◆第八話『ひとつの到達点』
「いまの玉は?」
「魔物の大嫌いなセンブルの花をすりつぶして大量に詰めたものだ。中で爆発してダンジョンの隅々までニオイが行き渡るように加工してある。しばらくしたら魔物が一気に出てくるぞ」
ジェイクは淡々と説明しながらディアナの後方に《ストーンウォール》を生成。サッドとともにせり上がる岩壁に飛び乗った。
「お、もう来たか」
聞こえてくる入り乱れた足音に唸り声。
ダンジョン内から10体ほどのゴブリンが飛びだしてきた。
贈り物のセンブル玉を喜んでくれたようだ。
すべての個体が目に涙を浮かべている。
いきなりの大所帯を前にしてか。
サッドが見るからにうろたえていた。
逆にディアナは気持ちが昂ぶっているようだった。
いまにも飛び出しそうなほど前のめりになっている。
「ディアナ、あまり前に出過ぎるなよ!」
「心配するな! きみと組んだのだ……わたしは、わたしの役割を理解している!」
ディアナが自身の前の地面に大剣を突き刺した。
辺りに響き渡るほど大きな声で高らかに叫ぶ。
「魔物たち! ここまで来れば、わたしが相手をしてやるぞ! さあ、かかってこい!」
ゴブリンは強い性欲も持っている。
ディアナほどの極上の女を前にすれば、なおさらその性質を強くする。
だが、それ以上に彼女の殺気にあてられたようだ。
殺戮対象として目の色を変えて突撃を始める。
が、奴らの威嚇の声はすぐに慟哭へと変わった。
仕掛けた罠魔法によってその命が刈り取られたのだ。
先の10体だけでない。
追加で現れた個体も次々に地へと伏していく。
「す、すげぇ……! ゴブリンがどんどん溶けていく……!」
サッドが目を剥いていた。
いまやほかに使い手のいない罠魔法の戦闘だ。
ダンジョン内で戦い続けてきた魔導師が驚くのも無理はない。
視界の中では、敵がなおも倒れていた。
その場所は巨大魔法陣に入った辺りに固まっている。
調整のかいあって、おおよそ予定通りだ。
ジェイクは右腕を眼前に持ってくる。
大きめの丸い魔石つきの腕輪をとおしていた。
色は青いが、徐々に濁る形で赤へと変わりはじめている。
……あれを発動するには、まだまだだな。
そんなことを思っていたときだった。
突然、サッドが「オークだっ!」と叫んだ。
視線を戻せば、ゴブリン以外の人型魔物が現れていた
オークだ。
大きさは人よりわずかに大きい程度。
青黒い身は隆々とした肉をつけ、その膂力の高さを示している。
オークが《フローズンミスト》と《コラプション》を越えてきた。すでに傷だらけだが、気力はいっさい失われていない。ゴブリンとは桁違いの耐久力だ。
「さすがに抜けてくるか」
「……ようやくわたしの出番というわけだなっ」
ディアナが意気揚々と大剣を引き抜いた。
一撃で決めるとばかりに腰を落として構える。
が、間近まで迫ったオークの体が膨張しはじめた。
「これは……っ!」
ディアナが慌てて飛び退いた。
直後、オークの体が破裂した。
肉片とともに血がびちゃびちゃと飛び散る。
先ほどまでディアナが立っていた場所にも少なくない量が落ちていた。
少しでも後退が遅れれば悲惨なことになっていた。
――ディアナの髪や防具は血で染まった。
あの噂を真実にしていたかもしれない。
彼女がとっさに回避を選べたのは、昨日の時点で《バースト》を見ていたからだろう。
「ジェ、ジェイク……」
どうにかしてくれ、とばかりにディアナから縋るような顔を向けられた。
「……悪い。すぐにべつのに変える」
ディアナが綺麗好きであることを忘れていた。
そもそも彼女は壁であり攻撃役だ。
その性質をより有効に活用するべきだった。
完全にこちらの失態だ。
――さらば金よ。
そう思いながら、ディアナの前に魔石を投げた。
地面に触れると同時に割れ、魔法陣が描かれる。
ちょうどそこに新たなオークが足を踏み入れた。
途端、青い閃光が迸り、激しい炸裂音が響きはじめる。
オークが痙攣したように体を細かく震わせ、その場から動かなくなる。
「《ショックボルト》だ! 威力は弱めだが、少しの間だけなら足止めできる! いまのうちに仕留めてくれ!」
「了解だ!」
ディアナが豪快ながら洗練された薙ぎを繰りだした、
腹部を境に上下に両断されたオークの体が崩れる。
オークの厚い体を一撃で切り裂ける者はそういない。
ある程度は予想がついていたが、思った以上だった。
ぜひとも〝罠魔法のひとつとして欲しい〟ところだ。
以降も罠魔法とディアナで現れる魔物を処理していく。時間を経るごとにゴブリンの数が減り、代わりにオークの数が増えてきたが、まるで危うさがない。
今回はディアナと組んだ初めての戦闘だ。
あくまで練習と思っていたのだが……。
ここまで完璧に機能するとは思っていなかった。
どうやら想像していた以上に相性がいいらしい。
「はははっ! ダンジョンの中と違って一方的に戦えるのは最高だっ!」
「奴らにも思い知らせてやれ! 圧倒的不利な場所で戦う恐怖というものをっ!」
ディアナとともにジェイクは高笑いをあげる。
ただひとり、サッドだけは「……どっちが悪者かわかんない顔をしてますよ」と顔を引きつらせていたが。
