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其の六

 陽が沈み、月が空に浮かび、夜が訪れる。

 本来静かな妖かし達の時は今日ばかりは違った様相を見せる。

 幾つもの様々な色合いの狐火が灯りとなり、妖かし達は笛を吹き、鼓を叩き、常の酒宴よりずっと賑やかな時が流れる。そしてその灯りと音の中心には今宵の賓客、小瑚が陣取っている。

 小瑚は人の形のまま盃を持ったその長い腕をめいっぱいに伸ばす。

「山吹ーっ! 酒が足らん!」

「はい、少々お待ちを」

 山吹の代わりに白が答え、幼い子供の姿をした妖かしに小瑚の手の盃に酒を注がせる。

 山吹は小瑚の隣に座し、人型のまま賑やか過ぎる酒宴に眉間に皺を寄せ、小さく溜め息を吐いた。

「お前、早く伏見に帰れ」

「遠路はるばる来た客人に向けて何たる言い草。私は疲れを癒してから帰る。それまで世話をさせてやろう」

「させてもらわなくていいから、もう少し静かにしてくれ」

 うんざりとした調子で山吹は盃に口をつけた。

 息の重い山吹を見て、小瑚は木の実を手で弄びながら辺りを見回した。

「そう言えば、水華の姿が見えぬぞ。何故おらぬ」

「水華は人で、帰るべき場所がある。もう疾うに邸に帰した」

「むぅ。水華とも酒を酌み交わしたかったというのに残念な」

 つまらなそうに口を尖らせ、小瑚は盃を一気に呷る。そして息を吐くとまた手を伸ばして新たに酒を注がせる。

 注がれる酒を眺めながら、小瑚は呟いた。

「水華は良い娘よの」

「珍しいな。お前が人を褒めるとは」

「褒めるとも。何せ水華はかつて私が妻となった男によく似ておる」

「ますます珍しいな。お前がその話を口にするとは」

 山吹は空になった盃になみなみと酒が注がれていくのを見ながら言った。

「水華を見ておったらそういう気分になった」

 薄く笑って小瑚は答える。

 小瑚はかつて、人の男に恩を受けたことがある。そして妖かしの掟に従い恩を返すため、美女に化けてその男のもとに嫁いだ。今の人の姿がその時の姿らしい。

 天狐・小瑚と言えば名の通った妖狐で、その小瑚が人の男に恩返しをすることとなったと一時は随分と妖かし達の間で騒がれた。山吹が天狐の地位とこの山一帯を得てしばらくのことだ。

 黒がその噂を拾ってきた時は俄かには信じ難かった。信じ難かったが、黒がそういうのだから真実なのだろうと思いそして小瑚に『嫁入りされた男』に同情した。

 小瑚とは既に互いの性格を概ね把握し合っている程度には親交があったので、小瑚を妻にした日には、並の男では恩を返されるどころか疲労しきって終いだろうと。

 小瑚は山吹を傍若無人と言うが、それは彼女にも十分に当てはまる言葉だと山吹は思っている。御上に対する忠誠は本物だが、それ以外に関しては自らの意にそぐわない事は頑として受け入れない。それが我が儘と言われる類の事だとしてもだ。

 そのように小瑚はとにかく自我を押し通すので一人の者の妻など無理だ、というのが当時の妖かし達の間での見解だった。中には相手の男がどれだけもつか、という不遜と言うか恐れ知らずな賭け事までした妖かしもいた程だ。

 しかしそんな周囲の思惑をよそに、小瑚はその男の前で妖かしと悟られる事もなく、完璧に人として過ごした。そして男との間に子を産み、三人で穏やかに日々を送った。

 男は小瑚とその子供を愛し、小瑚もまた同様だったのだろう。一度は小瑚が天狐の地位を返上したいと御上に訴えたらしいという噂が大きく流れた。

 だが有能な天狐であった小瑚の願いは聞き入れられなかった。

 そして、『恩返し』は終わる。

 人に正体を知られた妖かしは、その人の元を去らねばならない。

 本当に偶然、小瑚は男に自分がかつて男に助けられた狐だと知られてしまった。男の元を去ろうとする小瑚を、男も子も止めた。

 そして妖かしである自分の正体を知っても尚、自分を望んでくれる男といたいという小瑚の願いは『掟』を前に脆くも崩れ去る。当時の天狐の筆頭が直々に小瑚に妖かしに戻るようにと言葉を下したそうだ。

