◆第九話『戦技契約』
時間が動きだした。
そう感じられたのは、風の流れる音が優しく耳をついたときだった。
隣を見れば、サッドが尻をついていた。
空を見上げながらあんぐりと口を開けている。
ディアナのほうは早歩きで向かってきていた。
ただ、俯いたうえに無言なこともあってか。
なにやら妙に緊張を煽られた。
ついには、こちらが足場にした《ストーンウォール》に軽々と飛び乗ってくる。
危なげなく《血の下僕》を倒せはした。
だが、彼女の活躍の場を奪ってしまった形だ。
もしかすると怒っているのかもしれない。
「あ~、落ちつけディアナ。俺は今後のためを思って、ここで見せるのが――」
「なんだいまのは!? あんなの、初めて見たぞ!」
ディアナが興奮した様子で顔を寄せてきた。
その目は好奇心で満たされたように輝いている。
「……怒ってたんじゃないのか?」
「どうして怒る必要がある? まあ、少し物足りない気はするが……それ以上にいまは感動している。わたしの目に狂いはなかった、と」
彼女の言葉はどれも心の底から放たれていた。
また、まるで自分のことのように誇らしげだ。
「やはりすごいな、ジェイクは。さすがわたしが認めた男だ!」
「そ、そうか……」
罠魔法を使って称賛されたのは初めてだ。
だからか、余計に反応に困ってしまった。
そんなこちらの心境を知ってか知らでか。
ディアナが純粋な好奇心を向けてきた。
「しかし、あのすごい魔法はいったいなんだったんだ?」
「《アルティメットバースト》――対《迷宮の創造者》用に編みだした魔法だ」
「やはり用意していたんだな。しかし《バースト》というと……あの魔物の体を破裂させるものと同じなのか?」
「一応、魔力を流すって意味では同じだが、少し違う。通常の《バースト》は少量の魔力を流して内側から破裂させるもの。対して《アルティメットバースト》は外側から大量の魔力をぶつけて破壊するものだ」
「な、なるほど……?」
こわばった笑みを浮かべるディアナ。
いまいちピンと来ないらしい。
「腹に空気を送り込んで破裂させるのが通常の《バースト》、外側からハンマーで鎧ごと破壊するのが《アルティメットバースト》って感じで覚えておけばいい」
「なるほど理解した!」
先ほどとは打って変わって晴れやかな顔だ。
と、後ろで「でも……」とサッドが声をもらした。
先ほどの衝撃がいまだ抜けないのか。
わずかに戸惑った様子で疑問をぶつけてくる。
「あれだけの魔力……とても人間1人で補えるもんじゃなかったっすよね」
「でかい魔法陣あったろ。あれで倒れた魔物の生命力を魔力に変換してたんだ。ってことで俺はほとんど魔力を使ってないぜ」
サッドにとっては信じられない方法だったらしい。
またも大きく口を開けて放心していた。
先ほどといいそろそろ彼の顎が外れないか心配だ。
「だから、あの上で倒せと言っていたのか」
ディアナが得心がいったように頷いていた。
「しかも倒せば倒すほど威力が増す。ちなみにさっきのは威力的にも最低限だ」
「……あれでもか。とんでもないな」
《迷宮の創造者》が棲家とするダンジョンには、先ほどとは比べ物にならないほど多くの魔物たちが棲んでいる。つまり《アルティメットバースト》にとって最高の環境を敵が揃えてくれているのだ。
ともに目的は《迷宮の創造者》の打倒。
いずれ彼女にも見せる機会が訪れるだろう。
ジェイクは足場の《ストーンウォール》から飛び下りた。
すたすたと歩いて《ダンジョンハート》を拾いに向かう。
「さてと、魔物も片付いたことだし、さっさと目的の品を回収してきてくれ。……よしよし、さすがに《血の下僕》級だと悪くない大きさだな」
拾ったそれを用意した袋に詰めたのち、振り返る。
と、後ろでサッドが顔をこわばらせていた。
「え……あの、一緒についてきてくれるんじゃ」
「どうして?」
「も、もし生き残りがいたら……」
「たしかにいるかもしれないな」
「だ、だったら!」
「悪いが断る」
絶望の色に顔を染めるサッドに、淡々と理由を告げる。
「敵が根城にしてた場所にわざわざ行くわけないだろ」
「お、俺がその危ない場所にいまから行くんすけど……」
「魔物は掃除したんだ。それぐらいはしてくれ」
取りつく島がないと悟ったか。
サッドがディアナにすがるような目を向ける。
「王女殿下は――」
「いやだ。暗いしじめじめしてるし、なにより臭い。これに尽きる」
即答だった。
しかも表情は思いきり冷めている。
