◆第六話『真夜中の依頼』
なにやら隣の部屋で揉め事が起こっていた。
声や音からもかなり激しく暴れている。
あと少しで眠れそうだったのに最悪だ。
ディアナに至っては完全に眠っていたところを起こされた形だ。
生娘のように恥ずかしがっていた先ほどまでの面影はどこにもない。むくりと起き上がり、隣の部屋を睨みつけている。
「……殺るか」
「殺るなっ」
なんとか矛を収めてくれたものの、その場限りだ。
このまま騒音が続けば止められそうにない。
静かにするよう先に注意したほうがよさそうだ。
ジェイクはベッドからのそのそと出ようとする。
と、廊下側からひと際大きな声が響いてきた。
「お前のクソっぷりには前からうんざりしてたんだよ」
「頼む! これからはもっと頑張るからっ!」
「うるせぇっ! とっとと出ていきやがれっ!」
バタンッと扉の閉まる音が聞こえてくる。
それを機にしんっと静かになった。
「静かになったな」
「やっとか……」
これなら面倒なことをせずに済みそうだ。
安堵しつつ、ベッドに戻った。
「くそっ……どうして……どうしてだよ。なんで俺だけ……っ!」
今度は泣き声が聞こえてきた。
先ほど誰かが部屋から追いだされたようだった。
おそらくその者が泣いているのだろう。
ちらりとディアナの様子を窺う。
と、暗がりでもわかるほど目が血走っていた。
これは完全に《殺戮王女》態勢だ。
血生臭い中で寝るのはできれば遠慮願いたい。
ジェイクはため息をつきながらベッドからはいでた。
ついてきたディアナとともに廊下に出る。
「おい、泣くならべつのところで泣いてくれ」
すぐ近くに小柄な男がうずくまっていた。
涙で濡れたその顔はあちこちが赤くなっている。
おそらく先ほどの揉め事で殴られたのだろう。
小柄な男がこちらの顔を見るなり目を瞬かせる。
「あんたは昼間の魔導師。それに……げっ、《殺戮王女》っ!」
「な、なんだその反応はっ! まるでわたしが化け物みたいじゃないかっ」
「みたいっていうか、実際にそう――」
小柄な男が続きを言おうとしたとき。
ディアナが思い切り殺気を飛ばした。
「いま、なんと言おうとした?」
「ひぃっ」
小柄な男がさらに縮こまってしまった。
このままでは違う理由での夜鳴きが続きそうだ。
ジェイクはディアナの襟首をくいっと引く。
「落ちつけ」
「し、しかしこの男はわたしのことを化け物とっ」
「ディアナ」
「……わかった。ジェイクに免じて今回だけは許す」
むすっとしながら下がるディアナ。
まさに子どもさながらのふくれっ面だ。
そんなこちらのやり取りを見てか。
小柄な男がぽかんと口を開けていた。
「す、すげぇ……あの《殺戮王女》を御してやがる……ってか、ジェイク? どこかで聞いたような……」
首を捻りながら黙り込んだ。
かと思うや、はっとなって呟く。
「……異端者ジェイク・オルトレーム」
「さすがに魔導師なら知ってるか」
指や腕に身につけられた魔石つきの装飾品。
そこから小柄な男が魔導師だとはわかっていた。
ディアナが勝ち誇ったような顔を向けてくる。
「わたしと同じぐらい怯えてるじゃないか」
「いや、ディアナんときのほうがひどかったぞ」
そうして意味のない張り合いをしていたときだった。
「これは……ついてるかもしれねぇ」
小柄な男がみるみるうちに生気を戻していった。
そのまま頭を床にこすりつける。
「このサッド、おふたりに折り入ってお願いがあります!」
「いやだ」
ディアナが無表情で即答した。
サッドと名乗った小柄な男の顔に硬い笑みが浮かぶ。
「あ、あの……せめて内容を聞いてからでも」
「聞く必要はない。わたしは化け物呼ばわりされたんだぞ。そもそも寝ていたところを起こされたんだ。すごく機嫌が悪い」
「ほ、本当に申し訳ありません」
「謝っても無駄だ」
「そんな……」
ディアナに願っても無駄と察したか。
すがるような目をこちらに向けてきた。
「……ディアナほどじゃないが、俺もあまり機嫌はよくない。第一、俺が受けてもディアナがこれだとな」
「そこをなんとかっ。旦那、王女殿下の良い人なんでしょうっ。なんとか説得をっ」
「いや、べつに俺たちはそういう仲じゃっ」
「そ、そうだ。わたしたちはただの相棒だっ」
ディアナと揃って反射的に否定してしまった。
事実だが、気恥ずかしさが混じっていたのは言うまでもない。
ただ、サッドが訝るように目を細めていた。
「この宿屋、結構利用するんすけど……そこの部屋ってたしか1人用っすよね」
「だったらなんだというのだ」
「い、いえなにも……」
ディアナの威嚇で黙り込むサッド。
まさに猛獣に小動物といった構図だ。
「いくぞ、ジェイク」
「あ、ああ」
憤慨するディアナとともに部屋に戻ろうとした、そのとき。
「ま、待ってください! お礼は弾みます! フレズ金貨1枚……いや、3枚でっ!」
ジェイクはディアナと揃って足を止めた。
その額なら2人でも数日は余裕で生活できる。
