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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

逆流

家紋 武範様『夢幻企画』参加作品

 私は駅へと急いでいる。

 春のやわらかな陽射しの中、鼻先をくすぐる新緑のにおいを意識の隅に感じながら、私は急いでいる。 

 パンパンに資料やら報告書やらのつまったカバンを提げ、タイトスカートをはいたローヒールパンプスのアラサー女子に可能な限りの速度で、私は急いでいる。


 今日は出張の日。

 遅れる訳にはいかない、本社の部長は時間に厳しい。

 私は腕時計をチラッと確認し、ため息をつきながらカバンを反対の手に持ち替える。

(おかしいなあ)

 舌打ちしたい気分で思う。

 今日の準備は昨夜の内に完璧にそろえていた。

 時間に十分余裕を持って家を出た。

 にもかかわらず、時計の示す時刻は予定している列車へ乗るのにギリギリの時間になっている。


 自宅から駅まで、私の足で大体十分から十五分。

 ゆっくり歩いてもニ十分かからない。

 家を出たのは発車予定時刻の四十分以上前。

 上手くすれば、予定の列車の一本前に乗れるくらいの余裕は十分にある時刻に出て来た。

 にもかかわらず……。

(なんでこんなにギリギリなの!)

 焦燥に駆られながら、私は一生懸命足を動かす。息が切れてきた。


 寄り道なんてしていない。

 コンビニはおろか、手紙を投函する為にポストの前で立ち止まる、ことすらしていない。

 信号にひとつ引っ掛かったけど、常識的な時間しか待っていない。

 足を止めていた時間なんてどれだけ長く見積もっても、五~八分というところだ。なのに。

(急がないと!急がないと!)

 間に合わない!


 ようやく駅舎が見えてきた。

 少しだけホッとする。

 このあと何事もなければ(ふと嫌な予感が胸をかすめる)、予定の列車に間に合う……筈。


 駅の手前の横断歩道で、ものの見事に信号に引っかかる。

 イライラッ、としたけれど仕方がない。

 大きく息をつき、最後の確認のつもりで私は、腕時計をチラッと見た。

「うそ……」

 思わず小さくつぶやく。

 時計の指し示す時刻は、列車の発車予定時刻から一時間以上過ぎていた。

 そのまましゃがみ込みたくなるのをぐっとこらえ、青信号に変わった横断歩道を早足で渡る。

 私の腕時計が壊れている、可能性がゼロじゃない。

 とにかく駅へ!


 駅舎の時計は無情にも、私の腕時計と同じ時刻を指していた。

「は、はは……」

 間に合わなかった、という深い虚しさと同時に、ああいつものアレかと思い至り、額ににじんだ汗をハンカチでおさえる。


 どれほど急いでも決して約束の時間に目的地までたどり着けない、夢。

 私が見る定番の悪夢だ。


 券売機のそばで立ち尽くし、途方に暮れる。

 胸を炒るような焦燥感・時間管理が出来ない自分、という社会人としての情けなさ・この失態をどう取り繕おうかという保身……など、様々な感情が渦巻く反面、妙に白け果ててもいた。

 どうせ夢なのだ。

 『決して間に合わない』と設定されている、夢。

 この夢では、あがけばあがくほど『目的地』『約束の時間』から離れてゆくのだ、滑稽なくらいに。

 うっすら記憶にある中で一番ひどい場合は、『約束の時間』から二日以上経っても『目的地』に着かなかった。

 もちろん『目的地』は外国ではない。

 国内、それも普通なら列車で一時間足らずで着く筈の場所だ。


 この夢では、まず時間が理不尽に早く進む。

 そして、必ずと言っていいほど信号に引っかかる、見知らぬ他人の無意識の妨害(何故か反対方向へ向かう列車の車両へ押し込まれる、など)があるなど、余計な時間を食うイベント?が起こる設定になっている。

 それも、必死になればなるほど。

(……え?あれ?)

 今までなら、仮に自分が悪夢を見ていると気付いても、ここまで白けたことはなかった、ような気がする。

 悪夢の中にいるらしいと自覚しても、そしてどれほど時間に間に合わなかったとしても、今までの私は律義に『目的地』へ向かう努力をした、それこそ必死に。

 冷静に考えて、そこまで必死になる理由がわからない。

 これが現実ならば、さすがに間抜けな私でももっと違う手段を取る。

 顰蹙は買うだろうが、早い話『突然ですが今日は休みます』の連絡を一本、入れればいいことだ。

 

 あるいは、プログラムされたキャラクターのようなものかもしれない、とも思う。

 遅刻に焦ってじたばたしながら、何が何でも『目的地』へ向かうのが、夢の中で『私』というキャラクターに課せられた役割(ロール)

 役割なのだから疑問を感じることなどない。

(じゃあ、行かない、選択をしたらどうなるんだろう?)

