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今宵は曼陀羅け 陸  作者: AKILU
1/1

⑥目に見えないもの

辛気臭くなりました。

その上、今回でラストのつもりが、終わりませんでした。

「警察に連絡しましょう」

「ダメ!!」

  咄嗟に口を突いて出た言葉を、両側から同時に否定された。

「彼と約束してるの!」

  彼女は私のハンカチを喰いちぎりそうな勢いで、泣きながら怒りをたぎらせていた。

 その憎悪が具現化してしまったら、きっと彼女は浄化できない者になってしまうのだろう。だからこそユヅさんは止めるのだ。

「ですが、どうすれば……」

「十条さんなら大丈夫」

  え?

  ユヅさんの強い眼差しに魅入られ、脳がクリアな世界へ誘われてゆく。

 今までどんな修行をしても苦行に立ち向かっても、肝心なものは見えなかった。見出せなかった。聖人になりたいわけでも、世界を救うヒーローになりたい訳でもない。ただ、父が住職としてたどり着けなかった穏やかな精神世界(ジンセイ)を、人々に伝えられる存在になりたいと思った。それが私の原動力だった。

 

 

  身体中で渦が巻き起こる

  大輪の花が綻んでゆく

  チャクラ 開眼


 瞬間、世界の色が変わった。

「彼のところへ行きましょう!」

  私がキッパリ言うと、「行こう」とユヅさんも立ち上がった。

彼女の手首を掴み、私は北西へ向かって歩き出した。

「十条さん、どうしてそっちなの!?」

「どうしてと言われても……彼女が教えてくれたとおりに進んでいるんですが」

「え?」

  ユヅさんが何を驚いているのかはわからない。私はただ、目の前に開けて行く道を行くだけだ。

知らない土地。

  それでも、彼女が行きたい場所へと続く道がはっきりわかる。

  きっとこれが彼女の想いなんだ。

 20分ほど歩いたところで、背後からあがった息づかいが聴こえた。

「大丈夫ですか」

  振り返ると、 急な上り坂にさしかかった辺りからバテ気味のユヅさんが、膝に両手を置き呼吸を整えていた。

「さぁ、乗ってください」

「は?」

「ユヅさんの2、3人程度なら大したことはありません。急ぎたいので、恥ずかしがらずにおんぶされてくださいね」

  有無を言わせず背負った彼は、想像以上に軽かった。お互い白いダウンジャケットを着ているせいか、途中の窓ガラスに映る姿がミシュランマンっぽい。他人の歩調を気にしなくていいので、スピードは格段にあがった。ナビ役の彼女が示した時間をかなり短縮できそうだ。

  ここら辺のはず、だ……。

 彼女から伝わってくる位置情報は、確かにここを示していた。坂道を登って登って登っただけはあり、城下町から美ヶ原、北アルプス連峰が一望できた。

「この辺って、高納税者地区だよ」

  高級住宅らしい門構え。ゆとりある隣接間。公道は広くはないが、ユヅさんの言うとおり、経済に恵まれているハイソ特有の空気が漂っていた。

「この家」

  一周近く周ってたどり着いた門を眺め、彼女がか細く呟いた。

「彼の家族は検察官、弁護士、税理士なんだって。彼は…親の情けで、パラリーガルしてるけど」

  弁護士事務所も税理士事務所もそれほど大きくはないが、敷地内にあるようだ。

「弁護士じゃなくて?」

  背中から飛び降りたユヅさんは、照れくささを誤魔化すように、彼女と向き合った。

「4回落ちたら、東京の弁護士事務所(ファーム)へ出されるって愚痴ってた」

  つまり、まだ4回落ちてはいないものの、親が情けをかけられる回数は落ちているということか。

「優しい親御さんなんだね」

「みっともないから隠してるだけでしょ」

  ブライド高い金持ちの考えることはわからない。と、彼女はユヅさんに毒づいた。

「確かに、自意識過剰な人間って自分勝手で傲慢で面倒くさいね」

  ユヅさんの口調は、同情ではなく同調しているようだ。

「話の腰を折って申し訳ないのですが、百瀬さんの彼、丸山浩司さんはお仕事中でしょうか?」

  門の両端に設置されている防犯カメラが、味気なくこちらを向いている。

「そうよね。ちょっと見てくる」

  彼女はーー意識の中で百瀬千沙(ももせちさ)とわかった。そして彼の名前は丸山浩司(まるやまこうじ)。心というか、脳内に直接的に現れる情報。違和感はあるが、不快ではない。

