憎しみの騎士
これは昔々にあった悲劇と憎悪と愛の話。
とある国にそれはそれは仲のいい恋人たちがいました。1人は国に忠義を尽くす騎士ロンディゼル、1人は商人の娘メアリー。
どちらも相手を愛し、尊敬しあっていました。
2人はのどかで平和な村で愛し合っていたのです。
しかし、とある日事件が起こります。
国王の選定により国を来たる厄災を消滅させるための生贄として13人の若い娘が選ばれることになったのです。そして、なんの呪いか、メアリーはその生贄に選ばれてしまったのです。
ロンディゼルは激しく抗議し、撤回を求めました。しかし、それが認められることはなく、生贄の儀を乱す危険分子として王国の地下牢に幽閉されてしまいました。
生贄の儀の日。13人の生贄は十字架にくくりつけられ、生きたまま火炙りにされました。
ロンディゼルはその時地下にいながらも、愛するメアリーの悲鳴を聞きました。
怒り、泣き叫び、この世の全てに憎悪したロンディゼルは王城の地下牢を破り、憎しみの炎を胸に抱いて国王を殺すことを誓いました。
「止まりなさい、ロンディゼル。その先には何もない。貴方には既に先などなく、この牢獄長ガルデラによりその天命を全うするのです。さぁ、貴方も天獄へ堕ちなさい」
全身を鋼鉄の鎧にて包み、兜でその鉄皮面さえも隠した獄卒長の手には銀色に鈍く輝く大剣が握られていた。ロンディゼルは牢に入れられたばかりで丸腰だが、憎しみの力は大きく、臆することはなかった。
「何もないから進むのだ。愛も義も人の心も全て失ったから進むしかないのだ。全てを奪い尽くし、憎しみの大火にて、憎悪の猛獣に成り果てよう」
「腐っても騎士とは思っていましたが、愛のために人を失うとは。愚かで脆く、そして何よりも弱い。貴方は愛ありきの騎士だったようですね。であれば牢の守護者たる私の【堅牢術数】も草木をかき分けるより簡単に入ることでしょう」
そう言って、牢獄長ガルデラはロンディゼルに近づき、ひっ捕らえようと刺股で突き上げる。
これをロンディゼルは避けず、食らう。喉を突いたというのにロンディゼルは顔を苦痛に歪めることはなく、ガルデラはその能面のような態度が恐ろしかった。
しかし、壁からあばらのように鉄の拘束が生えて、ロンディゼルを捕らえた。
「受けよう。あらゆる憎悪を、幾度とない後悔を、無限の悲哀を。しかし、それで私が満ちることはない。今は苦痛ですら無駄なのだから。さぁ、貴殿らも甘んじて受け入れるが良い。我が憎しみ【憎悪の果てを辿る剣】」
ロンディゼルの振るう右腕は黒い炎を爆発させるように噴出させ、剣のようにして獄卒長ガルデラを切り捨てた。一瞬のことだったが、ガルデラが焼かれたことにも気づかないほどあっという間に骨も残さず灰となってしまった。
「怨むなら怨むが良い。ただし、再度焼き払われる覚悟があるならばだが」
「止まるがよいロンディゼル!吾はこの城に使えし、稀代の魔術師エルモテラであるぞ。これ以上の不敬並びに背徳は許されないものと知れ!即刻自ずから首を陛下に献上し、それを最大限の敬いと為せ!」
金銀財宝を身につけ、水晶の杖を持った魔術師が王宮の一階でロンディゼルの前に立ち塞がる。
「敬も不敬も今の私にあろうか、いや有るまい。我が天命はとうに落葉を迎え、我が輪廻はとうに崩れている。人理も人道も憎悪の前では見えざるものとなる。故に賢も愚も上も下も何もかも神羅万象宇宙漂う全ては、皆平等に我が剣に焼かれる運命で有る」
「愚者め!貴様を誰かが勇者と呼んだこともあっただろうが、それも今日までだ!今日をもってそのような在りし日は墓標に刻むことを許さず、口に出すことも許されないだろう!故にお前は孤独に果てるのだ!行くぞ、【陽は天にて輝き、王は座にて輝く】」
魔術師エルモテラのたっていた廊下が山のように盛り上がり奴の背後から太陽のように激しい光が射す。
光はその熱で周りの有象無象を関係なく焼き払ったが、ロンディゼルだけは焼き払えなかった。
その全身に黒炎を鎧甲冑の如く覆わせ、すべての光を遮ったのだった。
「なぜ屈さない!不敬であるぞ、至高の魔術師の至高の神器を受けてもなお、蛆の如く這うというか!醜き魔獣め!文明人の権力の前に傅き、神の思し召しに能なく従え!」
「私とはまた違う哀れなものよ。太陽神の御光であろうとも、我が身を焼くことはできない。我が憎悪は太陽神の炎より灼熱と知れ。女神が絶えたのならば、誰が救いを信じようか。あるのは限りなき復讐心だけよ。貴様も滅びるが良い」
ロンディゼルの全身を覆っていた黒炎が右手一点に集中し、威力が蓄積されていく。エルモテラは後背の御光を幾筋もロンディゼルに向けるがその悉くを伸ばされた右手から漏れる黒炎の残滓によって散らされる。
「我怒りは悪なれど正義なり。裁きの神々ごと憎悪のもとに裁いてやろう。【悪を憎む悪槍】」