そのさまから、サッドもどれだけ頼んでも無駄だと察したようだ。
「……おふたりがどうしてこんな方法で戦ってるのか、いま物凄く理解できました……」
「それはなによりだ」
ディアナが満足気に頷く。
最中、ダンジョンから青色の光球が出てきた。
人の瞳程度の大きさを持つそれは近くで浮遊しはじめる。
「……妖精? もしかして旦那の?」
「ああ。ダンジョン内に残りがいないかを確認できるようにな」
「い、いつの間に……」
「《血の下僕》を倒したあとにこっそりな」
専用の小瓶の蓋を開けると、妖精が飛び込んだ。
妖精は魔物の存在を探るのに長けている。
そのため、いつも協力してもらっていた。
ただ、ひとつだけ難点がある。
見返りとして小瓶内にたっぷりと塗った花の蜜。
それの維持費がばかにならないほど高いのだ。
魔石ほどではないが、それにかなり近い。
がめつい、と言われてしまう要因のひとつだった。
「たしか魔物がいたら赤色になるんすよね。青色だったってことは……」
「安心しろ。中にもう魔物はいない」
サッドがゆっくりとディアナの顔を窺う。
どうやら知っていたのかを問いたいようだ。
昨日もダンジョンを潰したあとに妖精に協力してもらった。
つまりディアナも知っている。
彼女の意地の悪い笑みを見て、サッドが思いきり脱力する。
「も、もう……おふたりとも人が悪いっすよ……」
妖精の情報とあって信じられたようだ。
サッドが顔から怯えを消した。
「でも、そういうことなら安心して行けます!」
「階段とか穴でつまずくとかにはさすがに責任を持てないからな」
「ははっ、さすがにそんなへまはしませんよ! それじゃちょっくら行ってきまっす!」
意気揚々とダンジョン内に駆け込んでいった。
なんだか転んで頭を打ちそうな危うさがあるが……。
彼も言っていたとおりさすがに大丈夫だろう。
「そうだ、ディアナ。ちょっと頼みがあるんだ」
声をかけると、ディアナも足場から下りてきた。
それから首を傾げたのち、はっとなって胸抱く。
「え、えっちなものはダメだぞ」
「どうしてそうなるっ。場所を考えろっ」
「……言っておくが帰ってからもダメだからな」
「いい加減そこから離れてくれっ」
「ち、違うのか。てっきり昨日の続きかと……」
すっかりエロ魔導師の印象がついてしまったらしい。
いずれ研究熱心な魔導師として考えを改めてもらわなければ――。
そう決意しつつ、ジェイクは咳払いをした。
「戦技契約っていう、他人の技や魔法を自分のものとして使えるようになる魔法があるんだが、それでディアナの薙ぎの一撃を借りられないかって」
「そんなものがあるのか。べつに構わないが……」
「本当か!? 助かる!」
ディアナなら了解してくれるはずだ。
そう確信していたものの、嬉しさは隠せなかった。
なにしろ新しい攻撃手段が増えるのだ。
「それで、わたしはなにをすればいい?」
「なにも難しいことはない。やることはふたつ。ひとつは、この魔石を装飾品として肌につけてもらうんだが……」
ジェイクはディアナの全身を見ながら言う。
「そういや腕輪も指輪もつけてないよな」
「剣を振るときに気になるからつけないんだ」
「そういうことか。ひとまず今回はありあわせで腕輪にするが、我慢してくれ。今度、ちゃんと邪魔にならないようなものを用意する」
「了解だ」
魔石を不恰好に取りつけた紐を、ディアナの腕に結びつける。
本当に戦士とは思えないほど滑らかな肌だ。
手首の骨も想像以上に細い。
また戦闘のあとだというのにまったく汗臭くない。
むしろもっと嗅いでいたいと思うほど甘い匂いだ。
ジェイクはそそくさと離れた。
ディアナの女性を感じ、気恥ずかしくなったのだ。
「あ、あとはこの魔法陣の上で剣を振ってもらうだけでいい」
地面に右掌を当て、魔法陣を浮かび上がらせた。
大剣を振っても余裕で収まる程度の大きさのものだ。
早速、その上にディアナが立って大剣を構える。
「どんな振り方でも?」
「複数の敵の首を刎ねる感じで頼む。高さは問わない」
「わかった」
頷くなり、ディアナがわずかに腰を落とした。
剣を後ろに流した格好から横薙ぎに思いきり振り抜く。
ごう、という音ともに周囲に突風が生まれた。
誰にも邪魔されない最高の状態で振れたからか。
戦闘中に見た一撃よりも凄まじいものだった。
ディアナが大剣を担ぎながらこちらに向きなおる。
「……こんな感じでいいのか?」
「さすがディアナだ。期待以上だ」
「そ、そうか」
褒められてまんざらでもないようだ。