 その天狐と小瑚の意見は相容れず、危うく同族同士で殺し合いとなろうとしたところを二匹の天狐は御上の声によって思いとどまり、そして小瑚は『掟』に屈した。

 今より数百年程昔の話だ。

 以来、小瑚はかつて人として過ごしたほんの一瞬の時を他者に触れられることを嫌う。

 自ら口にする事は決してなく、他者がそれを口にすることも許さない。口にした者は容赦ない制裁を受けてきた。

 それを知るから山吹はその事を一度として小瑚の前で口にしたことはなかったし、小瑚も口にしようとはしなかった。

 そういった過去もあった。

 山吹にとって、それだけ知っていれば十分だった。知らなくとも互いの関係には何の影響もない。少なくとも水華と出会う前、数年前という妖かしにとっては瞬きをする間のような短い時を過ごす前までは。

「妖かしであるとか人であるとか、そのような事よりも己の想いを貫こうとする。水華はよく似ておる」

 小瑚は小さく赤い唇だけで笑った。

「……水華のあれは、正直勢いだと思っていた」

 ぽつりと山吹が漏らすと、小瑚は顔だけを山吹に向けた。

「水華はまだ若い。妻にしてきてくれと言ってきた時などはまだ幼かった。いずれその前言は撤回されるだろうと思っていた」

 山吹の盃に落ちてきた赤い紅葉が一枚浮かんだ。他の妖かし達の喧騒から切り取られたかのように、山吹の周囲の空気は静かだ。

「それが昼間、妖狐になりたいとまで訴えた。そこでやっと俺は水華が勢いに任せて言ったのではないと気付いた」

「本当に、そなたは鈍い男よのう」

 今ばかりは小瑚の言葉にも反論できない。

「……鈍いからわからない。何故水華は、妖狐や妖かしになりたいなどと言ったんだ?」

「言っておったろう。同じ時を生きるためぞ」

 小瑚は何でもないことのように、さらりと答えた。

 だが山吹には一向に理解出来ない。

「人の身でも同じ時を生きることは叶う。それで何故いけない?」

 長さは違えど共に過ごすことは出来る。今までの時をそうしてきたように。

 だのに何故それだけでは駄目なのか。

「……同じ位置に立って、同じ場所で生きたいのではないか?」

 小瑚の言葉は耳にしただけではよくわからないものだった。

 訝しげな表情をする山吹に気づき、小瑚は小さく笑う。

「距離の話でなく立場の話ぞ。私は余計なことを言ってしまったやも知れぬ。お主自身が興味を持たぬ地位のことなど、話すべきではなかったかも知れぬ」

「どういう意味だ?」

 小瑚は盃に口をつけたが、すぐ膝に戻した。

「人と妖かし。それだけでも隔たりは大きなものと思わぬか? そなたも言っておったように人は妖かしになれぬ。妖かしは人になれぬ。それほど絶対的に違う我ら。その上、そなたはその妖かしの中でも突出した者」

「それが?」

 ただ目をかけてくれる者がいた。

 ただ少し、他者より強い力を持っていた。

 本当にそれだけの事だ。

 それが何だと言うのか。

「私は恋しい者と別れなくてはならなくなった時分だけでなく、側で共に過ごす間にも人になりたいと望んだ」

 小瑚の淡々とした告白に山吹は目を見開いた。

「同じ時を過ごす間も、幸せではあったが同時に不安があった。いつまでこの時が続くのか、と」

 小瑚は目を伏せ、長い睫毛が白い顔に濃い影を落とした。

「私は人に化けたが、いつ正体を知られるかと心のどこかで不安だった。それは『別れ』を意味する。同じ時を過ごせる事は幸せだった。幸せだったが……怖かった。この時がいずれ終わることが」

 小瑚を照らす狐火がゆるりと揺れ、一層影が濃くなる。

「人であればこのように思う事もないのだろう、なれば私をこのまま人にしてくれ。恋しい者と同じ位置に立てるようにしてくれ。そう……願った」

「……」

「人と妖かしの隔たりが、たまらなく不安だった。何がと言うのではなく、ただ『違う』モノであるということが漠然と」

 ぽつり、ぽつりと零すように話しながら、小瑚は木々の隙間から覗く月を見上げた。

「水華も同じような不安を持っているのかも知れぬ。突出した妖狐である、そなたと生きられるのか。だからせめて妖狐でなくとも妖かしとなって、そなたに近づきたいと思ったのではないか?」