「ユヅさんは、こんな風な思いをひとりでしていたんだね」

  私は門の脇に立つユヅさんの肩にそっと手を置いた。

「生きている者を助けるために勉強をしているのに、死者と対峙するのはキツイでしょう」

「ん、最初はノイローゼかと思った。解剖のし過ぎで呪われたのかも、とか」

「法医になりたいの?」

  高度救命救急、とサトルさんが言っていた。

「できればフライトドクター。枠にとらわれず、1人でも多くの人を助けられたら、って」

  ユヅさんは少し遠くを見つめた。門から覗く南天の木。何十年生きてきたのか、茎葉が見えないほど紅い実がたわわだ。

「だったら、海外で医療を受けられない子どもたちに携わるのも、アリじゃないですか?」

「うん、色々と考えた。けど、とにかく経験積んでからの方がいいような気がして」

  話しながらも、どこか迷いが伺えた。

「まだ四年はあります。勉強して、研修して、じっくり悩んでください」

「そうだね、それが学生の特権だった」

  サトルさんも、今はドクターヘリのパイロットを志願しているが、彼ほどの能力と向上心があれば、目標も高みへと変わる可能性が大きい。私は、ここへ来て住職に落ち着く意思が固まった。私たちは恵まれている。迷うことができ、考える時間もある。生かされているから、それだけの理由ではない。

 生きたくても生きられない。

 最低限の生活も難しい。

 夢を見ることも許されないから、夢がわからない。

 そんな子どもたちが世界には溢れている。

「いたわ! もうすぐお昼休みみたい」

  戻ってきた彼女は、興奮気味に笑いながら涙を浮かべていた。待ち焦がれていた彼に、このような形ではあれ会うことができたのだ。感極まって当然だろう。

「時間的にもいいタイミングでしたね」

「うん。けど……」

  彼女を見つめるユヅさんが、ためらう理由は想像に容易い。彼に現実を見せ、まだ放置されているであろう彼女のご遺体を親族に引き渡し成仏させてあげたいーー。それによって、彼が挫折するかもしれない。心根が優しいユヅさんなら、そこまで心配していそうだ。

「自業自得です。百瀬さんが丸山さんを信じ、人工透析を止めた結果がこれならば、彼は自分の言葉が招いた責任を負わなければなりません」

  強めの口調で、私はユヅさんと彼女、そして自分に言い聞かせた。宗教を学ぶ者としては相応しくない発言だ。わかっっている。でも、これが私の本心だ。

 ふたりは小さく頷いた。それを合図に、私はオフィス棟の呼び鈴を鳴らす。相手は防犯カメラの映像を確認し、私たちを見定めていることだろう。

『お約束でしょうか?』

  パラリーガル、丸山浩司本人が出た。

「すみません、わたくしは伝法灌頂の十条如月と申します」

『デンポウカンヂョウ……?』

「百瀬千沙さんの件で、大至急お伝えしなければならないことがあり、直接お伺い致した次第です」

『百瀬? どちらの百瀬さんでしょう。そのような方からのご依頼は受けてませんが』

  残念な回答だった。と、いきなりユヅさんと私の手を握りしめた彼女が、インターホンへ向かって「嘘つき!」と叫んだ。パン! パン! と防犯カメラのレンズが割れ、ガラスの破片がコンクリートに散らばった。

 中から複数人の声が聞こえ、少し遅れて丸山浩司が走って出てきた。

「ち、千沙、どういうつもりだ!」

  彼は慌てふためき、「すぐに帰れ! 警察を呼ぶぞ!」と怒鳴り散らす。

「呼びなさいよ……今すぐ父親に報告して、警察に電話してもらいなさいよ!!」

  嗚呼、これは下手に手出しができない状況になってしまった。私はユヅさんに目配せ、彼女の手を離した。彼女は彼の視界から消えた。もちろん、声も聞こえないはずだ。といっても、私には見えるし聞こえている。青ざめた彼とは裏腹に、彼女は髪を逆立てて、怒りと嘆きのマックス状態だった。

「な、なんなだよお前ら! 千沙に頼まれて脅しに来たのか!」

  唾を飛ばし叫ぶ彼を横目に、ユヅさんは私を哀しげに見つめる。と、ポケットの中でスマホが鳴った。この呼び出し音は尊さんだ。私は「失礼」と断り電話に出た。

「尊さん? 何かあったの?」

「彼女の住居に着いたので、みんなで移動してくるように。とのことです」

「え? どうして?」

「30分前に、状況とか彼女の住所をメールしておいたんです」

「さすが十条さん、頭が柔軟ですね」

  ふたりで話していると、青ざめて硬直している彼の後ろに、圧を感じさせる紳士が現れた。

「君たち、人様の家の前で何をしているんだね」

  スーツの襟で弁護士バッチが鈍い色を放っていた。鼻筋の辺りが浩司さんと似ている。彼が例の父親だろう。長男は検事。母親とその弟である叔父が、別棟で税理士をしているらしい。

 時間がない。南無三、はっきり告げよう。

「御子息がお付き合いされていた女性が、亡くなられたようなんです」

「浩司に彼女が? おまえ、片倉の婿養子になってもいいと言ったじゃないか」

  成る程。要は、百瀬さんが邪魔だった。それだけの理由で無茶なことを言ったんですね。

  パンパンパンパン!!!! ガシャーン! ガシャンガシャン!!

