年末年始が忙しかった人へ送る無駄エッセイ
年末。師走というくらいなのだから、全国各地の師匠がウサインボルトよろしく走り回るのであるが、僕は僕で非常に忙しかった。
もしかしたら僕は誰かの師匠なのかもしれない。弟子をとった記憶が無いので即座に名乗り出て欲しい。
年始。令和という新しい時代を、オリンピックという一大イベントを、2020というきりの良い年明けを迎えた日本は、それはそれは忙しなく動いた。
もちろん僕はその激動の年始の波にこれでもかと揉まれに揉まれ、忙しすぎて食事をする時間すらないのではないかと錯覚した。
しかし錯覚だったので体重は増えた。
そんなこんなでようやく落ち着きを取り戻し、平穏な日常の幸せと平日の面倒さを同時に味わって僕の脳味噌が混乱し始めた今日、こうしてエッセイに着手しているのだが、この年末年始に感じたことが一つある。
年末年始は多忙な割に無駄が多い。
大掃除から始まり、飲み会、帰省、挨拶回り、年賀状、食事、遊び。等々。
予定はびっちりと埋まっているのにも関わらず、得られるのは体脂肪とお年玉切手シートくらいで、それが有意義な時間の使い方か、と問われると疑問が残る。凄い残る。
必要なのはわかっているし、大切な人と会うことは最も大切な行動である。
ただ、なんというか、確実に人生に必要のないことがおまけみたいに付いてくる。そんな気がするのだ。
皆と予定を合わせるための面倒な連絡や混雑した店の予約からはじまり、誰かが来るから掃除をしなくては、挨拶に行くためにお土産を買わなければ、明日は早くから出かけるから今日は準備しなくては。
もうそれなら年末年始に詰め込む必要はないのではないか。みんなが炬燵にすっぽり入って一回も出ずに過ごすほうが平和ではないのか。
おそらく日本人で僕以外の全員がまだ気がついていないことなのだが、師走に師が走り回るのは多分偉い誰かが走り始めたせいだ。年始にみんなが忙しくなるのは偉い誰かが走り始めたせいだ。
これはあまり主張しすぎると消されてしまうかもしれない非常に危険な説であるので、このへんで終わりにしておきますね。
皆様の2020年が、のんびりゆったり平和になることを祈って、
こんな感じで、今日も寝ましょうか。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




