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其の八

 あれから水華は何も語らずにそれまで通りに山に通い、日々を過ごしている。

 何事もなかったように、すべては元の日常のままに。

 そんなある日、荷葉は里が見える山から少し飛び出した岩場から人世を眺めながら首を傾げた。

「水華姫。近頃、国府や里が慌ただしいようですがどうかなさったのですか?」

「ああ、秋の除目(じもく)があって、京から新しく国司が来たりして国府では少し忙しいみたい」

「除目……とは何ですか?」

 荷葉が大きな目を好奇心に煌めかせて水華に詰め寄る。

 ほとんどの時を人の形で過ごす荷葉は水華を姉のように慕っており、時折人の世の慣わしなどについて訊ねている姿を見かける。

 水華に答えられるのかと当初は思ったものだが、彼女は山吹が思った以上に博識で、いつまでも幼いままだと思っていた山吹達を驚かせた。

 水華も水華で子供扱いする癖の抜けない山の妖かし達と違い、大人のように扱ってくれる荷葉の存在は嬉しいものらしく、楽しげに荷葉の疑問に答えていた。

「除目というのは、京や国府の官吏の人事異動のこと。春と秋の年に二度行われて、通常秋に行われる徐目では京の官吏以外はあまり関係ないのだけれど、今回は京の官吏以外に地方官の任命もあったらしくて、その関係で少しバタバタしているみたい」

「はぁ……人世も色々あるのですね」

 感心したように荷葉は息を吐く。

 その素直な反応に水華は笑みを漏らし、更に続けた。

「それから里が賑やかなのは、もうじき奉納祭があるから。この地方では山吹が豊穣の神様として祀られているから、山吹のためのお祭りと言っても過言じゃないよ」

「山吹様のためのお祭りですか?」

 荷葉の瞳がさらにきらきらと輝く。

「こちらに来てから私も遠目に見たことがあるけれど、祠の前に収穫した作物なんかをお供えしてたよ。ねー? 山吹」

「供えられても俺は食べないんだけどな」

 山吹は膝の上で眠ってしまった鬼灯の背を撫でながら呟く。

「いつも思うけれど、せっかくお供えしてくれたんだからもらっておけばいいのに」

 水華は楽しげにそう言うが、山吹はきっぱりと返す。

「下手に俺たち妖かしが供物に手出しをすると、里の子供が盗んだのだろうと疑われたりするんだ。かと言って妖かしが白昼堂々と人前に姿を現すのもな……」

「え。何で子供が疑われるの?」

 水華は不思議そうに首を傾げる。

 そこへ黒が割って入り、山吹の言葉を補足した。

「人気のない時に供物を持っていくと里の子供が腹を空かせて盗んだのではと大人は疑い、人の目のある時に堂々と持っていこうとすれば色々と面倒になる」

「面倒、ですか?」

 今度は荷葉が聞き返す。

 黒は苦笑しながら答えた。

「信心深い者は神か神の御遣いかと喜び奉り、偉い騒ぎになる。そうでない者は、神への供物を盗みに来た山の動物だと思い追いかけてくる。どちらにしても我らには迷惑極まりないのだ」

 山吹は溜め息がちに言った。

「ずっと昔、狐の姿で祠へ行って供物を見ていたら『お狐様じゃー』と騒がれていきなり辺りにいた里人達が平伏して拝み倒されたことがある。俺はそういうのは疲れるから好きではないんだ」

