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其の五

「山吹様っ」

 戯れる水華と妖かし達を眺めていた山吹の背に、この四年、まったくと言っていいほど変わらない鬼灯の声がかかる。普段水華がいる時は姿を現さない彼がここへ来たこと、その慌てた様子を見ると何かしらが起こったことはすぐに理解できた。

 水華達もそれを察したのか、賑やかだった口をぴたりと閉じて鬼灯の言葉を待った。

「どうした? 鬼灯」

「はい。伏見(ふしみ)より、天狐(てんこ)小瑚(こご)様がお見えで御座いますっ」

 言って、鬼灯は深々と頭を垂れた。

 だが山吹は鬼灯ほどその言葉に重要性を見出せず、軽く腕を組んだ。

「小瑚が? 珍しいな。どういう風の吹きまわしだ」

「そういうお主は全く変わりはせぬの」

 ひとりごちた山吹のすぐ背後から、若い女の声がした。

 山吹が振り向くと、そこには予想に違わぬ者の姿があった。

「久しいな。小瑚。三百年振りか?」

「さぁの。もう忘れたわ」

 その者も山吹同様に人の姿をしてはいるが、その正体は紛れもなく狐だった。

 それも山吹と同位、天狐だ。

 山吹のように特別措置で天狐の地位を得たのではなく、千年の時を経て四本の尾を持つ、稲荷神に仕える狐たちの中では最高位の存在。

 山吹は稲荷神に仕える狐で、まだ千歳には届かないがその突出した才を稲荷神によって見出され天狐としての位を得た。

 そんな彼を快く思わない者がいるのは当然のことで、むしろ今目の前にいるような、全く気負わずに接してくる小瑚のような存在のほうが稀だった。

「しかし、そなたは相も変わらず人に化けると幼いのう」

「やかましい。お前が老けているだけだ」

「……女に向かって老けているとは何事ぞ?」

 細い眉を顰め、小瑚は山吹をねめつけた。

「口には気をつけよと散々申したであろうに、進歩のない奴め」

「生まれつきだ。これはどうしようと変わらない、と俺も散々言っただろう」

 内容を聞いているだけでは決して友好的とは言い難い会話、更に両者の淡々としながらも強い響きを持った言霊のため、その場にいた妖かし達は揃って身を竦めた。

 無言で山吹と睨みあっていた小瑚の目線が逸らされると、今度は水華のもとで止められた。そして赤い薄い唇を開いた。

「そなたが近頃噂になっておる、山吹の妻になりたいという奇特な人の子か」

 水華は自分のことを言われているのだとわかると、慌てて返事をした。

「はっ、はい。吉平水華と申します」

「水華か。私は伏見にて宇迦御霊神に仕える天狐・小瑚と申す」

 小瑚は衣擦れの音を立て、水華の前まで優雅な動きで歩いてきた。

 年は山吹の外見年齢や水華よりも上。十八、九といったところか。

 流れるような、踝近くまである長い髪。

 切れ長の瞳。

 通った鼻筋。

 緋色の薄い形良い唇。

 そして何故か神に仕える者の纏う巫女装束。

 だがそれを違和感と思わせないほどに小瑚は『神に仕える者』という空気がよく似合い、そして水華が今まで出会った中で最も美しい女性だった。

 山吹もそうだが、狐というのは人に化けるとこれほどにも麗しい姿形になるというのだからうらやましい話でもある。以前山吹から聞いた話では、狐に限らず妖かしというものは人を惑わすため、人を惹きつける容姿に化けるのだという。

