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其の十一

 国府(こくふ)では国司達が里人達の対応に追われていた。

「どう言うことだ! お狐様はお怒りではなかった!」

「それどころか儂らが怒らせてしまった!」

 里人達は口々に言い募る。

「喧しい! 下がれ! ここをどこだと思っているっ!」

「おい、門を閉めろ! こいつらを追い出せ!」

 喧騒は止むことを知らない。出仕してきた国司達も未曾有の事態に対処が追い付かない。

 かつてない騒ぎの起きている国府から少し離れた地にある、国司達の邸の一つ。

「酷い騒ぎだな」

 若い男は苦々しげに呟く。

 他のどの国司達よりも高価な衣、(かぐわ)しい薫物(たきもの)、豪奢な調度品。

 京を離れてまだ日の浅い華々しい容貌の男は、今日の『奉納祭』により国府がまともに機能しないであろうことを事前に知っていたため、物忌(ものいみ)と称して邸に籠っていた。

 実際に忌み事があった夜からは随分日も経ち、本来なら忌みなどとうに明けているはずだが、実家の権威を盾に物忌を称して男が出仕を控えるのは常の事。

 それが空言であり、職務怠慢であることは国府の誰もが気づいている。だがそれを咎められる者などいない。例え国府最高の権力者の(かみ)であろうとも。

 誰もが男の実家の権威を恐れている。

 男の生母の実家は京で高い地位と絶大な権力を持つ貴族だ。万が一にもその子息である男の不興を買えば、二度と京へ帰ることは叶わないだろう。

 それ故、この国の国府は今や男の国でもあった。

 どのようなことをしても咎められない。父や兄弟もおらず、自分より高い場所にいる者などどこにもいない。

 此処こそが男の国だ。

 麗しい容姿に仄暗い笑みを浮かべた時、冷たい風が男のいる曹司(ぞうし)に入ってきた。

「何だ、今の風は……」

 男は忌々しげに呟き、傾いた烏帽子(えぼし)を整えた。

「邪魔をしているぞ」

 凛とした声が、曹司の奥から響いた。

 反射的に男が振り向くと、薄暗い曹司の奥には己より若干年若の少年が立っていた。

 上等な狩衣姿から、その者もまた自分と同じ貴族なのだと察し、男は更に声を荒げた。

「何だ貴様。どこから入ってきた?」

 だが少年は男の言葉を無視し、明るみへと歩み出た。

「おい小僧、俺を誰だと思っている」

 男の高圧的な物言いにも少年は動じず、半歩程の距離を開けた所まで歩いてきた。

 知らず男は後ずさる。

 少年の不思議で絶対的な威圧感に圧され、背を冷たい汗が伝う。

 どう見ても自分より年若の、少女のようにも見える容姿の子供に何故自分が……。

 少年はその強い瞳でまっすぐに戸惑う男を見た。

「吉平水華を知っているだろう?」

 よく音の通る笛のような声に男は聞き惚れながらも、その名前に肩を揺らす。

「この国の(すけ)・吉平惟良の二の君、吉平水華だ」

 もう一度、少年はその名を呼ぶ。

 男は物の怪を見るかのような目つきで少年を見た。

 少年の瞳は強く、どこまでもまっすぐで、そしてどこまでも冷淡だ。

 おおよそ感情というものが汲み取れない得体の知れない少年に、男は生れて初めてまともに恐怖というものを覚えた。

「答えよ」