大剣を収めたのち、ふふんと胸を張っていた。
「これでディアナの一撃を魔法陣に記憶できた。あとはこれを一度、取り込むだけだ」
ジェイクは魔法陣に右掌を当てる。
と、魔法陣の線が紐解くように消えはじめた。
やがて綺麗さっぱりなくなったとき。
右手の人差し指の付け根に赤い光が収束。
指輪のごとく巻きついたのちに輝きを失った。
「よし、完了だ」
「そこにわたしの攻撃があるのか?」
「ああ。ひとまず試し撃ちでもしてみるか」
実際に見せてみるのが早いだろう。
再び地面に魔法陣を展開、右手人差し指に魔力を流す。
と、先ほどディアナが見せた一撃を再現する形で、視覚化された緑の風が弧を描いた。もちろん力強い風もおまけつきだ。
提供者であるディアナは目をぱちくりとさせている。
「……先ほどわたしが使ったものをまったく同じだ」
「初めて使ったけど上手くいったな。さすが俺だ」
剣の技や軌跡からして、名前はさしずめ《ブレイドアーク》といったところか。
「しかし、本当に便利なものだな」
言いながら、神妙に頷くディアナ。
だが、なにか思いだしたようにはっとなった。
「い、いや待ってくれ……思わず感心してしまったが、これではわたしの存在意義がっ」
攻撃が大きな役割だと思っているのだろうか。
もしそうだとすれば、とんだ思い違いだ。
「俺の壁になってくれるんだろ?」
ジェイクは改めてディアナに向かって言った。
「魔力の関係で無限に罠魔法を置けるわけじゃない。思いどおりにいかないときだってある。そんなときにはディアナ自身の力があるのは個人的にも助かる」
実際にその安定感は今回の戦闘にも反映されていた。
頬をかきつつ、ぼそぼそと伝える。
「まあ、なんつうか……正直、心強かった。ディアナがいるのは」
「ジェイク……!」
ディアナが花開くような笑みを浮かべた。
なんだか顔が焼けそうに熱い。
ただ、羞恥心にまみれたついでだ。
ほかにも思っていたことを伝える。
「それからさっき……俺の魔法を褒めてくれたの、……かった」
「ん? なんと言った?」
「だから、嬉しかったって言ったんだよっ」
こんな形で誰かに嬉しさを伝えるなんて久しぶりだ。
おかげで《バースト》を食らったのではと思うほど全身が熱い。
だが、伝えなくてはならないと思った。
それだけ彼女の言葉は心に響いたのだ。
「誰にも認められなくてもいいと思ってた。けど、やっぱ褒められるってのはいいもんだなって」
思い返せば、祖父に魔法を教えてもらっていたときもそうだった。
魔法をひとつ覚えるたびに「よくやった!」と大げさに褒めてもらえていた。それが嬉しくて……次の魔法を覚えたいと思わせられたものだ。
褒められること。
認められること。
そこから自分の魔導の道は始まったのだ。
ディアナがきょとんとしていた顔を一気に綻ばせる。
「だったら、これからはわたしがたくさん褒めてやるっ」
「いや、べつにまた褒めてくれって頼んだわけじゃ――」
「知るかっ。もう決めたんだ。わたしは、わたしの相棒を褒めまくるとなっ」
にっと快活な笑みを浮かべながら宣言するディアナ。
これほど無垢な笑顔とともに褒められると、どうしても思いだしてしまうことがあった。ずっと昔、王宮魔導師となる前、同じようにとびきりの笑顔とともに褒めてくれた、あの方のことを――。
「きみは称賛されて然るべきだ。それだけのことをしている。そしてこれからも……それだけのことをするんだ」
自分でも進む道は定めていた。
ただ、どこか漠然としていたところがあった。
それが、彼女の言葉でより明るく照らされたような気分だった。
強引なところはあるし、血の気も多い。
だが、自分に持っていないものをたくさん持っている。
彼女となら、きっとこの先の旅も楽しいものとなるだろう。
ただ、それを現実とするためにもケジメをつける必要があった。
「改めて俺からも頼む。ディアナ、俺の相棒になってくれ」
ディアナがまぶたを跳ね上げていた。
こちらの言葉があまりに意外だったようだ。
その後、彼女はまるで言葉を噛みしめるようにゆっくりと目を閉じたのち、ふっと笑みをこぼす。
「わたしの気持ちはずっと同じだ、ジェイク」
出会ってからまだ2日と間もない。にもかかわらず、まるでずっと昔から一緒に戦っていたかのような、そんな信頼感を抱けていた。
彼女もまた同じ想いを抱いていている。
突き合わせた拳から不思議と伝わってきた。
この日。
初めてともに戦ったダンジョンの前にて。
ジェイクは、ディアナと本当の意味で相棒となった。