「里の人も神様が拝まれるのが嫌だなんて考えたこともないだろうねぇ」

 水華は京にいた頃にあった様々な祭りや神に関する話を思い出しながら笑った。

 人にとって、神は敬い祀るもの。

 人の及ばない力を以て時に人を救い、時に人を罰する畏れの対象。

 そして手の届かない、朧げな近く遠い存在。

 それは妖かしにも言える。


 人は妖かしを恐れた。

 水華も幼い時分は人を攫っていく鬼の話や、百鬼夜行の話などを聞いては怯えて母のもとへ行ったものだ。

 その頃には想像もしなかった。こうして妖かしと同じ時を過ごし、その妻になりたいという自分など。

 そう思うと何だか可笑しかった。

「水華姫?」

 荷葉の声に、過去から意識を呼び戻される。

「え、何?」

「いえ。そろそろ日も沈みますので……」

 荷葉が見上げた空は、いつのまにか既に赤みがかっていた。

「……秋になると、急に日暮れが早くなるのよね」

 水華は不満そうに口を尖らせた。

「山吹ー。もう少し私も皆といたい」

「駄目だ」

 間髪入れずに山吹は返した。

「……ケチ」

「何とでも言え」

 不平を柳の如くさらりとかわされた水華は眉を垂らし、上目使いに山吹を見上げた。

「まだ帰りたくないー」

「姫。如何に姫がこの辺りの妖かしに知られた方であろうと、何処に危険な妖かしがいるとも限らぬ」

 黒のもっともな言葉に水華は口を噤むが、なかなかその場を動こうとはしない。それどころか俯いて意味もなく指遊びを始めてしまった。

 山吹は黒と顔を見合わせ、大きく溜め息をついてから鬼灯を起こさないようにどけて立ち上がり、いつのまにか随分目線の高さが近くなっていた水華の頭に手を置いた。

「祠まで送る」

 水華はそれでもまだ不満そうにしていたが、最終的には幼子のように頼りない表情で頷いた。

「……わかった」

 そうして常の如く狐火を従えて邸へと帰っていく姿を見届けてから、山吹は黒や荷葉達のいる場所へと戻ってきた。

 その頃には既に日も沈み切り、辺りは狐火や火の玉といった妖かしの作りだす灯りがいくつも夜闇に浮かんでいた。

「お帰りなさいませ。山吹様」

 小走りに荷葉が寄ってくる。

「お帰りなさいませ」

 いつの間にか白も一団に混じっていた。

「白。お前はそろそろ冬眠の準備をするんじゃなかったのか?」

「……山吹様。私が冬眠するのではなく、まだ妖かしとして日が浅く冬眠を必要とする者の準備を手伝っていたのであって私が冬眠するわけではございませんよ」

 そう言われてみればこの数百年、白が冬場に冬眠していたという記憶はない。

「そう言えばそうだったな」

「山吹様といい水華姫といい、どうかなさったか?」

 黒が訝しげな視線を向けてくる。

「姫はここ数日、以前にも増して一度山へ来られると帰ることを嫌がる。山吹様もどこか上の空。何かあられたか?」

「黒殿。それはもちろん結婚を控え、水華姫は山吹様と片時も離れたくないのでございますよっ」

 山吹の代わりに荷葉が、その小さな拳を握り締めて力説する。

「そして山吹様のは、えっと……以前小瑚様が教えてくださった言葉の中に……ええと」

 きつく目を閉じて荷葉は「ええと」を繰り返す。

 そうしてしばらくそうしていたかと思うと、ぱっと大きな瞳を開いた。

「思い出しました! それは幸せ呆けというものだと以前小瑚様が仰っておりました!」

 荷葉の明るい声に、白と黒が同時に噴き出す。

「しっ、幸せ呆けとは……」

「だ、そうでございますよ? 山吹様」

 白の言葉に、山吹は憮然とした面持ちで佇んでいた。

 黒と白はそれを見ても変わらず忍び笑いを隠す気はなく、荷葉だけが失言だったかと身を震わせた。

「え、あのっ、も、申し訳ございません!! 私……その、つい思ったことをそのまま……」

 それを聞いた白と黒の笑い声が更に大きくなる。

「なるほど。荷葉はつまるところ山吹様が幸せ呆けしていると思っていたわけか。確かに言われればそうも見えた」

「うむうむ。あれは幸せボケであられましたか。いや、それは宜しいことでございます」

「えっ! ああ、いえそのような……」

 荷葉が二重の失言に気づいて取り繕うとするが、黒の笑い声と山吹の冷たい視線に弁明の言葉が浮かんでこない。

「も、申し訳ありませんっ」

 最後の手段とばかりに荷葉は低く低く、頭を下げた。

「……もういい」

 泣き出しそうな子供を苛める趣味は山吹にはない。

 不本意なことを言われたとしても所詮は子供の戯言だ。それに目くじらをたてるのは己も未熟な証。

 そうは思うのだが、主を気にかける様子もなく笑い転げる白と黒、更にそれに便乗して忍び笑っている周囲の妖かし達を見ると、そう簡単に気分が直るとは思えなかったが。

 流石にこれ以上笑っていたら山吹の機嫌を損ねる一方だと気づいた妖かし達は徐々に山吹の周囲から退いて行く。

 うち一匹が尚も眠ったままの鬼灯を連れて行くと、辺りには山吹のほかに白と黒、荷葉しかいなくなっていた。

 そうしてしばらくして最初に口を開いたのは白だった。

「ですが黒の申す通り、近頃の水華姫はあまりお(やしき)に戻りたくないように見受けます。荷葉殿の仰る通り、山吹様と離れられるのを厭うのは以前からですが、この数日はそれが特に顕著になったように思われます」