――巨大魔法陣内でできるだけ倒してほしい。
という注文にもディアナはしっかりと応えてくれていた。
おかげで巨大魔法陣内は血で彩られていた。
無垢な村娘が見れば間違いなく卒倒するだろう。
「ジェイクの旦那ほどの魔導師なら、普通の魔法で戦ったほうが強いんじゃ……」
なおも魔物が倒れていく中、サッドがそうこぼした。
「あんたも魔導師ならなんとなく予想はつくだろ。魔力量の問題だ。数十体ならともかく、さすがにダンジョンに棲んでる数百体を相手に魔力はもたない。発動のたびに無駄に魔力を消費するからな」
魔力は生命力と強く結びついている。
ゆえに使い過ぎればまともに立つことすら困難になってしまう。強力な攻撃を持ちながら、多くの魔導師が1人でダンジョンに潜らない理由のひとつでもある。
「反面、罠魔法は一度設置さえすれば最小限の魔力を流すだけで発動できる。それに複数の魔法を組み合わせるといった方法もとりやすい。おかげで弱い魔法でも、あれだけの威力を発揮できる」
今回、仕掛けた魔法はどれも威力はあまり高くない。
おかげで消費する魔力は最小限に済んでいる。
「な、なんかダンジョンを潰すことだけに特化してる感じっすね」
「感じもなにも実際にそうだからな。そのために俺は罠魔法を研究したんだ」
ジェイクは「それに」と続ける。
「……ただの魔法じゃ倒せない奴もいるからな」
決して燃費がいいという理由だけで罠魔法を選んだわけではない。
すでに300体以上の魔物を倒している。
思っていた以上に多くの魔物が棲んでいたようだ。
ただ、さすがに終わりに近づいているようだった。
先ほどから魔物の出てくる頻度が減ってきている。
そろそろ終わりか、と思ったとき。
地面が激しく揺れはじめた。
みしみしと入口の岩も軋んでいる。
と、ほかの個体よりひと回り大きなオークが飛びだしてきた。
両手に1本ずつ持った巨大な戦斧を掲げ、咆哮をあげる。
たったそれだけでびりびりと空気が震える。
「《迷宮の創造者》……!?」
サッドが腰を抜かしながら震える声をもらした。
そう思ってしまうのも無理もないだろう。
迫力的にも下級の魔物たちとは比べ物にならない。
だが、本物はこんなものではない。
「あれは血の下僕。《迷宮の創造者》の恩恵を受けた魔物だ」
《迷宮の創造者》の血を体内に含むことで、より強い力を手に入れた魔物だ。その証として、胸元に燃え盛る炎を模した黒い刻印が刻まれている。
《血の下僕》は仕掛けられた罠魔法をもろともせず突進。ディアナに肉迫するなり、雄叫びをあげながら右手の戦斧を振り下ろした。
ディアナは回避が間に合うにもかかわらず、あえてその場に踏みとどまっていた。横向けた大剣でその戦斧を受け止める。が、予想以上の威力に彼女の顔が歪んだ。その両脚も地面にめりこんでいる。
「なかなかに骨のある相手が出てきたな……!」
ディアナが咆哮をあげながら戦斧を弾いた。
そのまま流れるように敵の左足へと大剣を斬りつける。
が、皮膚をわずかにえぐったところで止まってしまった。
大した痛みも与えられなかったか、《血の下僕》がすかさず左手の戦斧を払うように繰りだしてくる。ディアナが舌打ちしつつ、慌ててあとじさった。だが、逃がさないとばかりに《血の下僕》が連撃を繰りだしはじめる。
ディアナの防戦一方な展開を前に、サッドが動揺をあらわにする。
「あの《殺戮王女》が苦戦してる……!」
「《血の下僕》は上位の魔物並には強いからな。無理もない」
「無理もないって、そんな悠長に言ってる場合っすかっ!?」
隣でサッドが焦る中、ジェイクは冷静に状況を見ていた。
頑丈だ、と自負したとおりディアナに倒れる気配はない。
大剣という重武器ながらしかと敵の攻撃を受け止めている。
おそらく彼女の実力なら勝つことは可能だろう。
だが、長期戦になる可能性が高い。それに……。
今後のことを思えばここで〝披露〟するのも手だ。
ジェイクは右腕の腕輪を確認した。
はめられた魔石の色は薄い赤色に変化している。
――溜まり方は最低限といったところか。
「ま、あの程度の相手なら充分だろう」
いまも《血の下僕》と交戦中のディアナに向かって叫ぶ。
「ディアナ、下がれ!」
「しかし、それではこいつがきみのところに――」
「問題ない。なにしろそいつの命はそこで潰えるからな」
こちらの自信に満ちた顔を見てか。
ディアナが敵の戦斧を弾いたのちに後退した。
敵が重い足音を響かせながら追いかける。
その身が巨大魔法陣の中央に至った、その瞬間。
ジェイクは右腕を振り上げ、掌を空に向けた。
呼応するように大地が鳴動し、巨大魔法陣が閃光を発する。
「喜んで死を迎えろ。貴様に俺の最高傑作をくれてやる……!」
罠魔法を独自に研究しはじめてから10年。
対《迷宮の創造者》を想定し、辿りついたひとつの到達点。
究極破壊魔法。
「――アルティメットバースト」
光の柱が頭上を漂う雲を散らし、天へと迸った。
触れるものすべてを呑み込み、破壊しつくす。
まさしくそれは終焉の光だった。
柱は細くなっていき、やがて音もなく消滅する。
巨大魔法陣上に残ったのは、ただひとつ。
迷宮の主を討伐した証である《ダンジョンハート》だけだった。