 思った途端、すさまじい罪悪感にひしがれ、息が止まりそうになったが、私はグッとてのひらを握りしめて唇をかんだ。

 負けてたまるかという気持ちが不意にめらめらと燃え上がり、罪悪感を凌駕する。

「行かない」

 小さく、でも決然とつぶやき、私は券売機に背を向けた。


 足元からじりじりするような焦燥が湧き上がってくるが、その焦燥を踏みつぶすような勢いで私は、足音高く歩き続ける。

 行かない。今日は家へ帰る。

 帰って部屋着に着替えて、一日部屋でごろごろするのだ。

 あとで上司に叱られても知るもんか!

 呪文のようにブツブツつぶやきながら、私は歩き続けた。


 あの角を曲がると自宅が見えてくる……というところで。

 くらり、と眩暈がした。



 ふと気付くと、私は必死に自転車のペダルをこいでいた。

(間に合わない、間に合わない、間に合わない!)

 幼稚園のお迎えの時間に。


 蒸し暑くなり始めた梅雨時の午後。

 目に入ってくる汗に苛立ちながら、私は力いっぱいペダルを踏んだ。


 あの子が待っている。

 こんなにお迎えが遅くなったら、心細くなって泣いているかもしれない!

(急げ、急げ、急げ!)


 急いでいる時に限って信号に引っかかる。

 あまりにもお約束の展開に、私は何だか笑いたくなる。

 大きく息をつき、西の空を眺めた。

 すでに赤く色づいている。

 夏至も近いのに日が暮れ始めているなんて、一体今は何時なのだと絶望的な気分になる。

 幼稚園の先生方も、このいい加減な母親にさぞあきれているだろう……。

(あ、れ?)

 そもそも私は、何故()()()()()()()()()()()()

 幼稚園に通わせている子供など、()()()()()()()()のに。

 ……いない。いない!

「なんだ」

 思わず声に出してつぶやき、自転車のハンドルを戻す。

「帰ろ」


 眩暈。



 ふと我に返る。

 眠っていたのかと、私は顔を上げる。

 バスに乗っていた。

 どこへ行くのだったっけと、私は窓から外を見る。

 大きな川を隔てたところに、見事な紅葉の低い山々が見えた。

(ああそうだ、日帰りのバス旅行で……)

 紅葉狩りと松茸を楽しむツアー。

 確かそんな内容の。

 思いながら私は、ガラスに映っている自分の顔を何気なく見て……息を呑む。

 見たこともない老婆の顔が、そこには映っていた。

「それでは皆さーん、今からトイレ休憩です。十五分後にバスへ戻って下さいね~」

 ツアーコンダクターのわざとらしい明るい声を聞きながら、私はぼんやりとしたまま席を立つ。

 特に切羽詰まっていなかったが、行ける時にトイレに行っておかなくては、と、焦るように思ったのだ。


 そして。

 バスは私を乗せないまま、無情にパーキングエリアを出発した。

「……ふふふ」

 トイレから出たところで私は、当たり前のように走り去るバスを見送った。

 やっぱりね。

 私は間に合わない。

 間に合わないのだ、決して。

 だから……もう追わない。

(夢だ、いつもの)

 冷たく強い風が吹きつけてきて、私は一瞬、ぶるりと身を震わせた。

 見知らぬ場所だけど、帰ろうと思えばどうとでもなる。

 年の功なのか図太くなったのか、そんなことを思う。

 温かいコーヒーでも飲んで落ち着こう。ひょっとすると目が覚め、夢が終わるかもしれない。

 思うともなく思いながら私は、のろのろとトイレから離れ、パーキングエリア内の土産物売り場へ向かう。

 客の人数すら確認しないでバスを出す旅行会社へ絶対クレームを言ってやると、妙に現実的な腹の立て方をしている一方、私は白けていた。

 だって、これは夢だもの。

 夢の中の出来事に、いちいち腹を立てても仕方がないではないか。


 眩暈。



 私は階段を駆け上がっている。

 冷たい空気が凝った、冷たいコンクリートの階段。

(遅刻する!)