「それはある」

 黒も笑いを納めて同意した。

「もとより邸よりもこの山を好まれてはいたが、最近の姫は以前にも増して山にいる時間が増えたように感じる。それもただ山吹様と離れたくないというだけではなく、自身の邸を厭ってのことがあるように思うのだが」

「ご自分のお邸を、ですか?」

 荷葉が聞き返すと、黒は小さく頷いた。

 荷葉は心配そうに山の向こう、水華の邸の方角へと目を向ける。

「……お邸で何かあられたのでしょうか?」

「何もないほうがおかしい」

 黒が荷葉の不安を一言で肯定する。

 それにより荷葉の表情がますます陰る。

「それはどういう……」

「水華姫はあれで貴族の姫だ」

 黒の深く響く声に、荷葉は不安げに目を瞬かせた。

 彼女はまだ妖かしとしては若く、人の世のことにさほど詳しくない。人の貴族社会がどれだけ面倒なものかも知らない。

 一人わからないという顔をした荷葉に、山吹は手でそこに座すように命じ淡々とした口調で説明した。

「貴族の姫であれば、本来水華の歳にもなれば結婚していておかしくない」

 荷葉は大きな目を見張った。

「ですから水華姫は山吹様の妻となられるのでは?」

 山吹は小さく首を横に振って続けた。

「身分ある者の結婚というのは家同士の繋がりを重視する。少しでも良い家柄の相手と繋がりを持ち、実家を反映させる。親が子の相手を決めることも珍しくはない」

 まして水華の父は京より左遷されてきた身。

 少しでも有力な貴族と繋がりを持ち、いつかは京に返り咲きたいと願うのも当然だろう。

 本来なら左遷された男の娘というだけで、力のある家の子息には相手にもされないだろうが、水華には母譲りの美貌がある。正妻の身分は得られずとも、幾らもいる側室の一人にくらいになら十分になれる可能性がある。

 話に聞いた水華の父と兄が山吹の想像に違わぬ人物ならば、それを利用しないことはないだろう。

「つまり水華姫はお邸で家人から縁談を持ちかけられているのでは、と言うことですよ。ここだけの話、一年ほど前からそのようなことを時折水華姫から遠まわしにですが、お聞きする事はあったのですよ」

 白の補足に、荷葉の目が満月のようにまん丸になる。

 まして当世の貴族の結婚は夜這い婚。夜、男が女のもとを忍んできて、三日間同じ夜を過ごし、体の関係を持てば婚姻成立というもの。

 親の望ましい相手であった場合、娘の意思に関係なく男が娘のもとへ通されることもある。 男から送られてきた恋の歌を娘が拒否しようと、親や娘の乳母が代筆することもある。

 つまるところ、結婚に娘の意志などはないも同然なのだ。

 それを聞いた荷葉は声を震わせた。

「そんなっ! 水華姫は山吹様をお慕いしてらっしゃるのに……!」

「真っ当な者ならば、娘が妖かしの妻になりたいと言って快諾はせぬだろうな」

 黒の素っ気ない言葉に、荷葉は声を荒げた。

「ではそこに水華姫のご意思はっ」

「貴族の結婚に、当人の意思が反映されることはまずないと思っていい」

 荷葉とは正反対に、答えた山吹の声は冷徹なまでに冷めきってきた。

 彼を見上げた荷葉は、小さな両手を握りしめて訴えた。

「水華姫を今すぐにでも妻にお召し下さいませ」

 荷葉の言葉に、白と黒が軽く目を見張る。

 山吹は強い覚悟を宿す荷葉を冷めた目で見降ろした。

「……お前は主に命令するのか?」

 全てを凍てつかせるような、冬風よりも雪よりも冷たい声。

 荷葉の肩が震える。

 荷葉だけでなく、白と黒も。

 だが荷葉は地に膝をついて、震える体を抑え込むように山吹を見上げた。

「過ぎた口のきき方を致しました……ですが、水華姫がそのような状態にあらせられるのであれば、どうぞ一刻も早く水華姫を山吹様の元へお召ください」

「荷葉殿……」

 白の気遣わしげな声も荷葉は聞き入れない。

 山吹はしばらく荷葉を見下ろしていたが、やがて視線を外し寝床へと足を向けた。

「山吹様っ!」

 幼子特有の高い声が背にかかる。

 山吹は立ち止まり、振り返らずに言った。

「今言ったことは全て俺達の憶測にすぎない。水華が俺に助けを求めたことはないし、助けを求めねばならないような状況にあるとは言ったことはない」

「ですが縁談があったと……」

「あったとしても、それが水華の身に危機を及ぼすようなことであるとは限らない。或いは父や側仕えの者達からそういった話があるとしつこく言われている。その程度の事かも知れない」

