゛!!!」
突然のがなりごえ。まるで命を燃やしながら叫んだよな鬼気迫るその声に、受話器を落としそうになった。
「呼んだ……から。聞こえたから……。話してるのに……」
「あの、ご、ごめんなさい……」
訳もわからず謝った。
「あぁ……くる……火が」
「え?」
「落ちてくる」
「どうしました?」
「火と、空と、屋根と……落ちる……。横で、おっかぁが……起きない……。痛い……んだよ」
「あの! 怪我されてるんですか!?」
「ごめんなぁ……つる子ぉ……つる子が……燃えてるんだよ……」
ただならぬ状況であることはわかった。どういうわけか、電話の相手の元では事故かそれに類する何かが起きているらしい。
「みっ、三好さん!」
慌てて三好を呼ぶ。スタジオのすぐ外でゴミをまとめていた彼は、高橋の表情を見てすぐに何かを察してくれた。
「何かあった?」
「電話の人、私が取ったら話してくれて! でも、何か向こうで大変なことが起きているみたいで……! いたずらじゃないっぽいんです!」
「どんな感じ?」
「多分、火事とかだと思うんです。 つる子が燃えてるとか、おっかあが起きないとか、痛いとか……! どうしよう、消防に連絡した方がいいですか!?」
パニックになる高橋の顔を見た後、三好は何かに気づいた様子で、スタジオの中に入った。
そして、電話機に電力を供給しているプラグを引き抜いた。
「えっ、三好さん!?」
突然のことに硬直する高橋。そんな後輩をよそに、三好は受話器を耳に当てた。
何かを確認した後、彼は受話器を差し出して言った。
「まだ繋がってる。多分、りょうこちゃんと話したいんだと思う」
「……え?」
「早く。いつ切れるかわからないよ。ちゃんと、話を聞いてあげて」
「あの、何を言ってるのか」
「いいから」
いつになく真剣な三好の顔に、高橋はそれ以上言葉を続けず、指示に従った。
差し出された受話器を受け取って、耳に当てる。
「あの……」
呼びかけてみると、電話の相手はまた話し始めた。
「あぁ……」
「そちらは、どんな状況ですか」
「火が……すごいんだ」
電源を抜いたのにまだ繋がっている。電話機の画面は暗くなっていて、確実に通電していないことがわかる。それなのに会話が続いている事について、高橋自身、何が起きているのかをなんとなく理解し始めていた。
だから、質問をした。「中継先」からの声を受け取るために。
「あなたが今したいことはなんですか?」
「助けたいよ……」
「それは、つる子さんをですか?」
「そう……。おっかぁも助けたいんだ……でも、ダメかもしれない……。ずっと呼んでるのに……二人ともこっちを向いてくれないんだ……!」
声は次第に震え始めた。鼻を啜るような音がする。その背後では、ガラガラと何かが崩れる音がする。
「なんで……。どうして……。明日には……全部終わってるって……信じて」
「はい」
「それでね……。珍しく、僕が言ったんだ」
「何をですか」
「3人で……寝たいって……言ったんだ! 僕の隣で……! 寝て欲しいって! そしたら……!屋根が……!あぁ、僕のせいだ……! 僕が、僕がつる子を! おっかぁを!」
悲痛な叫び。痛みに蝕まれる意識を無理矢理にこちらへ向けて懺悔を行うかのような言葉と声に、高橋の手が震える。だが、それで怯んではいけない。伝えなければ。受け止めなければ。
「あなたは……きっと悪くないと、思います」
「……え?」
「大丈夫。つる子さんも、お母さんも……。あなたのせいじゃないんです。あなたのせいじゃ……ないですよ」
「……」
「痛いですよね。熱いですよね」
「……うん」
「ずっと、そうやって抱え込んでしまっていたんですね」
「……う゛ん゛」
「一度、自分を許してみてはどうでしょうか……」
「いいのかなぁ゛……」
「いいんですよ。 私が責任を持ちます。あなたのせいでは、ないんです」
高橋のその言葉の後、受話器の向こうからは、しばらく泣きじゃくるような声が続いた。そして、突然何かが崩れる大きな音がして、それっきり受話器の向こうは無音になった。
「あれ……もしもし?」
「終わった?」
「……何も、聞こえなくなりました」
「……お疲れ様」
呆然とする高橋の手から、三好は受話器を受け取る。
それを元の位置に戻して、電源を入れ直す。電話機が起動したが、先のように着信音が鳴り響くことはなかった。
「今のってもしかして……」
「うん。まあ、こういう仕事してると、たまにあるんだよね……。ここじゃないところに繋がることが」
「……私、何もしてあげられませんでした」
「りょうこちゃんじゃなくても、何もできないよ。過去のことには、何もできない」
「なんで……私だったんでしょうか」
「君が、真摯に向き合ってたからじゃないかな。 ほら、「声を募集します」ってね」
高橋の目から、ほろほろと涙がこぼれてきた。
「三好さん、言葉って、結局無力なんですかね……」
「そうかもしれない……。でもね、りょうこちゃんは、何もできなかったわけじゃないと思うよ」
「そうでしょうか」
「だって、ちゃんと電話の向こうの彼に伝えてたじゃないか。 電話がかかって来なくなったのは、きっと……」
それ以上の言葉を、三好は言わなかった。高橋も、彼が言おうとしていることをなんとなく理解した。
「私、もっとこのお仕事頑張ります」
「その意気だ。でも、無理はしないでね」
ハンカチで涙を拭う彼女の背をぽんぽんと優しく叩き、三好はその場を後にする。
高橋は、一度電話に向き直って、深々とお辞儀をした。
先ほどの電話の相手がそこにいるという確証はないが、そうすべきだと思ったのだ。
「貴重なお声をいただきまして、ありがとうございました」