 決して強くはないはずの少年の言葉に男の体から力が抜ける。目の前のこの少年に逆らってはいけないと本能が全身に伝える。

 男は震える唇で答えた。

「知って、いる……」

 男は弁明するように更に言い募った。

「こ、この国府に仕える者なら誰でも知っている! あの美しさにそぐわぬ性質の、奇妙な姫と……」

「その奇妙な姫の寝所に忍んで行ったのだろう?」

 少年の言葉に、男は口を開けたままその場にへたり込んだ。

 少年はそんな男になど構わず、更に続けた。

「月の初めの頃、常より冷える夜に」

 男の目に、恐怖の色が生まれる。

「な、何故知って……」

「その晩、水華が俺の所へ来た」

 答えた少年の傍らに、風が起こる。

 反射的に男が目を閉じ、そしてまた開いた時。そこには今までなかった姿があった。

 男の顔が蒼くなり、体を震わせながら常の尊大な態度などどこにもなく、恥も外聞も捨て逃げるように後ずさる。

「な、なな……」

 男は震える指先を向ける。

「どこ、どこから入ってきた……いや、何故ここに……おお、お前……」

「俺が呼んだ」

 少年はその人物を見やり、淡々と答えた。

 そこには漆黒の長い髪を結わずに流した、白単衣(しろひとえ)姿の若い女……まだ少女といっていい姿があった。

「何を怯える?」

 少年はすっかり腰の引けた男を見下ろした。

「何を恐れる?」

 淡々と、少年は言葉を落とす。

「あ、あああ……」

 男は最早まともに言葉を紡ぐことも出来ないほどに狼狽していた。

 少年の瞳がより一層冷えたものとなる。

「怯え、恐れるはお前じゃない。お前に襲われ、殺されたこの水華だ」

 男の咆哮のような悲鳴が邸中に響き渡った。

 だが、その声は邸内の誰にも届かない。

 男の震える指の先には国司の介・吉平惟良の二の君、吉平水華が佇んでいた。黒目がちな瞳を伏せ、長い睫毛を震わせ少年の狩衣を指先で握っているのはまぎれもない。あの忌まわしき姫、水華だった。

 あの晩、男は惟良の言葉を待たず水華の寝所へと忍び込んだ。

 驚く水華と強引に関係を持とうとした男に、水華は力の限り抵抗し、挙句の果てに手近な調度品で男の背を殴りつけてきた。

 男はそれまで女からそのような仕打ちを受けたことがなかった。

 恵まれた容貌、家柄。

 誰もが男の訪れを喜んで迎えるのが当然で、このように屈辱的な目に遭わせられる事など考えられなかった。

 中流貴族の分際で、少しばかり美しく調子に乗った姫の仕打ちに頭に血が昇った。男は水華の髪と単衣を引っ掴み力のままに振り払った。

 そして響いた鈍い大きな音に、昇った血が急激に降りて行った。

 夜闇に目を凝らすと水華は火鉢の傍に倒れていた。触れてみてもぴくりとも動かない。そこで男は恐ろしくなりそのまま曹司を、邸を逃げだした。

 運が良ければ生きている。

 死んでいるはずなどない。

 なれば問題ない。自分に逆らえる者などいないのだから。

 そう言い聞かせながら男は自分の邸へと逃げ帰った。

 そして翌朝、国府への出仕を控えながらもあらゆる噂に耳をすませた。

 吉平水華は名が知られている。不意の『悲報』があったのならば、邸にいてもすぐに噂が耳に入ってくるはずだ。だがその日、吉平水華の名は一度として聞かなかったし父である吉平惟良が物忌をする様子もなかった。

