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縁日の人魚すくい

作者: 立野 沙矢

 あれはもう何年前になるだろうか。

 確か小学校三、四年生の時だったと思う。

 

 夏休みに、僕は姉と一緒に近所の神社で催されていた縁日に行った。

 綿菓子や焼きそば、焼きとうもろこしやあんず飴、お面や型抜きの屋台に並んで、人魚すくいの的屋があった。

 いや、正確には人魚すくいではなく、金魚すくいの店だったはずだ。だが、金魚の入った水桶の横に同じくらいの大きさの水桶が置かれており、そこには金魚と同じくらいの大きさの人魚が四、五十匹ほど泳いでいた。

「何で金魚と同じ桶に入れないの?」と僕は二つ上の姉に聞いてみた。

「バカね。そんなことしたら人魚が金魚を全部食べちゃうでしょ」

 当たり前のことを聞くなと言う感じで姉が説明した。

 そうか、人魚は金魚を食べちゃうのか、と変に納得したのを覚えている。

 

 僕と姉は的屋のおじさんにお金を払い、ポイを受け取って、人魚すくいに挑戦した。


 人魚はまだ幼体のはずなのに、金魚の倍くらい速く泳いだ。

 タイミングを見計らってすくい上げようとしたが、あっと言う間に僕と姉のポイは破けてしまった。

 だけど的屋のおじさんは「サービスだ」と言って僕らに人魚を一匹くれた。ビニールに入れられた人魚は狭い水中で不服そうに僕を見返してきた。

 

 家に帰り、僕の手に人魚を見つけると母は困ったように「うちじゃ人魚なんて飼えないでしょ」と言った。

 父はビールを飲んで赤くなった頬をポリポリと掻くと「ちょっと待ってろ」と言って庭の納屋の方に出て行ってしまった。

 

 しばらくすると父は、巨大な水槽を抱えて戻ってきた。

 その水槽は父が両腕を広げて何とか抱えられるほどの幅で、深さは当時の僕が足を抱えて座っても頭が少し出るか出ないかくらい深かった。

「昔、釣った魚の生け簀代わりにしてたやつだ。これなら申し分ないだろ」

 父はそう言うと居間の隅にその巨大水槽を下した。

 母はまだ文句を言いたげだったが、父が満足げに笑っているのを見ると、もう何も言えないようだった。

 

 その日から、我が家に人魚が同居することになった。


 夏休みの間、僕と姉は人魚の世話に夢中になった。

 僕も姉も夏休みの自由研究をどうしようか悩んでいたので、人魚の観察という恰好のテーマが見つかって喜んだ。

 僕と姉は水槽の前に座り込んで、観察日記を片手に、人魚の様子を時間も忘れて見守っていた。


 人魚は、父が用意した水槽の中を気持ちよさそうに泳いだ。

 水槽の中には砂利を敷き詰め、水草を浮かべたり、底の方に岩をすこし並べたりした。

 人魚は、淡水でも生きていけるらしいが、海水の中の方が泳ぎは活発だった。僕が住んでいたのは港町だったので、夏休みが終わるまで毎日のように父に頼んで車を出してもらい、浜で海水を調達した。

 エサは魚のすり身や野菜の切れ端なんかを与えた。肉も食べたが、魚介の方が食いつきがよかった。

 四、五日もすると、金魚くらいの大きさだった人魚は、小さめの鯉くらいの大きさになった。人魚が水面を撥ねると水槽を飛び出しそうなほど高く上がるものだから、水槽に蓋をして、重しを置かなければならないようになってしまった。


 夏休みも終わりになると、いよいよ人魚は錦鯉より一回りも大きくなり、水槽の中で泳ぐのには窮屈そうになってしまった。

「こんな狭い中で泳がせているのは可哀そうよ」母が僕らにそう言ったが、僕も姉も、人魚を手放す気にはなれなかった。

 

 学校の新学期が始まった日のこと。


 僕と姉が家に帰ると、水槽の中は空になっていた。

「お母さん! 人魚はどうしたの?!」

 僕と姉が母に問うと、母はこう言った。

「もう家で飼うには大き過ぎたから、水族館に渡してきました。もう観察日記もできたしいいでしょ?」

 母の言葉を聞いて、僕も姉も母に詰め寄ったが、僕らの非難などどこ吹く風というように、母は取り合わなかった。

 僕も姉も突然の喪失に大泣きしたが、それでも、人魚が帰ってくることはもうなかった。

 僕と姉は、その日の夕食の焼き魚を、涙を流しながらお通夜のような雰囲気で食べた。



 あれから十年以上が経ち、僕は立派な――かどうかわからないが――社会人になった。姉も既に結婚しており、今では二児の母だ。


 日々の忙しさに、あの夏の人魚のことなんかもうほとんど忘れてしまっていた。

 