 水華が実際にそう思っているかどうかはわからない。

 だが、小瑚の言葉は妖かしになりたいと言った水華の不可思議な言葉の理由をより明確にしてくれた気がする。


 ――偉い。


 ――凄い。


 昼間はわからなかった水華の発した言葉がどういう思いから生まれたのか、わかった気がする。

「……それでも俺は、あれを妖かしには出来ない」

 盃に浮かんだ紅葉を取り除き、山吹は強い響きを持った静かな声で口にする。

「人が妖かしと呼ばれる者になるは、無念の内に死した時」

 小瑚が呟く。

「無念を晴らすべく、(いびつ)な虚しい思念のみに捕らわれ鬼とも呼ばれ、人から忌み嫌われ、恐れられる者」

「そうだ」

 強い感情、特に負の感情を遺して死んだ者は、肉体を失っても魂のみが残り、その負の感情のみに動き続けることがある。その念の強さに捕われ生前の性質など失ってしまう。名や姿を残してもその者の本来の気性は失われ、さ迷うことが殆どだ。ごく稀にその存在を恐れた人々によって祀られ、神とされ、生前の気性を取り戻すもあるらしいが……。

 だがそれも結局は歪で哀れな、人ならざる者。

「水華をそんな者には出来ない」

 そのような存在など知らなくていい。健やかなまま、過ごしてくれればいい。

「存外、そなたは過保護であったか」

「……喧しい」

「主は水華姫のこととなると、変わられる」

 唸るような山吹の呟きに、清涼な声が切れ目なく続いた。

 山吹は目を据わらせ、その声の主を見遣った。

「お前も喧しいぞ。黒」

「それは申し訳ない」

 謝意など一切感じさせない軽い調子で黒は答え、改めて小瑚の前へ進み出た。

「小瑚殿。お久しゅう」

「黒か。何ぞ。そなたは今、出ておると白から聞いたが」

 小瑚の視線の先には、白く細い体躯を赤くして酔った白が腹を見せよく眠っている。

 対照的に夜闇に溶け込むように黒い体躯の黒は翼を広げ、更に闇を差した。

「出ておったのですが、偶然にも出先で『山吹』を探している者に出会いました故」

「俺を?」

 山吹が闇に視線をこらすと、そこから十歳ほどの子供の姿をした妖かしが現れた。

 小瑚同様に巫女装束を纏い、肩口でその真っ直ぐな黒髪を切り揃えてある姿は人の子の物のそれだが、その気配は山吹や小瑚と同じ。妖狐だ。

 他所の狐ならば己の領域を侵すかもしれぬ野狐(やこ)の可能性を見て厳しく追及するのだが、その気が削がれるのはその狐が大きな目からぼろぼろ涙をこぼしているためだろう。

 状況を把握仕切れずにいると、小瑚が少し驚いたように高い声を上げた。

荷葉(かよう)?」

「うぅっ……小瑚様ぁぁぁっ」

 幼い娘の姿をした妖狐は小瑚に名を呼ばれると堰を切ったように更に泣き出し、勢いよく小瑚に飛びついた。その勢いで酔って寝ていた妖かし達がいくらか踏みつぶされ吹き飛ばされと、軽い惨事となる。