 ならば山吹は、小瑚のような麗しい女性を今までにどれほど見てきたのだろうか。そう思うと複雑な心地だった。

「どうした?」

 小瑚のよく通る声に、水華は顔を上げた。

 山吹と同じくらいの背丈の彼女が水華を見下ろしていた。

「あ、あの」

 とても綺麗な顔立ち。

 小瑚のすぐ後ろにある山吹の顔と並ぶと壮観で、思わず言葉に詰まってしまう。それでも必死に次の言葉を紡ぐ。

「え、と。小瑚様は、私のことをご存じなのですか?」

「うむ。私の仕える神と、そこな山吹を天狐に召し上げた神は同じ神。故にその御上より山吹の噂を時折聞いておった。数年前からは特に、この傍若無人の山吹の妻になりたいと申す非常に奇特な人の姫がおると噂になっておった」

 小瑚は薄い唇を緩めて微笑んだ。

「傍若無人で悪かったな」

 山吹は小瑚とは対照的に、憮然とした声と表情で呟く。

「傍若無人という言葉がお主ほどに似合う者など、人にも妖かしにもおるまい。千歳に満たぬ身で天狐の位を得、かつその御上に仕えるでもなく奔放に過ごす狐よ」

「位は俺が望んだわけではないし、御上もそれを承知の上で俺に位を与えた。ならば俺が好きに生きようと他者に文句を言われる筋合いはない」

 再び両者の間に静かな火花が散る。

 そこへ白が姿を現した。その穏やかな空気に水華の周りの妖かし達が安堵の息を吐くのがわかる。

「小瑚様。お久しゅう御座います」

「む。白か。久しいの。息災であったか? 黒は如何した?」

 小瑚は足元へ現れた白へと笑いかけた。

 白の独特のその場を和ませる気配によって、山吹と小瑚の間の空気も緩む。

「黒はただ今出ておりまして、山にはおりません。変わって私がご挨拶に上がりました」

「そうか。そなたは主と違ってよく出来た者よ。山吹などに仕えさせておくには惜しいの」

「勿体ないお言葉、光栄に御座います」

 深く上体を折り曲げ、白は平伏する。そして上体を上げると穏やかな声音で尋ねた。

「時に小瑚様。本日の御用向きはどのようなもので御座いましょうか? 主との懇談をお望みでしたら、我らは席を外しますが」

「何、そこまで畏まった話ではない」

 小瑚はひらひらと白魚のような手を顔の前で振って見せた。

「今日は山吹。お主に自慢をしに来たのだ」

 小瑚はどこか意地悪げに唇を歪めた。

「私は明後日、この世に生を受け三千年となる。よって御上より正式に空狐(くうこ)の位を授かることとなった。せいぜい敬うが良い」

「お前が空狐?」

 山吹は怪訝そうに顔をしかめて聞き返した。

 話についていけない水華は近くの兎の妖かしに小声で話しかけた。

「ねぇ、空狐って?」

「空狐とは三千年を生きた狐のことぞ」

 小瑚の張りのある声が水華の疑問に答える。

 聞こえていたのか、と水華は居心地悪く居住まいを正した。

「お話の邪魔をしてしまい失礼致しました」

「構わぬ。私がそなたとそこな妖かしの会話に立ち入ったのだ」

「つまりは小瑚がお前たちの会話を邪魔をしたということだ。気にすることはない」

「山吹は少し黙っておれ」

 小瑚は腰に手を当ててぴしゃりと言い放ち、水華と妖かしのほうへと向き直った。

「山吹より妖狐の位については聞いておらぬか?」

「はっ、はい」

「そうか。では代わりに私が話してやろう。そこな山吹と違い、私は心優しき狐なのだ」

 白い袖口で口元を隠し、小瑚はにっこりと笑って見せた。

「稲荷神の元、千年生きた狐は神通力を得、尾が四本に裂け天狐と呼ばれるようになる。これが今の私と山吹の地位である。そして空狐とは三千年を生きた狐のことを言う。稲荷神の使いを隠居し、正式に神となった者を言う。つまり私は明後日より、御上……稲荷神の使いを引退し、神の一種となる」