 その翌日も、翌日もそうだった。そこで男は安堵した。

 やはり大丈夫だったのだ、と。

 だが水華が無事とわかれば、男にとって水華は忌々しい存在以外の何物でもなかった。輝かしいばかりの男の経歴に傷をつけた姫。

 そんなある日、男は守が惟良を陥れるため、水華を里人達の怒りの矛先にしようとしている事を耳にした。

 神が我が身を味方したかのような好都合。

 奉納祭の日、吉平水華は里人達によって山の狐への生贄として捧げられる。自分に恥をかかせたあの忌々しい小娘はいなくなる。ただこの邸の奥で物忌をしているだけで。

 だからこそ、男は恐れ(おのの)く。

「……お前は……山の狐とやらに捧げられるため、里の奴らに殺されたはずじゃ……!」

 だがその声を撥ねつけたのは水華ではなく、得体の知れない少年のほうだった。

「言ったはずだ。水華の生を奪ったのはお前だ」

「違うっ! ならばそこにいるその娘は何だ!? 今まで一度として死んだなどと話に聞かなかった……誰もがその娘が生きているから生贄とすると……」

 生きた贄だから、生贄。

 死んでいては、そうはならない。

 水華は顔を上げ、揺れる瞳で少年を見た。

 少年はそれに応えるように、水華の手を握った。

「水華は死んでいる。お前が殺したから」

 少年の残酷で静かな声が、男を貫く。

「……っ馬鹿な! では貴様が触れている、その娘は何だと申す!」

「……それを水華の前で言えと言うのか?」

 少年の強い目が、狼狽した男を強く射る。

 その目に、声に、存在に呑まれてしまいそうになる。

 男は烏帽子が傾くのも気に留めず、涙目で体を震わせた。

「山吹」

 か細い少女の声が、少年を呼ぶ。

 男も知る、水華の声に間違いない。

「私は大丈夫。もう、わかっているから」

 今にも崩れ去ってしまいそうな儚げな笑みを浮かべ、水華は山吹を見た。

 山吹は一瞬顔を曇らせるも、男に向きなおった時には冷たい無表情に戻っていた。

 そして一呼吸置いた後、静かに告げた。

「ここにいる水華は、死霊だ」

「う、嘘だ……嘘……うそだぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 男は両手で耳を塞ぎ顔を恐怖に歪ませ、再び吠えた。

「――黙れ」

 空気が痛むほどの威圧感を持った声が、男の咆哮を打ち消す。

 男は目の前の、自分が殺した少女を恐れ、涙ながらに震えていた。

 山吹は一歩進み出て、冷たく男を見下ろした。

「……水華がこのような形で存在しているのはお前を恨んだためではない。ただ生きようとしたため。自らが死した事すら忘れるほど必死に、生きようとしたため」

 恨みを持って死した者は、その念にのみ捕われた哀しい鬼となる。

 だが、水華は違った。

 男への恨みなどではなく、次の朝日を見るため、昨日と同じ今日を過ごすため、四年前の約束を果たすため生きようとした。

 感じる痛みも辛さも受け入れ、元の日々を過ごすため。

 己が死したことすら知らず、生きようとした。

 生きている、つもりだった。

 あの晩、水華が意識を取り戻した時には既にその命は燃え尽きていた。

 けれど水華はそれに気付かず、ただ今や偽物となった体の動くまま山へと向かった。彼女の失いたくない日々、共に過ごしたい、生きたい者の元へ。

「単衣などという奇妙な出で立ちであんな刻限に現れ、体は既に死して冷たくなっていた」

 山吹はごく小さく漏らす。

「俺にすら易く悟らせないほど、水華は人に近い死霊だった。他の妖かしにも、家人にも悟らせないほどに」

 淡々と語る山吹の隣で水華は顔を伏せていた。

「何よりも水華自身に自覚がなかった。それが大きかったのかもしれない」

 男にではなく、水華へと教えるように山吹は言葉を紡ぐ。

 顔を伏せた水華をじっと見つめ、山吹は苦いものでも噛んだかのような声で呟いた。

「……だが、それももう限界だ」

 震えたまま一歩も動けずにいる男に、山吹は一瞥をくれた。

「つい先程、水華は全て知った。思い出した。あの晩、何が起こったのかを。……もう長いことはない」

 山吹の声が今までの中で最も低く凍る。

 その瞳に、冷たくも猛々しい怒りが宿る。

「真に山の狐の怒り、買うのは貴様だ」

「なっ、はっ、きつ、狐……? まさかお前が……里の奴らの言う、狐……?」

「そうだ」

 はっきりとした声音で答えた山吹の衣にすがりつくように男は寄ってきた。

「お前はじゃあ、まっ、守り神なのだろう? 俺を守れ! そこの死霊から、俺を守れっ!」

「俺がお前を守る理由など塵一つない」

 山吹は冷たく言い捨て、すがりついてきた男をあしらう。

 男は体を震わせながら、あらゆる矜持を捨て泣き喚いた。

「何故だっ! 死霊を贔屓するというのか? 女だからか? 見目が良いからかっ? お前の役目はこの地の者を守ることだろう? なれば俺を守れっ!」

 山吹は水華の手を握ったまま、冷たく凍えるような目を男へ向けた。

「俺には、過ぎたる罪人にまで与えるような安い慈悲の持ち合わせはない」

 山吹の周りに、幾つもの炎が渦巻く。

 緋色の狐火が、山吹の心情を現すかのように強く強く燃え盛る。

 それを見た男の泣き声がより一層悲愴なものとなった。

「過ぎたる罪人には罰を与える。それが、俺が御上から得た権限」

 涼しくも残酷な声は、男の悲鳴によってかき消される。

 後に残るは煌々とした緋色ばかり。

 山の狐の姿も、死霊の姫の姿もどこにもなかった。

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