「お探し申し上げましたぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁん」

 小瑚に抱きつき、荷葉と呼ばれた狐はわんわんと声を上げて泣き続ける。あまりに見事な泣きっぷりに肩の力が抜けた。

「……小瑚。それはどこぞの野狐じゃないのか?」

 野狐は主に悪事を働く狐のことを言う。

 そしてそういった狐は大概が特定の支配下には入っていないことが多い。それを考えると、小瑚を敬称をつけて呼ぶこの狐が野狐という可能性は減るが。

 幼い狐は小瑚に抱きついたまま、強い視線で山吹を振り仰いだ。

「無礼者! 私は天狐・小瑚様にお仕えする者! 私の小瑚様の側仕えとしての矜持を汚すか! 下郎!」

 下郎……。

 あまりに言われ慣れない言葉に山吹が唖然としていると、幼い声が割って入った。

「誰が下郎かっ! この小童っ!」

 山吹が何を言うより先、飛び出したのはやはり子狐。人の形こそとれないが、山吹を主として心酔しきっている鬼灯はすさまじい勢いで幼い娘を睨みつけた。

「この方はこの地の土地神であり、天狐であらせられる山吹様だ! そのような方に下郎とは……無礼者が!」

「山吹?」

 少女は眉根を寄せ、小瑚を見上げた。

「あのう、小瑚様」

「何ぞ?」

「私は『山吹の山に行ってくる』と伺って、てっきり山吹の木が多く生えている山へと向かわれたと思っていたのですが、もしや違うのですか?」

「違うのう。私の言った山吹とは木ではなく、そこな天狐のことぞ」

 小瑚は呑気な調子で白い袖を山吹へ向ける。

 少女はその袖を追うように視線を動かし、その先の山吹を頭から足下までしげしげと眺めた。そうしたかと思うと突然その場に座り込み、勢いよく頭を下げた。

「しっ、失礼致しましたっ! とんだご無礼をっ……!」

 山吹の天狐としての気配を察したのか少女、荷葉は地面に頭を叩きつける勢いで土下座した。

「……随分賑やかな側仕えだな」

 山吹は呆れた調子で小瑚を見る。

「可愛かろう? 今まで私の側仕(そばづか)えを務めておった妖狐で荷葉と申す。もっとも明後日……否、もう明日か。私が空狐となった後は別の者の元へ行くことになるが」

「うぅっ……嫌でございますぅぅぅ! 荷葉はいつまでも小瑚様にお仕えしとうございますぅぅぅ!」

 頭を上げた荷葉は再び盛大に泣き出した。

 あまりの激しい泣きっぷりに酒宴は中断。

 当の荷葉に至っては陽光が射し始めるまで泣き続けた。

 そして水華が訪れる頃になってようやく、どこからそんなに水が出るのかというほどに涙を流し続けた荷葉も落ち着いた。



「何だか皆、寝不足?」

 日が昇り、山を訪れた水華は不思議そうに首を傾げる。

「ああ、まぁな……」

 山吹をはじめ、白と黒も項垂れて答えた。

 荷葉の泣き声に眠ることもできず、こうして一睡もできずに日は高く昇った。

「ふぅん。ところで小瑚様、そちらの可愛らしい方はどなたですか?」

 水華はきらきらと目を輝かせ、小瑚に抱きついた荷葉を見た。

「これは荷葉。私の側仕えぞ」「……小瑚様付きの妖狐・荷葉と申します」

 人が珍しいのか、少しおどおどとしながら荷葉は頭を下げた。

 その様子を見て水華はかわいい! と声を上げる。

「私は吉平水華と申します。カヨウというお名前は蓮の葉という意味のカヨウ?」

「はい、そうです。薫物などの名にも使われている荷葉でございます」

「良いお名前。私は蓮の花を意味する水の華と書くの。蓮繋がりのお名前同士、どうぞ宜しく」

 水華が荷葉に目線を合わせて微笑むと、荷葉もやっと笑みを見せた。

「どうぞ宜しくお願い致します……」

 二人が和やかな雰囲気に包まれた外では、山吹が疲れた表情で恨みを込めた視線を小瑚に向けた。

「本当に賑々しい子供だな」

「済まぬのう」

 小瑚は口元を隠して笑う。

「己より上位である天狐への無礼の数々、許してやってくれぬか。幼子のすること、まさか本気で目くじらを立てるなどとは当然思ってはおらぬが?」

 意味ありげな小瑚の視線に、山吹は憮然とした表情で答えた。

「明日より空狐殿に一つ貸しを作れたな」

「何?」

「側仕えの不始末は主の不始末。空狐殿ならば、それくらいの借り、甘んじて受け取るくらいの広い御心があろう」

 山吹の揶揄を含ませた発言に、小瑚は唇を歪ませる。

「そなたは性格が悪い」

「お前に言われたくはない。それよりもう帰れ。他の側仕え達までこの山に押しかけてくる前に、別れを惜しんだらどうだ?」

「……そうよのう。おお、その前にもう一つそなたに貸しを作らせてやろう」

「何だ?」

「荷葉のことぞ。あれは今まで私にずっと貼りついており、なかなか他者と打ち解けることができずにおった。それが水華とはなかなかうまくやっておる。どうじゃ? 荷葉をお主の側仕えにしてやってはくれぬか?」

「荷葉を? 正気か?」

 初対面で下郎と言ってきた子供を?