 水華は鬼灯が最初に知らせた言葉を思い出した。

「小瑚様は稲荷神にお仕えしておられるのですか? ですから伏見から?」

「そうぞ。伏見稲荷(ふしみいなり)は稲荷社の総社。私はそこで御上(おかみ)にお仕えしておる。通常、位は御上に仕える者にしか与えられぬのだが、山吹は神通力に優れておるため御上より直々に天狐の位を授かり、この山を与えられた稀な狐であるが」

 小瑚が山吹を横目で見ると、山吹は興味なさげに水華達に渡された木の実や葉を眺めていた。

 その様子を見て溜め息を吐きながら小瑚は続けた。

「千歳にはまだ届かぬが、奴の神通力は御上に仕える狐達の中でも群を抜いておる。そのような者を野放しにしておいては統制を乱しかねぬ。故に御上は天狐の地位を与えることで、この者を目の届く範囲に置くことになさったのだ」 神や妖かしの世や習わしのことは水華によく知れないが、山吹が十分に凄いのだということはよくわかった。

 土地神として祀られ、特例として高い地位を得た特別な存在……。

「……小瑚様」

「何ぞ?」

 笑みを湛えたままの小瑚を、水華はまっすぐに真剣な色を宿した瞳で見つめた。

「どうすれば人は妖かしになれるのでしょうか?」

 その問いに小瑚だけでなく、山吹も白も、他の妖かし達も目を見開いた。

「お前、何を」

 山吹の言葉を手で制し、小瑚は続けるよう促す。

「そなたは妖かしになりたいのか?」

「叶うのならば、私も妖狐になりたいです」

 淀みなく水華は答える。

 山吹は小さく口を開いたまま絶句した。小瑚だけが、緩く笑んで答えた。

「人の身が妖狐に変じたという話は、三千年生きた私も聞いたことはないの」

 小瑚の言葉に、水華は小さく項垂れる。

「そう、ですか……では、妖かしには? 妖かしになる方法を小瑚様はご存じありませんか?」

「水華!」

 すがるように問いかける水華の言葉を遮ったのは山吹だった。

 水華は驚いて山吹を見た。

 山吹はうるさく鳴る心臓の音を感じながら、小瑚の言葉を封じるように告げた。

「人は妖かしにはなれない。妖かしが人にはなれないのと同じことだ」

 小瑚の視線を感じながら、山吹は強く言い切った。

「奇妙なことを聞くな。父だけでなく、京の母や弟も泣くぞ」

「だって……」

 不貞腐れたように水華は俯く。

「妖狐になれば人でいるよりも長い時間、山吹といられるのだもの」

 ぽつりと零すようにそう呟く。そして続ける。

「私だってもっと山吹と共に過ごしたい。陽が昇る時も、月が昇る時も。私が人でなく妖かしだったら、山吹だって闇は危険だから帰れとは言わないでしょう?」

 確かに夜闇は妖かしの領域だからと、日暮れの前に水華を灯りの灯った邸まで帰してきた。いかに山吹がこの里一帯を支配しているとは言え、稀によそから流れてきた妖かしが人を襲うこともある。確かに人ではなく妖かしならば、夜闇に気を揉むことはなくなる。

 山吹はその水華の言葉に納得しかけるが、胸中で否と首を振る。

「とにかく二度と妖かしになりたいなどと口にするな」

「でも」

「でもじゃない」

 水華の声を遮るように山吹は言い放つ。「お前は妖かしになどなるべきじゃない」

 静かに諭すような声に、水華は両手を握りしめて黙り込んだ。何か言いたげに口を開きかけるがやめて口を引き結んだ。

 これだけの言葉で納得していないことは、嫌と言うほどに伝わってくる。理由も言わずに否定することで、水華が傷ついたこともわかる。

 だが、言うべきことではない。それが結果として水華を傷つけることとなっても、理由を言うべきではない。

 人が妖かしになることはできない。

 そう言った。

 だが本当は知っている。


 ――人が妖かしに変じる例を。



 知っているからこそ嘘を吐き、傷つける。人だった妖かしがどのようなものか知っているから。

 新たな年と共に水華が山吹の妻となれば、水華は今までの人の世での全てを絶ち切ることとなる。山吹と出会うことがなければただ人の子として健やかに生きたであろう水華にこの上、妖かしになどさせられるわけがない。