いや、魔石を幾つか買ってもお釣りがくるほどだ。
近いうちにギルドから報酬を受け取れるとはいえ、いつかはわからない。仮に受け取れたとしても、今後は2人分の生活費を稼がなければならない状況だ。
金はいくらあっても困らない。
つまり返答は決まっていた。
「「話を聞こう」」
◆◆◆◆◆
翌朝、ジェイクはとある崖上ではいつくばっていた。
眼下には円形状にくり抜かれた窪地が広がっている。
底には大きな岩塊が転がっているだけでなにもない。
ただ、ちょうど対面の岩壁には穴が開いていた。
両脇には槍を持った2体のゴブリンが立っている。
「変わった場所にあるダンジョンだな」
「もともとは湖だったらしいんすけどね。魔物が全部飲み干しちまって、そのまま棲家として使ってるって話です」
答えたのは右隣で同様にはいつくばった小柄な男。
昨夜、依頼を持ちかけてきた魔導師のサッドだ。
「さて、サッド。改めて依頼内容の確認だ。あんたがあのダンジョンで落とした荷袋を取り戻せば、俺たちは報酬としてフレズ金貨を〝3枚〟もらえる。これで間違いないな?」
ジェイクは依頼内容を要約して口にした。
サッドがこくりと頷く。
「間違いないっす。ただ……やけに報酬のところを強調してくるっすね」
「活動資金はいくらあっても困らないからな」
そう力強く相槌を打ったのはディアナだ。
左隣で彼女もまた同様の格好で寝ている。
ただ、わずかにこちらより背の位置が高い。
原因はもちろん窮屈そうにひしゃげた胸だ。
「報酬はちゃんと払いますんで安心してください。というよりおふたりに払わなかったら、俺の命がどうなるかわかったもんじゃないですし」
「よくわかってるじゃないか」
ディアナが満足したようにふっと笑う。
とくに威嚇したわけではないようだった。
だが、サッドの笑みは思い切りこわばっている。
完全にディアナ恐怖症だ。
「しかし改めて思うが、きみに責任をすべて押しつけるなんて薄情な奴らだな」
「俺が悪いんすよ。いつも下手打ってばかりで……」
積み重ねで愛想をつかされたというわけか。
サッドは俯きながら悔しげに下唇を噛んでいた。
しかし同情されまいとしてか、慌てて話題を変えてくる。
「で、でも、依頼しておいてなんすけど、本当に大丈夫っすか?」
「なにがだ?」
「落としたの2層目ですけど、たぶんもうゴブリンたちに拾われて……」
「光物だからな。主かそれに近い奴らに献上されてる可能性が高いだろうな」
つまり最奥にあるということだ。
彼の仲間が諦めたのもそれが理由だろう。
「全部倒せば問題ない。だろう、ジェイク」
「だな」
ディアナの勝ち気な笑みに頷いて応じる。
もとよりダンジョンの前に来たのだ。
ついでに潰しておかなければ損というものだ。
「……本当に頼もしい人たちっすね。でも、気をつけてください。ここのダンジョン、ゴブリン以外にもオークが何体か一緒に棲んでますから」
サッドが不安に満ちた顔で「それに」と話を継ぐ。
「俺たちが入ったとき、いつもより魔物たちが殺気立ってて……」
主が変わったか。
ほかのところから移り住んだ魔物がいるか。
あるいは――。
「ジェイク」
ディアナが険しい顔を向けてきた。
彼女も同じ懸念に至ったようだ。
「おそらくいないとは思うが、警戒だけはしておく」
――《迷宮の創造者》。
仮にいるとすれば上級の魔物ばかりになる。
門番がゴブリンからして可能性は低いだろう。
だが、準備をしておくに越したことはない。
「にしてもずっと気になってたんすけど……おふたりとも、どうしてそんな額が赤くなってるんすか?」
緊張感が漂いだした中、サッドがそう訊いてきた。
ジェイクはディアナと揃って硬直してしまう。
「こ、これか。起きたときにベッドから転がり落ちちまってさ」
「わ、わたしは寝ぼけてドアにぶつけてしまったんだ。あは、あははっ」
互いに乾いた笑みを浮かべる。
本当のところは……。
今朝、ディアナと偶然にも同時に起床。
しかも向き合った状態だったため、驚いた拍子に額をぶつけてしまったのだ。
ただ、事実を説明するには一緒に寝ていたことを話さなければならない。ゆえに、とっさに口からでまかせが出てしまったのだ。……一緒の部屋で寝ている時点でいまさらかもしれないが。
「さ、さて雑談は終わりだ。そろそろダンジョンを潰しにいくぞ」
「そ、そうだなっ」
ディアナも焦りつつ応じると、背にした剣に手を持っていった。その柄をぐっと握った途端、彼女の顔つきが野生的なものとなる。
「では、まず見張りからだな。わたしがサクッと片付けて――」
「ちょっと待ってくれ」
どうしてと言いたげな目をディアナから向けられる。
彼女の実力なら見張りに気づかれて仲間を呼ばれたとしても罠魔法を準備する時間ぐらいは作れるだろう。
わざわざ高価な魔石を使って見張りを倒す必要はない。
ただ、今回はディアナと初めての共闘だ。
「いい機会だ。罠魔法のことを教えながらといこうじゃないか」