 門から邸宅へ続く、ソーラー式のライトや事務所のガラスが次々と破れる。

「百瀬さん、落ち着きましょう。裏切られた哀しみを怒りに変換すれば、あなたの魂が汚れるだけです」

  建物を破壊しかねない形相の彼女を、私はきつく抱きしめて背中をさすった。彼女の目は大きく見開かれ、血走り、呼吸が荒く、怒りなのか哀しみなのか小刻みに震えていた。

「ひぃっ! そ、そんな目で俺を見るな!」

  あぁ、そうか。私が接触しているせいで、また彼女の姿が見えているのか。

 父親には申し訳ないが、御子息の人間として最低な行為については、ご一緒に胸を痛めてもらいましょう。

「あ、サトルだ」

  ユヅさんの声に振り返ると、門の前に悟さんが運転するクーペが横付けされた。

 私は彼女から離れ、年期の入った弁護士バッチを無心で眺めた。

「丸山さん、事情が飲み込めないとは思いますが、浩司さんの父親として、法の番人として、少しのお時間お付き合い下さい」

  そうして、私たちは別々のクルマで、遠くはない彼女のアパートへ移動した。




「早かったな」

  尊さんがアパート前の小さな公園で待っていた。

 私は彼女から鍵が開いている旨を聞いていたので、そのことを伝えた。

「丸山先生、御足労おかけしました」

  会釈する尊さんが顔を上げると「三浦さんじゃないですか。どうしたんですか?」丸山弁護士は上機嫌で尊さんに握手を求めた。尊さんは作り笑顔すら浮かべず部屋のドアを開けるなり、丸山親子を中へ押し込んだ。

「タケ兄、あの弁護士、確か顧客だろ」

  クルマにもたれる悟さんが、静かな怒りを纏った尊さんの横顔を見やり空を仰いだ。

 明け方の雪が嘘のように、雲ひとつない。

「そろそろ警察が来るな」

  尊さんは煙草を咥え火をつけると、じっくり吸い込み深々と煙を吐いた。

「百瀬千沙、25才。家族は、特別養護老人ホームで寝たきりの祖母だけ。病死か自殺行為かは、司法解剖の後に下されるだろう。多分、無縁仏扱いになる」

  紫煙が風のない冬空に立ち昇る。

「僕、解剖に同席させてもらいたい。って、司法解剖だし無理だよね……」

  俯くユヅさんの肩を、悟さんが抱き寄せた。

「問題ないだろ、話は通しておく」

「だとさ。タケ兄が言うんだから、最後まで見届けてやれ」

「う、うん……」

「多分、丸山先生が金出すだろうし、如月君、長めの経あげてやってよ。装束もあるし」

「はい、私程度で宜しければ」

  私が腑に落ちない風な顔つきで頷くと、超の本人が私の頭を撫でた。

「そう、あなたお坊さんだったのね」

「いえ、資格はありますが、まだ学院生なんです」

「お婆ちゃんの事は心残りだけど、長くなさそうだし、蓄えで葬儀してもらえるはずだし、善しとするかな」

  彼女は自分の部屋の方を見ながら、尊さんの煙草を拝借し、それを黙ってくゆらせた。

「実際は許せないけど、あんな奴と一緒にならなくてよかった」

  最後の強がりなのだろう。煙が目に沁みた、と言って目頭を押さえる姿がいじらしかった。


  ーー本当にありがとうーー


  ユヅさんと私の前から彼女が消えた。

 悟さんには見えも聞こえもしなかっただろう。しかし、立て続けに煙草を吸う尊さんには見えていたのかもしれない。

  パトカーのサイレン音が近づいてきた。

「さて、とりあえず帰るか」

  尊さんは悟さんからクルマのキーを取り上げ、運転席に乗り込んだ。

 私たちもクルマに乗り、一旦、三浦の家へ向かった。ユズさんは遺体解剖の立会い許可がおり、悟さんのMTBを借りて飛んで行った。火葬は早ければ明日の午後、遅くても明後日らしい。

「中身の濃い年末になりました」

「どうせなら、実家で正月終え次第、また来ればいいじゃん」

  悟さんの本心からの言葉に、嬉しさで胸が震えた。

「悟、オマエにとってはいい事だろうけど、卒業して婿入りするまでは関わらせない方が如月クンの為だ」

「……そうだ、よな」

  ニヤリと笑いお茶を飲む尊さん。眉間に皺を寄せ、気まずそうにお茶を啜る悟さん。

 言葉尻と表情から、芙華さんに何かがあることが察せられた。とはいえ、明らかに面白がっている尊さんが教えてくれるとは思えず、私もお茶をいただいた。

  芙華さんは明日戻ってくる。夫婦になるのであれば、少し突っ込んだ話をしてもいいだろう。

 解剖に立ち会うユズさんを気にしながら、成り行きとはいえ、経を唱えさせてもらうことを思うと、身も心も引き締まるようだった。

 


言葉は難しい。

偽造語が多めで申し訳ありません。

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