右手一点に蓄えられた黒炎は投げられた槍のように飛んでいき、エルモテラの腹を穿つ。その光景は逆鱗に触れられた黒竜が人を喰らうようにすら見える恐ろしいものであった。
「所詮、力などあったところで守れはしない」
「止まりなさい。わたくしは愛の賢者エアンナ。ロンディゼルよ、貴方の憎しみは分かります。私が貴方の全てを受け入れましょう」
女神像の象徴の如き見目麗しい聖女がロンディゼルの前に立ちはだかる。
「既に溢れた憎悪に際限はなく、後に残るのは退廃した焦土のみ。貴方にこれが受け入れられるというならば、受け取るといい」
黒炎を右腕に纏い、慈悲なく焼き尽くそうとするロンディゼル。聖女はそれを見て微笑みながら、目を細める。
「いいえ。貴方はもう壊れた杯と同じ。憎悪は抜け落ち、代わりに私への愛に燃えるでしょう。【千夜一夜の愛】」
エアンナの後背から満月が昇り妖艶な青白い光が精霊の形をなして、ロンディゼルを抱き捕らえる。
「愚かな。これまでのどの戦士より貴方は私を分かっていない。愛を失ったから猛獣が降臨したのです。再びの愛などはありません。あぁ、その愚かしさは私を怒らせました。今世で命を散らした後に輪廻転生などなし得ないよう魂を跡形もなく焼き尽くして差し上げます【悪なき慈悲の大鎌】」
黒炎が黒曜石のような鈍い輝きを放ちながら、大鎌に変容し、祈るエアンナの後背の月もろとも横薙ぎに一刀両断してしまった。エアンナの切られた上半身は倒れるように落ち、ロンディゼルの方をうらめしそうに見ながらまた微笑む。
「あぁ、愛おしい。わたくしなら貴方の全てを受け入れたというのに。しかし、これにて死の色もまた見れるわけであります故、貴方にはやはり感謝するべきでしょう。次会うことはないと貴方は言いますが、人の不誠実さ、不埒さがある限り愛の賢者は消滅しませんよ。ふふふ、ははは!」
切られた断面からゆっくりと灰となり、崩れて行き跡形もなく消えたはずのエアンナだったが、その残滓は未だ生きた泥のように蠢いている。
「魂を砕かれ、燃やされてもなお己が再臨すると豪語するとは……淫欲の魔物は末恐ろしい」
「……ロンディゼル」
「王よ。あぁ我らがアーカム王よ。なぜ我愛しき人を奪い、火刑に処したのか。その返答を聞きに馳せ参じた次第であります。しかし、どうあれこのような鬼の所行を私は許すことはできません」
「災厄が来る。ならば、国民を守らねばならないのが国王よ。それが鬼畜であろうと大悪であろうとも。国民の象徴たる私を恨むということ、この国そのものを憎んでいるということ。ならばこそ私がお前の刑を受けよう」
「それが、貴方の結論ですか……いいでしょう。我が憎悪はここで終局を迎える。怒り、悲しみ、恨み、憎悪の神器はここに現界する【憎悪の果ての淚剣】」
遠くから幾重にも重なった亡霊たちが黒炎の剣に集まり、絶対零度の炎として黒く蒼く輝き、国王の首を撥ねようと横薙ぎに飛ぶ。しかし、国王の首が飛ぶ前に金色の大剣がその一撃を阻んだ。
「【全人類の為の黄金剣】今ここでお前に殺されるわけには行かぬのだ!私には国民がいる、身を捧げた13人の魂に報いる必要がある!我が王女も災厄を避ける為に火刑に選定され、進んで命を捧げたのだ。それを私が嬉しいと思うだろうか、国王としては嬉しいと言わざるおえないのかもしれないが、父として!これほど災厄を憎んだことはない!」
「王は娘を、私は最愛の人を……しかし、生贄など悪魔に媚び諂う行為ではないか!災厄を跳ね除けてこその騎士、魔術師、賢者ではないか!ただこの国は復讐者を黙殺するだけの影の国だ!そのような国に未来などなくて構わない!」
もう一度【憎悪の果ての淚剣】が振り上げられ、憎しみに歪むロンディゼルの顔。ただ今度は王は両眼を瞑り剣で阻もうとしなかった。
「これ以上はもう誰も失いたくない。お前ですらそうだ。憎悪の騎士ロンディゼルよ、この首くれてやろう。だがその前に力を貸してくれないか?災厄は生贄を食らっても来る。先延ばしにしかならなかったのだ、お前の憎悪の力があれば、災厄をも倒せよう」
振り上げられたまま行き先を失った憎悪の剣はやがて黒煙として霧散していった。
「災厄……いいだろう。災厄を倒した後、王の首頂戴しよう。その時足掻いても意味は在らず。今度は私が災厄を喰らって憎悪の剣を磨き上げよう。その悪魔の一撃を持って、屠る」
「憎悪の騎士ロンディゼルよ、お前にこの銀の剣を渡そう。是に銘を打ちて、災厄殺しの剣として歴史に名を残せよ」
「厄災殺しだけではあるまいよ。国王斬首の剣としても語られる剣だ」
これが騎士ロンディゼルの物語の始まりの始まり。
少し短く、儚く続く憎悪の物語。
しかし、今はここまで。
安息を彼女と共に(イティー・シャアン)
ロンディゼルが災厄を討ち取ったとされる銀の剣。
その最後は国王の首を討ち取ろうとして、暗殺者に右腕を切り落とされ、イティー・シャアンで首を落として死にました。
憎悪を燃やしながらも、死別した最愛の彼女との安息を夢見ていた。