 泣きたい気分で息を乱し、私は教室へ向かう。

 母校の階段だ、と、心のどこかでぼんやり懐かしくなる。


 私は階段を駆け上がる。

 うつむいた視界に入ってくるのは、紺色のプリーツスカート、少しくたびれた白いスニーカー、くるぶしまでの白いソックス。

 細い足首は、寒そうに白い粉をふいている。

 中学時代の私だ、と、心のどこかでぼんやり思う。


 家からずっと走りづめで、息が上がって胸が痛い。

 冬の冷たい空気が肺を刺す。

 よろめき、思わず手すりに寄りかかった。

 はあはあ、と、吐き出す息は白い。

 今は三学期だと、頭のどこかで認識している。


 ほやほやとただよう白い息を見ているうち、ふっと

(ああ、そうか……)

 と、突然虚しくなった。


 夢だ。

 決して時間に間に合わない、あの夢。

 いつもの悪夢。

 どこからともなくアルトリコーダーの演奏が聞こえてくる。

 音読する英文も。

 授業はもうすでに始まっている。

 私は間に合わない。決して。


「帰ろ」

 息を調えた後、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、私はのろのろと階段を降りた。



 玄関ホールで不意に

「ねえ」

 と声をかけられた。

 驚いて辺りを見回したが、私以外そこには誰もいなかった。

「ねえったら」

 じれったそうな声。あわててそちらへ目をやる。

 誰もいない。ただ、姿見の大きな鏡はある。


 『身だしなみは整っていますか?』


 と大きく書かれた紙の下、少し曇った古い姿見の鏡。

 何代か前の先輩の、卒業記念に設えられたもの、だ……確か。

(でもこんなの、本当にあったっけ?)

 頭に浮かぶ『設定』は理解しているが、私の母校にこんなものがあった記憶は、正直に言うなら無い。

 夢特有のご都合主義だと納得している。

「ねえ」

 姿身に映る、短いおさげのセーラー服の少女……つまり私が、当たり前のように話しかけてくる。

「どこ行くの?」

 横柄な口調で咎めるように訊いてくる、私。

 気味が悪い反面、鏡に映る影のくせに、と猛然と腹が立った。

「どこでもいいでしょ、アンタに関係ない!」

 言ってきびすを返した途端、ガシッと肩をつかまれた。


 振り向く。

 見覚えあり過ぎて吐き気がしそうな少女の顔が、すぐ近くにあった。

 やめてほしい。

 美しくもなんともない自分の顔なんか、こんなに近くで見たくない!

「流れに逆らう、バグはいらない」

 聞き慣れているようで違和感のある、録音された時の自分の声が無感動に言うと、左胸に強い衝撃があった。



 鏡に映る影だった『私』は、足元で倒れている壊れた『私』を、冷たい目で見下ろしていた。

「……」

 何か言いたそうに口許を一瞬ひくつかせた後、新しい『私』は、右手にある赤黒いもの……心臓を、つるっと飲み込んだ。


 そして突然走り出し、階段を駆け上る。

 たとえ『間に合わない』のだとしても、私は教室――『目的地』――へ行かなくてはならない。


 教室へはきっと着かない。

 いや、別に『教室』とは限らない。

 『目的地』だと設定される、あらゆる場所へ私は行けない。

 でも、だから行かない、という理由にはならない。

 たとえ行けないとわかっていても、私は真面目に必死に『行かなくてはならない』。


 決して間に合わない、そしてたどり着かない場所へ、私は『行かなくてはならない』。

 永遠に行き着くことのない『目的地』へ、私はひたすら向かう。

 約束の時間を大幅に過ぎても。


 なぜ『そうしなければならない』のか、理由なんて知らない。

 でも多分……これはきっと。


 『私』に課せられた、罰、なのだろう。

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[良い点] 怖い。 [一言] この話を「怖い」と感じる1番の理由。 「無駄だとわかっていてもやるべき使命がある」 ということ。意味もあるか分からないままに。 かわかみれいさまの意図とは異なるかもしれま…
[良い点] 面白かったです。読んでいて引き込まれました。現実に近い夢から、徐々に切り替わっていく場面転換がとても良かったです。ついバス旅行というと年配のイメージがあるのでそこから次の場面が学校へと変わ…
[一言] これは、覚めない夢?それとも、走馬灯? 急いで、急いで、けれど間に合わない。 そんなときに犯す罪。 赤信号を、無視して渡って、そして……。 抗って、ループから抜け出して、その先にあるの…
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