 小瑚は不審に顔を歪ませる山吹を無視して続けた。

「私に仕えておった者達で未だ今後が決まっておらぬのは荷葉だけでの。そなたは傍若無人だが信用のおける者と思っておる。水華が顔を出してくれれば荷葉も心強かろう。頼めぬか?」

 山吹は水華と姉妹のように戯れる水華を見た。

 二人は並んで団栗(どんぐり)を拾っている。荷葉も初対面の緊張が解けたのか、水華と楽しげに笑い合っている。

「……わかった。荷葉がいいと言うのなら引き受けよう」

「恩に着る」

 山吹の言葉に心底安堵したように小瑚は口にした。そして荷葉を見て、よく通る声でその名を呼んだ。

「荷葉」

 荷葉は水華に断って、小走りにやってきた。

「何でございましょうか?」

 はきはきと答える様は昨日とはまるで別物だ。よほど水華と遊んでいて楽しかったのか。

「荷葉。そなたは明日、私の側仕えの任を解かれると同時、この山吹に仕えてもらおうと思うがそなたは如何(いかが)したい?」

「え……」

 いくら水華とは慣れたとは言っても、長年仕えた小瑚との別れはまた別だ。荷葉の顔が曇る。

「私は……ずっと小瑚様にお仕えしたいです」

「それは出来ぬ。今後天狐の元で行を積まぬならそなたはただの妖狐となり、御上や私との縁は切れる。だが山吹に仕えるのならば私との縁が切れるわけではない。会えなくなりはしない。それに山吹の側にいれば水華とも会える」

「……本当ですか?」

「だから早々に次に仕える天狐を決めよと申したであろう」

「うっ、そうでございました……」

 荷葉はそっと山吹を見上げる。怯えたような表情を浮かべながらも、荷葉ははっきりとした声音と共に頭を下げる。

「山吹様。至らぬ者では御座いますがどうぞお側に置いては下さいませぬでしょうか? 昨晩の無礼の分もしっかとお仕え致しますので、どうぞお願い致します」

「承知した」

 あっさりと認めた山吹に、荷葉は顔を上げて何度も目を瞬かせる。

「ただし俺は出世に適した者とは言いかねるぞ」

「構いません」

 酔狂な子供だ。

 そう思ったが口にせず、山吹は荷葉の頭に手を置いた。

「では宜しくな。荷葉」

「はい。よ、宜しくお願い致します。山吹様」 それから小瑚は荷葉を伴い伏見へと帰り、明日正式に空狐となるまでを側仕えの者達と過ごすこととなった。小瑚が空狐になったのを見届けた後、荷葉はこちらへ戻ってくるそうだ。



 二人を見送った後、山吹は思うがままに口にした。

「……今思うと、水華は扱いやすい子供だったな」

「扱いやすい? それって馬鹿にしている?」

 水華はじっと不穏な視線を山吹に投げかけた。

「まさか」

 水華の視線を受け止めながら山吹は座していた岩に仰向けに寝転がった。すぐ隣に水華は座り込み、空を見上げる。

「京が恋しくなったりはしないのか?」

「何? 突然」

「いや、何となく」

 瞼を閉じると、どこからか金木犀の甘い香を感じた。

「さっき荷葉といる時、まるで姉妹のようだった。扱いになれているな、と思った。それを見ていたら、弟や母に会いたくはならないのかと思って」

「……会いたくならなくはないよ。母上にも、弟にも」

 水華は小さく呟く。

「でも会いたいとは思うけれど、それは昔のような寂しさから来るものじゃない。山吹に出会う前までは寂しくて寂しくて、京が恋しくて仕方なかった。けど、今は違う」

 飛んできた赤とんぼを指先に止めて、水華は静かに言った。

「懐かしいとか、そういう感じ。寂しさから逃げたいから京に戻りたいとは思わない。……多分、居場所が……一番に居たい場所が出来たからそういう風に思えるようになったんだと思う」

 水華の人さし指の先には、赤とんぼがじっと止まっている。

「でも今は京に戻るって言われたら嫌かも。山吹といられなくなるのは嫌」

 木々の隙間に覗く夕焼け空に、赤とんぼが飛び立った。

「邸に戻っても、会えない日も、こんなに近い場所にいるのに山吹といられないことが寂しくて仕方がない」

 柔らかに吹いた風に水華の髪が揺れる。菊花(きっか)という名の薫物の香が、ふわりと香る。

「……俺はちゃんと、いつでもここにいる。だから寂しがる必要はない」

 手を伸ばし、菊花の香る水華の髪に触れた。

 水華は切なげに眉を寄せ、山吹の手に自分の手を重ねた。

「早く、年が明ければいいのに」

「すぐだ」

「待ち遠しいな。早く早く、ずっと山吹といられるようになればいいのに」

 そう言った水華の表情は山吹の知らない、ずっと大人びたものだった。

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