 この頑固で破天荒で純粋な『水華』という自我が歪みかねない、人が妖かしに変じる術など教えられるわけがない。そう望ませるわけにはいかない。

「……頼むから、妖かしになりたいなどと言うな」

 思えばこれが初めて水華に願った言葉だった。

「山吹……?」

 常と様子の違う山吹に、ためらうように水華は声をかける。

 それ以上の言葉を言わぬ山吹を見つめ、水華は目を伏せてから答えた。

「わかった。山吹がそう言うなら、もう言わない。けど……」

 水華は顔を上げ、まっすぐに山吹を見つめた。

「私が妖かしじゃなくても、山吹は約束を果たしてくれる? 信じていいのよね?」

 大きな瞳は不安に揺れている。

「お前が約束を果たすなら、俺も必ずそれに応える。妖かしが人を娶るなという掟はないからな。時の長さは違えど、同じ時を生きることはできる」

 水華はじっと山吹を見上げていたが、小さく頷いた。

「……うん」

「さて。私達は邪魔かの?」

 小瑚が意地の悪い笑みを浮かべ、山吹を見ていた。その瞳は悪戯好きの子供のようだ。

 山吹は軽く息を吐いて、そんな視線を追い払うように右手で払った。

 まるで虫に対する扱いに、小瑚は少々不快げな表情を見せたが何も言わず、白に案内されるまま森の奥へと姿を消した。鬼灯を始め他の妖かしも同様に。



 二人になった場所に、風に揺られて黄金色や朱色に染まった木の葉が舞い落ちてくる。くるくるくるくると、舞うように。

「綺麗だね」

 水華の小さな呟きに山吹は答える。

「ああ。関係ないだろう? お前が人で俺が妖かしでも。こうして同じものを見ることは出来る」

「……ん」

 水華は細い指先で山吹の狩衣を握った。それは四年前に出会った頃からの水華の癖だ。

 よくはわからないが、感情を昂らせた時にそうすると大概落ち着きを取り戻すということを山吹は経験上知っていた。

 そしてそうすれば、自分で自分の気持ちを整理出来るらしいということも。

「山吹は、私が思っていた以上に偉いお狐様だったのね」

「偉いの定義が明確じゃないからよくわからないが、不自由しない程度の権限は与えられているな」

「小瑚様のお話では、山吹はとても凄いお狐様のように聞こえたよ?」

「お前の『偉い』、『凄い』の定義が本気でわからないな」

 その横顔は水華が十の子供だった初めて出会った時からまるで変わらない。儚げで端麗な、十五、六歳程の姿。

 水華の年齢が彼に近づいても彼の中の時は動かない。きっと水華が彼の外見年齢に追いついても、追い越しても。この世での生を終えて彼岸に渡る、その時が来ても彼は変わらないのだろう。

 お山のお狐様として天狐として、いずれは小瑚のように空狐として、何よりも山吹自身として在り続けるのだろう。

 山吹は永遠に山吹だ。

 世がどのように変化しても、自身を取り巻く環境がどれだけ変わっていっても、彼の根源的な強い自主性は変わることはないのだろう。

 そんな彼だから惹かれた。

 今まで出会った誰よりも確固たる自分自身を持っている彼に。

 水華は一度目を伏せ、それから山吹を見上げた。

「……山吹」

「何だ?」

 舞い落ちてくる木の葉から視線を外さぬまま山吹は答える。

 水華は零すようにそっと言った。

「山吹はずっと、山吹でいてね」

 ゆっくりと山吹は水華に振り返った。

「何だ、急に」

「私も私でいるから、だから山吹も山吹でいてねってお話」

 そう言って笑った水華は山吹もよく見慣れた無邪気な笑顔だった。

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