 そんなある日のことだ。


 会社の先輩から今夜飲みに行こうと誘われた。

 普段から面倒を見てもらっている先輩で、この日も仕事終わりの一杯の誘いに、僕は二つ返事で応えた。

「今日連れてってやる店は一味違うぞ」

 先輩は得意げな顔で僕にそう言った。

 先輩は普段から一人でも飲み歩いており、チェーンの居酒屋から少し凝った創作料理を出す個人経営店、穴場的な店や割安で飲める店、高架橋下の赤提灯のおでん屋の屋台や、果ては大事な商談相手を接待するための高級店など、様々な店を渡り歩いており、その選別眼は社内でも一目置かれていた。

 その先輩がこうやって推す店なのだから、ハズレということはないだろう。


 先輩が案内してくれた店は会社から駅に向かう道を反対に向かった方角、飲み屋がほとんどない通りにポツンと立つ、小汚いビルの地下にあった。

 隠れ家的なお店もこれまで何度か連れていってくれたが、その店の雰囲気は、また独特だった。店内は薄暗く、動物を放し飼いにしているような野性味のある臭いがこもっている。細い通路の脇には動物の剥製がいくつも並んでおり、そんな剥製としばしば目が合ってしまい不気味だった。魔術師の棲み処のようなくらい雰囲気の店だ。正直あまり居心地のいい場所ではない。先輩の誘いがなければ決して足を踏み入れようとは思わない店だ。


「妙な店だろ?」カウンター席に腰かけると、先輩が楽しげに言った。

 カウンターの対面にいる店主らしき初老の男性は、それが聞こえていないかのように食材の調理を続けていた。

「ええ。独特な雰囲気がありますね」

 僕は笑顔を引きつらせながら言った。

「野生動物を主に扱っている店なんだよ。店長は猟師もやっててな。その日に仕留めてきた獲物とか市場になかなか出回らない希少種を調理してくれるんだ」

 先輩はそう言うと、カウンターの向こうの男性に今日のおすすめを聞いた。

「今日はペガサスのもも肉やクラーケンのゲソ、ミノタウロスのロースなんかを仕入れている。だが、なんと言っても今日は人魚がいい。珍しく天然物を知り合いから融通してもらえてな。鮮度は文句なしだ」

 いかつい見た目に反して、店長は饒舌に今日のメニューを薦めてくれた。

「じゃあ人魚で何か作ってください」

 先輩がそう言うと、店長は「あいよっ」と気風よく返事して調理を始めた。


 人魚を食べるのは初めてだ。人魚どころかクジラだって食べたことがないのだ。

「昔は人魚を食べると不老長寿になるなんて言い伝えがあったらしいけど、あれデマだからな。たしかに滋養強壮には良いけど流石に年はとるよ。でも実際、不老長寿になってもおかしくないくらいに旨いぞ」

 ビールに気をよくした先輩が楽しそうに話している。


 しばらくすると店長が「人魚の尾ひれの塩焼き」を提供してくれた。

 丁寧にうろこを剥がして焼いた人魚の尾ひれは、ただ塩を打って焼いただけのはずなのに、蠱惑的な香りを漂わせ、僕の胃袋を刺激した。

「さあ、遠慮せず喰えよ。今日は俺の奢りだから」

 自分が箸をつけるよりも先に、先輩は僕を促した。

「ありがとうございます。それじゃあいただきます」

 僕は初めての人魚に箸を伸ばした。

 それは僕にとって初めての人魚だったはずだ。

 だけど、その人魚の味は、僕には初めてとは思えなかった。

「すみません。これは本当に人魚の肉ですか?」

 僕は店長にそう聞いた。

「ん? そうだが?」

 店長は不思議そうにそう答えた。

「そうですか……」

「どうかしたか?」先輩も僕の表情に何かを感じてそう聞いた。

「いえ、なんでもありません。料理、すごくおいしいです」

 僕はそう言って人魚を食べ続けた。



 お店を後にして、先輩と別れてから少し経つと、僕は「ウミガメのスープみたいだ」と独り言ちた。

 

 一人暮らしのアパートへの帰り路を、僕は人魚が水槽からいなくなったあの日の夕食で食べた、あの焼き魚の味を思い返しながら歩いていった。



<了>


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