 荷葉は更に反論しようとしたが、山吹の冷たいまでに現実的な物言いに、両目いっぱいに涙を溜めて唇を引き結んだ。

 山吹はそれを見て、何も言わずに再び歩き出した。その後に無言で黒が従う。

 後に残された荷葉は小さく呟いた。

「山吹様は、水華姫のことなどどうでもよいのでしょうか?」

 その言葉を聞いたのは白だけだった。

「何故、妻となられる御方に他の殿方との縁談があると聞いてもあのように何事もないようにいられるのでしょうか?」

「……水華姫は人であり、我等は妖かし。人には人の生きる場所があり、妖かしが立ち入ってはいけない場所がある。山吹様は、それを忠実に守っておられるのですよ」

 白が宥めるように優しく説く。

「わかってはおります。ですが、私は水華姫が好きです。姉様(あねさま)のように大好きです。そのような御方が何事かを憂いておられるのなら、私はその憂いを取り除いて差し上げたいです」

 この山に来て一番に優しくしてくれた人の姫。

 大好きな前の主と離れる不安を少しでも取り除こうと、様々な話をしてくれたり、気遣ってくれたりした。そのおかげで荷葉は寂しさを紛らわしこの山に馴染みつつある。

「私の主は山吹様で、私は妖かしです。人の世に関知出来ること、出来ないことがあることもわかってはおります。けれど山吹様は冷たいです……」

 荷葉の呟きと共に、はらはらと涙が地面に落ちていった。


「荷葉は随分と水華姫を気に入ったようで」

 背後から唐突に黒は言った。

 聞いてはいるが、山吹は歩みを止めない。

 落葉を踏みしめる乾いた音が夜の静寂に響く。

「先日、水華姫の邸を見て参りました」

 大きな羽音を立て、黒は山吹の寝床近くの木の枝に止まった。

「表面上は落ち着いていたものの、憤怒や悲哀のような、負の感情が色濃く残されておりました」

「……そうか」

 狐の姿へと戻った山吹は黒の止まった枝を見上げた。

「黒。お前の口の堅さを信用して言う」

「はい」

「……先日の夜。水華が夜着のまま、裸足のままこの山を訪れた」

 黒は一瞬絶句したものの、無言で先を促してきた。

 山吹もそれに応え、静かに努めて冷静に続けた。

「酷く怯えた様子だったが、その日の昼には常と変わらぬ様子でまた山へ来た」

「そのような事があられましたか……」

「水華がそのことには触れずにいたから俺も黙っていた。話したくないことなら、無理に話させたいとは思わなかった」

「賢明な御判断かと」

 黒は夜に溶け込んだ翼を広げ、山吹の前まで舞い降りた。

「この先は私の勝手な言葉ではありますが、ではその晩、姫は何処かから、或いは何者かから逃げてきたのではないかと」

 山吹は答えない。

 黒も無理矢理答えを引き出そうとはしない。

「無粋を承知で言うのならば、寝所に我らの憶測のような目的を持った男が立ち入り、それから逃げてきたのではとも」

「……荷葉には言うなよ」

「知ったら水華姫が傷つくほどに騒ぐでしょう。心得ております」

 山吹は小さく息を吐いた。

「恩を受けた者であろうと、必要以上に人の世に介入は出来ない」

「その通りでございます」

「……助けを求められたのなら、何かをすることは出来るが、何もなく、攫ってくるようなことは許されない」

 独り言のような山吹の声が夜の闇に溶け込んでゆく。

 黒は穏やかな声で言った。

「頑固な姫のこと、本当に厳しい状況となるまで助けは求めないでしょうが、求められたならその際は全力を尽くされれば宜しいではないですか。貴方様はそれだけの御力を持っておられる」

 黒の言葉に、山吹は小さく頷いた。

「そうだな……」

 消え入るような声は、余韻すら残さず闇に消えた。

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