夕立。ねぇ、私の声は聴こえていて?
ねぇ、貴方、聞いてくださいまし。
雨が降ってきました。豪雨にならなければ良いけれど。地に植えたばかりの金木犀の根元の土を、叩いて流してしまうでしょ、土を足さないといけないけれど、ホームセンター迄、出るのも半日仕事なんですもの。
だけど父が亡くなり、それからしばらく頑張って、ようよう時満ちて、煩わしさから開放、不便な別荘に移り暮らす選択をした事に、後悔は微塵もありません。
植物を育てるのは楽しい時間なの。植えたばかりの金木犀、大きく育って、秋には小さな星の様な甘く薫る花を、早く見たいわ。
柊も随分と枝葉が増えて大きくなりました。根元の水仙やリコリスも増えてきて。
庭を掘り返すモグラや根を齧るネズミ避けになるの。
亡き父は無類のゴルフ好き。自宅も別荘もお庭はパターの練習をするとかで、芝生の広場の様な場所。
その芝生をめくり土を耕し、テラコッタ・タイルを敷き詰め、煉瓦で枠を長方形に積み上げて、メインの場所に、創り上げた大きな花壇
その中に植木鉢を配置。弱ったら入れ替えて。色とりどりの薔薇にジャスミン、ラベンダー。薫る花々を沢山配置しています。こうすると、草むしりが少し楽になると思って。
新婚旅行で行った、ベルサイユ宮殿の一角を思い出して。
ゴ、ゴロゴロ……、
遠くから雷鳴。やっぱり大雨になるようね。絹糸の様に静かに降り続く雨の方が好きなのに。
お庭のお花達も喜んでいる様に見えますもの。草むしりもお休みの日、私は紅茶を入れて、薔薇のジャムをひとすくい。銀のティースプンで、ゆるりと混ぜて、お部屋で楽しむのが決まり。
今日もお茶を頂きながら、窓ガラスをトントンと叩き筋を引き落ちる雨粒を眺めてます。
あら、お茶請けのクッキーがあと少し。焼いておかないと。次は趣向を変えて、ブラウニーにしようかしら。ああ、それともラング・ド・シャの方が、夏には軽くて良いかもしれない。
甘いチョコや濃いココアは、秋や冬が似合う気がします。季節のナッツを沢山使って作りましょう。
ザッ!ビュウ!ゴロゴロゴロゴロ!ザァァァ
ああ。
恵みの雨だった、あの日の雨も今と同じでしたわね。
カッ!ゴロゴロゴロゴロ、ザァァァ……
雨脚が太い夏の雨。汚れも何もかも全て洗い流す様な雨。私は芝生を剥がした場所で、濡れて泥だらけになり、しばらくへたり込んでいました。
ピィィ!
襲われた時に上げる、小鳥の鋭い響きが聴こえた気がしたのです。その声が私を引き戻しました。
集落からポツンと離れた、木立の中にある終の棲家、取り散らかした庭先ですが、普段、訪れる人といえば、郵便配達員に宅配便の人達。
なので片付ける事なく、そのままにし部屋に戻ると、先ず熱いシャワーを浴びました。
ザァァァ、ゴポポポポ。身体を打ち流れるお湯、タイルの上を流れて排水溝へ進む音。ごく日常の刺激を受け、落ち着く私の全て。
髪を乾かし、衣服を整えると電話をしました。怖くなってきたからです。ここに来るまで、街中の広い家で、大勢に囲まれ暮らしていたからかもしれません。
「わかった、すぐ行く、うん。予定は無いから大丈夫」
雨の中、来てくれました。今日が休日だったのが、幸いしたのです。
「元気そうでなにより。さっき見たけど、庭を作ってるんだ。業者に頼めばいいのに」
「ガーデニングが好きなんですもの。仕事に追われ、時間が無くて、小さな鉢植えさえも枯らしていたけれど」
「うん。知っている。頑張ってたよね、そうか花壇……」
「ベルサイユ宮殿の花壇の様なのを、作ろうかと思っているのよ。植木鉢を入れ替え配置して、楽しむ花壇を、草むしりが楽でしょ」
「いい考えだね。芝生を剥がしてたのはそれでか。ん、小降りなって来た。せっかくだし、整地を手伝うよ、着替えあったかな」
「ひと通り、貴方の部屋のクローゼットの中に入っているわ」
「そうだっけ?じゃぁ着替えてくる」
私も再び作業着に着替えました。二人でやる方が早いですもの。有り難い事に、雨は小降りになり、直ぐ側の木立の中から蝉の声。
チチ、ピピ、小鳥の声。
ジージー、シャシャシャシャシャシャ、気温が高いのか、カナカナではない蝉の声。
さっぱりと洗い流した様な青空。緑の葉に水滴が光を浴びてきらら。時々。ぽつん、ぽつん。名残の雨粒が過ぎゆく雲から落とされて。
ザッ
「で、生きてたんだ」
ザクッ
「ええ、死んだとばかり思ってました」
ザッ
「僕が産まれたばかりの時に、逃げ出したんだろ、お祖父様と親族が選んだっていう、僕の父親」
ザクッ
「ええ。そうよ。煩い親族達の手前、海外で病気療養をしている事になっていましたけどね」
ザッ
「いきなり、ここに、何を、しに来たの!」
ザクッ
「さぁ?落ちぶれて、泥棒をしようと思ってた様子でしたわ。ここにはお父様のコレクションも、少しばかり飾ってますもの」
ザッ
「ふーん。襲われそうになった?ふぅ、休もう」
「ええ。庭仕事をしていたら、ぬっと姿をみせてね。誰かと思って帰れ!と言いましたら、なんとあの人でしたの、私を見ると慌てて逃げ出そうとしたから、つい、シャベルで」
「お祖父様も見る目がなかったね」
「どうかしら?私と一緒になった頃は、頭も容姿も良いお人でしたのよ、ただお父様に負けたくないとそればかり言ってましたけれど。ああ、その点はお馬鹿ですわね。婿に入ってるのに、上手く立ち回れば良かったのよ」
ザッ
「さっさと終わらそう。ふーん。どうでもいいけれどね、僕は。庭先じゃなくても、裏も敷地なんだから、そこでも良かったんじゃない?これ位なら運べるし」
ザクッ
「獣に喰い散らかされるかもしれない。ここだと、テラコッタ・タイルの下だし、大きなお墓だと思えばいいだけ」
ザッ
「……、愛してる?」
ザクッ
「ふふ。わからないでしょう、ダメな人だけど私の初恋の人なのよ。やっと戻ってきてくれたの、さあ。早く終わらせて冷たいものでも飲みましょう、その前にシャワーを浴びなくちゃね」
ザッ!ザクッ!ズ……、ズズ。ドサ。ザッ!ザッザッザッザッザッ………。
ねぇ、貴方、聞いてくださいまし。
雨が止みました。蝉の声が賑やかでしてよ。四季咲きの薔薇の蕾が膨らんで、刈り取ったラベンダーには、新芽が伸びてきています。
こうして何でもない話が、のんびりと出来るようになるなんて、思ってもみませんでした。
イタリアから取り寄せた、テラコッタ・タイル。貴方を想って整地をしたあと、一枚いちまい、貼りました。アンティーク煉瓦も、一つずつ積んで……。花を切らさず並べて手入れをして。
貴方とお喋りをして。
ねぇ、貴方、私の声は聴こえていて?
ぬくもりがある色合いのその下で、色鮮やかな薫り高い花々の下で、私の話を聞いていて?
私の声が聴こえていて?
終